秘密〜プロミス3〜




 四時限目の終了を知らせるチャイムが高らかに鳴り響いた。
 一斉に空気が緩み、先に挨拶も済ませた教師がやれやれと教壇を下りた時、後方のドアがガラリと音を立てて勢いよく開いた。
 冷たい空気が一瞬にして教室に流れ込み、入口近くにいた生徒達が一斉に身体を縮めたのが見えた。
 いったい誰だ、と全員が見たそこには、巨大な荷物を両手に抱え持った金髪の青年が一人。
 それが誰だか認めた瞬間、当然のようにまた全員の目が窓際で差し込む日差しを物ともせず、肘をついてうたた寝している緑髪の青年へと移る。
 その視線に添うように、しなやかな身のこなしで痩身の青年がするりと教室内に入ってきた。
 去りかけた教師までもが、ついそんな彼らを見てしまう。
 足音もあまりたてず、大荷物を持ったまま青年は寝ている男の傍にいくと、身軽に片足を上げた。周囲にいた者達が我先にと二人から遠ざかり、派手な音を立てた。
「起きろ! このクソマリモ!!」
 痩身からは想像もつかない鋭さで、真上から振り下ろされる足が男の脳天へ吸い込まれる。
 派手な音が実に鮮やかに教室に響き渡り、教室内は静寂に見舞われた。
 机上に突っ伏した緑髪の頭が、ゆっくりゆっくりと持ち上がる。
 そこから現れたのは、一睨みで人を射殺せそうな物騒な目線。しかし、せせら笑うようにその視線を跳ね返し、青年はふんぞり返ってこちらも、人をぶったぎれそうな目で男を見下ろす。
「よう、目が覚めたかよ、万年寝太郎」
「ってっめぇ、何しやがる」
 地の底を這いそうな低い声に、本気で周囲の者達が震え上がる。
 だがこれも、金髪の青年はどこ吹く風。まったく動じた風もなく、それよりも更に態度悪く、バカにしているとはっきり分かる嘲りに近い笑みさえ口元に登らせた。
 この二人が寄ると触ると喧嘩しているのは、この学校の者なら知らない者はいない。だが、そんな二人が、実によくつるみ、謎な関係を…それもどうやら蜜に…作っているのではないかという、これまた曖昧かつ不確定な情報だけが広まっているのも事実。
 謎が謎を呼んで、注目度ナンバーワンの二人が揃っていると人の興味をかき立てて目立つことこの上ない。
 だが、同時に絶対物騒なのが問題でもある。
 どうなるのかとハラハラした面持ちで見ている面々の前で、額を赤くした程度で起き上がった男が不機嫌そのものといった表情で睨み付けると、ふと金髪の青年は己の腕時計を見、はっと窓の外へと視線を飛ばした。
「っと、やべっ! こんな所で油売ってる暇ねぇんだった。おい、ゾロ! てっめぇ忘れてんじゃねえぞ! 今日の昼休みは全知の樹って言っといただろ!」
 青年が叫んだ瞬間、ゾロの目が教室の黒板に走った。
 11月11日。黒板の隅に書かれた日付は、まさしく1並び。
 慌てたように立ち上がったゾロは、急いで窓を開け放った。
「もう四時間目終わってたのかよ! こっちが早ぇ!」
「寝過ぎだっつーんだよ、この万年緑!」
「うっせぇ! うおっ、時間なくなるっ!」
 誰のせいだ、と怒鳴ったサンジに、傍にいた女生徒が恐る恐る問いかけた。
「…あの、サンジ君…全知の樹の所で何かあるの?」
 こんな風に怒鳴りながらも、サンジは絶対に女の子には荒ぶらない。それどころか、途端に目をハートマークにして、過剰とも言える態度と言葉で接してくれる。
「なーんでもないよー、たいしたことじゃないんだよぉv ただ、こいつの…誕生祝いをするだけなんだーv」
 え?
