君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもながと 思ひけるかな
[百人一首]




 夜空には、蒼天の月。
 吹き抜ける夜の風は乾いた大地の匂いを巻き上げ、狩衣の隙間から忍び入っては肌から体温をなでとっていく。
 夜の内裏は、静かだ。
 聞こえてくるのは、風の音と、遠く灯された松明の炎が爆ぜる音。そして、時折行き過ぎる人のもたらす足音。
 しかし、その足音さえも、夜の静寂は吸い取っていくかのようだ。
 夜も深まれば、あまり虫の声もしなくなる。
 庭に注ぎ入る水の音すらも聞こえそうな、そんな夜。
 青い月が降り注ぐ光は、どこまでも透明に世界を染め変える。
 それはまるで水底から天を仰いでいるようで。
 そういう夜は何故か人肌が恋しくなる。
 ゆっくりと瓶子を傾け、小さな杯に酒を注ぐ。肩にかけた夜着用の羽織は、冷えていく体温を留めることはできないでいる。どこか気怠げに、持ち上げた杯を口元に運び、傾ける。
 酒の香りが鼻孔を抜け、そこだけ熱い感触が喉を滑り落ちていく。
 ほっと息をつき、微かに俯いた。
 それに従い解いた長い金色の髪が、布の上をさらさらと音を立てて流れた。朝になれば結い上げて隠すこともできる金の髪だ。この髪のおかげで、自分は小さい頃からずっと押し込められる生活を強いられてきた。いや、まだ隠せるだけこの金の髪は良い方だったのかも知れない。もう一つ、天に冴え冴えと輝く月を眺めるこの瞳の色の方がやっかいだったのは確かだ。
 目を閉じて生活することもできたのかもしれないが、この世のこんな綺麗な景色を見れば、それをするのも惜しまれる。
 それに、血の繋がったルフィや今はもういない母、そして天皇であった父がサンジの容姿を隠すことをとても惜しんだ。
 せめて自分たちの前では、そのままの姿でいろと本当に素直な愛を注いでくれた。それに応えられないような男にはなりたくなかった。
 だから生まれつき存在を隠すことになったことは仕方がないとして、せめて自分に向き合ってくれる数少ない人達に対しては、何も隠さないようにしようと誓ってきたのだ。
 例えそれが虚勢に満ちていたとしても、それは自分を生かす矜持となった。
 だが、夜のこの時間だけは生まれた時の姿のままを天に晒している。
 烏帽子を外すことは、内裏の人間にとって恥ずかしいとしか言いようもない行為だ。誰かの前で、烏帽子もなしで会うことなど考えたこともない。
 もしそれを許すというのなら、それはもうかなり親しい人物か、家族くらいのもので。
 そこまで考えて、その白い肌にさっと酒の力とは違う赤味を走らせる。
 つい、数日前のことに思いを馳せるだけでいたたまれなくなって、その場の何もかもを蹴り飛ばしたくなってしまう。
 うずうずする躰を押しとどめて、サンジは深く俯いて目を閉じた。
 絶対に世に出ることを禁じられた異形の自分の元に、当代天皇であるルフィから遣わされたその男とは会うなり大喧嘩をしでかした。そんな人物だったというのに、いつの間にかいっそ鮮やかなまでの鋭い印象で自分の中にこうも食い込んでくるとは。
 気付けば、まるで外に出られない憧れをすべて彼に映し込んでしまったかのように、目をそらせなくなっていた。
 それが憧憬などという生優しい思いでないことにも、困ったことに、サンジはすぐに気付くハメになった。
 なんのことはない、夜は毎夜やってきて酒を呑んでいる男が、内裏の使いからの文であっさり自分の前から去っていった時に、思い知ったのだ。
 内裏からの文は、クチナシの小枝に結わえられ、その紙も紙に焚きしめられた香も、かなり上質の代物で、それはどう考えても女性からの文だったからだ。
 ゾロはその夜帰ってはこなかった。
 まんじりともせず、あの男を待って夜を過ごしたのは、多分それが一番最初だ。
 あれから何回季節が過ぎただろう。それからも、あの男は自分の元に通い続け、他愛のない話をしては酒を酌み交わしていた。自分の用意した肴を美味そうに食い、そうしてたまに呼び出されては走っていく。
