木っ端微塵という言葉があるが、まさにその日、ゾロは木っ端微塵にされていた。 
 ゾロが通っている剣道場はかなり古く、また通ってくる子供達は少ない。けれど、大人達は沢山いて、中でも先日から世界一という称号を持つわけの分からない男が上がり込んでいた。 
 暇つぶしなんだそうだ。 
 それをニコニコとコウシロウ師匠は受け入れていて、ゾロは驚いたものだった。 
 まったく竹刀一つ手にしないその男に、ゾロが向かっていったのはもう当然の成り行きで。 
 しかし、小学六年生とはいえ、道場ではくいなと並んで大人顔負けの強さを誇っていたゾロは、世界一とはいえ負けるもんかと恐ろしい勝ち気さを持って挑んだ。 
 挑んだのはいいが、世界一はやはり世界一。 
 生半可な強さではなかったことを、木っ端微塵と表していいくらいの勢いで身を持って知ったのだ。 
 ただし、それを見ていた道場の大人達はまた別の感想を持っていたのだが、本人には関係なかっただろう。 
 なにせ小学六年生の小童が、世界一に挑んでこてんぱんながらも、とにかくしぶとく挑戦し続けたのだからその体力と無尽蔵の気力には天晴れとしかいいようがなかったのだ。 
 木っ端微塵というのがお子様ながらもゾロの実感とすれば、見ていた大人達は、世界一の鷹の目は容赦ないというより大人げない。 
という一言に尽きた。 
 なんにしろ、相手に不足ばかりだったとはいえ、鷹の目は非常に満足してその日は酒を大盤振る舞いで呑んだらしい。楽しかったのだそうだ。 
 あまりにも容赦ない稽古に、さすがにぶっ倒れたゾロが目を覚ましたのは、もう夕方近くだった。 
 道場の隅に寝かされていた少年は、むくりと起きると、青あざだらけの身体を一瞬痛そうにさすり、しかし、ひょいと起き上がって道場に向かって一礼すると、呆気に取られている大人達にも礼を告げて、何事もなかったかのように帰宅の途についた。 
 さすがにコウシロウが送っていくと申し出たのだが、それにも 
「平気です!」 
 と元気に答えて道場着のまま、竹刀を収めた袋を肩にいつもの挨拶を残して歩いて出た。 
 
