暁を覚えず





 新世界の海でも凪ぎの日があるのだと、初めて知ったのはいつだったか。
 凪ぎというより、これも一種の荒れた海というのかもしれない。
 さざ波程度にしか動かない海面に、無風の海域。海流の筋一つ見えない凪ぎ一色の世界は、それまでの数メートルの波が普通で、太陽何それ美味しいの? と言いたくなるくらい日差し一つめったに拝めなかった世界とは別次元だった。
 しかめっ面をしたのはナミだったが、それでもそこに至るまでの日々が恐ろしく動き回っていたからか、クルー達は一様に少しだけホッと息をついたのも事実。
 幸いフランキーによる船の設備は完璧で、さらに燃料も補充したばかりで心配もない。さらに、この船には体力だけは有り余ってる力自慢達がいる。そんなこともあって、ほぼのんびりと半分手動も含めてサニー号はパドル航行で海域を進んでいた。

「寝てるわね」
 呆れたようにナミはブランコ横の芝生と木の下で、大の字になって寝ている緑の男を見下ろした。
 衣服まで緑一色に近くなっているこの船の剣士は、相変わらず無防備に気持ち良さそうに惰眠を貪っている。本人に言わせれば惰眠ではない、ということらしいが、この船のクルー達には惰眠だとしか思えないので、本人の意見は1度も通ったことがない。
「ホント、いつ見ても気持ち良さそう」
 楽しそうな「ふふっ」という笑い声つきで、オールバックに長い髪を流したロビンが微笑んだ。
 ほんの暫くゾロを二人して眺めていたが、起きる気配はない。
 起きることがないという事実に、二人は満足気な顔をする。二年を経て成長という意味ではなく、見た目が変わったのはフランキーとこのゾロだった。フランキーは自分で自分を改造したのだからいいとして、ゾロは違う。片目を潰し、いったい何をしてきたのかと本気で全員が詰め寄ったのは、そう遠い昔のことではない。
 ただ、何故か、ゾロを見た最初の感想が、だいたい一致して、
「まあ、ゾロならあり得るか…」
 といった所だったので、曖昧なゾロの返答だってなんのその、そのまま受け入れて流してしまっていた。
 変わっているようで、変わっていない。
 その最たるものが、ゾロのこの寝ている所に近づけることなのだと二人は知っている。勿論、クルー全員に言えることなのだが、そんなことは言うだけ野暮だ。
 二人は軽くお互いを見やり、そっとゾロの両隣に腰を下ろした。ゾロに身体を寄せ、挟み込むように銘々本を開いたりその場で爪を磨いたりを始める。
 それでもゾロは眠ったままだ。
 木陰は風が吹かない海の上でも、それなりに涼しい。ゾロが寝込む場所は、本当に気持ちがいい所が多いのは不思議だった。
「あ、二人してずるいぞ!」
 ひょいと二階の手すりの間から顔を出したチョッパーが叫び、すぐさま階段を駆け下りてくる。その手には分厚い本が握られていた。
「あら、ならチョッパーはここね」
 ロビンが少しだけ足を組み替えて避けた場所に、素直にチョッパーは駆け寄る。そうしてゾロを見て、エッエッと小さく笑ってその蹄の手で口元を押さえた。
「良く寝てるな。うん」
 ただ太平楽に寝ているというだけで、何故か嬉しいのだから不思議だ。
 ロビンに礼を言ってゾロにくっつくように横に座ると、ゾロの腹の辺りを枕にするようにして半分寝そべり、チョッパーは本を開いた。
「あら、その本はどうしたの?」
 めざとく聞いてきたナミに、チョッパーは本を振ってみせた。
「おれがいた島から貰ってきたものなんだ。図書館に入れてたんだけど、今までゆっくり読む暇なかったからな。じっくりこれから読むんだ」
 嬉しそうな様子は見てるこちらも楽しい。
「ああ、チョッパーもだったの。ロビンもだし、私も持ち込んだから、蔵書が増えたわけだわ」
 屈託なく笑うナミの声に、風切り音と共に船長が降ってきた。どうやら今日は珍しくフィギィアヘッドではなく展望室にいたらしい。
 ナミの横に身軽に着地すると、ルフィはニシシといつもの全開の笑みを見せた。
「良く寝てるな!」
「…まあ大丈夫だと分かってるけど、もう少し小さい声で話して、船長」
