家庭教師なんてダイキライ?




 無言で手渡されたのは、丸いお盆だった。
 勿論お盆だけではなく、その上にはほっこりふんわり柔らかいと一目でわかる黄色い生地と純白の生クリームが目に眩しいロールケーキが乗っている。それだけではなく、さらに紅茶のカップに陶器の白いポットもだ。
 ちなみに、このポットの中身は多めの紅茶だが、茶葉は既に避けられている。渋さが変わらないようにとの気遣いだろう。本来なら、渋みの変化を楽しむ紅茶ではあるが、そういう状況ではないことが分かっているからだ。
 紅茶を煮詰めすぎてさらに渋くなったものを飲んだような顔つきで差し出すゼフに、サンジは黙ってそれを受け取った。
 いやもう受け取らざるを得なかったといっていい。
 高校に入って早三年目。
 二年に進級してみたはいいが、進級後の学力テストが帰ってきてからのゼフの表情は苦虫を噛みつぶしたまままったく変わらなくなった。
 金髪碧眼、背もそれなりにしなやかに伸び、西洋人そのままの姿だというのに、サンジの英語のテストは壊滅的だった。
 更に言えば、テスト自体の全体成績がよろしくなかった。
 それでも数学は平均点をクリアしていたし、他の理系もどうにか及第点を取っていた。しかし文系は全てにおいて平均点以下。
 総合順位に至っては、ド真ん中に手を伸ばしても届かないかも…というくらいのものだったのだ。
 さすがにゼフの渋面に返す言葉もない。
 見かねた店のスタッフ達がどうやってか、近くにあった大学の学生を一人連れてきたのが一年前。
 初夏になろうかというこの時期。
 サンジは人生初の、家庭教師というものに真っ正面から向き合わねばならなくなったのだ。


