秘密




 素肌に固い胴着をまとい、袴を着用する。
 色は濃い黒に近い紺。何故か幼い頃から、与えられたのはこの色だった。
 防具袋から面と篭手を取り出し、続けて胴と垂れを引っ張り出して、垂れを腰に巻く。それから胴の紐を結ぶ面倒さを優先して、被るように胴を着けると腰の後ろで結わえる紐だけはきちんと結ぶ。
 面の中に篭手と手ぬぐいを放り込み、ゾロは部室の扉をあけた。
 今日は部活に出る時間が遅くなってしまったので、辺りにはもう人影はまるでなかった。

 
 日のあまり入らない部室は、体育館の横に長々と作られた部室棟の一番端、体育より学校の裏門の方が近い位置になっている。
 どちらかというと、スポーツ校として名を馳せている名門校の中でも、剣道部はそれなりの実績を上げている部だった。が、人数と知名度ではどうしても華やかな他の部には叶わない。しかしゾロ達他の部員はそんなことにはお構いなし、だったおかげで、部室争いではのほほんと戦線離脱し、最初から最後尾の棟を与えられてしまった。それでもまあ、文句を言う筋合いでもなし、とあっさり引き受けて今に至る。
 遠いとはいっても、体育館に並んで造られている武闘館に1時間かかるとかいうわけでもない。雨の日はちょっと不便だが、ものの何秒か走ればいいだけのことなので誰も不平を言いもしない。…というより、何故か学校長が部活の顧問を受け持っている珍しい剣道部の練習の方が必死で、そんな些末なことに構ってる暇はない、というだけのことなのだが。
 実情を知らない他の生徒や教師から何故か妙に達観した者達ばかりが集まっている、と奇妙な評判を呼んでいる剣道部の面々は、それでも毎日ひょうひょうと楽しげに練習を続けている。
 自分の竹刀を二本ほど小脇に挟み口に鍵を銜えて外に出ると、部室の中では感じられなかった涼しい風が通り抜けた。
 ついこの間まで、ひどく蒸し暑い風しか吹かなかったのに、いつの間にこんな爽やかな風が吹くようになったのだろう。
 ふと空を見上げれば、高くなった青空に、細切れに見える鰯雲が悠然とたなびいている。
 まだまだ暑いと思っていたのに、いつの間にか辺りには秋の気配が漂いはじめていたらしい。どおりで、周りがなんとなく煩くなるはずだ。
 銜えていた鍵で部室の鍵を閉めていると、背後から駆け寄ってくる軽い足音がする。
 振り返らなくても、それが誰だかわかって、ゾロは内心で小さく安堵のため息をついた。
「やっぱりいたいた、今から部活か?」
 この出で立ちを見て、部活以外のどこに行こうとしているというのか。
 半ば無理矢理口に出そうになった別の意味のため息を押し殺し、ゾロはゆっくりと振り返った。
「なんだ?」
 そこに立っていたのは、やはり想像していた通りの金髪の青年。シンプルなブレザーを細い肢体にきっちりと着込み、細いネクタイを他の生徒と同じ代物とは思えない程に自然に身につけた姿は、同じ制服を着ている者としては別格と思いたくなるだろう。
 それほど見事に制服を着こなした青年は、しかしにっかりと笑うとゾロに向かって大きな包みを差し出した。
「用は分かってるだろ。ほらよ」
 反射的に受け取ってしまうのは、これはもう仕方がない。
 手にすればほんの少しずしりとくるそれは、まだ温かい。
 そして漂ってくる香りは、それでなくても腹を刺激するとても良い匂いで…。
「…もたねぇ…」
「は?」
「…いや、なんでもねぇ。こっちのことだ。いつも悪いな」
「おう。きちんと味わって食えよー。俺様手作りのスペシャル弁当なんだからな!」
 部室に置いておくと、いつも匂いがこもって他の部員の顰蹙を買うので、ゾロはそれをいつも教室に置いておくことにしている。一度それを誰かが盗んでいったことがあったのだが、その時のゾロの凄まじい怒り具合とそれ以上に増して怒り狂ったサンジの様子は凄絶を極めた。2人の犯人追跡の様子はその後学園の語り草になってしまっている。勿論犯人は捕まったようだが、それが表に出なかったのはこの2人の噂話の中でも七不思議の一つだ。だが、だからこそこの弁当騒動は他の生徒の印象に残りまくり、それ以降、この2人の承諾なしにこの弁当が行方不明になったことはない。  いつもなら何故か授業が終わってすぐにサンジがゾロに弁当を持ってくるのだが、今日は会うことができなかったので、そのまま部室に来ていたのだ。
