遠くて近い現実〜12歳と18歳・ホワイトデー〜




 なんてこった。
 口にしてみれば軽い言葉だ。
 だが、口にしたら本当にそんな心境でしかないことにも気付いた。
 …なんてこった…。
 ロロノア・ゾロ12歳は途方に暮れていた。
 それはもうどうあがいても、途方に暮れずにはいられないからで仕方ないのだ。が、こういう時はどうすればいいのか教えてくれる人はいない。
 何故なら教えてくれるはずの人物が、今一番ゾロを途方に暮れさせている張本人だからだ。

 サンジが数日前からまた菓子作りに入っていた。
 一月近く前に、やはり同じことがあった。
 なので、今度はいったいなんだ!? と内心本気で困惑していたら、なんとバレンタインデーという日には、お返しというシステムがあるというではないか。
 要は、サンジはそのお返しを作り出しているらしい。
 …チョコレートをあれだけ作ってやったはずなのに、お返しとはまたなんでだ? と実に素直に疑問にも思っているのだが、それを言うことはためらわれるくらいサンジは楽しそうにしているので、言い出せない。
 それに見ていると、なんとなく返ってくる答えが想像つくので、さらに聞くのがためらわれる。
 チョコの時のように真剣に、サンジは粉を篩っては捏ねて、また今度は胸にきそうな甘ったるいバニラとかの香りをぷんぷんと漂わせ、自宅の台所を独り占めしている。
 いや独り占めといっても、元からそこに立つのはサンジなのだから正確にはそう言わないのかもしれない。
 どうでもいいことを考えながらもその場を今度は動けないのは、ホワイトデーの意味をやはり先日バラティエのコック達から聞いたからだ。
 いや正確には、学校でも同級生から聞いた。それで本当なのかとコック達に聞いて確約を貰ったというのが正しい。
 その時はだからといってあんまり深刻には考えていなかった。そんなもんか、と軽く思ったくらいだ。
 それが家に帰ってサンジが台所に立っているのを見た瞬間、衝撃を受けた。
 …自分はこの男からもチョコレートを貰った覚えがある。
 例え他の女の人達に配るついでとはいえ、とにかく貰った。朝喰った。美味かった。あんなに美味いチョコもあるんだなぁ、と真剣に驚いて実は目の前にいた男にそれなりに尊敬の念すら覚えたのだ。
 貰った者はお返しをして、礼を言うのだ。
 そう聞いた。
 実はなんとなく、色々間違っているのだが、そこはそれ。色々な話をとりまとめてみたら、そんな結論になっていたのだから仕方ない。そういう方面の知識は、とにかく今まで見事にスルーしてきていたゾロにしてみれば、初の行事。
とにかくお返しがいるんだぜ! というコック達の言葉ばかりが頭を巡っていたのだ。
 なんとか冷静にことを考えてみよう…と思って順を追って考えてもみたのだ。
 そうしたら更に困惑する事態になってしまった。
 もらった学校の女子にも配らなくてはならないということにも思い至ったからだ。
 だが       金はない。
 お小遣いはもらったものが余っているが、それは自分の金ではない。
 サンジが働いて、色々といるものを買えとくれるお金だ。これは学校のものや、ノートや鉛筆とかそういうものを買うのに使うものであって、他のことに使うというのは違うはず。
 いつもお小遣いをくれる時に、「足りてるのか? もっとやろうか? つか使え!」とそれでも気遣ってくれるサンジは使うことを推奨しているくらいだが、今までの経験からいっても、無駄に使うのはなんか違う気がして仕方ない。
 けれどホワイトデー。
 なんてこったい、ホワイトデー。
 お返しをしなくてはならないなら、バレンタインにチョコレートなんていらなかったのに。
 けど、サンジがくれたチョコは美味しかった…。
 となるとお返しが!
 途方に暮れるとはこのことだ。
 ここ暫くはそんなことを本気で考えてしまうくらい、ゾロはこの本来ならどうでもいいイベントに翻弄されていた。
 とにかく、今の自分がやって、チョコを貰った人達にお返しできることといったらどんなことだろう?
 突き詰めていったら、台所の入口に立ちつくすしかできなかったというワケだ。 
「…お前何そんな所でずっと、むっずかしい顔して突っ立ってんだよ。甘い匂いあんま好きじゃねぇんだろう?」
 かなり長い間じっと立っていたからか、不思議そうな顔をしてサンジが声をかけてくる。
 それに肩を落として、正直にゾロは頷いた。