 と教室内が固まった。
 今さっき、本気で頭をかち割るかと思える蹴りを入れた人物が蹴られた人物の誕生祝いをするという。
 しかもサンジの両手には抱えきれない程の荷物。だとすれば、それは料理については天才と称されるサンジの祝い弁当なのだろうか。
 あまりのことに、硬直した室内など気にも止めず、ゾロはサンジから荷物を奪い取るとヒラリと窓から飛び出した。
「いくぞ、グル眉! 時間がねぇ!」
「…ちっ、おれと可愛いレディの会話を中断するんじゃねぇよ…って、しゃーねぇなぁ。正味40分くらいしかねぇからなぁ」
 ごめんね、またね。と優しく話かけてくれた女生徒に手を振り、サンジがゾロの後を追うように窓から身軽に飛び出す。
「そっちじゃねぇ、どこ行くつもりだ、クソマリモ! 右だ! おれの後についてきやがれーっ!」
 思わず見送ると、駆け出す二人は猛スピードでオハラ全学園の中心地、国の天然記念樹でもある全知の樹広場へと消えていく。
 あの二人の仲はいったいどうなっているのか。
 実はここオハラ学園の賭の対象にまでなっているのだが、まったくそれらを悟らせることなく、今日も元気に二人の仲は混迷の最中だ。
「…あいつらって…」
 誰もが言葉にならずに呆然とする中、開け放たれた窓からは冷たい風が硬直した空気を清めるように教室内を一掃していった。


 全知の樹はオハラ中等部高等部大学部の中心地点に存在する、この学園の象徴的存在である。
 ほぼ真円を描く立地に立つ学園は、この全知の樹という象徴を中心にして成り立っている。本来なら、あまり交わりのない中等部に高等部に大学部ではあるのだが、せっかく同じ学園ということで、この全知の樹の周囲だけは学部関係のない交流の場となっていた。
 ちなみに、全知の樹はとにかく巨大でもあり、その横には全学部共通の図書館も存在する。その図書館が全知の樹の管理もやっていたりするのだ。
「遅いっ!」
 その巨大な樹の根元に何故だかこれまた大きな緋毛氈を敷き詰めた一角が作られている。その上で、セーラー服姿のオレンジ色の髪の少女が両手を腰に、怒鳴りつけた。
「ごっめんよー! ナミさぁあああん!」
 駆けつけたサンジは、大きく身体をくねらせてナミの傍に行くと、「今日も可愛い〜♪」と盛大にハートマークを飛ばしまくっている。
「すまん、遅れた」
 大荷物を両肩に、走ってくるゾロへは鋭い動きで塊が飛んでくる。
「めしーっ!」
「やめんか!!」
 その塊を恐ろしい早さで戻ってきたサンジが蹴り飛ばし、その隙にゾロは緋毛氈のド真ん中に荷物を置いた。
「よーう、おめでとう、ゾロ。誕生日だってなぁ」
 にっこりと笑って手を上げたのは、緋毛氈の上に寝転がっていた男。黒い髪にそばかすの浮いた彼は、人好きのする顔でゾロへと真っ先に祝いの言葉を述べる。
「おう、ありがとよ。悪いなエース、大学部は忙しいんじゃなかったか?」
「昼休みくらい、なんてことねぇよ。つーか、おれらが一番時間融通つくんじゃね?」
 大学部は高等部とほとんど繋がっているようなものだ。この学園の特殊な所は、高等部から大学部までの一貫教育の蜜さがある。
 そして大学部の恐ろしく専門的でありながら雑多な学部の多さも、このオハラ学園の名物でもあった。
「あーうっ!スーパーめでてぇじゃねぇか。ロロノア、誕生日だって? おめでとう」
「………フランキー教授…あー…ありがとうございます…」
 何故か上半身上着一枚、下は海パン姿のリーゼント男に、ゾロも目が泳ぐ。こうみえても、建築家としては世界にも名だたる人物のはずだ。この学園でもかなりな名物教授なのだが、健全な変態という妙なことでも有名だ。
 …本来なら並び立たない健全と変態が並び立つくらいには、やはりこの男は変なのだ。
「サンジくん、私お腹すいちゃった。早くしないと時間なくなっちゃう」
 足元に吹っ飛ばされてきた塊をしれっと避けつつ、ナミがそう愛らしく言うと、反対側にいた鼻の長い青年が大きく溜息をついた。
「相変わらず容赦ねぇよなぁ」
 高等部の生徒会長でもあるウソップがしみじみ言えば、反対側で中等部の学ランの制服を着た丸っこい少年がうんうん、と頷いた。
「でも、平気だから凄いよな、ルフィも」
 激しく蹴られたはずなのに、ルフィはけろりとして、荷物に向かって手を伸ばそうとしている。
 途端にサンジが駆け戻り、その手を足蹴にしつつ辺りを見回した。
「そうだよね、早くしよう! ビビちゃんとロビンちゃんは…」