 その度に、胸が張り裂けそうになった。文の相手がいるのだと、あの男には、通う女性がいるのだ、と。何度自分に言い聞かせてきただろう。
 自分の元に、好きこのんでやってくる人物がいるとは、それこそこれっぽっちも考えたことはなかった。
 だからこそ、あの男もルフィに言われて仕方なく、こんな異形の自分の護衛を続けているのだと思ってたのに。
 日毎、夜ごとにやってくるあの男には裏表すらなく、ただ真っ直ぐに自分を見つめてくる。
 そこには、自分のような後ろ向きな考えなど欠片もないように思えて、その目に自分が映ることが嬉しいと同時に恐ろしかった。
 いつしか自分の思いに押しつぶされそうになってしまっていた時、まるでそれが分かっていたかのように、あの男……ゾロは自分に向かって真っ直ぐに切り込んできたのだ。
「お前を俺のものにする。文句あるか?」
 随分と直球だ。それに信じられなかった。だが、ゾロはどこまでも真っ直ぐで、そしてどこまでも強く、引こうとする自分を力づくで持ち上げて、抵抗も弱々しい自分の心から、真実を引き出してしまった。
 それを快いと感じただけ、自分も終わっているのかもしれない。
 しかしここで、一つ問題があった。
 異形の自分が、はっきりいって隠されて内裏の一角に住まうのには、勿論理由があった。
 自分が生まれた瞬間から間引かれなかった理由。それは一重に生まれた瞬間、吉兆があったからだという。
 本当かどうかはサンジは知らない。もしかしたら、先代天皇が自分を殺さない為についた嘘かもしれないと、サンジ自身は考えたこともあるくらいだ。
 それからというもの、公にはできない、しかし内裏内での重要な儀式や祭りなどにサンジは人知れず参加しては、祭文を読み上げたり、儀式の中心で座していたりということを繰り返していた。
 どんな意味があるのかも分からないまま、参加しているだけだったがそれで随分と感謝される。なので、天皇の意向というのは凄いものだと、嘲笑うような気分でいたのだが…。
 そんな自分にただ一つ課せられていたことが、これだ。
 汚れることなかれ。
 外に出られない変わりに、内裏内において好きに生きて良いと言われていた自分に、ただ一つ厳命されていたこと。
 そのただ一つでさえ、ゾロと出逢い、自らの意思で逆らってしまった。
 これでこの内裏にもいられなくなり、自分は命すらたたれるだろうと彼は予測をたてていた。それでもいい。それでもいいから、自分は…あの男が欲しいと思ったのだ。
 あの男、ゾロは、自分が汚れたからといって、何かが変わるのか? と問うていたが、多分たくさんのものが変わるのだろうと理解していたつもりだった。
 確かに沢山のものが一晩で変わった。その最たるものが、まさか自分の気持ちだとは思いもしなかったのだが。
 それに儀式に関しては、何も変わらなかった。要請のあった今日、事実を天皇であるルフィにすべて話したサンジに、彼はこう言ったのだ。
「いいんじゃねぇか? 良かったなぁ! サンジ。幸せになれよー! ああ、まあ、今日の祭りは適当にやってみろよ。駄目だったら今度は別の事をすりゃあいいじゃん」
 我が弟ながら、男前だ! そう思った瞬間だったとしみじみ感じ入った。
 が、だからといって儀式に参加するのは非常に苦痛を伴った。しかも、だ。あいつは、ゾロは、そのことを聞いても、
「まあ、やってみて駄目なら、責任取るから気楽にやれ」
 とまるで失敗することを期待するかのような顔つきで言い放った。
 その時には盛大に蹴りつけて吹っ飛ばしてやったが、それでもあいつはにやけた顔を崩さなかった。
 思い返して、またしても怒りが湧いてくるのを押さえられなくなったが、それには盛大な照れ隠しも入っている。
 非常に乗り気でない気分を押し隠し、今日の儀式に参加した。そしてサンジは…何故か儀式を執り行った陰陽師達に、それはもう盛大なる大絶賛というやつを大盤振る舞いされてしまったのだ。
『何があったのが存じあげませぬが、なんという素晴らしいお力! これで儀式はもう、滞りなくすみました。貴殿下のお力添え、本当に有り難く感謝の念に耐えませぬ』
