静かな波に呼応して、月光がその身を呑み込んでいく。
流れる星の輝きに似た、しかし、それより遙かに鋭さをにじませた光が流れる。
滑らかなその動き。
静かにすべる足下の確かさ。
耳を過ぎるのはただの風の音。
まとうのは静寂という名の無音のみ。
彼の動きを阻むものは何もない。
それは夢よりも激しく、そしていつもの戦闘よりも優雅な 舞のようだった。
舞闘
細く長く息を吐く。
煙草の煙が乗った吐息は月が輝く夜空を目指す糸にも似て、あるかないかの風にかき乱されて消えていく。
この一服が、自分の身体に溜まった澱のような疲れをそっと押し流してくれている。それからほんのわずかな、次へ進む為の小さな休息を。
もう一度大きく息を吸う。
煙草の先が赤くチリリと濃くなり、再び長い吐息と姿を変えて風と戯れる。
だから何かが終わった瞬間の、この煙草は手放せない。日常の細々とした仕事をすべて終わらせた、1日の終わりなどには必ず。
どうしようか?
一瞬考えて、いつからこんなことを考えるようになったのか…と遠いような記憶を少し探る。
教えてくれたのはビビだった。
今はもうこの船には乗っていない、美しく、賢明で、ひたむきな王女様。あの日は、後数日でアラバスタに着く
という静かな夜だった。
確かあの夜、今日と同じく翌朝の仕込みを終えたのは、随分と遅い時刻だった記憶がある。いつもの調子で1日の疲れをいやす一服を楽しもうとして、何気なく外に出ようと思ったのは、その夜があまりにも静かで、小さな丸窓から見える空が異様に綺麗だったからだ。
昼間の喧噪が嘘のような船の上で、最後まで起きているのは見張り番をしている者か、自分くらいだ。
そう思ってキッチンのドアを何気なく開けた瞬間、小さな悲鳴が聞こえた。
慌てて見てみると、そこにはいつもくくっている長い髪をそのまま背に流したビビが驚いたように立ちつくしていた。
「ごっ、ごめん、大丈夫だった? ビビちゃん!」
何かに当てたような感触はなかったが、左腕をかばうようにして立つビビに、思い切り焦ってしまう。
「あ…ああ、大丈夫です。ごめんなさい。びっくりしてしまって」
「ごめんね〜。急に開けたから…。お詫びに、何か煎れるよ。飲む?」
丸くしていた目を一度だけ深く瞬き、ビビはにっこりと微笑んだ。そのあまりの可愛らしさに、サンジの胸は盛大に高鳴る。
「ありがとう、サンジさん。でも、もう今日は片づけてしまったんでしょう?」
「なーに、それくらい。ビビちゃんの為なら、なんってことないよ!」
大仰な仕草で片膝をついて手を差し伸べるサンジに、クスクスと笑いビビは微かに首を傾げた。そして背後を気にするようにほんの少し視線を流し、すぐにサンジへと戻した。
「本当にいいんですか?」
「もちろん!」
「なら、何か暖かいもの…お願いしてもいいですか?」
どことなく寂しそうなその笑顔に、サンジは勢いよく頷いた。
片づけたキッチンの前に行き、ケトルに少量の水を補充して沸かす。その間に必要なものを用意しながら、サンジは静かにテーブルの席についたビビへと意識を向けた。
この船唯一の大きなテーブルには、いつの間にか定位置というものができている。
ビビが座っているのは、不思議なことにいつも彼女が座っている場所ではなかった。今彼女が座っている場所は、いつもならどうしようもない酒豪の剣士の位置だ。
それがなんとなく気になった。
「…眠れないの?」
いつしか決まった席ができはじめてからは、誰もが暗黙の了解のようにその席を犯すことをしない。もちろん厳密にこの席が誰の、と決まっているわけでもない。だから、時と場合によっては好き勝手に座ることだってある。けれどもそれを、誰もがなるべく守ろうとしているのをサンジは知っている。
手早く煎れたのは、蜂蜜とレモンをお湯で溶いた暖かい代物だった。それを静かにビビの前に差し出すと、彼女は嬉しそうに笑ってカップに視線を落とした。
「眠れない…というより、なんだか気がはやってしまって…。もうすぐアラバスタだと思うと…」
暖かいそれにそっと唇を寄せ、微かに喉を鳴らす。
そしてビビは小さく、身体全体から何かをはき出すような息をついた。
「こんなんじゃ、いけないって分かっているんだけど。…情けないな」
「そんなことないよ。どちらかというと、当然なんじゃないかな? これから、君は本当にやるべきことに向かって走り出すんだ。それも時間との闘いだ。俺だって考えると、ちょっと怖くなるよ。それをビビちゃんはやろうとしてるんだから」
