わすれじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
[百人一首]




 この内裏の奥に隠れるように作られた、小さな宮に通うようになってどのくらいの月日がたったのか。
 何度か名月の月見だ、梅だ、雪だ、正月だ、なんだかんだと色々と話をしては酒を飲んだ記憶があるので、多分数年はたっているのではないか…とゾロは思い返した。
 年数など、どうでもいい。
 どのみち気にしたこともない。まだ自分は未熟な剣士でしかなく、人がなんといおうと己の剣技に満足したこともない。
 まだまだこの世には強いものがいる。最たるものは、自分を一度真っ二つに裂いたあの…鷹の目だろう。
 死ななかった…というより死なせずに残したあの男がいる限り、自分は最強を目指して走る。それだけが自分の生きる意味だった。
 なのに、だ。
「お前ね、やってきて、仏頂面で酒飲むなよ。不味くなるだけだっつの」
 隣には、金の髪を持ち青い瞳のガラの悪い男が立て膝で大きく杯を煽っている。
 烏帽子は低く黒い、それが奇妙に彼には似合っていた。
「うるせーな。元々こんな顔なんだ。ほっとけ」
 そう言って自分も杯を煽ると、すぐさま男が瓶子を持って酒を満たした。
 本来なら、世話役の女房などがいて酌くらいするのが普通なのだろうが、この宮ではそういう女性を見かけたことがない。
 というよりも、女房がいたら何故かこの男の方が「女性はそこにしとやかに座っていてくれればそれでいいんだよ」とにやけては自分がちょこまかといらないくらにい動くので、いつの間にかいなくなったのだ。
 それは非常に正しい、とゾロは思っていた。
 何せこの男、あらゆる汚れを知ることを禁じられている…らしいのだが、異常な程に女好きなのだ。というよりも、女性こそがすべての生き物の頂点にいると信じているらしい。
 それを聞かされた時には、思わず
「それは幻想だ!」
 と叫んで大喧嘩になった。あの時はあまりの暴れっぷりに、家屋の一部が破壊されて内裏の者達が頭を抱えたと後になって聞いたが、まあ、あんまり自分には関係ないからどうでもいい。
「なんか…あったのか? あそこで」
 くいっと白い顎が指し示す先は、庭と塀に遮られてここからは見えない内裏のある方向。
 ゾロは苦虫を噛みつぶしたような顔をみせると、一気に酒を飲み干した。
「あそこは面倒だ。まああいつは話が分かるが、まわりにいるのがなぁ、何考えてるのかさっぱり分からねぇ。あれこそ魑魅魍魎だな。切っちまったら早そうだ、と思うことが多すぎる」
「…お前、物騒すぎるぜ、それは」
 言ってサンジは吹き出した。
「腹違いとはいえ、ルフィのことをあいつ呼ばわりするのもお前くらいだろうな」
「あほ、あいつはあいつでしかねぇ。そのうち、あいつはでかいことしそうだしな。ついてこい、と俺に取引持ちかけたのはあっちだ」
 今度は自分で酒を満たしたゾロに、それは初耳だ、とサンジが目を丸くした。
 今日は中秋の名月と呼ばれる夜だ。内裏では、今様々な歌の宴などが行われていることだろう。本来ならゾロはその警備にあたらねばならいはずだが、こっちの警備があると言って出てきたらしい。勝手気ままな働きぶりに、内裏では目に余る、と言われてもいるらしいが、駄目なら出て行くまでだ、とゾロはやはり気にもしていなかった。
 だが最近は、追い出されたらまずいな、と思うようになっていた。
 それはただ一点。ここを出たらこの男…サンジに会えなくなるからだ。
「ルフィがお前に持ちかけたのか? 内裏にいろって?」
「ああ」
 言ってゾロは焼いた鮎を頭からかじった。
「ここに来てくれ、と山で知り合ったウソップ坊主の野郎に言われて参内させられてきてみれば、周りはまあ…面倒だらけで、話にならねぇ。やれ、刀を振ってみせろだの、あれを切れだのなんだの。俺は見せ物か。あんまりバカバカしいから出て行こうかと夜中内裏の中を歩いていたら、丁度バッタリあいつと会ったんだよ。腹が空いたから、食べ物探そうとしていたらしいぜ」
 その様子に思い当たることが多すぎるのだろう、サンジは爆笑した。
「ルフィらしいなぁ! で、お前はなんでまたそんなルフィに会うような場所をうろつくんだよ。出て行こうとしている奴がさ」
