バレンタイン




 魔法のようなものだな。
 初めて見た時から、そんな風に思っていた。
 あれはまだメリー号に乗っていた時だ。あの頃はサンジが作業をするキッチンは遮るものがない壁際にあり、今のサニー号とは比べものにならないくらいささやかなものでしかなかった。
 それはサニーに乗ったからこそ分かったことで、あの頃はそんなこと考えたこともなかった。簡易キッチンとしか言いようのないスペースでも、サンジはいつも活き活きと動いていた。
 初めてまともにメリーのキッチンに立って作業をしているのを見たのは、さていつ頃だったか。
 確か、ナミを取り返した後のことだったと記憶しているが、その時にも思った。
 魔法かなにかじゃないか?
     と。
 大した時間もかかっていないのに、サンジが動いた後には料理という代物が出来上がっていく。
 食卓に上ったそれらは、昔からゾロも知っている食べられる物ではあるが、最初に見た塊達とはまったく違う姿になっている。
 サンジが作っている、と知っていても。
 やはり、それはゾロには魔法のように思えたのだ。


 ゾロはわずかに目を見開き、今、リズミカルな小さな音を寸分違わず奏でている男の手元を覗き込んだ。
 サニー号のキッチンは対面式だ。
 カウンターに座って、ほんの少し覗き込むように見れば、サンジの手元さえも丸見えだ。
 そういえば、メリーの時には背中ばかり見ていた記憶がある。
 サンジのしっかりとした肩と肩胛骨が腕の動きに連動するように揺れるのを、何度ぼんやりと見たことだろう。
 キッチン兼リビングだったあの場所は、今以上にクルーの唯一の憩いの場でもあった。だから何かにつけて入り浸っていた。特に雨の日。嵐でなくても雨が降る時はあるのだ。
 そういう時は、サンジが昼の支度だのお茶の支度だの夕飯の仕込みだのと動いているのを、なんとなく目にする機会が多かった。
 全部背中越しだったけれど。
 今サンジは一身に小刻みに小さな包丁を、それこそ信じられない程の早さで上下させている。
 刻んでいるのは、黒に近い焦げ茶色の塊。甘ったるい匂いがする割に、それは結構なごつさで刻むサンジに挑んでいるようだ。
 だがサンジの動きは淀むこともなく、一定の安定感をもたらしている。
 ゾロは知っている。あの塊はチョコレートで、これからサンジは沢山のチョコレート菓子を作るのだ。
 チラリと視線をずらせば、色とりどりの小さな果物がキッチンの端に山のように置かれているし、瓶に入った白いクリームやら、黄色いバターの塊やら、銀色のボールにもったりと入った白いものやら、ゾロには判別のつかない色々なものがそれでも整然と置かれている。
 まったくゾロには統一性が感じられないそれらは、もう数時間もすれば、別の姿を見せて自分達の前に饗される。
 それこそ魔法のように。
 小さな火にかけられた鍋は、白い湯気を上げてくつくつとお湯を満杯に沸かしている。
 考えてみれば、食べる人数が増えてもこのサニーのキッチンに立つのはサンジ1人だ。それがまったく苦になっていないのは分かっている。そもそもルフィが1人で5人分は軽く食べるのだから、今更数人分増えたからといってどうということはないのだろう。
 サンジの技量は1人で何十人分の料理を作る程度は楽にこなす。
 1度に大量の種類の料理を作るということを、まるで息をするように自然にやっていく。それはサンジが作る料理の手順をきちんと把握し、時間配分や作業をどう進めていいかの計算ができているからだろう。
 だが、そんなものさっぱり分からないゾロからしてみれば、野菜や肉の塊がふと気付くとまったく違う良い匂いまでさせるものに変化するのは、やっぱり理解できない。
 何度見ても、最初から最後まで見ていても、やっぱりゾロには料理というものがよく分からない。
 だから、それはやはり魔法のような気がするのだ。


