未来の約束




 いきなり暑くなった。太陽のギラギラした輝きが増して、甲板に落ちる影がくっきりはっきり浮き出す程に見えだして、目の前がくらりと反転するような熱の放射を感じた。
 さっきまで、肌に触るシャツの感触がサラサラと気持ちよかったのに、いきなりの温度変化にいっきに吹き出した汗で、張り付いたそれが気持ち悪い。
 いくらグランドラインとはいえ、ここまで急激な変化というのも珍しい。
 夏島の気候海域に入っていくのに従って、徐々にというのは経験あったが、それとも違う。
 本当に一気だった。
「…あちぃ…」
 一番にへたったのは、勿論チョッパーだった。さっきまで、もこもこと可愛い感じだった毛皮が、とにかくうっと惜しく見えてしまう。
「なんかよぉ、いきなり過ぎないか?」
 ウソップが胸元のシャツをバタバタと仰ぎながら汗だくで、チョッパーを引きずってサニーの甲板から上がっていく。
「ヨホホホホホこれはきっついですねぇ! わたし忘れてました! 霧の外には、季節があったことを。あぶり焼きになってしまいそうですー! 香ばしくなりそうで、わたし怖い。骨だけに!」
 その例えはどこにかかるのか、とその場にいた全員が心の中で突っ込みつつ、賢明にも誰も謎には言及せずにダイニング目差して歩いていく。
 こういう時には、ダイニングかアクアリウムバーで涼むのが一番だ。
 意外に通気がきちんとしている船は、室内に入ればそれなりに快適だ。アクアリウムバーは水槽があるおかげか、結構何もしなくても涼しい。
 どうしてもという時には、フランキーに言えば冷風機くらい作ってくれるだろう。
 人数が増えた分、できることも増えていって快適さも二倍になっていっている。それと同時に、困ることも増えているわけで。
 アクアリウムバーで絶賛睡眠補給中だったゾロは、微かに眉間に皺を寄せた。なにかが意識を叩く。
 うざくなってきて、目を開けた。
 目を開けてみれば、すぐ傍にナミの顔が見えて思わず仰け反ろうとして水槽に頭を強打した。
「バカね」
 開口一番がそれか! とは言えずに呻いて蹲る。
「ホント、あんたあたし達に対しては無防備よねぇ。いつも思うけど、船の中だと結構のんびりしてるのよね。なのに、敵船来ると真っ先に反応するって、いったいどういうアンテナもってるのか、一回調べてみたいくらだわ」
「んだそりゃ」
「暇ってことよ」
 納得した。
 そういえば、スリラーバークを出てからは穏やか…?…な航海がそれなりに続いている。
「明日はねぇ、プールを出して遊ぼうってルフィ達は騒ぎまくってるわ。フランキーってああいうおもちゃ作るのも得意よねぇ」
 ナミはわざわざ横に座ってきた。何故かその手には、新聞が握られている。
 なんとなく嫌な予感を感じて思わず辺りを見回す。見ればソファの端っこの方には膝に本を広げたロビンと、いつの間に来たのかルフィとチョッパーが並んで床でゴロゴロと横になっている。床が気持ち良いらしい。
「どうした?」
 なんとなく気落ちしているようなナミにゾロが声をかけると、ナミはあっさりと首を振った。
「なんもないわよ、ただねぇ、なんとなく…」
 言い淀みナミは振り切るように肩を竦めた。
「ま、いっか! ちょっとふさぎ込みたくなる気分だったの。ろくな記事ないし!」
 パサパサと振られる新聞が不快な音を立てる。
「心配ないぞー、なんかあればおれに言えばいいんだ、ナミ!」
 自信満々でルフィが笑う。それにつられたように、ナミも笑った。
「その自信はどこから来るのかしらね、船長! まあ、アテにしてるわ」
 ゾロもちょっとだけ口の端を上げて笑う。なんとなくロビンも笑っている気配がした。
 目が覚めていれば、気配はそこかしこに溢れていて、それはそれでゾロにも気持ちいい。いつの間にか、気配が寄り添うようにあることにも慣れて、無ければなんとなく寂しく感じるようになっているのに気付いたのは、いつの頃からか。
 それに甘んじるつもりはまったくないが、だからといって拒否するほど狭量でもない。だからこそ、その変化を自分自身で楽しみつつ、今まで来たのだ。
 そうこうしていると、下から声が届いた。
「今そっちに飲み物送ったよー、受け取ってナミさん! ロビンちゃん! ついでにへたばり二人と一匹、あ、一匹が緑な。お前等の分もあるから飲めー」
 最後の方はやたらと気の抜けた声だったが、とにかく一緒に送ったことは確からしい。
 ロビンがすぐさま立ち上がり、配膳用の蓋を開くと銀盆に乗せられた涼しげな色と氷で彩られた飲み物が五つ、丁寧に置かれていた。
 真っ先に飛びついたルフィとチョッパーをかいくぐるようにして、ロビンの手が花の香りと共にナミとゾロの前にも飲み物を運んでくる。
 シュールな光景にも、とことん慣れた。便利だとしか思わなくなってしまっている異様さに、誰も気付いていないくらいに。
 礼を言って飲むナミは陽気に「生き返るー!」と喜んでいる。先程までなんとなく塞いでいたナミを一瞬で笑顔にする飲み物に、ゾロはほんの少し笑みを浮かべる。
