ありったけのランプに火を灯し、囲炉裏の火もいつもより大きく焚いている。
 夜の闇はこの家のあちこちに凝っているが、それでも自分たちの周りだけは見渡せるくらいには明るくしていた。
 差し向かいで食べる食事ももう何度目、いや何日目なんだろうか?
 いつもより遅い夕食。今日は2人してこの土地の着物をまとって、慣れない互いの姿に目のやり場にとまどいつつも、向かい合っている。
 それだけ見れば、なんとものんびりとした風景なのだろうけれど。
 2人の心中は見た目とは違い、気怠く重苦しい。
 先程見てきた、庭からの音が耳から離れない。それからまるで逃れたいとでも思っているかのように、部屋に戻ってからはそのことについて一切話しはしていない。
 サンジの用意していた料理を広げ、2人して酒を酌み交わし今までと同じこの島での時間を演出しようとしつつも、うまくいかずに、無言になっていく。
 お互い口にすることができないのだ。
 あの音がなんなのか、2人にはまるで分からない。
 正体の分からないものは、気持ちがいいものではない。そこにあるのは、ただ訳の分からないという座りの悪い感覚しかないからだろう。
 ただ、わかったことがある。
 正体の知れないあの音が自分1人の幻聴ではなく、2人に聞こえるという共通の音だという事実だ。
 それが確認できただけ、よかったのかもしれないが…。
 2人して、そう思い。ならば…と相手のことを考えては、沈黙が積み重なっていく。
 
 この家には何かがある。

 だが、何があるというのか。
 決定的なことがないからこそ、余計にこの家から出ることもできはしない。もう暫く拠点はいる。1人でいるだけなら野宿でもなんでもできるが、集めなければならない荷もあれば、食料の調達もまだ残っている。
 そうこうしている間にも、ワケの分からない事象だけが積み重なっていくことに、不安がまといつく。
 今はもう、何の音もしない家の中と外。
 だが、相手はもしかしたら今でも他の音を聞いているのかもしれない。
 食事をする合間にも、チラリと互いが互いを盗み見る仕草も増えていく。
 そうして時折視線が重なり合うと、無言のままそっと2人して視線を外す他、方法がない。
 
 ゾロは、真向かいで慣れぬ着物に苦闘しつつもあぐらをかき、片膝に肘をついてゆっくりと煙草を吹かす男の姿を目の端に納めながら、そっと酒の入った杯を傾けた。
 喉を滑り落ちる酒は胸を焼く。
 2人きりの時間が、過ぎていく。
        早く。
 この時間を断ち切らなければならないのだろうに……。