「好きじゃねぇ、でもそれ…」
「おう、クッキーな。まとめて大量に作るのに向いてるし、ホントはもっと色々凝りたい所なんだけどよ、あんまり凝りすぎても女の子は引いちゃうだろうしなぁ…まあ、おれの手作りって聞いたら皆喜んでくれるのは分かってるんだけどよ。女の子のプライド砕いちゃいけねぇ。シンプルに、そして上品に。甘くてカロリー少なくて。サンジさん美味しいわぁ。って喜んでもらえる美しいものを! それこそが…」
「あー、お前が作るのが美味いってのは分かってる。でもそんな大量に作ってどうするんだよ」
 これは本気でそう思っていたので口にしてみたのだが、恐ろしく嬉しそうな笑顔が返ってきて、思わず仰け反りそうになった。
「ホワイトデーのお返しなんだから大量に決まってるだろう! 見てわかんねぇか、これだからお子ちゃまは」
 最近思うのだが、よくバラティエの厨房ではサンジは特にゼフから子供扱いをされている。
 どうやら経験が浅いと、大人の中でも子供扱いされたりするらしい。
 それがサンジにはたまらなく腹が立つことらしく、いつも喧嘩腰だ。
 けれど、それと同じようにどうやら自分に対しているような気がする。まあ、こっちは本当に子供なので当然といえば当然なのだが。
 だが口調が同じなのはどうかと思うのだ。
「違う、それがホワイトデーのお返しだってぇのは聞いた。だからなんでそんな大量なんだって聞いてるんだよ」
「アホか」
「なに!?」
 勇んだゾロへとサンジは大きく溜息をつき、ふと何を思ったか立ちつくしているゾロを見つめ、うむ、と一度頷いた。
「あー、まあいいから、お前もちょっと手伝え。これから手がいるんだよ」
 しぶしぶと、ゾロはサンジの元へと歩み寄った。
 指示通りに手を洗わされ、テーブルの上に広げられた分厚い布の上の物体へと向かい合う。
「何緊張してやがる。ガチガチに強ばったまま甘いものに向かうなよ、もっと美味くなるように念じながらやれ」
 呆れたようにそういいつつ、サンジは冷蔵庫から丸めてラップをかけていた白いものを取り出すと、白い粉をまぶし、手早く布の上に出して太い棒で綺麗に広げていく。
 恐ろしい早業だ。思わずその手際に見入っていると、サンジは小さな銀色やらプラスチックの色つきの様々な形をした小物を放り投げてきた。
「いいか、おれがこうやってこの布の上にタネを広げていくから。お前は隙間があんまり出来ないように、その型でこいつを抜いていけ」
 こうだぞ、と一つ星形の型抜きを手に取ると、伸ばした生地の上に押しつけて型を取り上げる。タネには星形の切り抜きができ、型には星形に残った本体。
 サンジはそれをさらに用意して置いてあるオーブン用の鉄番の上に型が崩れないようにそっと置いた。
「こうやって、少しだけ間隔をあけて置けばいい。焼いた時に少し膨らむんだ。だから横のヤツとくっついたりしないように、このくらいの間隔かな」
 いいながらポンポンと二つ三つと並べていく。
 わかった、と頷いてゾロも恐る恐る別の形のものを手に取ってみる。たまたま手に取ったのは葉っぱの形をしていたのだが、すぐにサンジが奪い取り、まずはこれからだと手渡されたのはハート型だった。
 なんとなく恨めしげな顔をしたのかもしれない。
 サンジは吹き出して腹を抱え、暫く笑い転げてから粉まみれの手を振った。
「最初は抜き取りやすい型からやってみろ。とりあえず女の子にはハートだろう、ハート! いいから、やれって!」
 押しつけだ。
 だが、なんとなく文句を言うこともできず、むすっと口を厳しく引き結び、ゾロは生地に向き合った。
 やってみたら、これがなかなか難しい。
 型を抜くまでは普通にできるのだ。だが、それを鉄板に並べる為に落とす時に力加減を謝ってしまう。また型を抜く時の位置が悪くて沢山生地に余りができたりと、なかなか奧が深い。
 余った生地はまた練り直して広げてくれたりするのだが、二度目三度目になると、その分粉がかかってあまりよくないらしい。
 不器用な手つきを笑われながらも、いつの間にか一生懸命、甘い匂いも忘れてゾロは作業に没頭していた。
 用は何か作業をするということだけを言えば、ゾロはそういう専心することは嫌いではなかったらしい。
 一心にやっているゾロを、時折優しく見下ろしながら、サンジはゆっくりと生地をのばしていく。いつの間にか、言葉もなく、二人での共同作業は暫く続いた。