 わかっていて、わざと聞いてくるサンジに、ゾロは憮然と口を引き結ぶ。
 それにさらに笑いだし、サンジは目線で話の先を促す。
 しぶしぶとゾロは酒を口にするついでに、唇をほどいた。
「そこで何してるんだ? と声をかけてくるから、煩いから出て行こうかと思ってる。といったらあいつは、出て行くなら場所がまるで違うから「方向音痴か!」とか言って大笑いして…」
 言いながら、ゾロは月を見上げた。
 頭上に輝く月は丸く、どこまでも清澄でいて、不思議と温かく辺りの夜空を青く染め変えている。
 だが、見上げながらも、ゾロの目は遠くを見て当時をなぞらえているようだ。
「お前は何する奴だ? というからな。ウソップに言われて来た。つって、ついでにここはなんだ? バカの巣窟か? と不満を言ったらゾロとはお前か、と言われてその場でガチンコで勝負したな。あいつ何者だ?強えぞ?」
「おう、ルフィは強いぞ。今まつりごとをしてはいるが、あいつは勘だけで動くタイプだからなぁ。…内緒だがな、あいつがあんまり周りの言う通りに動かないもんで、あいつが天皇になってから実は内裏は混乱しまくってるんだよ。…悪いことじゃねーと思うがな。あいつが…天皇になって…何年だ? お前がここに来だしてからとあんまりかわらねーんじゃねーか? 実際に今、あいつを先頭にして、本当に政治をしてんのは…シャンクス達だろうなぁ…。本気で内裏を変えようと思ったら、ルフィくらい破天荒じゃねーとできねぇのかもな」 
 含み笑いをしながら、サンジは自分も酒を飲む。いつの間にか、サンジまでもが天皇をあいつ呼ばわりだ。
「そうかもな。どうでもいいが、あいつが俺を引き留めた。半分脅しだったが…まあ、いいか、と傍に残ることを言ったら、お前に引き合わせたんだよ」
 鮎をすべて食べ尽くし、ゾロはサンジが差し出した懐紙で指を拭くと笑んだ瞳でサンジを見た。
「今じゃありがてぇ、と思ってるけどな」
 ふと、サンジの手が止まる。
 少し驚いたようにゾロを見て、怪訝そうに瞳を細める。
「お前の傍にいることを許してもらったぞ。俺は」
 言ってゾロはそっとサンジへとその手を伸ばす。
 頬に手が届くかどうかといったところで、フルリとサンジが震えて、慌てたように背を引いた。
「な…なんなんだよ、そりゃ…」
 囁くように零した言葉に、ゾロが笑う。
「お前に引き合わせたのはルフィだ。俺はお前が欲しい。そう思ったから、直接あいつに言ったんだよ。貰ってもいいかってな」
「なぁっ!?」
「あいつ目を丸くして、それから大笑いしたぞ。初めて会った時より笑ってた。それから、『おうっ、サンジがいいって言ったらいーぞー』だそうだ。話が分かる奴で助かる」
 言葉もなく、口をぱくぱくさせるサンジは硬直し、それから一気に真っ赤になった。
「なんじゃ、そりゃあっ!」
「お前が俺のことを好きなのは知ってる。色に出にけり…ってやつだな。お前だって、俺がどう見てたのか知ってるだろうが!」
 心持ち、ゾロの顔も赤い。
 今まで…確かにそう思ったことは何度かある。もしかしたら、こいつも自分のことを思っているのではないか、と。しかし、それはどこまで行っても自分の願望のようなものだと思っていた。思いこもうとしていた。
 ゾロが、自分を思うはずはない。そう信じていたからだ。
 だが。
「はっきり言うぞ。俺はな、あそこでやりとりされてるような、文なんつー奥ゆかしいというより、まどろっこしいのは大っ嫌いなんだよ。そんなんが出来るかっ。俺は剣士なんだっ。欲しいもんは、力尽くで奪う方が性に合ってるんだ。愛宕山の鬼共の方がよほど俺とは性が合うはずだ!」
 やたらと大きな声でそうがなりたて、ゾロは躰ごとサンジに向き直った。
「俺はお前に惚れてる。お前を俺のものにしてぇ。お前が何になろうと、なんであろうとどうでもいい。お前を汚して例えどんな非難を浴びようがそれだってどうでもいい。     お前が欲しい」
 真っ直ぐに、まるで敵に向かって斬り込むように、鋭い刃を思わす言葉がサンジを断つ。
 受け止めるとか、防ぐとか、そんなものがまるで役に立たない。真っ向からの打ち込み。
