キスの日




 どうしたことか、最近子供に懐かれた。
 正確には、去年の秋口ぐらいに突然声をかけられて、オヤツだといって菓子を渡されたのが最初だった。
 道場からの帰り道にある日突然現れた金髪の子供は、それから頻繁に顔を出し始めた。
 出会った時には保育園児だった子供も、年が明けて少ししたら小学生になった。それと同時にゾロは小学校を卒業して、中学生になったのだが、それがまた気にくわない、と大暴れしたのは記憶に新しい。
 出会った時のこともあり、あれからサンジはゾロの道場での練習を律儀に覗き見ているらしく、時々鋭い感想などを話しかけてくることもあった。
 子供の素性は道場で聞いてみたらすぐに分かった。最近近所に出来た洋食屋の息子らしく、本人が名乗った通りサンジという。生まれは外国で両親も外国の人だが、育ちは日本という少年らしい。両親共に日本に店をひらいた今は、もしかしたら帰化しているのかも…とこれはよく意味が分からないがそんなことまで話てくれた。
 つまりサンジという子供は、日本育ちの今年小学校に上がったばかりの五歳児らしい。早生まれな為に躰が小さい、と本人は気にしているのだと言っていた。
 そんなことを気にする五歳児。
 ゾロにしてみれば、冗談だろうとしか思えないのだが、現実だから困る。最近の子供はませている。それをしみじみ実感した。
 この際自分もまだ子供だということは横に置く。
 サンジは大抵ゾロが道場から帰るのを待ち伏せして、細い通りを一緒に歩いて戻る。道場は住宅街から少しだけ外れた山際にあるので、大抵は住宅街に入った辺りでよく待っていた。
 そこから小道を一緒に歩いて帰るのだ。
 小道が終わる場所は大通りに繋がる地点で、すぐ先にサンジの親がやっている店が出てくる。だからゾロはいつの間にか毎日のようにサンジをその店まで連れて行く。そうすると自分の家まで早く帰り着くのが不思議だったが、それは良いことだから問題なし。
 何が楽しくて毎日毎日遅い時間を、まだ小さい子供が自分を待つのか。
 尋ねても、子供はフフンと偉そうに笑うだけだ。そして最後にこう言う。
「見ててやるって約束したからな」
 約束をしたのは事実だし、約束というものは守るのが当然だから、いつもゾロは「そうか」と言って終わる。
 その約束こそ、一方的にこの子供がいきなり言い出したことだというのは、頭から消えているらしい。
 あれは夕暮れ時、不意に金色の髪のこの子供が現れて宣言したのだ。「ガンバレ」と。頑張ったらご褒美をやるのだ、という真っ正直な宣言は、不思議とゾロの心に響いた。
 子供の戯れ言などとは口が裂けても言わない。そんな言葉ではなかったから、ゾロは受けた。見ていろと、そう告げたのだ。
 まあ、それ以外はめちゃくちゃ口の悪い、ただのませたクソガキだとは思っているのだが。
 しかしそんなゾロでも、最近少し気になっていることがあった。
 日暮れの時間だ。
 最近日暮れが随分と遅くなってきた。だから自分もついつい熱が入って練習時間が延びている。明るいからいつまでも道場に篭もってしまうのだ。
 けれど、その遅くなる時間、サンジはあの小道で待っている。
 それはちょっと物騒なのではないか、さらに言えば、少し可哀想な気がしてしまったのだ。こ煩いガキが何して遊んでいようが、今まで気にもしなかったが、サンジが待っているのが自分だと分かっているからこそ、気になってしまう。
 薄暗くなる時間まで小さな子供が一人でいるのも、絶対に良くないはずなのだ。それは道場の子達に対してコウシロウが口酸っぱく言っているのを聞いているから余計感じる。
 正直めんどくさい。
 ガキとはいえ、いっぱしの男の子。口は悪い、足癖は悪いし、小学生のくせにこれが結構強烈な蹴りを放つ。元々のバネがいいのだろう。
 そういう意味ではあんまり心配はしていないのだが、何しろあの金髪は目立つ。
 最近は一緒にいるのを良く見られているからか、道場でもあの金髪の男の子は可愛い可愛いと耳にタコができるほど聞かされているので、余計気になってしまう。
 かといって、サンジに待つなと言っても無駄だ。
 それは何度か言ってみたが、ことごとくあの小さな鼻でフフンとやっぱり笑われて終わったからだ。
 後で分かったが、その仕草は洋食屋の主人であるサンジの親の仕草そのものだった。
 小学生になって数ヶ月。そろそろ学校で友達なんかも出来た頃だろう。学校が終わって遊びにいくなんてことも、し始めてもおかしくはない時期だ。
 それでも待っているのは、もしかしたら剣道に興味があるからか? と一応珍しくやってみるか? と誘ってもみたのだ。だが答えは
「死んでもやだ。むさ苦しい」
 という万死に値する言葉だった。
 さすがにムッとしたゾロだったが、確かに似合わないような気もして、それきりその話をするのは止めた。
 サンジは両親の姿を見て、将来はコックになるのだと言っていた。多分それが似合いだろう。だからゾロは「ふーん」と言いつつ、それがいいと軽く答えていた。食いっぱぐれないのは、本当にいいことだと思う。
 ゾロは強くなりたいという目標があまりにも高くあり、それ以外はどうでもいいと思っている。というより、そうとしか思えない自分に最近気付いていた。だからきっと、食いっぱぐれ率が高いだろうと自覚した所だったので、よりそんな風に思ったのかもしれない。