 御簾越しに、本来なら声すらかけられないはずの自分に、感極まった陰陽師達がもう泣かんばかりに口伝者を通して伝えてくる言葉に、とにかく閉口するしかなかったサンジである。
 でかい図体のおじさん達に囲まれても嬉しくもなんともない、とふて腐れたくもなったが、どうやらゾロと床を共にしても自分がこの場にいることが否定されたわけでないことだけは証明されたようだ。
 人知れず屋敷に戻ろうとするサンジの元に、ゾロを従えたルフィがあり得ないことに、殿城内を走ってやってきて
「よかったなぁ、大成功だったみたいじゃねーか! これで心起きなく、幸せになるんだぞ!」
 と言って全開で笑っていった。
 ただ、ゾロはどことなく憮然としていたが、それでも自分を目に入れると優しく瞳を和らげてくれた。
 なんだかもう、それだけで、サンジは満足してしまったのだ。とりあえず、ゾロを蹴り飛ばすことだけは忘れなかったが。

 ゾロは今晩は宿だったはずだ。
 それでなくても、ゾロはあの一件以来、この屋敷に入り浸って公務でさえこの屋敷から直接行っている。元々この屋敷の警護が主な仕事なのだ、まるきり不思議ではないのだが、それでも今までは一旦自分の与えられた宿所に戻っていたはずなのに。
「まーたお前は、もう随分冷えるようになったんだぜ? こんなとこでそんな薄着でいたら、また寒い寒いと暴れることになるぞ」
 不意に、庭先から声がして、はっとサンジは顔を上げた。
 庭から続く階の前に、いつの間にか武官らしい束帯姿のゾロが立っていた。
 何故かその腰には儀仗太刀の代わりに3本の刀が差してあるのが異様だが、それもゾロらしい。ある意味、ゾロという男も異能の剣士として参内しているのだ。
「うっせぇ、お前、今日は宿じゃなかったのかよ、ルフィがお前と遊ぶんだと煩かったぞ」
「ああ、そのはずだったんだがな。ほれ」
 さっさと靴を脱ぎ捨てて階を上がってきた男は、この時期ならではなのか濃く色づいた紅葉の枝に結わえられた文を投げて寄こすと、これは懐から小さな桐箱を取り出した。
 慌ててその文を受け取ると、秋の紅葉を連想させる深い香の匂いがサンジを包む。これは…この文は、よくゾロがもらっていたものにとても似ている。
「なんだよ、これ。お前のじゃねぇのか?」
 不機嫌丸出しで告げるサンジに、ゾロはほんの少し目を眇めた。そうして何に思い至ったのか、苦笑して動こうとしないサンジの前にどかりと座り込むと、桐箱を彼の前に置いた。
「なに勘違いしてんのか知らねーが、それはお前宛だよ。見てみろよ」
 ブツブツ言いながらも、丁寧に文を解いて開くと、流れるような文字が書き記されていた。それを目で何度も追い、最後の署名の欄を見て、サンジは目を丸くした。
 風に舞う秋の花車。
「ナ…ナミさん!?」
 ナミがルフィの所に輿入れしたのは、つい最近のことだ。随分と華やかな宴が繰り広げられたことは記憶に新しい。しかし、元々ナミは内裏に参内していた女房だった。とりあえず宮にいて行儀見習いということになっていたのだが、その奔放な性格は人前では上手く取り繕って猫を剥がすことはなかった。しかし、その代わりのように、親しい者には本当に容赦がなく…。
 元々ルフィとは幼い頃からの知己で、この輿入れもほぼ決まっていたことではあったのだが、当の本人達も望んでいたことだという、最近ではまれなる果報者の1人ともいえよう。それでも、幼い頃から自分の存在を知るナミは、随分とサンジを案じてくれていた。
「お前の元に俺が使わされてからは、そりゃもう容赦なく俺を使い走りにしやがって。時々俺を呼び出したりしてたのは、あいつだよ。しかもありゃ滅法酒に強くてな。俺くらいしか相手が務まらねぇと理解した日にゃ、しょっちゅう呼びつけて酒の相手と愚痴聞きだ。どうにかしろと、ルフィに言ってもあいつも笑ってるだけだしな」
 言いながら、ため息をつく姿はどこか重苦しい。
 なんとなく疑問に思いながらも、今は文の方が先とサンジはゾロが差し出した桐箱に手を伸ばした。
「で、なんて書いてあるんだ?」
「…聞くか? 愛らしいナミさんからの愛情篭もった手紙の内容をっ!」