 あんまり見事に負けたからか、ゾロは恐ろしく清々しく…悔しさに身を浸しきっていた。 
 まさか世界一があんなに遠いとは、ちょっと思っていなかった。自分がどれだけ世界を知らなかったのか、カルチャーショックだ。 
 強い強いと言われていたけど、全然自分は強くなかったのだ。 
 それはもう、くいなに勝てなかった小さい頃以上に切羽詰まったショックだった。 
 身体はあちこちギシギシいっているし、歩く度に足も胸も腰も腕も痛い。 
 けど、それは負けたのだから仕方ないのだ。本当だったら、死んでいてもおかしくない。あれが刀だったら死んでる。 
 前に読んだ漫画では、刀で一刀両断にされて血しぶき上げて死ぬシーンがあったが、自分はまさにそれだったはずだ。 
 自分が弱かったというのを知るのは、さすがに嫌なものだった。痛みよりも、その事実の方がかなり痛くて、実際の肉体の痛みなんぞどうでもいい程に、実はうちのめされていたゾロだ。 
 舗装された道を、とぼとぼとそれでも歩いていた。 
 夕方のねっとりとした橙色の日差しが、ゾロを通して細長い影を地面に浮き上がらせても、ゾロにはそれが目に入ってはいなかった。 
 世界一になるには、どうすればいいだろう? 
 いつしかゾロはそんなことを考えていた。 
 自分は弱い。弱いなら、強くならなきゃ。 
 強くなるにはどうすればいい。負けなきゃいい。 
 負けない為にはどうすればいい。 
 …やっぱ、練習かな。もっと強くなるなら、それっきゃねぇだろう。 
 一歩歩くごとに感じる痛みに、眉を寄せながら、それでも一つ一つ、噛みしめるように考える。 
 強くなるには… 
「まちやがれ!このクソマリモっ!」 
 不意に甲高い声が耳元から聞こえ、反射的に仰け反って、ゾロは痛みに呻いた。 
 全身が痛いのだから、そんな動きをしたら響くのは当然だ。 
 しかし何故そんな所から声が聞こえる!? と振り向けば、歩いていた低いブロックの上に立つ小さな男の子に気付いた。 
 橙色の夕陽を浴びながら、キラキラと光りを反射させる金色の髪。くるりと巻いた左の眉尻。夕陽を吸って少し色を変えた青い瞳がきつい色を讃えてゾロを睨んでいる。 
 見たこともないまだ小さな子供だった。 
「   誰だ?」 
「サンジだ!」 
 やっぱり知らない子だ。 
 そもそも外人の子供に知り合いはいない。 
 首を傾げたゾロに、その子供は仕方なさそうに溜息をついてみせた。恐ろしくませた仕草だったが、金髪の小さな男の子がすると、妙に様になるような気がした。…気がしただけなのだが、そう見えてしまった。 
「おい、クソマリモ」 
 しかしその容姿に反して、金髪の子供は恐ろしく口が悪かった。 
「クソマリモってのはおれのことか、このグル眉」 
「ぐっ…グル眉!? それはおれのことか!」 
「おう、お前のことだグルグル眉毛。ところで、なんか用か?」 
 どう見ても、まだ小学生でもない幼さなだけに、あまり邪険にもできず、ゾロはうんざりとした様子でそういうと、その態度に子供は怒髪天をついたようだった。 
「お前むかつく! なんだよ!」 
 ブロックの上で地団駄を踏む幼い子供は、器用に片足を上げるとゾロを蹴りつけてきた。が、いくら体中が痛くても、それくらは避けられる。 
 避けたゾロに悔しそうにして、さらに小さな子サンジは口汚くののしった。 
 甲高い声だけに、なんとなくその憎まれ口もそこまで悪くは響かないのが救いだった。 
「だから、お前はなんなんだよ」 
「だからサンジだ!」 
「……あー…はいはい」 
 道場で小さい子相手をしていなかったら、切れていたと自分でも思う。 
 それでもきちんと立ち止まって相手をしているゾロに、サンジはひとしきりむかつくー!などと叫んだ後、手に握っていた小さな袋を投げて寄こした。 
 投げたといっても、それだけは少し大切に放ったといった方が正しいだろう。 
 それは過たずゾロの手に落ち、いい加減切れまくって肩で息をするサンジはそれを見ると、大きく胸を張った。 
「お前にやる!」 
 ゾロが袋に目を落とすと、そこにはこの近くの保育園の名前が書かれていた。 
 多分サンジはその保育園に通っている子なのだろう。 
 そういえば、時折保育園から道場に来る子供がいる。習いに来ているというよりも、覗きにきたり遊びに来たりしているだけなのだが、なんとなく保育園も道場と仲良くしているからか、オープンな付き合いで時間外にそんな風に遊びに行くことにそう煩くいっては来ないらしい。不思議な関係だったが、上手くいっているし、皆がそれを知っているので不問になっているらしい。 
 多分サンジもそんな子の1人なのだろう。 
「くれんのか?」 
「おう!」 
 袋の中身は匂いと触った感触から、お菓子だと分かった。 
 どんなお菓子かは分からないが、保育園生からしたらもの凄く大切なものではなかろうか。 
「そうか」 
 なんとなく、この子供がくれる意味が分かった気がした。 
 きっとこの子供は見ていたのだろう。自分がこてんぱんに負けていた所を。 
 それでこのオヤツをくれようとしているのだろう。 
 バカにしている、と怒るのは簡単だったが、なんとなくそんな風には思えず、ゾロはブロックに立って、ようやく自分の耳元くらいにくる子供に礼を言った。 
「ありがとよ」 
 受け取ってもらえた、と思ったからか、サンジは一瞬ほっとしたような顔を見せ、しかし次の瞬間キッとゾロを睨み付けてきた。 
「それはご褒美だからな! よく頑張ったご褒美だ!」 
 褒美? と疑問に思ったことを聡い子供はすぐに見抜いたらしい。 
「よく頑張ったらご褒美やるもんだろう? いいか! これからはおれがちゃんとご褒美をやる。よく頑張ったら、ちゃんとやるんだから…お前はもっとガンバレ!」 
 どうやら自分は励まされているらしい。 
 ゾロはマジマジとその小さな子を見た。 
 オレンジの光以外の要素でだろう、ほっぺが真っ赤になっている。 
 益々深まっていく橙色の光の中で、金色の髪が小さく揺れて子供の感情を伝えてくる。 
「そうか…頑張るのか…」 
「そうだ、お前はガンバレ。おれが見といてやる!それで…それで…」 
「よく頑張ったらご褒美なんだな」 
「そ、そうだ!」 
「…そうか」 
 負けたのを見て、何か思ったのだろう。 
 小さくゾロは頷いた。 
「なら、見てろ。おれは強くなる」 
 何かを誓うように、ゾロは青く澄んだ小さな子の目を見つめた。 
 その目の強さにか、小さな子供は一度フルリと震えると、きちんと目を合わせてきた。そうして逃げることなく、にらみ返し、大きくこちらも頷いた。 
「見てるからな…ずっと」 
「おう」 
「で、ちゃんと頑張ったらご褒美やるからな」 
「ああ、そりゃありがてぇ」 
 初めてゾロは笑った。何故か子供はまた大きく震えると、今度は全身で大きく腕を振り回し 
「わすれんなよっ!!」 
 と喚いて、ヒラリと塀を飛び降りると走り出した。 
 夕焼けの日差しの残り火が、まるで燃え上がったかのような、そんな一瞬の出会い。 
 
 まさかその言葉が、そのままプロポーズになっていたと気付くのは、それから16年後のことだった。 
 
 
 
終了(2013.1.27) 
 
 
 
 
突発ブログ書き殴り小話。逆年の差を書きたくなってしまったのでした。 
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