「遅くなりましたー。ロビン教授とそこで一緒になっちゃって」
 小走りに駆けてきた水色の髪を結い上げた少女と、黒髪の長身のオリエンタルな美女がやってくる。
 サンジはもうメロメロでくねっている。
「いつ見ても美しーっ! キュートだー! ビビちゃあぁん♪ ロビンちゃぁああん♪」
「……これ、ゾロの為に集まってるんじゃなかったっけ?」
 中等部制服のチョッパーが言えば、しっ、とウソップが口に人差し指を当てる。そういう本当のことを言うと、ややこしくなることは分かっているからだ。
 案の定ジロリとサンジが睨んできたものの、本当に時間がないは確か。すぐに気を取り直して、サンジはいそいそと荷物の紐を解き始めた。
「時間がねぇ。ああ、ナミさんもビビちゃんもロビンちゃんも座って座って♪ つーかヤロー共は女性にまず席を空けろ、エースも起きてさっさと避けろ」
 言いながらも、次々とお重を取り出し蓋を開けていく。
 ルフィを取り押さえているゾロをナミが笑いながら樹の正面席へと誘導し、それから銘々が好き勝手に料理を中心に緋毛氈の上に座り込む。
「たんまり料理は作ってきた! 時間はないが、たっくさん食べろ!」
 一人一人にお茶のペットボトルを回せば、あっという間に準備は完了だ。
 全知の樹の周りには、各学部からの人出も多い。そんな人々の視線の最中。目立つ緋毛氈の上には、実はオハラでも有名な人物ばかりが勢揃いしている。
 しれっとド派手さをアピールしながら、昼休みというやたらと短い時間の中で、何故か恐ろしく盛大な昼食会が始まった。


 並べられたお重の中身は、彩りも綺麗な和食から洋食、中華まで、とにかくこれでもかと料理が詰め込まれていた。
 広げられたそれらに、一斉に歓声をあげて全員が笑顔を零すとサンジは大いに胸をはった。
 ふと、すっくと立ち上がったルフィがお茶を掲げる。
 全員がやはり笑って同じようにその場でペットボトルを掲げた。
 中等部の一年にして生徒会長になっているルフィの破天荒さは有名だが、そのカリスマともいえる指針力はこの学園で知らぬものはいない。
「んじゃ、ゾロ! 誕生日おめでとう! 喰うぞーっ!」
 最後はいらねぇ!
 と全員に突っ込まれながらも、口々に皆が唱和して祝いを述べていく。
 それにゾロはどこか困惑したような表情を浮かべつつも、素直に頭を下げた。
「おう、ありがとよ」
 それが照れているのだと分からない者達ではない。
 全員がどこかほのぼのとしたものを抱えながらも、一斉に箸が動き出した。
 それを鷹揚と眺めながらも、ゾロはゆっくりとお茶を口に含んだ。
 春にこの学園に入学した時には考えもしなかった誕生日になって、妙に感慨深い。だいたい誕生日というものを祝ったことが記憶にない。
 なのにこの学園に来てから知り合った者達が、たった半年近くでまるで家族のように親しくなり、こうやって短い時間を割いてでも祝ってくれようとする。
 不思議な縁というのもあるものだと思えば、今この瞬間が貴重なものに思えてならない。
「おら、ぼうっとしてたら無くなるぞ」
 プラスチックの小皿というには大きめの皿に、ゾロの好みのものを綺麗に取り分けられた物が差し出される。
「おう」
 ゾロは受け取ると、サンジを見た。
 不意に目があったが、サンジは勤めてなんでもないフリで目を逸らしてナミ達女性人の方へと向き直る。
 そうやってサンジがきちんと取り分けてくれると分かっていたから、ゾロは悠然としていたと…多分あれは気付いている。
 ゾロはにやけそうになる口元を引き締め、魚の煮付けを口に放り込んだ。
 充分に染みた甘辛い味がふわりと口の中でとろける。思わず唸った。
 美味すぎる。
 その様子をサンジが横目で眺めていると気付かずに、ゾロは一心に皿の上の料理を頬張っていく。
 お腹が空いているのも確かだが、いつもより気合いの入っている料理は、とにかく箸が止まらない。
 すぐに空になると、すかさず皿が取られ、サンジががっつくルフィを叱り飛ばしながらよそっていく。
 珍しいくらいに特別待遇だ。
 だが、あまりの料理の美味さに唸る面々はサンジの様子に気付いている気配はない。自分らの食い扶持をルフィから死守するのに必死とも言う。
 よくよく見てみると、同じように女性人にも給仕しているので、そう違和感がないのかもしれない。