 ポカン、とそのまま固まっていたサンジは暫く、まるで作られた人形のようにじっと、ただゾロを見ていた。
 肌寒くなっていた風が庭からそそぐように流れ、サンジの狩衣を揺らす。どこかで葉ずれの音がする。そして虫の涼やかな音色が重なりあう。
 揺らいだ灯火の明かりに、ゾロの姿が滲む。
 月の青い光が、縁台へと忍び込み、そっとサンジを照らす。鈍く光るその姿に、ゾロがふっと笑みを零す。
 瞬間、サンジに生命がともった。
「…あ…」
「おう、やっと正気づいたか」
 今初めてゾロを見た、という風にもう一度彼を見返し、サンジは大きく息を吐くと、ずるずるとその場に蹲った。
「し…信じられねぇ…こんな大バカ見たことねぇ…」
 大きく喘ぎ、震える躰を持てあますように唸る。
「俺は…隠れもんだ」
「まあ、隠されてるな。驚かれるかもしれんが、外に出てみたら案外どうにでもなると思うぞ」
「色々と神職として、儀式とかもしてる」
「それな、なんか役にたってんのか? つーか、気になってたんだが、それ俺のもんにしても出来るんじゃねぇのか? なんで汚れたら駄目なんだ?」
「知るか、アホっ! もうお前のもんみたいな言い方するなっ!」
「その容姿が必要ってなら、俺のもんにしても、お前いきなり髪が黒くなったり、目が茶色くなったりしねぇだろう? それともそんな風になるのか? 眉毛が真っ直ぐになるとか?」
 言いながら、じりじりとゾロが膝を進めて来る。それをじりじりと下がって避けながら、サンジはさらに唸った。
「てめぇ、見てみたいと思ってやがんな!? なるか!」
「そうか? まあ…そうなっても、お前はお前だからいいけどよ」
 言葉もなく詰まったサンジの目の前に、ゾロが詰め寄る。サンジの狩衣の裾を踏みつけ。身動きができなくしてしまう。
 秋物の狩衣は、今日の為に誂えた…薄い萩色を滲ませたものだ。
 破かれると困る。そう思うから、サンジは動けない。いや、動きたくないから、そういい訳をする。
「いい加減、認めろ。俺はお前が好きなんだよ。知ってるだろ? 逃がさねぇからな。いや、逃げても捕まえるけどよ」
 言い方は乱暴なのに、ゾロの腕が優しくサンジへと回される。動けないサンジを、そっと引き寄せ、彼の武将らしく濃い色の狩衣へ抱き込む。
「…ゾロ…」
 サンジは目を閉じた。自分からは焚きしめた香の爽やかな香りがするはずだが、ゾロからは微かに汗のにおいがする。それが、何故だか愛しくて、悔しくて唇をかみしめる。
「…俺がいなくなると…ルフィの立場が良くなくなるかもしれねぇ…」
「そうかもしれねぇな。でもあいつは、だから駄目だとは言わなかったぞ」
「俺は汚れたら…どうなる?」
「さあな。汚れてみれば分かるんじゃねーか? もしかしたら、俺がこうしてることで、もう汚れてるかもしれねぇぞ」
 ゾロの腕から、微かに力が抜けていく。それが嫌で、咄嗟にサンジはゾロの胸へと躰をすり寄せた。寄せてからしまった! と思ったが、ゾロが頭上で小さく笑うのに気付いて、胸へと拳を一発お見舞いする。
 噎せたゾロに舌を出しながら、それでもサンジはゾロの胸から離れない。
「あー…俺としたことが、どういうわけでこんな…鬼の仲間みたいな奴に捕らわれるかなぁ…」
「お前が清らかだからだろ。そういうのは、鬼にとっちゃ好物極まりないもんだと昔から決まってる」
 言外にサンジを褒める。そんなゾロは多分自分が言った言葉の意味すらよく分かっていないはずだ。
 天然に人を誑かす。そんな所も鬼のようだ。
 赤くなった顔を見られたくないから、サンジはさらに胸元にしがみついた。
「くそっ! くそっ! くそっ! …今…死ねたら…俺はそれでいいのに…」
 小さく囁くようにそう呟くサンジに、ゾロは目を見開いた。
「おいおい、今死なれてたまるか。お前の返事もこれからのことも、まだなーんもしてねぇ」
「こんのクソバカ色ボケ! どうしても俺を襲いたいらしいな、こんのドアホっ!」
 がばりと勢い余って顔を上げたサンジに、ゾロがニヤリと笑った。
「当然だろ」
 もう茹で上がったように赤くなるサンジの頬に、ゾロの掌がそっと寄り添う。
 サンジはもう何も言わずに、それを許す。許してしまう。
「…やっぱ…今…死ねたらな…」
「なんでだよ」