自分の定位置にサンジは腰を下ろした。
そうすると、今はビビの前に座ることになる。
「ありがとう。優しいですね、サンジさんは」
言葉以上に優しい瞳が注がれるのに気を良くして、サンジは胸を張った。
「当然! 本当のことだからね!」
そんなサンジの様子に楽しそうに笑い、もう一度ビビはカップに唇を寄せた。
「たまに…こんな風に静かな夜は、本当にたまになんですけど! たまらなくなることがあって…。そんな時は、時々こうして外の空気を吸いに出てたんです」
「なんだ、それなら声をかけてくれたらいつでも飲み物くらい出してあげたのに」
「悪いですよ。…それに、実はちょっとお目当てがあって」
ビビは小さく笑い声をあげ、秘密の話をするかのようにカップを横に避けて、少しだけサンジへと身を乗り出した。
それを受けて、サンジも少しだけ身を乗り出す。
「たまに、Mrブシドーを見に行ってたんです」
「はぁ!? あのバカマリモを? なんで?」
本当に不思議だったので、思わずそう声を上げると、ビビの方が驚いたように身体を伸ばした。
「え? サンジさんいつも遅くまで起きてるみたいだし、見張りとかされてるから…知ってるんでしょ? Mrブシドーの夜の訓練…なのかしら? あれは」
そういうと、ビビは何か遠くを見るように視線をドアの外へと飛ばした。
「初めて見た時、私本当に驚いて。なんていうか、とても静かで…昼間にしている訓練とはまるで違っていて。あれをなんて言えばいいんでしょうね。私、見とれてしまったんです。なんだかもう、頭が真っ白になるっていうか…見ているだけで、身体から力が抜けていくような感じがして。やっぱり凄いんですね、Mrブシドーって」
手放しの賞賛に、サンジの方が面食らった。
訓練と言われれば、いつもヤツがしている信じられない鉛付きの棒降りや、鉄アレイなどしか思い浮かばない。それに見とれるくらいなら、自分は死ぬ。死んでしまってもおかしくない、とサンジは信じて疑わない。
事実、その認識は間違っていないだろう。
だが、ビビの言うそれは、自分が考えているものとはまるで違っているらしい。
「あいつ何やってんの?」
「本当に知らないんですか?」
「うん」
「まあ、私もいつも見られるというわけではないんですけど。いつそれをしているか、ちょっと分からないし。運が良ければって感じなんですけどね」
ビビは苦笑しながら、あっさりと告げた。
「多分、あれは剣の型…かなにかだと思うんですけど」
言われている意味が良く分からない。そんな思いが素直に顔に表れていたのだろう、ビビは困惑気味に首をかしげた。
「私も良く知らないんですけど、剣士さんたちって訓練とかでこう…決まった動きをすることがあるでしょう? 多分、それをしているんだと思うんです。見たこともない動きだったから、Mrブシドー独自のものかもしれないですけど」
元の位置に戻したカップを持ち上げて口をつけ、彼女はゆっくりと中身を傾けた。その仕草がなんともいえず、綺麗だ。育ちの良さというものは、こういう些細な仕草に顕著に現れるものなのかもしれない。
「でも、そんなこと抜きにしても、あれは凄いですよ。一度サンジさんも見てみるといいと思います。…あれは…なんだか…何もかもを…流してくれるような気がしますから」
ほんの少し言い淀みながら、それでもビビは微笑んだ。
どう言えばいいのか、本当に分からないのかもしれない。
「ふぅん、あいつがねぇ。まあ、ビビちゃんの役に立ってるんなら、文句言う筋合いじゃないなぁ」
なんだか煙草が吸いたい気がしたが、目の前でカップを傾けるビビの為に少しだけ我慢する。
「うーん、ビビちゃんが薦めてくれるんなら、そのうち一度くらい…我慢して見てやってもいいかなぁ…とかなんとか…」
気が進まない様子のサンジの姿に、ビビは落ちてきた髪を少しかき上げるように肩へ流す。
「ふふ、見たくなければ、なんだか見ないで欲しい気もするんですけど。できれば、私だけの宝物にしたいような…そうでないような…なんだか複雑」
カップへと何かを注ぎ込むように瞳を落としたビビが、微かに唇を震わせる。
笑うわけではなく、ただ、呟いた言葉が知らず心を吐露させてしまったかのような…緊張に似た震え。