「おい、チョッパー、これも喰え。お前好きだろ? ウソップ、テメェはこれだ。泣き言言わずに喰ってみやがれ…ってルフィ!人の分に手ぇだすな! フランキーも笑ってねぇでルフィ押さえとけ! ってエース喰いながら寝るな!!」
 遠巻きに見ている学生達が唖然としている。
 全知の樹は国指定の天然記念物でもあるので、根本で何かしようと思ったら結構な小難しい申請がいる。
 普通の生徒達は巨大な樹の回りに張り巡らせた根を保護するための、大きな保護用の床板スペースを使うのが普通だ。それでも巨大な樹が伸ばす枝は充分な木陰と憩いの場を作り出してくれている。
 なのに、この学園の全ての生徒会長が揃い、かつ名物教授に名物人間達が集まって、多分恐ろしい申請をクリアして陣取ってやっていることが…緋毛氈を敷いての昼食宴会である。
 これが呆れずにいられようか。 
「あ、そうそう。後でブルック教授も来るっていってたんだったわ…どうしましょう。サンジのお料理に夢中で、すっかり忘れていたわ」
「ってロビン、お前それはもう少し早く言えよ…あーあ、料理あっちゅうまに無くなっていってるぞ…」
 フランキーが呆れたように言えば、ロビンはちょっと困ったように肩を竦めてみせた。
「…ブルック名誉教授…生きてたって大騒動になったの…この間だよね」
 永久名誉教授という肩書きをもらってる音楽家が、数年前から不意に行方をくらまし、まったく跡形もみせずに失踪していたのは有名な話だった。
 それがひょんなことから、実は学園内のとある場所で隠棲していたのをルフィが見つけて、大騒動になったのは記憶に新しい。
 なんで行方不明になっていたのかと思えば、とにかく作曲に没頭しまくっていたらこんな月日が経っていたというのだから驚きだ。ふざけてるのかバカなのか、といった嘘のような本当の話にさらに周囲を驚かせたが、まあ、元々おかしな人だったこともあり、今や妙な理解でもって受け入れられている。なんといっても、この学園の教授の一人だしな、という妙な理解が世間にある事の方に学園の者達の方が当惑したくらいだ。
 等の本人は見つけてくれたルフィと意気投合し、さらに隠棲している間に書き溜めた音楽を今こそ発表する時、とそれから精力的な活動を開始して、今や名実ともに時の人だ。
 そんな人物が来るのだという。
 どんな誕生会だ、と思わずウソップとチョッパーが顔を見合わせれば、サンジがあっさりと手を振った。
「大丈夫だ、なんとなくそんな気がしてたから、予備の弁当出す」
「予備なんて用意してたのか? すげーな、サンジ!」
 ウソップが感嘆の声を出すと、苦笑してサンジは座り直した。
「そうじゃねぇよ、こいつの夜用の弁当だ。まあ、いいさ、もしかしたらと思ってたのは本当だからな」
 くいっとゾロを指差せば、ああ、とまた全員が納得する。
 サンジがゾロの弁当を毎日必ずかかさず作ってくることは、彼らが入学以来の有名な話だ。
 しかも、何故か必ず昼の弁当ではなく、夜の弁当なのだ。
 昼休みの短い時間や、放課後などに家庭科室などでゾロの弁当を作っているサンジを見るのは既に当たり前になっている。
 …何故そうしているのかという、これまた謎と共に。
 ゾロは何も言わずに、わずかに眉を上げただけだった。
 サンジの弁当に関しては、ゾロも何も口にしない。なので本当に謎のままなのだ。
 思わず全員の箸が止まって二人を見る。
 何もなかったかのように、二人はそれぞれに料理を食べている。そこに、なんら違和感を感じるようなものはない。
「…おまえらって…」
 エースがこっそり笑いながら、つい口にすると、ギロリと二つの目線が睨み付け来る。
 追求しても無駄だということは、入学以来の騒動の酷さで充分知れ渡っている。だが、ことあるごとに、つい聞きたくなるのももうお約束なのだ。
 おおこわ、とわざとらしく笑いエースは自分の口を閉ざす為に、ルフィの皿から肉団子を取り上げるとひょいと口に入れた。
「ぎゃーっ! なにするんだっ! エースッ!」
 いきなりルフィの悲鳴があがり、一気に緊張が崩れる。
「お前が油断するからだ」
 楽しそうに告げるエースに、ルフィが食いついていく。
「…なるほど、こうやってこいつらの食生活が磨かれていったんだな…」
 兄弟だという二人は、一見似ていないくせに至る所で動きが似ている。
 しみじみと呟いたウソップにチョッパーが頷くと、呆れたように他のメンバーも頷き、また賑やかな笑い声が上がり出した。


 ヨホホホホ〜!