 ギッと睨み付けて、口を尖らす。
 とてもじゃないが、口に出すには恥ずかしい。
「あー、そうか。ならいい」
 だいたい何が書いてあるのかは分かっている。ゾロはそっぽ向いて、苦笑した。燈台のほのかな明かりに透かして見るゾロは、いつも以上にどこか顔色が悪い感じがする。月明かりのせいかもと頭の隅で思いつつ、開けた桐の箱の中には、柔らかな貴布で巻かれたものが納められていた。
 そっと持ち上げて開けてみると、見事な透かしの入った吊り香炉。しかも毬香炉だ、それが入っていた。御帳台などに下げれば、かなり良い代物になるだろう。
 目の前にかざしてみれば、金属製の見事な球体の中に、まるで水の波紋を思わす三重の円状の金具でバランスを取る小さな香炉がついている。紫の房もついているから、やはりこれは御帳台用だろう。牛車につけてもいいかもしれないが、サンジは外出すらままならないのだ。
 それを知っているというなら、多分…手紙の意味も含めて…これは…。
「……なんて素敵なものを…あなたは…なんて…」
 意味深に贈るのか…。
 がっくりと肩を落として伏せてしまいそうになる。
 歌と思った文は、普通にとりつくろいもせずに、普段のまるで口調を真似たような文だった。この時代考えられない暴挙だが、ナミとルフィならやるだろう。
 そこにはあけすけに、
「結婚おめでとう! とうとうやったわね、サンジ君! これお祝いね。褥の傍にでも置いて楽しんでね」
 そう書かれていた。
「…何を楽しめというんですか…貴女は…匂い? え? ほのかな明かりなのか…それよりも、結婚? なんじゃ、そりゃ…」
 ぶつぶつと何事かを呟くサンジに、ゾロが大きく欠伸をすると、躰を伸ばした。
 その仕草がやはりどこか愚鈍な感じがして、ふと、サンジは顔を上げた。
「それはそうと、お前、またなんでこんなに早くここに来るんだよ? 宿なら、明日の朝だろうが」
 なんとなく、この屋敷に帰ってくるのが当たり前のように話してしまっていることに、赤面しそうになりながらそう言うと、ゾロはこともなげに肩を竦めて見せた。
「ああ、宵っぱりになんか分けわかんないもんが内裏に出てな。襲ってきたから切り伏せたら、飛び散りやがって。べっとりついちまった。まあ、影みたいなもんだったから、あっさり消えたが気色悪くてな」
「なっ!」
「それを見ていた宮廷の陰陽師達がやれ大変だ、だの、恐ろしやとか叫んで人を引っ張り回して、宿どころじゃなくなっちまってよ。なんか煙臭い所に押し込められて延々分けわからん言葉を聞かされて、もう退屈で退屈で眠りそうになったら、無理矢理起こしちまうしよ。もううんざりだぜ」
 言いながら、ゾロは青ざめたサンジの前で大きな欠伸を再度零した。
「で、あんまり長い時間そんなことされたもんで、もうどうしようかと思ったら、やっと解放されてな。まだ完全じゃないが、今日はここまでだとかなんとか言って。戻って休めっていうから、帰ってきた」
 帰ると素直に声に出すゾロは、それが当たり前だと言ってるようで、サンジの胸がトンと小さく跳ねる。
「なら、お前、自分の家に戻った方がいいんじゃねぇのか?」
 それでも、そんな自体に陥ったのなら、もっと休める所の方がいいのではないかとサンジが問う。ここにいれば、この屋敷の警護もある、それでは気も休まらないだろうと思ったのに、帰ってきた答えは、もしかしたらと思っていた通りの言葉だった。
「あ? 俺がここ以外何処に帰るってんだよ?」
「…だってお前…ルフィから屋敷与えられてんじゃなかったのか?」
「そんなもん初めからねーぞ。それどころか、武官の宿直室の端を借りてたな。どうせ身一つで来てたしな、お前の警護してたら屋敷なんぞあっても意味ねーだろう」
 どこまで奔放なのだろうか、この男は。
 信じられない…と思いつつ、そういえば、この男の着衣などは何故かこの屋敷の片隅に置かれていることの方が多かった。
 それは殆どを自分の傍にいるのだから、というサンジの温情でもあったのだが、どうやらゾロにとっては屋敷もないのに増える荷物置き場に苦慮していただけに渡りに船だったのではないだろうか?