本来ここに座るはずの剣士を、彼女は思いだしているのだろう。伏せがちの瞳が、唇の震えを映して色を落とす。
一瞬前までの見知った少女が、突然大人の女性になったような------そんな気がしてサンジは目の前のビビへ視線を奪われた。
そんな顔をあの剣士がさせているのかと思うと、なんだか憮然とした思いしか浮かばない。
「ビビちゃん…もしかして…あの…緑ハゲのこと…」
わなわなとこっちはみっともなく唇を震わせつつそう問いかけると、ビビは不思議そうに顔を上げた。
「はい?」
「あの腐れマリモのこと、好きなの!?」
もはや悲鳴に近い声を上げて尋ねたサンジに、ビビは唖然と口を開き、ついで盛大に吹き出した。
「いやだ、サンジさんったら! もちろん好きですよ!」
「ビビちゃん!」
泣きそうなサンジに、笑いながらビビはさらに続ける。
「サンジさんのことも好きですよ。ルフィさんもナミさんも、トニー君もウソップさんも、みんな。みーんな大好きです」
本当におかしいのだろう、涙をにじませて肩を震わせ、ビビは満面の笑顔を惜しげもなくさらしてサンジへ手を振った。
「そういうのとは違いますよ、Mrブシドーのは。本当に一度見て見れば分かりますから。今度機会があったら、是非見て見てください。私が言ったこと、絶対分かるはずです」
あー、面白かった。と滲んだ涙をぬぐうビビは、また思い出したのか続けて肩を震わす。それはそれでこちらが真剣だった分、多少失礼な感想だと思わないでもなかったが、ビビの憂いが少しでも晴れたのならお釣りをもらってもいいくらいのことだ、と、サンジはあっさり聞き流した。
「ごちそうさまでした。それから、ありがとう。仕事増やしてごめんなさい」
カップを差し出すビビに、サンジは極上の笑顔で優雅に腰を折ってみせる。
「なんのこれくらい。あなたのサンジ、いつでもお呼びください、すぐにはせ参じます!」
ビビはいつも通りの笑顔を見せると、もう一度礼を言い、キッチンを出ていった。
ドアが閉まる寸前、彼女の長い髪が風に一房流れるのを、サンジはなんとなく不思議なものを見た気分で見送った。
それが始まり。
彼女の話が本当だった知ったのは、それからすぐのこと。
ビビと話した次の日の夜、翌日の朝食の仕込みを終え、すべての火元を落としたサンジは不意に彼女の話を思い出していた。
昨夜の話は、朝からの慌ただしさにすっかり忘れてしまっていた。ビビも何もなかったかのようにアラバスタについてナミと話をしていたり、いつものようにカルーの世話に明け暮れてなんら昨夜を思わせることはなかった。
だからなおさら、意識するまでもなく忘れていたのだ。
が。
「…探してみるかな…」
それを人は気まぐれと呼ぶ。
キッチンの明かりを落とし、外に出ると、どこか熱を孕んだ風がサンジを迎えた。
アラバスタは、砂漠の国だと言っていた。この風は、きっとそのアラバスタからのものだろう。自然にそう思うことを受け入れられるくらい、島に近づいているという感覚がわき上がってくる。
軽い足取りで甲板へ出て見るが、そこに人の気配は感じられない。メインマストの方を見ると、今日はチョッパーが見張りなのか、何も見えない。
もし今いるとすれば、船尾の方か。
「そういやぁ、あいつ、時々俺が戻っても男部屋にいなかったな。絶対どこかで寝こけてるだけだと思ってたが…」
サンジは踵を返すと、そっと船尾の方へと向かった。そして、船尾へと続く短い階段をほんの少し登ったところで、顔をあげ 硬直した。
そこに無音の世界が存在していた。
空には、下弦の痩せ始めた月が昇っている。
闇が濃い。
だが、僅かな光源の元、逞しい長身が静かに佇んでいた。
星明かりとも、月明かりともつかない光が彼のすべてに陰影を刻んでいる。
ゾロだ。
いつものスタイルで、ゾロがいる。
だが…そこにいるゾロは、いつも見ているゾロではなかった。
いつもは三本の刀を使う彼が、一本だけを手にして立っている。
残りの刀は腰に差したままだ。
手にした一刀は白。
和道一文字と呼ばれる、名刀。
抜き身のその白い刀を両手で構え、恐ろしい程の緊迫感をまとったまま、すっと背筋を伸ばし佇んでいる。それだけで目を奪われる鮮烈さがある。
そのまま時が止まってしまっているのかと思えた時、不意に彼の身体が動いた。
ゆっくりと振りかぶった抜き身の刀が降りおろされる。