 家庭教師、といえば大人の女性で、優しく手取足取り…もしくは特別な所まで優しく教えてくれる天使のような…と人一倍妄想逞しくしていたサンジは、連れてこられた強面な上に顔面に大きな傷で片目を潰している大学生を見て、思い切り否定の大声を上げた。
 ちなみにその声とは。
「チェーンジっ!!」
 というものだったが、直後、
「綴りを書いて正解したらな」
 とその男に挑発され、
「んだとこらぁ、チェンジさせたらぁ!」
 巻き舌口調も荒くその場で店の連絡用ホワイトボードに『Chenge』と書き殴り、
「惜しかったな、『Change』だ」
 思い切り訂正をされたのが出会いだ。
 直後に無理矢理ゼフに頭を押しつぶされるように下げさせられ、店員全員からの「よろしくおねがいしまーす!」という大合唱に押し流されたのは当然の流れ。
 だいたい英語は何故、『え』なのに『a』と書くのか分からん。
 と大真面目に叫んでしまったサンジに、逃れる術などどこにも無かったのである。
 なんだかんだとその日から、週に二日。
 その男、ロロノア・ゾロはサンジの自宅バラティエの二階へとやってくる。
 家庭教師料には食事もついているらしく、いつもまずやってきてからサンジと二人で食事を済ませ、それからゼフに食後のおやつとお茶を手渡されて勉強という流れだ。
 最初はむかつく男だと、精一杯逆らいまくって早々に追い出そうとは思ったのだ。
 だが最初の食事の時、ゼフの用意した食事を本気で驚いた顔で見つめ、サンジに向かって
「本当にこれを喰ってもいいのか?」
と真剣に聞いてきて、当たり前だろうとサンジがバカにしたように言っても、有り難いと本気だと分かる口調で言うと、パンと手を合わせ、頬袋をぱんぱんにして物凄く美味そうに単なる焼き魚と煮物の夕食を平らげた。
 驚くことに骨一つ残さなかった。
 しかも、豪快なくせに食べ方はとても綺麗で、何より箸使いがいい。
 なんでもひょいと上手く持ち上げてしまう。絹ごし豆腐だってなんなく持ち上げたのには驚いた。
 何より、凄く美味いものを食べていると、その表情が語っている。
 それは一目みた瞬間、こんな顔を自分の料理でさせてみたい、という激しい欲求にも似た感情をもたらす代物だった。
 案外悪い奴ではない。
 そう位置づけて、とりあえず勉強を見て貰えば、多少スパルタで口は悪いし、腹も立つのだが…これがまた良く分かるのだ。
 徹底的に暗記しなくてはならないものは、理由もなく暗記しろと言って来る。つまりそれは考える必要が無い、ということで、何故だと聞けば
「お前が理数能なのは分かるが、これは法則があるわけではなく、そういうものなんだよ。だから暗記してそのまま覚えればいいだけだ。無駄に考えたら答えがなくなるタイプのものだから、暗記」
 とそれなりな答えをくれる。
 また法則があるものは、きちんと文章の法則として教えてくれる。
 つまりこの単語が来た時には、この単語しかこない…などという要は文法とか用例だ。
 1+1が2になるというようなやり方で教えてくれるので、混乱がない。
 成る程と納得すれば、飲み込みが悪いわけではない。なんとなくゾロが言いたいことも分かって、いい関係が続いていた。
 続いていたはずなのだが…。
 ドアの前で、サンジは大きく深呼吸をした。
 一年近くでサンジの成績は大きく飛躍した。分からない所は喧嘩しながらも、ゾロに聞けば教えてくれたし、それが分かりやすかったから更にあれこれもと質問し始めた。
 そうこうしているうちに、質問をする口実を探し出し始めたのに気付いたのはいつだったか…。
 今年は三年。受験の勝負の年だ。
 自分は料理の専門に進むつもりだったが、大学の栄養学系の学校に行こうかと真剣に考え出している。
 それもこれも、ゾロが剣道をしていると知ったからだ。
 片目というハンデを追いながらも、たぐいまれな体躯とその腕で大学でもかなりな強さを誇っているらしい。一度練習を軽い気持ちで見に行って、そのあまりの迫力にサンジは打ちのめされた。
 そしてそんな男の食生活が、凄まじく乱れているということも、つれづれと話をしていくうちに知った。なにせ、まともに栄養を考えた食事をしているのは、家庭教師に来ている時だけみたいなのだ。
 それでよくあんな動きが出来るなとびっくりしたのだが、確かに昔より傷の治りが遅かったりはするらしい。
 そういうことを聞いているうちに、ゾロに対してご飯を作りたいと思ってしまったのだ。
 実際二年の後半からは、サンジが食事を作っている。初めて出した時には、物凄く心臓が爆発するかと真剣に思ったくらい緊張した。
 料理はゼフ仕込みだし、昔から厨房に出入りしていたくらいだから玄人はだしなのは確かだ。
 だが、誰かに食べさせたいと思って作ったことは、なかった気がしたのだ。
 ゾロは何も言わずに差し出した料理を食べ、少し驚いたような顔をした。
「…これ、誰が作ったんだ? ゼフさんじゃねぇよな?」
 味音痴ではなかったらしい。
 思わずそっぽ向いてしまったサンジに、ゾロはその料理を作った人物を察したのだろう。さらに目を丸くして、がっつく勢いで完食してくれた。
 後で勉強の時間、珍しく料理の味付けが自分好みだったと彼にしては熱心に言ってくれて、サンジは内心泣き出しそうなくらい嬉しかった。ゼフの料理を食べるゾロを見ながら、きっとこいつはこの味が好きだと検討をつけ、必死に作ったのだ。
 それがきちんと消化されたことは、凄まじくサンジを勇気づけた。
 それからというもの、勉強もだがゾロと過ごす週に二日のしかも夜だけの時間が酷く待ち遠しくなった。
 指折り数えてゾロが来る日を待つようになった辺りで、ちょっと待てよ? と我に返ったのだが時既に遅し。
 二人きりで自分の部屋にいるということにまで、なんとなく意識してしまって掃除したり何故かベッドがある辺りを異様に片づけたりとか…ついついしてしまっている自分に恐ろしい勢いで自分で突っ込んでしまっていた。
「おーれーはっ!!何を期待してるんだーっ!!って期待してるのかよ?!マジかよっ!?おれの青春を返せーっ!!」
 頭を抱えてゾロの来る前日に何度叫んだことか。
 煩ぇ!とゼフに蹴られ続け、それでも掃除も料理もゾロが来ることをそわそわ待つことも止められず、今日まできてしまった。
 自分の部屋に戻ろうというのに、何故こうも心臓が口から飛び出るんじゃないかというくらいにドキドキしなければならないのか。
 部屋にいるのは、むさ苦しいはずの男だけだというのに。
「……おれの青春……」
 ついぽつりと哀しげに呟いてしまっても罪はないはずだ。
 サンジは自室の扉の前で赤くなる顔を沈めようと、何度も何度も深呼吸を繰り返し、今日ゾロに質問することを脳裏に反芻させまくった。
 その呼吸を、扉の向こうで頭を抱えて数えている男がいることなど、この時のサンジはまったく知らないのであった。

 
【サンジバージョン】終了(2014.4.8)







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