「今は、ここが俺の家でいいんだろうが。なら、帰ってくるのはここだろうが」
 くあーっ、と躰を伸ばすゾロはやはり怠そうだ。
「お前、本当に大丈夫なのか?」
 滅多にないゾロの怠そうな姿に、サンジの方が心配になっていく。握っていた毬香炉を手早く桐箱に直し、ゾロの元に膝を進めれば、ゾロはあっさりとその大きな体を倒し、サンジの膝に頭を乗せて横になった。
 あまりのことに言葉もなく、落ちそうになったゾロの頭を抱えて膝に安定させれば、ゾロが喉の奥で笑う気配がした。
「お前の手は…気持ちいいな…」
 その声があまりにも安心感に満ちていたから、サンジは思わずその手を伸ばしゾロの頭をそっと撫でた。
「気持ち悪いのが…抜けていくみたいだ…」
 その言葉に、ふと、今日自分が陰陽師に言われた言葉を思い出す。
『希有なる清浄に満ちたお方よ』
「なぁ、何処が…気持ち悪い?」
 どこかぶっきらぼうに問うサンジに、機嫌良さげに、ゾロが笑う。
「そうだな、飛び散ったのは…」
 サンジの腕を取り、そっと口元に持って行く。そうして頬にその手を滑らせ、ゾロは掌にそっと口づけた。
「ちょっ、おまっ」
「…ここだろ? それからこう首にもべったり…」
「こらっ、こらこらこらこらっ!」
「……あー…マジに…お前の手、気持ちいいな…」
 それがあんまり満足気に言うものだから、サンジの躰から強ばりが抜けた。
 その瞬間を狙ったかのように、ゾロがサンジの腕を強く引っ張る。慌てて膝の上のゾロを落とさないようにしようとしたサンジの下がった頭を抱え込み、首を持ち上げたゾロがその唇を甘く奪う。
「……んっ……」
 長く、唇を吸い、割入った口腔内を余す所なく蹂躙されて、まだ慣れないサンジは滲んだ涙を隠すこともできずに苦しい息の元でゾロに応える。
 やっと離してくれた時には、息は完全に上がってしまい、その目元も頬も灯心の明かりにも分かる程に赤く染め上げて潤んだ目でゾロを見下ろしていた。
 そこには、いつものどこか楽しげなからかうような表情ではなく、酷く真剣な顔をしたゾロがいる。
「…ゾロ…」
 掠れた声でその名を呼べば、それが自分の声なのかとさらに血が上る。
 ゾロはそんなサンジを愛おしげに瞳を細め、それから同じような声で、サンジを呼んだ。
「あの影をな、切った時に、やべぇとマジに思った」
 そっと、ゾロが告げる言葉は重かった。だからサンジは黙って、ゾロの首や多分飛び散ったのだろう、胸の辺りに手を伸ばし、目に見えないなにかを撫で落とすようにさすっていく。
「いつでも、そうだな、お前に会ってからは、まあ、こういっちゃなんだが、お前の為に命落とすことがあっても、そりゃそれで仕方ねーかと思っていたところがあってな。どうせお前とは…こんな風にはなれないだろうと、最初の頃は殊勝にも思ってたしよ。途中でバカらしくなってそんな考え捨てたけどな」
 気持ち良さげに目を細め、ゾロは続けた。
「でもな…お前を抱いて、お前を知って。その時もやべえと思った。もう…お前の為に死んでいいなんて、多分絶対思えねぇ」
 その穏やかな物言いに、言葉通りに意味をとってはならないのだろうと、サンジは黙って言葉を促す。