 サンジはリズムを刻む手を緩めずに、チラリとゾロを見た。ほんの一瞬だ。ゾロはそれに気づきながらも、黙ってサンジの手元を見ている。
 時々ゾロはそんな風に人が作業しているのを見ている。
 随分と昔、メリー号の時にウソップ工場でウソップがダイアルを加工しているとき、そうやってじっと見ていたことがあった。
 その時、苦笑したらしいウソップが楽しいか? と聞いたのをサンジは背を向けたまま聞いていた。
 どうやらゾロは頷いたらしく、そうか、というウソップの相槌だけが聞こえてきた。
 その声が酷く楽しそうだったのをサンジは覚えていた。
       振り返りたかったことも。
 頷いた時のゾロがどんな顔をしていたのか、酷く気になったのだ。
 今、ゾロはサンジの手元を、もの凄く興味深そうに見ている。それは面白いと思うと同時に、無心な様子で、とても楽しそうにも思える。
 こんな顔をして見ていたのか。
 サニー号になって、初めてサンジはゾロがそんな風に自分を見ていることに気付いた。
 特に料理をしている時を。
 あっという間に刻み終えたチョコレートを、三つのボウルに小分けにして入れる。
 洋酒があるのを視界の隅に入れ、生クリームを確認する。
 中鍋を用意すると生クリームを計りながら入れ、弱火にかける。トロトロとした火加減を見ながらまたチラリとゾロを見る。
 ゾロは削られたチョコレートを見ては、サンジが火に掛けた鍋も見ている。
 サンジの口元になんとなく笑みが登る。
 そうしてサンジはもう一つ鍋を取り出した。今度は一番小さな鍋だ。
 生クリームをまた計って入れ、もう一つのコンロにかける。ここの火はそこまで小さくしない。そのままコトコトと両方を見つめ、沸騰具合を確かめる。
 すぐに小鍋の際が泡立ち始めると、サンジは刻んだチョコレートを引き寄せた。ゾロの視線が突き刺さるのを感じる。それをどこかくすぐったく感じながら、そっと目分量で計ったチョコを手早く入れる。
 煮立ち過ぎないように火加減を見つつ、チョコレートを溶かし洋酒の瓶のうちラム酒を手に取ると、そっと色のついたそれにわずかに注ぐ。
 ゆっくりと二回しほどかき混ぜ、手早く用意したマグカップにそれを注ぐ。
 先にホイップしていたクリームに塩をパラパラとまぶし、ついでにと粗挽きの胡椒をかける。


 淀みない動きは見ていて気持ちいい。
 迷いがない。それは、絶対の自信に満ちていることでもある。
 いつの間にか一心に見ていたゾロの目の前に、コトリ、とマグカップが置かれた。
 甘ったるい匂いの中に、胡椒のスパイシーな香りが混ざってゾロの鼻孔をくすぐった。
 あ? と見上げると、サンジが柔らかに笑ったのが見えた。

「ハッピーバレンタイン」
 これがサンジが今日作る菓子の第1号。
 一番最初の魔法の品。

 甘ったるそうなそれを、けれどゾロはためらいもなく手にして口に持って行った。
 そう甘いものを好まない自分をサンジは知っている。
 ならば、自分の口に合わないものをサンジは絶対に出さない。それをゾロは知っている。

 一口飲んだゾロが、満足そうに笑う。
 サンジは精一杯身を乗り出し、ゾロの襟首を掴むと無理矢理自分の方へと引き寄せた。
 口の回りについた生クリームを舐めると、ゾロが笑いながらがぶりとサンジに噛みついてくる。
 チョコレートの苦みと生クリームのわずかな甘みに洋酒の香りがまざったそれを、サンジはうっとりと受け入れる。
 サンジがもらう、第1号。
 苦くて甘いバレンタインのチョコは、より甘く仕上がってサンジを満足させたのだった。



終了    
(12.02.14ブログ 12.06.01サイトUP)







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