「あ、でも今から部活かぁ、弁当、どうする? 道場にもってくか?」
「そうする。…で、お前はもう帰るのか?」
「あ? 嫌、今日はまだこれから生徒会の話合いがあって、その後で体育祭の打ち合わせを先生達とちょっとやんねーとならねー。ったく、夏休み開けた途端仕事山積みだぜ。帰るのは、今日は暗くなってからだろうなぁ」
 大きく息を吐く青年は、生徒会役員だった。
 春先の役員選挙では、その派手な容姿と鮮やかな弁舌であっさり当選を果たし、とりあえず生徒会副会長という座におさまった。一年の副会長というのは年功序列のあるこの学校では前代未聞だったらしいが、サンジはそんな風潮などなんのその、鮮やかな手際で生徒会長をサポートして、周囲を感心させていた。
 そういえば、あと一月もすると、確かに体育祭の時期になる。そのもう一月後は、今度は文化祭。
 その間に、ゾロ達運動部にはもう一つ『新人戦』という秋の大会が控えている。
 確かに二学期はイベントの目白押しだ。
 考えただけでうんざりと息を吐くサンジに、ゾロは包みを差し出した。
「なら、お前持っててくれ。どうせ俺も帰りは遅い。終わった頃に生徒会室に俺が行く。なんなら、一緒に帰ろうぜ」
 何の気なしに言った言葉に、サンジはぽかんとゾロを見、それから何かを逡巡するように辺りを見渡すと、ふむ、と頷いた。
「そうだな。その方がいいか。…よっし、なら、お前のアパートいこうぜ。それに合う吸い物造ってやるよ。それ楽に2人分あるし、足りない分は帰ってから俺が作るから、夕飯一緒すっか」
「おう」
 ゾロからまた包みを受け取り、サンジはゾロを見た。
 緑の短髪にはっきりした顔立ち。強面とはいうもののその整った顔立ちは、実は女生徒から密かに人気のある人物だ。
 ぶっきらぼうで無愛想なので、あまり話かけてくる女生徒は少ないようだが、比例して男友達からはひっきりなしにまとわりつかれているのをサンジは知っている。
 そんな同い年の男に、サンジが毎日夕飯用の弁当を作っていることは、実は入学当初から有名な話だった。
 時には部活をしているゾロの元へ自宅に戻って作ってきたり、もしくは家庭科室でサンジ自身が調理部と話をつけて設備を借りたりしていることも多々ある。
 その腕前には調理部が是非、講師代わりでもいいから入部してくれっ! と熱烈に未だに歓迎しているくらいらしい。
 何故そんなことを続けているのか、ということを知っているのは殆ど皆無。
 その理由を2人も決して口にはしない。
 だが、入学式当日から毎日、毎日、サンジはゾロに大きな弁当を届けている。
 何かと角突き合わせることも少なくない2人が、どんなに大きな喧嘩をしても、それだけは欠かさずに必ず行っているのだ。
 いつしかこの学校では、その謎を解いた者に賞金! というまことしやかな噂が広がっているのだが、解明できたものはいない。ちなみに、大きな声ではいえないが、その賞金の大元を出すのは、この学校の校長シャンクスらしい。
 まああくまで噂。
 一部本気にした生徒達が必死になっているようだが、元凶の2人がガンとして口を割らないのだから話にならない。
 ただ分かっているのは。
 2人は入学式の時に初めて出逢ったらしいこと。
 そして入学式が終わり、帰るという時には、教室も違うサンジが授業が終わったばかりのゾロに、
「ちょっと待ってろ!」
 と告げると、学食へと走り、無理を言っていつの間に買ってきていたのか、いくつかの材料で手早くサンドイッチを作ってラップに包み、正直に待っていたゾロへと、
「それを食え!」
 言って帰っていったということ。
 それだけだ。
 そして翌日からは、サンジはゾロへと大きな弁当を用意するようになった。
 しかも何故か昼食用ではなく、夕食用の。