 凄いものだと素直に思う。まあ、本人には伝えることはないが、こういうことはあのコックにしかできないことだと、きちんとゾロは認めている。
 挿されているストローに口をつけたら、酸味の効いたけれどどこか甘い余韻の残る味がするりと喉を潤した。どうやら自分も喉が渇いていたらしい。
「ねえ、ゾロ」
 ナミが笑って話かけてくる。時々ナミはこうやってゾロに絡んでくることがあったが、今がその時らしい。
「なんだ?」
「もし、もしよ? 大切な誰かと離れてしまって、その人達が大変な目に合うかもって思ったら、あんたどうする?」
「助けに行くな」
「……簡単に断言したわね」
「それしかねぇだろ」
「うん、そうよね」
 意外に素直に頷いて、ナミはチラリとルフィを見た。そうして、また一つ頷く。
「あ、ならさ、仮に…そうねぇ、もしここにいる皆と無理矢理でも離ればなれになったら、あんたどうする?」
「探すな」
「即答したわね、このファンタジスタ。あんたが一番問題なのを忘れてた。…でもさ、不安になったりとか、そういうのはしないの? 特に誰かさんとか…」
 思わせぶりな言い方に、ジロリとゾロはナミを見下ろした。
「あ? 誰が心配なんぞするか。あれがそういう玉かよ。何したってあいつは生き残るぞ。お前等もそうだろうが」
 まったく動じない上に、誰かというのを的確に把握して否定しない。
 その言い方に、室内にいたメンバーは全員ゾロを見た。
 大いばりでジュースを飲みながら、ゾロはナミの頭をくしゃりと片手で混ぜた。
「生き抜くことにかけては、全員エキスパートじゃねえか。特にこの船の連中はよ。あいつは得にそうだろ。心配するより、もう一度会うことの方に意識集中すりゃいい。どんなことがあってもだ。そうだろ、船長」
 ゾロがそう言うと、ルフィの明るい声が追随する。
「当然だ。何言ってんだ、ナミ。絶対皆平気だ、おれ置いて皆がくたばるなんて、おれが許さねぇからな! だから安心してそうなったら探してくれ!」
「………威張るところ?」
 呆れてそう返せば、ロビンが吹き出した。声を出して笑いながら、同じく笑うチョッパーと目を合わせ、またクスクスと声を出していく。
 悩むのもバカらしいことを聞いたらしい。
 飲みきったカップを手に、ゾロは立ち上がった。
「グラスは丁寧に返してね!」
 やはりわざとらしく言うのを無視して、ゾロはアクアリウムバーを出て行く。
 きっと彼はそのままダイニングに行って、あっちはあっちで大騒ぎをしている中にするりと入り、コックを相手に喧嘩しているようで独り占めしてしまうのだ。
 そんな独り占めは夜にだけにして欲しいが、夜は夜で迷惑だしと考え、バカらしくなって考えるのを放棄する。
「つーまんない」
 ゾロがいた辺りに、コロンと横になり、零さずに持っていたジュースをまた口にする。
「きっとあいつはさ、どんなに離ればなれになってたとしても、会ったらまったく変わらずに気軽に声かけて寝腐れるのよ、絶対そう」
「エッエッエッ、見えるようだな」
「それか……」
 ん? とルフィとロビンがナミを見る。
 ナミは飲み終わったグラスを手を伸ばして床に置き、そっとその縁を指で弾いた。
 小さな音が高く響いた。
「…こっちが恥ずかしくなるような、くっさいセリフを短くボソッと正直に言って、皆をいたたまれなくするのよ…絶対。サンジくんの大仰なクサイセリフもいたたまれなくなるけど、あいつのは種類が違うから、それも質悪いと思うのよね」
「それも鋭い観察眼?」
 ロビンが笑う。
「いいえ、経験よ。わかってるくせに」
 それには答えず、ロビンは静かにジュースを飲む。そんなロビンから目を離し、ナミはルフィをみて、足を跳ね上げた。腰の横に置かれたままになっている昨日の新聞がガサリと音を立てて破れる。
「明日は新聞また買うわ! 絶対良い記事があるはずだもん。悪い記事が続いたら…アテにしてるんだからね、ルフィ!」
「おう! まかしとけ!」
 軽い答えはしかし、とてもしっかりしていて。
 やっと安心したように、ナミは笑った。
 床下から、派手な怒声と笑い声が響いてくる。
「…始まったわね」
 ロビンの声が事実を告げて、アクアリウムバーに柔らかな笑いがこぼれた。
 つかの間の休日は、記憶に残り。
 いつかという名の時の果てか途中でかに、きっと優しい温もりをもたらす。
 そして皆が探してくれると言ってくれるなら、誰もがまっすぐに歩いていくはずだ。
 迷わずに、この船長の元へ。
 来るか来ないか分からない、もしそんな別れがあったとしても。
 約束してくれたから今はいい。
 段々煩くなる音に、ナミは起き上がる。
「うるさいってのよ!」
 ドンと床を蹴りつけ、ナミは下の騒動に加わる為に勢いよく部屋を飛び出していった。


    
終了(10.6.27『クルクルプチオンリーペーパー話』)





ぺーバー用にsss書くなら送れ! とデザイン担当相方に言われ、「はいはいはーい! 小話ですよー!」と送りつけた数分後。
「長いわっ!!」という怒りのメールを携帯にもらった一品。
短いと思ったのは私だけ…? 頭抱えた品ですが、約束通りに、サイトにUPです(笑)



のべる部屋TOPへ