 という独特の笑い声が響いたのは、それから五分程した頃だった。
「どーも! 皆さんごきげんよう! 呼ばれて参上、ブルックです! 遅れましたが、全知の樹の元に来るなんて、わたし初です。長生きはするものですね!」
 背が高い。
 第一印象としてはその一言に尽きる。アフロヘアーも高さに拍車をかけている気がする、丸眼鏡にやや逞しげな体格。これで本当に音楽家かと思わず突っ込みそうになる。が、どうしてどうして、その手に持つのはバイオリンだ。
 しかも噂からすると、かなり高額な楽器らしく、世界からの貸与を受けている名器だという。
 もし噂が本当だとすれば、名器の扱いとしては反則だろう。
 なんとなく呆気に取られた面々の前で、うやうやしく頭を下げたブロックはゾロへと目をやるとほっこりとした笑みを浮かべた。
「これはこれは。お初にお目にかかります。あなたがあのロロノア・ゾロさんですね。世間に飛び出して間もないわたしではありますが、すぐに貴方のご高名は耳に入りました。素晴らしい剣士さんだとか、わたしもこう見えてもフェンシングをやっていたことがありましてね。一度お会いしたいと思っていたところでした。あ、ちなみに、その煮物わたしが食べてもいいですか?」
「って、なんじゃそれはっ!」
 思わずウソップとサンジが突っ込むと、ヨホホホホとまた笑い声が上がる。
 そうしながらも、目を丸くしているナミとビビへと視線を流すと、大いに驚いた顔で両腕を広げてみせた。
「なんと麗しいお嬢さん方! えーパンツ見せてもらっても宜しいでしょうか?」
「見せるかっ!!」
 叫んだナミと同時に、サンジの足が速攻でブルックの腹に叩き込まれている。手加減はしているが、見事に決まったそれに、「テッキビシー!」という声と共にブルックが蹲る。
「何レディにセクハラかましてやがるっ!」
 怒りに燃えるサンジを、どうどうとチョッパーとウソップがなだめる。
 初会合でこれでは先が思いやられるというものだ。
 だが、一連の出来事をルフィとエースは腹を抱えてみているし、フランキーもロビンも苦笑で済ませている。どうやらブルック名誉教授はいつもこんな感じらしい。
「まあ、とにかく」
 それでもブルックの復活は早く、あっさりとサンジの蹴りもなんのそので立ち上がり、彼は再度ゾロを見つめた。
「世の中に出てきて初めての友人達との逢瀬が誕生日を祝うという、この素晴らしい繋がりに感謝いたします。ルフィさんと知り合いになれて、ほんとうに嬉しい。そして、貴方という人と出会えたことも。ゾロさん、お誕生日おめでとうございます」
 初めて会った人に、真摯な祝いをもらう。
 ゾロは本気で不思議な気持ちを受けつつも、礼には礼を、と真摯に頭を下げた。
「ありがとう」
「ヨホホホ、貴方のこれからに幸あらんことを願って、一曲いきましょう!」
 颯爽とバイオリンを構える姿は、とても絵になっている。
 おおお、と喜びの声を上げたのはルフィ達だけではなかった。遠巻きにこちらを観察している生徒達からも、どよめきが上がる。
 それだけこの教授の音楽に対する希少性は凄いのだ。…なにせ、行方不明だったので。
 ブルックがバイオリンを構え、振り回すように持っていた弓をそっと楽器に添わせると、想像もしない豊かな音が流れ出した。
 そんなに大音量というわけでもないのに、その音はどこまでも響き渡り、時折聞こえる葉ずれの音すら巻き込んで、耳に心地良く入ってくる。
 曲はとてもありきたりな、BDソングだった。
 だが編曲が随分となされているようで、繰り返すメロディは華やかに和音が重なり、それだけで身体が弾んでくる。  伊達に名誉音楽教授などになっているわけではない。
 時にメロディに合わせて歌詞を口ずさみ、ルフィ達などは身体をゆすって踊りたそうにしている。
 不意に、ゾロの耳に掠れたような声が響いた。
 いつの間にか隣に座っていたサンジが、小さく小さく唄っている。
 何度も何度も、誰にも聞こえないようになのだろうか、微かに揺れる唇で、吐息をつくように囁いている。
 〜Happy Birthday to you