ただそれだけの動きなのに、それはいつもの彼の動きからは信じられないような滑らかさで、そのうえかなりゆっくりとした動きのような気がした。
だが、ゆっくりに見えるのにその動きが淀むことはない。
全身に神経が行き渡っているのが分かる。ほんの一振りの素振りであろうとも、何か完成された動きを見ている気がする。
多分、ゾロは今自分が身体をどう動かしているのか、すべてを把握しているのだろう。ゆったりとした動きながら、彼の持つ刀はとどまることを知らぬように、時に曲線を描き、時にまっすぐに振り下ろされていく。
ゾロの身体は刀を振り下ろすのに合わせて、低く腰を落としつつそのまま滑るような足取りで上体を捻り、またそれを追うように刀は滑らかに切り返されて空をなでつつ夜空の星を断つ。
そのまま足を引いて常体に戻しながら、下段に下ろされた刀は手首の捻りを利用したように大きく真横をなぎ払い、頭上へと押し上げられる。
ゾロの動きは止まらない。
それは、サンジの知らない世界だった。
ピンと張りつめた、痛い程の均衡。そこにあるのは、ただ凄まじいまでの静寂の中で乱れることのない刀とゾロとの勝負。
振りかぶるゾロから汗がしたたっている。
彼の目は強い光を放ちながらも、それがどこに向いているのかは分からない。
見本のようにすっと背筋を伸ばし、刀を上段に構えたゾロはゆっくりに見えて素早い動きで踏みだし、それに合わせて刀は空を切る。
実は見た目以上に動きは素早いのだろう。が、音一つたたない。動かせば聞こえるはずの鍔の音すらしないのが、サンジには不思議だった。
刀が弾く月光が、流れては目の奥に残像を残す。
下ろした刀を一瞬で返し、ゾロは片足を蹴り上げるように伸ばすと、ここにはない刃をかいくぐり、その懐を捕らえるように足と刀を逆の方向になぎ払う。
…多分、これはビビの言う通り、彼の剣の型なのかもしれない。
だが…どうだろう。これは…これは型などと軽々しく言えるようなものなのだろうか。
とどまることのない、流れるような動き。神経の行き渡った五体が魅せる、繊細かつ大胆な動きは、優雅な演舞にも似て。
見ていると、自分がどこに立っているのかすら分からなくなってくる。
頭が真っ白になっていく、とビビは言っていた。
これはそんなものではないだろう、とサンジは身体を震わせた。
震えるつもりはなくても、震えてしまう。喉が…渇く。全身が何かを叫びたくなるかのように、一気に熱をまとう。この無音の中にあって、何かがうるさく耳元を叩いてると思ったら、それは自分の心臓の鼓動で。
凄絶。
その言葉が、脳裏を過ぎる。
ゾロがまとうのは、一瞬の中にある、命のやりとり。
このまま、時が止まってしまっても、自分は何の後悔もしないのではないだろうか?
ただ見惚れてしまうしかできない、そんな時間の中で、その時自分はそう思っていたと…後にサンジは気づく。
その時はただ、ゾロのその静かな剣舞を、時を忘れて見続けるしかできなかった。
その後、どうやってゾロに見つからずに男部屋に戻り、彼より先に横になったのかは覚えていない。
その上当然のように眠れず、風呂に入ってきたのだろう、ゾロが濡れた匂いをまとってハンモックに横たわるのを薄目を開けて眺めていた。
翌日の自分は惨憺たるもので、ナミ達に具合が悪いのかと随分心配をかけたものだ。
しかし、昼間のゾロは相変わらずの役立たずの穀潰しの寝太郎で、そのうち自分もなんとなくいつものペースを取り戻すことができていた。
「…俺も焼きが回ったよな〜」
それからすぐにアラバスタへと着き、そこからはもう戦いに次ぐ戦い。当然ゾロのことなどに構う暇などなく、それぞれが目的に向かってバラバラに、だが一つの願いの為に戦った。
ようやく何もかもが終わり、ビビと別れ、新たな乗組員を加えて海に出て。
サンジはそれから幾たびも、ゾロの夜の訓練を見る為に夜の甲板をうろついていた。
ゾロがいつどこでその訓練をしているのかは、最初の頃はさっぱり分からなかった。ただ、何度も探していて気づいたのだが、彼のそれは1日の鍛錬の終わりの総まとめとして行っているらしい。だから大抵夜が多く、昼間寝こけていたりすると、明け方などにその鍛錬をしていることがあった。なのでゾロの生活パターンを把握すれば、それなりに見る機会も増えていく。
勿論その鍛錬をしないこともあるのだろう。
自分だって毎日見ているわけではない。だが、なるべくなら見逃したくない。そんな気持ちを抑えられずに、気がつくとゾロの姿を探そうとしている自分がいるのだ。