「…もう、いいんだぞ。こんなことしなくても」
 ぽつり、とそうゾロが言えば、サンジは首を振る。
「アホ、俺がただしたくて、しているだけだ。気にすんな。もらうもんは貰ってるしよ」
「そのくらいはな」
 笑うゾロに、初めてサンジは少し沈んだ表情を浮かべて目線を落とした。
「…迷惑なら…言ってくれ。押しつけるのもどうかと思うし、な」
「それこそアホか」
 あまりにもあっさり言い切られて、むっと顔を上げたサンジはあまりにも近くにゾロの顔があることに硬直した。
 いつの間に、こんなに近くに来ていたのか。
「迷惑なわけねーだろ。お前の方が苦痛になってんじゃねーかと思っただけだ。止めたくなったらいつでも止めていいんだからな。…まあ、俺は助かるがよ」
 最後の言葉だけは、やや囁くように告げる。
 そんなゾロに、サンジはやっと柔らかい笑みを浮かべてわざとゾロに一歩近づく。
 そうすると頬と頬が重なるような、そんな位置になる。
「や・め・ね・え!」
「そうか」
「俺の覚悟をなめんな? やると言ったら、俺はやる男だぜ?」
 くくくっ、と喉の奥で転がすような笑い声が、サンジの耳に響く。
 なんとなく、腰の辺りがぴくりとするようなその響きに、サンジはそのままゾロの肩に額を乗せ、息を吐いた。
「やらせろよ」
 続けさせてもらいたいのは、サンジの方だ。だから、懇願も含めてそう囁く。
「……そらぁ、俺のセリフだ」
 急いで顔を上げたサンジは、平然と自分を見る男に、一気に赤く顔を染めた。
「なぁ!?」
 ニッと獣臭く笑う目の前の男に別の意図を十分に感じ取って、サンジはばっと飛び退いた。
「意味が違うわっ、ボケっ!」
「そっちも食うぞ、覚悟して準備しとけ」
「な、な、な、な、何言ってんだっ、この大ボケーーーっ!」
 渾身の蹴りを防具の胴で受け止めても、数メートル吹っ飛ばされた男に、サンジは中指を突き立てた仕草で罵倒し、くるりと背を向ける。
 そのまま走り去ろうとする姿に、ゾロは小さく名を呼ぶ。
 それだけで、サンジの足が止まる。
「食わせてくれんだろ?」
 どこまでも、確信に満ちた言葉で。
「…俺がお前に食わせなかったことがあるかよ…」
 背中を向けたまま、どこかいっそ穏やかなまでの言葉が流れ、サンジはそのまま駆けだした。

 それをやはり穏やかな目で見送り、ゾロはゆっくりと立ち上がるとついた埃を払い、今度こそ自分も武闘館目指して歩き出す。
 歩く先は違っても何故か同じ時を歩むことを望んだのが、出逢ったと同時だったことに気付けたことが2人には誇り。
 離れる物理的な距離に比例して、2人の距離が縮まっていく。
 そうして、部活が終了したゾロが生徒会室に迎えに行く頃には、帰る用意を意地で調えたサンジが泰然と待っている姿があるのである。

終了(2007.1.24)




日記にて書き殴った学生パラレル改訂。いったい何故サンジがゾロにお弁当の、しかも夕飯用の弁当
を作っているのか、さっぱり分からないまま時が流れて、年越してしまいました…何故なんだ…?



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