 言いながらナミが今度は足を避ける。するとすぐに空いた場所に割り込み、チョッパーと対になるようにゾロの腹に頭を預けると、身体をうんと伸ばした。
 くああ、と大あくびをして、そのままゾロと同じくストンと眠ってしまう。
 見事な早業だった。寝つきだってゾロにまったく劣らない。
「呆れた」
「元気な証拠だよ」
 エッエッと笑うチョッパーに、笑って全員が相槌を打つ。
 そうしてまた、お互いが己のことに静かに没頭していると、ウソップ工場の土台を抱えた本人と、それをのんびりと追ってブルックが一番手近なドアから出てきた。
「うお、こんな所にいたのかよ!」
 いそいそとウソップが近づけば、
「ヨホホホホ、気持ち良さそうですねー!」
 とブルックがバイオリンケースを抱えてついてくる。ゾロの足元に出張所を構えたウソップは、どこで調達してきたのかダイアルと植物の種とを広げていじりだす。
「では、わたしは…」
 ブルックはチョッパーとウソップの間に立ったまま、バイオリンを取り出してそのままゆっくりと静かな旋律を奏でだした。
 賑やかなメロディなのに、不思議と神経をなだめるアレンジされた曲だった。
「やだ、わたしまで眠くなりそう」
 楽しげに言うナミは、ゾロとルフィを順番に見て肩を竦めた。
「寝ちまえよ、気持ち良さそうだもんなー」
 見かけは少しだけ逞しくなったウソップがニカっと笑って言うのに、ナミは少し考え込んだ。
「うん…それもいいかなぁ」
 言いながらゾロの腕を引っ張り出して、適当な位置にまで引き上げる。結構乱暴な動かし方だったにも係わらず、ゾロは起きる気配すらない。
 ナミはゾロの腕の位置を何度か確かめ、漸く納得できる場所を見つけたのか、うんと一つ頷くとコロンと横になった。
 ゾロの腕を枕に、ほんの少しだけ肩口に顔を埋める。
「うーん、臭いわ」
 顔をしかめて、身体を反転させて位置を変える。
 それをその場の全員が笑ってみていた。
「今日くらいには風呂入るように言っておく」
「頼んだわよ、ウソップ。本当にもう、どうしてこうこいつらって風呂入らないのかしら…」
 そう言いながらも、小さく欠伸を零しナミは目を閉じた。
 こちらも随分と無防備だ。そんな様子を、ぽっかりと空いた眼窩がまるで目を細めているのが分かるような表情でブルックが見つめている。骨だけなのに、ブルックは恐ろしく表情が豊かだ。
「お前等おれを仲間はずれってのは、ちょっといただけないぜ!」
 のっしのっしと歩いてきたフランキーは、ゾロの周りに銘々集まって寄り添っている面々を見渡し、サングラスを押し上げた。
 存外可愛い目がのぞく。
「きっもち良さそうに、まぁ…」
 それこそが微笑ましいといわんばかりの声と表情に、起きていた三人が笑う。
「貴方もどう? 舵は固定してきたんでしょう?」
「…とはいってもな、この海に入ってからというもの、針路の計り方は今一分からないからなぁ。一応ナミの言う方向に固定しただけだが」
「それでいいわよー…もう少しくらいなら、多分このまま無風無海流のままの海域のはずだから…気圧と湿度が…」
 不意に口を出したナミだったが、最後はすうっと寝息を立ててしまった。フランキーも苦笑して、なら、とばかりに本を読むチョッパーとウソップの間にどっしりと腰を落ち着けた。
「んじゃ、ほんのちょっとだけ」
 優しいBGMに乗って、フランキーがウソップと改造について話し始める声が続く。
 大の字になって寝ているゾロの周りは、一人を除いて全員が集ってしまっている。
 そのままどのくらいの時間が過ぎたのだろう。あまりにも穏やかな時間は、過ぎていくのも分からない。
 そうこうしているうちに、キッチンダイニングの方から、恐ろしく空腹を刺激する香りが漂い始めた。
 気付けば、ほんの少し日差しが黄味を帯びだしている。
 3時のオヤツの時間は今日は無しになっていたから、時間の感覚がずれているのかもしれない。
「…3度3度の食事ってのは、偉大だな」
 呆れたような、けれどどこか感心したような声でフランキーが言えば、ウソップが深く頷いた。