 全部の作業を終え、後はオーブンにお任せー♪ とサンジが唄い、終わった途端甘い匂いに辟易したゾロはさっさと風呂へと飛び込んた。
 ゾロにしてみれば、初めての台所仕事と言ったところだろうか。
 クスクスと笑いを零しながら、サンジは甘い匂いがさらに充満するキッチンの窓を開け放った。
 実際悪いとは思っているのだが、こればかりは譲れないのだから仕方ない。しかも今回は、譲ってはいけないことでもあった。
 遠くで風呂を使う音が聞こえる。
 ゾロがホワイトデーの話を聞きまくっていたことは、コック連中と何よりゼフから聞かされていた。
 どうやらお返し習慣があるということを、知らなかったらしいゾロが衝撃を受けていたことも分かっていた。
 だからといって、ここ数日様子を見ても途方に暮れているだけで買い物に行こうとする様子もない。お小遣いをやった方がいいのかと、こっちまで考え込んでいたら、ゼフから一喝されたのだ。
「金が必要なことか!」
 確かにそうだ。
 それに、ゾロにお小遣いをやっても意味はないのだ。
 多分、あのお子様は使わない。というより、使おうとしない。それは今までのことで充分分かっている。
 だとしたら、他に出来ることは。それも容易にあのお子様が考えつきそうなことと言ったら…。
「…早く美味しくなぁあれ…」
 オーブンに向かって、サンジは小さく囁く。
 その目こそが、甘く幸福な色合いに染まっている。優しく優しく、形が定まっていく。
 こんな幸福が目の前に形になっていくことが、とにかく愛おしくてたまらなかった。


 結局焼き上がったクッキーはゾロも手伝ったということで、ゾロのお返しの分だと分け与えられた。
 元々そのつもりだったのだと、分け前を与えられて思ったが、どっちにしろ文句を言える立場でもない。それどころか実際は作り方を習って作るかと、こっそり思い詰めていたくらいだから渡りに船とはこのことで。
 きちんと礼を言って、これも自分でやるんだと恐ろしく不器用な包装までやって、ゾロのホワイトデーは完了した。
 その一つがホワイトデー当日、サンジの机の上にポンと置かれていたのは勿論で。やたらと浮かれてしまったサンジがバラティエで言いまくり、その日帰ってきたゾロはさんざんバラティエの面々にからかわれて、サンジと大喧嘩してしまったのはご愛敬。
 結局、どこかずれたホワイトデーはそのままゾロの真実になってしまったようだ。
 が、後日、きちんと全員にお返しをしたゾロがやたらと女の子達の間で株を上げていたことが判明し、おれが立役者なのにっ! と喚いたサンジと、知るか! と叫んだゾロがやっぱり喧嘩したのは当然で。
 賑やかな日常は、まだゆっくりと続いていくのだった。

終了 10.3.14 改稿10.5.2




ちょっとだけ改稿文章見直ししました。



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