  Happy Birthday to you
 何故だかその声がブルックの奏でる音に混じり、とてもはっきりと聞き取れる。
 掠れさせた声は、記憶にある夜更けの囁きにも似て…
 ゾロはそっと目を閉じた。
 それは一見すると、ブルックが奏でる音を、無心に聞いているように見えただろう。
 けれど、ゾロの耳はもう一つの音である声を、求めるように聞いていた。
 Happy Birthday dear ……
 Happy Birthday to you〜
 繰り返されるそれを、しっかりとゾロは受け止めた。
 目を開けると、サンジがこちらを見ている。どこかいたずらっぽく、人が見れば少しからかい気味な笑みにさえ見えそうな表情で、それでもサンジはゾロを見ていた。
 だからゾロは小さく口元に笑みをはいて返事にする。
 それでいい。
 それだけで充分、サンジには伝わる。出会った瞬間から、それを二人は知っている。
 出会って重ねた月日は短いかもしれない。だが、出会う瞬間だけを長く…とにかく長く待ち続けた過去があるからこそ、分かることもあるのだ。
 一緒にいられる今の時間が、どんな形であれ愛おしい。
 ましてや、同じように出会った瞬間から、親しく付き合える仲間のような者達に囲まれて過ごせる時間となれば、値千金。
 ブルックの奏でる音色が終わると同時に、ゾロは飲み物を取る素振りで、そっとサンジの手に指を重ねた。
 少し冷えた指先が、ちょっとだけゾロの温もりを奪っていく。
 サンジは笑ってそれから拍手をするために、手をすり抜けさせた。
「すげーな、ブルック教授! ただのバースデーソングには思えなかった!」
 盛大な拍手があちこちで湧き上がる。それに一々大仰に頭を下げ、ブルックはヨホホホホホと笑う。
「それにしても、全知の樹の下は気持ちいいですねぇ。この子もとても気持ち良く鳴ってくれました。良い日を私ももらいました」
 愛おしそうに楽器を見つめ、ブルックはゾロを見た。
「貴方の誕生日のおかげですね、ありがとう」
「…おれより、ここにいる皆が許可取ってきたんだ、礼ならこいつらにだろう。だが、貴重なものを聞かせてもらった。ありがとう。礼を言う」
 再度きちんと頭を下げたゾロを、ブルックはとても嬉しそうに見つめ、うんうんと頷く。
 そうして、他の皆に勧められるまま緋毛氈に腰を下ろしたブルックは、今度はサンジの弁当に目を飛び出させる程に驚いて、調子にのってそれから二曲も続けてバイオリンを鳴り響かせたのだった。



 昼休みの時間は短い。
 ブルックが合計三曲も弾き、お弁当をそれこそ貪るように食べていると、遠くから予鈴が鳴りいた。
 昼休みの時間だけは、三学部共通だ。
 特に中学部と高等部は五時間目がきっちりと入っている分、融通も効かない。
「お、お前等は時間だな」
 変態のくせにきっちりと時間を守る教師の鑑が、サングラスを上げて図書館の前に付けられている時計を眺め見た。
「おれは午後は講義ないんだよな」
 ニコニコ顔でエースが楊枝を口の端でゆらゆらと動かす。
「ずりーよなぁ、エース達は。授業好き勝手に決められるんだもんなぁ」
 ルフィがブーイングを出せば、大人組みが笑った。
「バカめ、俺たちは通り過ぎてきたんだよ、今のお前達の時間を。俺たちの年になったら、お前等がそう言われるんだから今のうちはしっかり勉強しろ、べーんきょー! お前はもうちょっと勉強しねぇと、進級できねぇぞ!」
 ルフィの頭を押さえつけるようにガシガシとかき回せば、呆れたようにナミが溜息をついた。
 実際ルフィの成績は凄まじい。
 悪いといえばとことん悪いのに、ここぞという時は異様に良いのだ。
 あまりの落差に、本当に理解しているのかいないのか、で教師達の間でも悲鳴混じりの評価となっている。
 本人はヤマ勘が当たったとかどうとか言っているが、それだけでは語れないくらいの落差らしい。
「エースもちゃんとルフィの勉強見てあげて。でないと、本当にルフィ落第しちゃうわよ」
 ナミが遠慮なく言い切って、残っていたお茶を飲み干す。
