七夕




 足下の小石を蹴るような、そんなささいな動きにしか見えなかった。
 まさかその足が、空を切る音をたてて、目の前に立っていた男の首筋を捉え、しかもかなりな勢いで跳ね飛ばすとは。
 一瞬とはこのことかと、その場にいた者達は知った。もっと言えば、そうだと認識したのは、随分後になってからだった。
 黒いスーツ姿の、優男。
 金色の髪は片目を覆い、くるりと巻いた特徴的な眉頭が印象的な、彫りの深い顔立ち。決して甘くはないけれど、そこそこ人好きしそうな、整った男だった。
 片手には買い物をしたのだろう、大きな紙袋を抱え、もう片手には携帯型のデンデン虫を持っていた。
「ああ? 仕方ねぇだろ、なんか変なもん蹴っちまったんだよ。おれの歩みを止めたヤツが悪いんだ」
 蹴り飛ばした男のことなど露ほども意識していないらしい。デンデン虫に向かって唾を飛ばす勢いで怒鳴り、そのままがに股もかくやという足取りでずんずん歩いて行こうとしている。
 けれど、男の進行方向には、先程の蹴り飛ばした奴らの仲間とおぼしき者達がたむろしている。殺気だった奴らの様子こそ、当たり前のものだろう。
 突然の町中での出来事に、出くわした者達は身動き一つできずに呆然とそんな彼らの姿を見るしかできていない。
 男の足は迷いなく、そこにはただの道が通っているかのように歩いていく。
 しかも意識はデンデン虫にあるらしく、口汚くしかも小気味良い罵詈雑言を飛ばしている。
「だから、テメェのリクエストは聞いてねぇ、だいたいなんでお前がこの連絡受けてんだよ、ナミさんはどうした! おれの女神は! はぁ? 知るかボケ腹巻きっ!」
 のしのしと歩く先にいた男達が、怒声をあげて走りよってきた。手にはそれぞれ剣や銃をこれ見よがしに抜いているのに、周囲から悲鳴が響いた。
 しかし男は、平然と歩いている。
 一瞥すらしない。
 大きく振りかぶるようにして切りつけてきた二人を、それこそその間をすり抜けるように、軽く肩を突き出すようにして前に出ると同時、軽く片足を真横に凪ぐ。勢いよく足に引っかけられた二人はそのままの勢いで前に倒れ込んだ。その頭上から、何故か大男が落ちてきて、見事に二人を押しつぶし低い呻きが漏れた。
 勿論、その後ろにいた大男を蹴り飛ばしたのは、歩いていた優男だ。
 目の前の筋肉質の男達と比べても、細身のスーツの男はただ歩いているだけ、といった風なのが一種異様だった。
「今日はメニューは決まってんだよ! だーかーらっ! 七夕メニューは“星空の夕べ天の川に願いを”だって言ってるだろう!」
 どんなメニューなのか聞いてる方はさっぱり分からない。
 けれど、口調とは違い目を細めて笑う顔は、とても楽しそうだ。
 だが現状は酷く殺伐としている。
 歩く優男を取り巻くように、いつしか剣を手にした男達は移動していた。
 それでも男は歩みを止めない。
 というよりも、本当に周りを気にしてもいないようだ。
「肉は手配ずみだって船長黙らせとけ、うるっせぇ酒はとうに手配すんで…あ、呑むなよ! てめぇ先に呑みやがったら、夕飯どころか暫く甘すぎるもので攻めてやるからな。…嘘だと思うなら呑んでみやがれ…」
 何故か最後の方は耳にした者全員が冷や汗をかく凄みにあふれていた。
 どうやらこの男は船の料理人らしい。
「すぐ戻る。ああ、あ? ああ、こっちは別に…なんもねぇよ、ちょっと今変な蠅がうろちょろしてるだけだ。問題あるようなら、もっと対処するに決まってるだろうが…ああ、ああああ? お前が? 一人で? ただの無謀だろうが、何故あいつら許した…あああん!? どこ辿りついたんだよ、隣の島じゃねぇだろうな? どこだそりゃ! お前に言われるまでもねぇ! 迎え行くから、そこから動くなよ! 分かったな? うるせぇ、こっちは問題なんてねぇんだよ! 蠅は蠅だ、一秒あれば十っ分」
 言い放った瞬間だった。
 トン、と男が地面をつま先で突いた。
 突いたように見えた。
 途端、黒いつむじ風が。つむじ風としか見えない何かが辺りを一閃した。
 プォっと不気味な音がしたのはその後だったようにも思えた。
 気付けば、男の周囲にいた者達が近くの低木の根本に折り重なるように倒れている。
 うめき声一つ上がらない所をみると、全員意識すらないらしい。
 シンと静まりかえった周囲など気にもしていないように、男はそのまますたすたと歩いていく。
 そうして、その姿が見えなくなって初めて、その町の者達は、驚きの声を上げたのだった。