 ゾロはその気配を悟って、目を閉じた。
「お前が…俺を思ってくれるってことを知って。お前を知って。なんで俺が死ねるかよ。何が何でも死ぬもんか、もったいねぇ。まだまだ生きて、お前と一緒にいてよ、酒呑んで、お前抱いて、そしてもっと強くなって…もっともっと強くなって…お前と生きて…そんな風に思ったんだよ。…矛盾してるのにな」
 最後の言葉は、多分今までの自分を差しているのだろう。
 剣に生きると決めてから、ゾロは自分の命にすら執着していなかったのだろう。それは生き様を見ていても分かる。それがいつももどかしかったのだから尚更に。
「そんな風に気付いて、それもいいか、と思ったんだ。なのに、今日影を切って、あれが飛び散って躰に張り付いた時、やべえと思った。あれは多分そういうもんだ。あれは…俺を狙ってたんだろうな。まあ、どうにか削ぎ切ることもできるかもしれねぇとも思ったし、あの程度で俺は死なねぇってのも分かったけどよ。でも、やべえと思ったんだよ」
 お前といられなくなることに、やべえと思ったんだ。
 聞こえないくらい小さな声で、それでも告げるゾロに、サンジは柔らかな笑みをその口元に登らせた。
「…ゾロ…」
「ああ、本当に、気持ちいいな…」
 ゆっくりと安心に満ち足りた吐息を長くつく、そんなゾロをサンジは優しく優しくなでていく。
「…お前が危なくなったら、俺が助けてやるよ。どうやら、俺には、お前の及ばない方面で手助けできるみたいだぜ?」
「ふん? そりゃ助かるな」
「おう、どうやらお前と一緒にいると、俺の力ってやつも強まるみたいだしな。しょうがねぇ、お前俺の傍にいろ。…面倒見てやるよ、仕方ねぇから」
 躰を震わせて笑うゾロの頭を軽くはたき、痛がるゾロにサンジも笑う。
「ずっとか?」
 今まで見せたこともない甘えた声で揺する男に、サンジは呆れながら再度その緑の頭を叩いた。
「ずっとだよ」
 うっし、と唸る男に、サンジも肩を震わせて笑う。
 そうして2人は、そのまま夜明けの清浄なる光が世界を染め変えるまで、深く絡み合う腕を外すことなく、お互いを温めあった。


 翌日には全快したゾロに、宮廷の陰陽師達は首を傾げ、それがサンジのおかげだと分かってからは盛大なるサンジ親衛隊ができたとか、嫁をもらったゾロが益々その腕を磨いてルフィ達の役に立ちまくったとか、そういうことはとりあえず、差し置いて。
 2人はそれからも、喧嘩したり、共に内裏を脅かす者達を退治したりしながらも、
 穏やかに、
 そして幸せに、ずっと内裏の一角にて暮らしていったのだという…。

終了(2006.9.30)




2000打を踏んでくれた、あっしゅ様に捧げます。
いつもありがとうございます。この話を好きでいて下さることに感謝を。
お気に召せば幸いですが…どうだろう?…
歌は藤原義孝。歌才に美貌にそして親がまた、素晴らしい権勢があった為に、恵まれた人ではありましたが、
病によりかなり早く亡くなった人でもあります。歌の意味とはまた違った解釈にばかりなるけど、
幸せそうなのでお許しください(笑)



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