 どっと笑いごとではないのに笑いが上がるなか、サンジが急いで片づけを始めると、そっと白い手が遮った。
 見ればロビンが笑っている。
「ここは私達が片づけていくから、あなた達はもう校舎に戻りなさい。ここの使用許可はあと30分あるから、ブルック達ともう少しゆっくりして私らは戻るわ。お弁当のお重は後で生徒会室に戻しておくわね」
 その申し出に、目をハートマークにしながらサンジが盛大に感動もあらわに頷く。
「うわーっ! やっさしぃいなぁ! ロビンちゃん!」
 教師をちゃん付けで手放しに褒めるのもどうかとその場にいた全員が思ったが、あまりにサンジらしくて誰も突っ込めない。
「あ、でも片づけはエース達にやらせればいいからね! お前等お重を壊すなよっ! 壊したら、弁償させるからな!」
 でれっとした表情を見せたかと思うと、一転エース達にどこのチンピラかと思わせる表情で脅しまじりに言う。
 本当に男と女の扱いには、天地の隔たりがある。
 が、これもまたサンジそのもので誰も何も言わない。
 苦笑した次がある面々が立ち上がると、まだ弁当を食べ途中のブルックが、うやうやしくサンジにお弁当の礼を告げた。
「こんなに美味しいお料理が食べられるなんて、なんて幸せなんでしょうか。ありがとうございます。サンジさんは良い料理人になりますね」
「当然だろ、こいつはコックだ」
 その礼に、ふわぁと欠伸混じりに応えたのはゾロだ。
 え? と全員が見つめる中、自分が何を言ったのかも理解していない様子で、しかしそれがさも当然だといわんばかりにゾロは立ち上がる。
 ここにいる誰もがゾロとサンジがどんな仲なのかは知らない。
 二人ともまったく自分達のことを教えようとはしないからだ。
 いつもいつも本気の喧嘩と罵詈雑言の嵐で周囲を翻弄しつつも、けれどこういう何気ない所で、二人がとてもお互いを知り尽くしているような関係性を覗かせる。
 思わずどういうことかと見比べてしまうのは無理もないことだろう。
 だが、二人はそれを当たり前のこととして受け流して、それ以上を詮索すらさせてくれない。
 どういう仲なのか。
 でも、芯の部分では絶対に仲が良いことだけは分かる。
 本当は、それだけでいいのだと、ここにいる者達は理解しているのだ。…けれど、気になるものは気になる。
 しかし二人は全くそれらを無視し、ゾロに至っては自分が言った言葉すら忘れたように硬直した周囲を無視して大きく伸びをした。
「…ここで昼寝できたら最高だろうな」
 なんてことない風に天を見上げる。
 大きな枝が空を覆い、葉陰から今日の青空を透かしたそこは、本当に美しい緑と青と輝きのコントラストを見せている。
 思わず全員が空を見上げた。
「んじゃ、今度は、全員で昼寝の為に集まってみるか?」
 いたずらっぼく告げたウソップに、何故か全員が真面目に頷いた。
 この場所を確保するのに、どれだけ大変だったか。それが分かった上で、それでもそう思ってしまう程にこの場所は心地良いのだ。
「なら、計画また立てよう」
 エースがなんてことないように言えば、おう、と簡単にいらえが返る。
 ゾロの口元が酷く楽しそうに持ち上がった。
 これから、があるというのが、妙に楽しい。
「…ありがとよ。いい誕生日だった」
 そう告げれば、全員からニッカリといたづらっぽく笑いが戻ってくる。
 ゾロの為に動いて、全員がとても楽しかったのだと分かる笑顔。それが一番の、もしかしたら自分へのプレゼントかもしれない。
 そう思いながら、ゾロは緋毛氈から真っ先に下りた。
「んじゃ、後よろしくなー!」
「お願いしまーす」
 口々に言いながら、中・高組みが各校舎に向けて歩み出す。
 周囲にいた生徒達も、既に銘々校舎に戻って行っている。最後まで、片づけに後ろ髪を引かれていたサンジは、ロビンが頷いてみせるのに、小さく照れ笑いをして思い切ったように立ち上がった。
「美味しいお弁当をありがとう」
 ブルックとロビン、エース達が揃って言うのに、サンジは小さく笑って片目を細めた。
「おう、美味かったろ? 今日は特別料理だったからな」
 自信満々にサンジは胸を張る。