 不満そうにそう言うゾロは、しかめっ面だ。
 その顔にサンジは笑う。もう笑うしかできない。これこそが、完敗というのだろうか。
「てめぇ、俺のこと好きだっていうんだろ? ああ、ああ。そうだろうよ。知ってたよ、んで今思い知ったよ!」
 言いながら、でも次の言葉の意味を知っているからサンジは徐々に俯いていく。
「…でもいつまでだ? いつまでお前は俺のことが好きで、通うとか言うんだ? 俺はここを離れられない。もし…もし俺に神職がつとまらなくなっても、俺はルフィ達がいる限り、ここを動くつもりはねぇ。俺の居場所は…ここしかねぇ…。お前が今、俺を好きだと言うのは嘘じゃないってのは分かる。分かるから…先のことなんて…分からないだろう? 誰にもさ。だから…今、今死ねたら。俺はそれでいい。そんな風に…思ったんだよ」
 俯いてしまったサンジに、ゾロは大きく息を吐いた。
 あれはいつだったろう、同じように俯いて、朧な月を頭上にサンジが自分を待っていたことがあった。
 酷く寂しそうな様子に、傍に行けばすぐさま無体なことをしてしまいそうで、ゾロはそれを庭先から、身のうちに巣くう激情を押さえつけるまで、長いこと立ちつくしていたことがあった。
 傍に行って慰めて…不安な姿など…たった1人でいる時にも見せることがないようにしてやりたいのに、どうして自分はこんな所で立ちつくしていなくてはならないのか。
 あのとき痛烈に感じた。
 こんな理不尽なことがあるか、と憤り、だからこそ現状を打破する為に、あんまり物を考えた事がなかった自分があらゆることを想定して考えた。内裏に上がっているナミなどにも相談したりもした。
 でも、考えても無駄だったのだ。
 考えずに、行動すればよかったのだ。
 サンジが自分を思っているのは、なんとなく分かった。分かったなら、もう、止められない。
「アホ」
 言って、ゾロはもう一度、今度は強くサンジを抱きしめる。
 まるで自分に身固めをしてしまうように。
「そんなことを考えるな。行く先? そんなの行ってみなきゃわからねぇだろ。俺がお前を諦めることなんざ、ちっとも考えもつかねぇが、心配なら俺の傍にずっといろ。ルフィより俺の傍に居場所を作れ。俺がそれを許す」
「…てめぇに許されてもな…」
 諦めたように呟くサンジの細い躰を確かめるように抱きしめながら、ゾロは艶やかに笑った。
「うるせぇ。それにな、それって俺のことが好きってことだろ? だよな? なら、これから先お前俺と過ごすんだ。絶対面白いだろうな。はは、考えただけで俺は楽しいぜ? なのに死なれてたまるか。お前を汚しまくって、そんでお前の美味い飯食って。ルフィ達に付き合って。俺はまだまだ強くなる」
 ゾロはサンジの耳元に唇を寄せ、囁いた。
「いいか、俺が好きだから今、死にたいっなんつー最悪のことを言う前に、お前は、俺の為に生きろ。それく
らいしても、絶対バチあたらないと思うぜ?」
 ギュッと初めてサンジがゾロを抱きしめた。
「くそっ! この天然たらしっ! 逃げ場ねぇっ!」
「おう、諦めろ」
 笑って、ゾロはサンジを抱き上げた。
「どんなに先になっても、今の気持ちを忘れるわけねぇ。おりゃあ、こんな風に思ったことは今まで一度もなか
ったんだからな!」

 ぎゃーっと悲鳴をあげるサンジを何度も抱きしめながら、ゾロは勝手知ったる部屋の奥へと足を進める。
 そうして、月光きらめく明るい夜の灯火は、油が切れると同時に世界を闇へと返し、閨の奥から忍び漏れる艶やか
な吐息をそっと包み込んだのだ。

 神職の位をその後サンジが返還した、との記録はない。
 そして、ゾロという武士が内裏の守りを一任され、後に天皇の片腕として内裏にすまわっていたということは、書き記すまでもなく、歴史に出てくるのであった。 

終了(2006.7.26)




自分で勝手に言った言葉に責任を持っての最終話。
最終です。ええ、最終にしたいですぅ。
歌は高階成忠の娘、貴子の作。明るくしようと思ったら、この歌しか思いつかなかった(笑)
歌の解釈とはかけ離れた落ちになったお話。



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