「ホント、頭が下がるぜ」
「今日のお料理は、特別に美味しいんでしょうかねぇ」
 しみじみとブルックが言うのに、思わず起きていた四人が吹き出した。
「な、な、賭けるか? 今回こそは、言うか言わないか」
 面白そうにウソップが言えば、
「それ二年前は毎年やってたわね。懐かしい。言わないに賭けるわ、1000ベリー」
 本当に楽しそうに笑ってロビンが手を上げた。
「うおっ、そう出たか。んじゃ、おれはバレるに賭けて同じく1000!」
「それ判定分からなくなるんじゃないでしょうか? あ、私は隠し通そうとしてにじみ出るに1000ベリー、と」
「お前等、それ賭けにならねぇじゃんよ、喧嘩でイチャつくにおれも1000」
 本当に賭けにもならない。
 笑っていると、話題からかナミが手を上げた。
「その全部で総取り1000ベリー!」
 一斉にブーイングが上がり、その声にいつの間にか寝ていたチョッパーが目を覚ました。
「あ、おれ寝てた! って良い匂いだなぁ。ごちそうの匂いだ」
「なんっか幸せな匂いよねぇ」
「漂ってるよな」
「漂ってるな」
 うんうんうん、と頷き合っているとパチリとルフィの目が開いた。同時に盛大な腹の音が大胆に鳴り響く。
 おやつを我慢して、良く持っていたと全員が感心した。
 むくっと起き上がると、ニシシと全身を使って大きく笑い、すうっと息を吸い込む。
「サーンジー!!! 宴だーっ!!!」
 うおおおおっと高らかに宣言すると同時に、ナミがゾロのこめかみに小さくキスを落とす。その反対側をロビンが同じようにキスを落とし、それから二人して目を合わせて笑うと、同時にゾロの頬を派手に叩いた。
「さあ! 起きてゾロ! 宴の準備は済んだんだから!」
 それを全員が呆れたように見つつも、その口元は笑っている。こんな貴重なもの、こういう日でなければお目にかかることすらできやしない。
 うっそりとゾロが片目だけになった目を薄く開けると、恐ろしいタイミングでダイニングのドアが開いた。
「おう、出来てるぜキャプテン! 今年は海獣の肉尽くしのフルコースだ! レディには、ちゃーんとアレンジしてるからねぇぇ!!」
 その声に、本格的にゾロの目が開いた。
 一瞬どういう状況なのかと目を瞬かせ、すぐに自分に身を寄せるように一人を除いた全員が自分の周りにいたことに気付いたらしい。
 ゾロの口元が微かに笑み、それだけで全員が満足気に笑う。
「いい夢でも見られたか?」
 チョッパーがワクワクした声で聞けば、ゆっくりと起き上がった男はわずかに片目を細めた。
「ああ、久しぶりにな」
 えへへへへ、と全員が笑う。
 ゾロが起き上がるのに合わせて、全員その場から立ち上がった。ウソップなどは手早く片付けまで終わらせている。
「さあ、喰うぞー!!ゾロは呑め!」
 高らかに言う船長に、上から「そんな大量にあるかボケッ」と罵倒が降り注いだが誰も聞いてやしない。
「ああ」
 笑うゾロに一人ずつ肩や背中を叩いていく。ナミだけは自分が枕にしていた腕を叩き、どうやら痺れていたらしいゾロの顔を歪ませた。
「今日の昼間時間はもらったから、明日までの時間はあげる。それくらいで勘弁してあげる私達に感謝してよ」
「………おう」
 意味が分かったのだろう、半ば憮然と応じたゾロにナミは声を上げて笑った。
 二年前までは、こんな風には応えなかっただろうに。色々な所でやはり進歩はしているようだ。
 そういえば、ここまであからさまに自分達が二人のことを知っていると態度で出したことはなかった気もする。
 お互い様なのかもしれない。
 動かないゾロをナミと戻ってきたチョッパーが手を引っ張ってエスコートしていく。

 いつでもサニー号のキッチンには、幸せな宴と仲間と…大切な人が詰まっているのだ。



終了(2012.11.11)




ゾロ誕生日おめでとう!まずは、皆がしれっとお祝いを…ということで…。一つお許しくださいませっ!



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