「だでーまっ、と」
 ミニメリーを隠していた岩陰まで、スカイウォークでひとっ走りで戻ると、後ろ座席で大口あけて寝ていた男の鳩尾にわざと降りる。
 その鋭い一蹴りで、先程数十人を吹き飛ばしたはずなのに、男の足は鳩尾に届くことなく振り払われた。
 くるりと空中で一回転して、操縦席の方へ降り立つと、サンジはニヤリと笑ってみせた。
「退屈で退屈で迎えに来たのかよ、子虎ちゃん?」
「アホか」
 ふわぁ、とそれこそ大口あけて欠伸をした男はぐるりと首を回した。
「迎えに行けと連れ出されたんだよ、ナミに」
「え? ナミさんが? 嘘をつくな嘘を!」
 怒級の方向音痴に迎えなど、聡明なナミが行かせる訳がない。
「嘘じゃねぇ。なんでもミニメリーに乗っておけばいいから、迎えに行けとよ。海流がどうたらこうたら、寝てろ、何がなんでも舵に指一本触れるなと言われて、放り込まれたんだよ」
 成る程、どうやら海流の流れを読んで、島につく流れにミニメリーを流したらしい。そしてその上にゾロを乗せた、と。
 一本道で迷うような男を迎えに寄越すはずはない、その解釈で間違ってはいないのだろう。
「それにしても、なんでまたよりによってお前なんだか…」
 手に持っていた買い物袋を下ろすと、思った以上に重い音がした。瓶の類ばかりが詰まったそれは、見た目以上に重いらしい。
「酒は?」
「だから手配したって…おいこら」
 ごそごそと袋を漁るゾロに、止めようとした手を取られた。
 は? と見下ろそうとしたら、絶妙な力加減で引っ張られる。
 上手い具合に船が波に揺れたのも相まって、サンジはゾロに覆い被さるように倒れ込む。
 当然のようにそれを抱き留めたゾロは、腰に絡ませるように腕を回している。
「ちょっ…」
 そうして、サンジの腹に顔を埋めた男は、大きく深呼吸をした。その呼気に、軽く息を飲んだ。
「ん…」
 思わずといった風に漏れた声に、はっと口を押さえたが遅い。
 腹に顔を埋めたゾロの肩が揺れている。これは確実に笑っている。
「今日くらいは大目に見るんだと」
「は?」
「ナミとロビンがな」
 朝から七夕の絵本を片手に、それは今はもう懐かしいとしか思えないイーストブルーの本で。あの辺りの昔話だったか。

『離れた者達の逢瀬じゃ、しょうがないじゃない』

 ナミが楽しそうに言い放った言葉は、多分サンジに聞かせてはいけない類だと、そろそろゾロも学習している。なので、端的にそれだけ告げれば、聡いサンジは真っ赤になって顔を両手で覆った。
 勿論全部通じている。
「だから迎えに来た」
 結論と結果は同じ行為。
「くっそぉおおおおおお!」
 喚いたサンジは首まで真っ赤だ。
 離れていた期間はあの二年に比べれば、少ない期間だったが、濃さでいけば、二年を凌駕していた気がして仕方がない。
 そもそもあの二年以降、ゆっくり二人でいた時間は少なすぎる。
 くつくつと笑うゾロの首に、サンジの腕が回って抱きしめられる。
「一時間」
「足りるか、せめて四時間」
「アホ、ディナーに間に合うか。二時間!」
「足腰立つはずねぇだろ、三時間」
「そんな柔じゃねぇ! 二時間ったら二時間!」
「生ぬりぃ」
 ドアホーっ! と叫ぶ男はほんの少し前にならず者どもを蹴りのめした実力者のはずだ。
 そんな彼の抵抗をものともせず抱き留めた男は、ニッと笑って喚く男を抱え上げ、その一瞬で羽交い絞めにすると、その口を問答無用で己の口で塞いだのだった。






 
終了(2018.7.7)




力つきました。ゾロサン真ん中記念日おめでとう 




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