見れば見る程、新しい驚きとともに知ることが増えていく。
彼の型には幾通りものものがあるらしく、時々見たこともない動きを見ることがあった。そういう時には、純粋に嬉しく、そのすべてを自分に取り込むように見てしまう。だが例え新しいものでなかったとしても…何度見ても、あのゾロの剣舞は見飽きることはなく。
しかも、恐ろしいことに アラバスタを離れてから、ゾロの動きは凄みを増した。
アラバスタで彼が得たものが、彼のすべてを作り替えたかのように。
アラバスタを離れて、最初にゾロの剣舞を見た時、サンジは本当にその場に座り込んでしまった。
立っていることができなかったのだ。そのあまりの凄みに。
鋭さを増した動きは、ゆったりとした動きの中にあってさえも鈍ることはなく、見ている自分を知らぬ間に斬り裂いていくかのようで。
ただ、無心のままゾロから目が離せなかった。
自分の中の何もかもを押し流し、見終わった時にはまるで自分が長い間踊り狂っていたかのような心地よい疲労感と、空っぽになってしまっている自分を知る。
ビビが言っていたことが、その時になってようやく理解できた。
あの聡明で美しい王女は、やはり間違ってはいなかったのだ、と。
「ゾロなんかを見て、1日を終わらせようとしてるんだもんなぁ」
それでも、あれを見らずにおくことはどうしてもできなくて。
煙草と同じように、ゾロの鍛錬が自分を癒していると気づいたのは、ついこの間の満月の夜。見終わって、部屋に戻り寝ようとした時のことだ。酷く安心している自分に気づいた。それが何にもたらされたものなのかは、考えるまでもなく。
あまりのことにサンジは思わず吹き出して、その夜はかなり穏やかな気分で休むことができたのだ。
キッチンの明かりを落とし、サンジは外に出た。
今日は月の姿が天空に見あたらない。
最近は覚えて、最初に男部屋でゾロの姿を探してから甲板に出る。そうなると、もう自分の目的を誤魔化すなんてことはできないし、するつもりもない。
ついでに、その動きが日課になりつつあることも自覚している。
ゾロを探して今夜はどこかと見回していると、わずかな星明かりの元、蜜柑の木の前に蠢く濃い人影がいるのに気付いた。
蜜柑の木のある場所には訓練するようなスペースはない。ならば、そのまま後ろ甲板へと回るつもりなのだろう。
あそこか、と弾む足取りで後ろに回る為の階段に向かう。
いつか、ゾロは自分に気づくのかもしれない。
それを考えるようになったのも、最近だ。時々、ゾロは鍛錬を終えた後、自分がいる方を怪訝そうに見ることがある。だが声をかけてきたことも、ましてやそれ故にこの夜の鍛錬を怠ることもない。
だから気のせいかもしれない。が、そうでないのかもしれない。
見つかってしまえば、それはそれで悪いことではないような気もする。そのせいだろうか、もし見つかったら…とここ数日で考え始めている。
そうしたら、あいつの為に夜食を用意して。酒もいるか? それとも、少し暖かい飲み物で水分補給をさせようか。
ゾロの夜の剣は、今は自分の一部のようで、まるで違うもののようでもある。
それがどういう部類でどう自分に影響を与えているのか、本当のところは全然分かっていないのかもしれない。
だが止められない衝動が、確かにある。
サンジは本日の舞台の為に、階段を登る。
蜜柑の木の奥には、いつもの、あの人を無心にさせる男の姿があるはずだ。
人影はまだ蜜柑の木の側に立っている。今はいつもより狭い場所にいるはずの人物が魅せるその姿に、サンジは自分の中で何かを育ててるいるのも知っている。
それが花咲くのか、それともそのまま枯れていくのかは、今の自分には分からない。
後数歩でたどり着く階段の先には、今日も彼がいるはずだ。
その狭い場所を通ることを、今までゾロが一度も選んでいなかったことを考えぬまま、サンジは足を運ぶ。
海の奥に、今、登りかけた細い月が白い道を伸ばしはじめていることに、誰もまだ気付いてはいなかった。
終了(2004.7.30)
初書きのお話。ゾロがあまり出てこないのに、ゾロ好きが書いたと一発で分かる。
そのくせに、ゾロが一言も話さないという…とんでもない話…。
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