「ゾロの為の料理だったからか?」
 エースがニヤニヤと笑って言えば、サンジはバカめ、と本気のしかめっ面を見せた。
「誰の為でも一緒だ、祝いの料理ってのは、そういうもんだろうが」
 確かに今日の料理を食べた全員が、美味しいと感じる料理だった。
 誰かのためだけでなく、祝おうとする人達までも含めて幸せになれる料理。
 それこそがサンジが作る料理の料理足るものなのかもしれない。
「…本当に、良い料理人ですね」
 目を細めて囁いたブルックの声が聞こえたのかどうか、サンジは立ち上がると先に行くゾロ達の後を追って走り出す。
 軽やかな足取りはすがすがしいまでに早い。居残った者達の前でサンジはすぐに合流してしまう。
「でも絶対、ゾロの為の料理だから美味しいってのはあると思うんだよなー」
 ゴロリと横になったエースに、含み笑いを漏らしたロビンが同意した。
「そうね。でも、案外…今日の料理は本当に私達の為だったのかもしれないわよ」
 お重を纏めながらそう言うと、手伝い出したフランキーが、ふうん? と促すような相槌を打つ。
「だって、いつもサンジはゾロの夕食を作っているのでしょう?」
 ああ、と納得いったように全員が頷いた。
 そうだった、今日を特別にせずとも、サンジは毎日ゾロに料理を作っているのだ。
 それこそ、ただ、ゾロの為に。
「今日の夕飯は、いったいどんなものなのかしら? きっと、もの凄く、ゾロのことを考えた料理になるんじゃないかしら」
「……贅沢だな」
「羨ましいぜ、ロロノア」
「ヨホホホホホ、若いっていいですねー!」
 ブルックの言葉に、思わず顔を見合わせ、三人は納得して歩いて行く子供達を見送った。

「うおっ、時間ねぇ! 走るぞ!」
 予鈴から本鈴までの時間の余裕は少ない。
 時計を確認したウソップが大慌てで走り出す前に、中学生組みは走り出していた。
「またなー!」
「おう!」
 走り出しながら、サンジはゾロの隣にすっと近づく。
 そうして、チラリとゾロを見ると、仕方なさそうに囁いた。
「…ブルックに弁当やっちまったから、後でお前の家にいく」
「冷蔵庫空だ」
「使ったからな、おれが。買い出ししていく」
 食費を渡したら、多分この男は怒るのだろうな、とゾロはさすがに気付いた。なら、渡すべきものは別にある。
 胸ポケットを軽くさぐり、ゾロは何一つ飾り付けられてもいない銀色の物を取り出した。
 あっさりとサンジへと投げて寄こせば、過たず彼は受け取った。
「やる」
 小さなそれは裸の鍵。
「しゃーねぇ。お前の誕生日だしな。もらってやる」
 偉そうに言う男が笑うのをゾロは眺め、頷いた。
「そうしろ。おれの誕生日だからな」
 吹き出したサンジは、そのまま足を速めた。ウソップを軽く抜き去り、「お先!」とトップスピードで駈けていく。
「ずりーぞー! サンジー!」
 叫ぶウソップをゾロも追い越し、上がる叫びを聞き流して走り去る。
 今日の授業が済み部活を終えて戻ったら、そこにはサンジがいるのだろう。
 偉そうに笑いながら、きっと小さな座卓の上には昼の弁当に負けないくらいの料理が並んでいるはずだ。
 貰えるものは、全部貰う。
 そうしても良い日なのだというのだから、躊躇うものか。 
 贅沢な1日だと、やっと理解して。
 ゾロは数時間後の未来を確信して、全知の樹が見守る校舎へとサンジと並んで飛び込んだ。 



終了(12.01.15)




ブログで4回に分けて連載させてもらった代物です。
とにかくこの二人は痒い。出来上がってるのに、まだ出来上がりきってないんですよー、という痒さが好きな二人だったりします。
また書けて嬉しかったので、そのうち、また形にできたらいいなー。
…そしてプロミスの2はどこだと言われたら、製本させれている代物だというね…不親切ですみませんが、別に読まなくてもこの話はこの話で大丈夫ですので、ご安心ください(笑)
ゾロ誕仕様でした。無理矢理とか言わない! おめでとう、剣豪!



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