 昨夜からこっち、サンジの食事の量ががっつりと減っている。
 それでなくても、あんまりがっついて食べる方ではサンジはない。まあ、周りにいるのが食欲の権化のような船長達なので、比べる方が間違いなのかもしれないが。
 だが、減りようが極端だ。
 本人はそれなりに食べているつもりなんだろうが、ゾロからすれば、それが食事か? といいたくなるくらいだ。
 しかも夜は夜で、あまり眠れてはいないのがよく分かる。
 そんなことは観察するまでもない。
 寝息の深さ、呼吸の数。何より気配のありかたで起きているかどうかなど、分かりやすいほど分かるものだ。
 眠れないから躰が休まらずに疲れる。そういう疲れ方は、食欲の有無に繋がりやすい。食べなくてはならないと分かっていても、なんとなく食事の量は減っていき、更に眠れなくなっていけば疲れはたまる。
 悪循環の極みだ。
 サンジ自身はばれていないと思っているのだろうが、サンジが真夜中のゾロの見張りに気付いていることも承知ずみだ。
 それでもここ数日は、夜の見張りが効いているのか、それなりに眠れていたはずだったというのに。
 寝ろ、と言っても寝られないのなら仕方ない。横になって躰を休めるだけでも違うだろうと、声はかけずにいるのだが、気にならないわけがない。ログが溜まるまでには後一週間近くある。その間毎日あんな風だとしたら、絶対に良いはずがない。
 いつでも寝ようと思えば寝てられるゾロと違って、サンジはこの島に来てからも1人忙しくしている。せっかく陸に暫くいるのだから少しはゆっくりすれば、と思わないでもなかったが、それで早く作業が終われば、サンジはさっさと船に戻るのだろう、と。
 そうゾロは思っていたのだ。
 こんな女もいない島で、しかも仲間といえば自分だけが残っている場所に、あの男がずっといるわけがないと普通に思っていた。それよりも、船に残るルフィやナミ達の食事を気にして世話に戻るだろう、そう考えていたというのに。
 どうやら自分は思い違いをしていたらしい。
 それだけサンジの責任感が強かったということかもしれない。
 彼はこの島でのログが溜まるまで、この地に残るつもりらしい。
 船に帰れ、と何度となく促したが、サンジはその都度怒っては話題を流してしまった。
 最初の頃は、やっぱり買い出しや保存食作りが忙しいのだろうと、それでも信じていたのだが…。
 どうやらサンジははなからこの島でログが溜まる間、自分と一緒にいようと決めていたらしい。
 なんでなんだ? とゾロは本気で首を傾げるしかなかった。
 サンジがゾロとこの島にいて、何か得になるようなことはないだろう。それよりも、船では喧嘩三昧のゾロと2人きりで居る方が、サンジにとってはストレスが溜まるだけだと思うのだが。
 そう考えて、ゾロは苦笑に口元を歪ませた。
 こんな状況だというのに、それを自分は幸運だと感じている。それをもう隠せない、と昨夜サンジの必死に寝ようとしている顔を眺めているうちに自覚した。
 自分はこの島で、サンジと2人きりでいることを喜んでいる。
 いつの間にか自分の内側に存在していたのがこの男だということには、驚いてはいたが悪い気はしていなかった。
 そういうこともあるのか、と不思議に納得してしまったくらいだ。それも、これまでの航海でのことがあったからかもしれない。
 自分とは違い、人の為に動くことをいとわない者を悪く思うヤツはいない、ということだ。見ている側からすれば、度が過ぎる、と心配したりもするがそれでさえ…そんなことを自分が思うことになるとは考えたことすらなかった。
 これがか弱い者なら分かる。だが、サンジは強い。そんな心配など必要のない相手だと理解していたはずだ。それでも、気にかけずにはいられない。
 できるなら無茶はおれの目の届くところでしやがれ、と一時期は本気で考えてしまっていたくらいだ。
 そうして、目が離せなくなっていった。
 傲慢といえばそれまでだ。
 だが、同時にそれはサンジにとって、良くないことなのだろうという自覚はあった。相手の立場から考えれば、こんなのは大きな御世話もいいところだ。もしそれが自分に向けて放たれていれば、ほっておけ、と一蹴してしまうのは間違いない。怒りに爆発してしまうかもしれない代物だ。
 だからこそ、それに気付いた時は愕然とした。
 サンジという存在が自分の中に根付いていたことにも、自分の中に、そんな風に人に向ける感情があるということにも。
 迷惑だな、と考えたからこそ、ゾロはサンジから目を背けようと思った。
 対等な位置にいる仲間ならばこそ、自分より弱い者を守ろうとするかのような、そんな目と態度を向けられているとしたら、サンジは傷つく。実際はそうではないのだが、ゾロが考えることを実行しようとしたら、まるで弱い者を守ろうとしているように思えるだろう。
 …守りたいのだろうか?
 問いかければ、そうだ、という答えしか自分からは返ってこない。
 無茶苦茶だと自覚している分、自分も混乱しているのかもしれない。だからこそ、1人になって…この感情に整理をつけようと考えていたのに…。
「…ままならねぇもんだな」
 なにもかも。
 断ち切らねばならないと思っているこの時間を、一分1秒でも引き延ばして続けたいと考える自分も。
 この現状も。
 この家は…おかしい。そのおかしさが、どうやら自分に向かってきているということは、なんとなく分かる。
 サンジもそろそろ気付いているのかもしれないが、ゾロはこの家に来てからというもの、様々なことをサンジよりも多分体験している。
 それがサンジに向いていないだけ、ほっとしていたのだが、そろそろそれも怪しい。
 昨日はラサカと外で会ったと酷く腹を立てていたが、自分に向かって起こっている変調が、サンジにも向かうかもという可能性があることに、今更気付いた自分は馬鹿だ。
 一刻も早く…サンジを船に帰さなくては。
 自分の思いなど、この際どうでもいいことだ。
 どうやらこの島、いや、この家の何かは自分が受ける方が正しいらしい。何故かそれだけは理解できる。
 できるだけ関係のないことには関わらずに済まそうと思っていたが、それも許されないらしい。なら、時間さえ消化して後はぶち壊してでもこの場を抜けるだけだ。
 そう考えて、大きく息を吐いた。
 