 ゾロがサンジの話を肯定した時、子供はとても満足そうに頷いた。
 そうだろ、そうだろ、と今にもゾロの頭をなで回しそうな感じだった。
 やたら嬉しかったらしい。
 そうやっていつの間にか、当たり前のように並んで歩くのが日常になってしまっていた。
 誰も疑問も挟まないのかと、今更ゾロは気付いたが、事実誰も何も言わないのだからきっとそういうものなのだろう。
 ちなみに、こうやってなんでもかんでも適当に納得するから、ゾロは日常から取り残されているのだが本人はまったく気付かないので平和だったりする。 「ゾロ!」
 甲高い声が降ってくる。
 何故この子供は必ず塀の上に立つのだろうか。危ないとは欠片も思わない見事なバランスで立つ子供は、ふんぞり返っている。
「おう。人ん家の塀だぞ、下りろ」
 これが毎回の会話だ。
 でもすぐにはサンジは下りない。
「今日はゾロ凄く頑張ってたな。試合…勝ってた」
「道場の仲間相手だからな。あんなもんだろう。今度正式な大会があるからな、もうちょっと気合いいれねぇと」
「大会があるのか?」
「ああ」
「見に行く」
「あ?」
 振り仰げば、とても真面目な顔をした子供がしゃがみ込んで見下ろしてきていた。意外に近くに顔があってびっくりした。
「ゾロが頑張っているのは、ちゃんと見るんだ。…ご褒美やるんだからな」
 最近、この子供は小さいながらも簡単なオヤツを作る。
 甘い柔らかなお菓子は、ご褒美と称して試合などの後にゾロに振る舞われていた。まだまだ不格好なそれは、子供が作るにしては上出来でも、実際は大したものではない。
 けれどゾロはそれを、いつも必ず食べていた。
 優しい味は、動いた後のゾロにいつも優しく寄り添ってくれるようで、気持ちが落ち着くのだ。
「そうだったな」
 思わず笑った。自分でも意識していなかった笑みに、子供は一瞬目を見開き、ふいっと横を向くと唇を尖らせた。
 片目を綺麗に覆った髪が、子供の表情を隠してしまう。けれど、首筋が少し赤い。
 ひらりとサンジの身体が軽々と宙に舞った。
 反射的に手を出したゾロの腕の中に、小さな躰が吸い込まれるように下りてきた。
 軽々と抱き上げると、サンジは真っ青な瞳をキラキラと輝かせながら、ゾロを見下ろしてきた。
「おれは男だからな! アムールには、ちゃーんとしてやるんだ! それが男だ」
「………あむる?」
「この際、クソミドリには目をつぶってやる! だから頑張るんだ。おれが応援してやる」
「なんか良く分からんが、応援してくれるんだな。ありがとよ」
「ゆうしょーするんだろ」
「当然だな。それくらいは取らないと強くなれねぇ」
 抱き上げたまま、そう言うとサンジは手を伸ばしてきた。
 は?と目を見開いたゾロの前で、サンジは不自然な格好のまま、じたばたともがいてゾロの首筋へと手を絡めようとする。
 暴れるので合わせるように抱き込もうとすると、サンジはがしっと両足を開いてゾロの胴へ巻き付けると脅威のバランスでしがみついて、ゾロの顔を両手で掴んだ。
「えーっと、ガンバレのおまじないだ!」
 高らかに宣言すると、子供は素早くゾロへと抱きつき、その顔をゾロに寄せた。
 目を丸くしたままのゾロへ、子供は真剣な顔で目を閉じ、力任せにゾロに頭突きのように顔を突っ込んだ。
 ガチっと派手な音がして、ゾロの口にサンジがぶつかった。
 あまりの衝撃と痛みに仰け反りかけたゾロは、それでもサンジがいるからと踏ん張ったが涙目でよろけてその場に蹲った。
 しがみついた子供を思わず抱きしめたので落とすことはしなかったが、痛みは生半可なものではない。
 その間も、子供はしがみついてて離れない。
 その場に尻餅をついて、身体を安定させたゾロは、力任せに子供を引き離した。
 痛くてもう言葉もない。口の中が切れたのか血の味がする。
「いってーな! なにするんだよ、ゾロ!」
 それはこっちのセリフだ! と言いたかったが、ゾロは口を開けない。
 開いたら大惨事になりそうだった。
「どうだ! これでもう大丈夫だからな。今度の大会はゆーしょーだ!」
 へへん、と胸を張る子供はどこまでも偉そうで無邪気だ。一瞬殴り飛ばしたくなったが、どうにもそうもできない。
 こっちを見るサンジの顔に、どこか不安そうなものがあることが見えるからだ。どうしてか分かるからだ。
 あー、もう。
 ゾロは大きく息をつくと、頷いた。とにかく口が痛くて声は出せない。
 頭突きの何がおまじないなのかは分からないが、もうなんでもいいから帰ろう、帰そう、そうしよう。

 ずきずきする口を押さえながら、ゾロはゆっくりと立ち上がると、口を押さえてない方の手を差し出した。
 サンジは満足そうに手を伸ばしてその手を握る。
 そうして問題は何も解決しないまま、いつものように仲良く2人は歩いて帰る。

 ちなみに、それが実は2人の初キッスで、しかも2人してファーストキスだったと気付くのは、それから15年後のことだった。




終了(2013.5.23)




ブログで突発に書き下ろした勢いだけの逆年の差。第2弾でした。まさか続き書くことがあるとは思ってもみなかったです!



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