 今サンジは台所で、派手に竈相手に格闘している。
 どんな台所用具でも、器用に使いこなす技術は素晴らしいとそれだけはゾロにだって分かる。
 使い慣れないものでも、構造を理解して瞬時に使いこなす…もしくは使えるように勉強しようという姿勢は、プロだ。
 そうやって、サンジはコックという道を極めてきていたのだろう。
 それすらも好ましく思える自分は…もう終わっているような気がする。
 くるりとサンジから背を向け、それでもサンジの気配から離れない距離で、ゾロは三本の刀のうちの一本を引き寄せた。
 不安定なのはお互い様のようだ。ならば、なるべく信用できる者の傍にいることが肝要なのかもしれないと、傍にいることを決めたが…傍に居れば、視線が引きつけられる。
 これも悪循環か、とため息と苦笑しか出ない自分にもう悪態をつく気にもならない。
 気分を入れ替える為にも、とゆっくりと手にした刀を目の前に掲げる。
 真っ赤な刀。…三代鬼徹と呼ばれるこの刀は、三本の中でも違う意味で特殊な物だ。
 この刀だけは、その気配が分かる。他の刀も確かにそれなりの存在感があるのだが、鬼徹だけはまるきり違う気配があるのだ。
 禍々しいと、もしかしたら人は言うかもしれない。まだ鉄も切れない頃から、この刀の気配だけははっきりしていた。それ程、この刀はある意思に溢れている。
 その意思を読み取ることは不可能なのだろう。ゾロはそう理解していた。
 この刀は生きている人間と同じように、呼吸をしているのだ。その時々で、刀は悪と呼ばれる領域をいったり、善と呼ばれる領域を来たりしているのかもしれない。
 そんな風に感じるのは、これが刀だからだろうか。
 刀は道具だ。
 刀に意思があろうと、使う人間がいなければ成り立たない。刀が刀であろうとすれば、使う人間の存在が不可欠なのだ。
 鬼徹は強い。呪いと呼ばれる程に、刀である自分に従わせようとする強い強い力がある。
 それくらい、この鬼徹の波動は強烈だ。なまじな剣士では、そのせめぎ合いで疲れて自滅してしまうだろう。
 寝ても覚めても、刀の方が従っていこうという気にならなければ、その攻防は続く。一瞬でも負ければ、あっさりと使い手の自我を取り込んで刀は己の意のままに使い手を動かしだすだろう。
 刀の望みのまま。
        破滅へと。
 ゾロが鬼徹と出逢った時のやり方は、今考えても刀と自分にとってベストな出だしだったのだろう。
 初っぱなにした力比べは、どうやら鬼徹のお気に召したようだ。それを感じられるようになったのは、やはり鉄を斬ることができるようになってからだが、分かった瞬間あまりの面白さに爆笑してしまったことは忘れられない。
 そうやって、この刀とは付き合いを深めていった。
 だからこそ、今、この刀が自分に告げる動きは重要だ。
 鬼徹はずっと微量な細動を続けている。なにかを自分に伝えようとしているかのように。そうして、時折大きく震えては何かをしめそうとしている。
 初めの頃は、この家の雰囲気と気配に引きずられて活性化しているのかと思ったりしたのだが、そうではないらしい。
 大きく震える時は、なにかを教えようとしていることの方が多い気がする。
 昨日外で決まった時間に聞こえてきていた音を見にいった後から、この刀はずっと小さな小さな震えでゾロになにかを告げている。
 それが何を示しているのか、はっきり分からないことがもどかしい。

 台所の方から軽快な包丁の音が聞こえてくる。まるでリズムを刻むかのような音は、いつも楽しげだ。
 料理をしていれば、あのコックは自分を保つことができるのだろう。それはとても良い傾向だと思う。そのくせ、料理はきっとゾロの口に合う物を…とこの場に唯一いる者のことを考えているのだ。
 保存食にしても、なんにしても、サンジは食べる人のことを考えて料理を作っているのだと、この島にきて初めて知った。
 多分、そのことをナミなどに言ったら、「今頃気付いたの? 遅っ」と一言の元で斬られるだろう。
 ふっ、と、口元に笑みが浮かぶ。
 この場にいない者が遠く感じる。なのに、あのクルーのことを思い浮かべるだけで、身近に感じられるこの心の距離感はどうしたことか。
 沢山のものに自分は囲まれ、そして支えられている。
 それをこんな些細なところで知っていくというのも、不思議なものだ。

 掲げた刀を左脇に据え、右手を大きく回してスラリと刀を引き抜く。
 青白色の刀身が鈍い輝きを残光のように残しながら、弧を描いて現れる。
 乱れた波紋が揺らぐ様は、まるで劫火のごとく。なにもかもを焼き尽くすかのような揺らめきを、なだらかな肌目が強調するかのようだ。
 抜いた瞬間、まるで胴震いするかのように歓喜を上げる。
 そうして一層の輝きを放ち、使い手を試そうとするかのように、働きかける衝動。
 それはいっそ見事な程に……斬りたい、と唸りを上げる。
「正直だよな…お前は」
 その波動を感じる度に思うことを言葉にして、ゾロは満足そうにその刀身に見入った。
 本当ならば、刀身を見る時には口を開くことは御法度という不文律がある。だが、そんなもの実際に手にして闘う剣士になんの意味があるというのか。
 刀を観賞にする者とは違い、自分達はこの刀に生死を預けて共に生きている。
 ゆっくりと、ゾロは刀を目の前へと掲げなおす。反り具合を見るように、目を上から下へと流し、ゆっくりと刀身自身の波紋を見るように刀を返した。
 瞬間、キンと微かな金属音が耳を打った。
 耳許で直に響いたような音に、思わず眉間を寄せた。耳鳴りというには、違う音のような気がした。
 一瞬意識がその音に捕らわれた時、刀身が大きく震えた。
 え?と思わず握りしめた瞬間、銀の刀身に真っ赤な色が走る。
 それはまるで布のようだった。真っ赤な色合いのそれに、黄色の花柄模様が見えたような気がして、思わず目を凝らす。

 ゾロは目を見張った。
 そこに目がある。
 銀の輝きの中に、まるでその場にある…何かを映したように。そこにあるのは       
「しまっっ!」
 
 刀に映った首が、ニコリと笑う。

 瞬間、暗闇がゾロを覆った。

(2007.8.13)




遅くなりました…もう早くとかなんとか言いませーん…お盆になっちゃった…



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