足音
[中編]




 島は奇妙な程の静寂に包まれていた。
 小舟で港に辿り着いてみれば、もう島人達は自分達になど見向きもせずに日常の生活を過ごしている。女がいなければ、興味はないらしい。だが普通に過ごそうとしている島の雰囲気は、異分子を排除しようとしている気配も見えた。が、だからといってあからさまな無視もない。
 ただ中途半端に静かなのだ。
 とりあえず船を繋いだ2人は、宿泊場所だと提供してもらった家に向かうことにした。
 なんとなく並ぶように歩きながら、道沿いにある開いている店をサンジは観察する。
 特に食料関係の店に置かれている内容は、把握しておかなくてはならない。
 買い出しはこの島での最重要事項だ。そのための費用はナミから預かっているし、今度の航海にどれくらい時間がかかるか分からないのだからこそ慎重に慎重を重ねるのは当然だった。
 なるべく沢山の食料と保存食を見つけて、更に島にいる間には保存がきくものを作っておかなくてはならない。
 ゾロのこともあって確かに半ば立候補で島に来たが、本当に買い出し等で自分がここに来なくてはならないのも事実だった。
 軽く店を覗いても、島に置かれている生鮮食品はそう悪くはない。しかし、あまり量はなさそうだった。ついでに言えば種類もあまり豊富ではない気がする。
 だがさすがに背後に森を従えているだけあって、時折珍しい山の幸は並んでいたりした。
 歩きながら店を冷やかし、注意深く辺りの様子までもを頭にたたき込む。
 静かな印象は変わらないが、そこに寂静感までもが漂うのを感じればただごとではない。
「…レディがいないっていうのは…本当のようだなぁ…」
 肩を落として自分こそが寂しげに言うサンジを、ゾロは呆れたように見たが何も言わなかった。
 それはゾロも気付いていたことだからだ。
 提供された家までの道筋はサンジが知っているので、彼について歩くしかないゾロだったが、店を回る後ろを歩きながらこの島の不自然さに一番とまどっていたのは彼だったろう。
 どこにも女性の影が見あたらない。その上、子供の喧噪すら耳にしない。
 女だけではない。子供の姿もないのだ。
 そのせいだろうか、男共の一様な声は騒がしさを醸し出しても雑多さがなく、耳に残りにくい。
 女だけではなく子供もいないというこの島の現状に気付いた時、ゾロはとてつもない不快感に眉根を寄せた。
 その事実はこの島に女がいなくなって、少なくともある程度の年数がたっている…ということを示しているからだ。
 それは、滅びを予告しているようなものだ。
 この島に、未来はない。それはもう、目に見えた現実として。
 なのに、残った者はここに居続けなければ行く場所もない。
 島人が鬱屈しても不思議ではなかった。
 ただ分からないのはどうして女がいないのか、ということだ。が、たかだか2週間だけ立ち寄る自分たちが立ち入るべき問題でもないだろう。
 不快なのは変わらないが、ゾロは徹底的にこの島の事情からは意識を排除することに決めていた。
 というよりも、島の事情より自分の事情の方が優先しただけだ。
 これから2週間、仲間であるコックと2人で過ごすという問題の方が遙かに自分には重大だった。
 例えどんなに不快な島であったとしても、ここに1人で残らなければならないだろうと思った時、ゾロは密かに安堵したのだ。
 多分、サンジは船に残りナミ達の護衛に回る。食料等の調達は確かにしなくてはならないが、それでも島でログを溜める自分と長々と一緒にいることはないだろう。
 1人になれる。
 覚悟を決めるのに、それは最適な時間だと思っていた。いや、もう決めていることをきちんと確認して、自分に言い聞かす時間が欲しかったのだ。
 まだ痛みを伴う一つの覚悟を前に、心をかき乱される自分をほんの少しだけでも休めるのも、必要だと思っていたのに。
 …いつからなのか。
 ほんの少しだけ目の端で捕らえた青年は、金の髪を揺らし、真剣にしかしどこか楽しそうに店を覗いてはいつの間にか用意していたメモに何事かを書き込んでは、たまに店主に声をかけて話しをしている。
 もう思い出すのも面倒なくらい、いつから、自分は、この男を目に入れていたのだろう。
 考えてもせんのないことをぼんやりと思っていると、険を含んだ視線でこちらをヤブ睨むコックが顎で先に行くぞとしゃくってみせる。
 憮然としながらも、黙ってそれについていきながら、ゾロは大きく息を吐き…ふと、踏みだそうとした足を止めた。
 静寂。
 いや、違う。音が…。
「ゾロ?」
 面倒そうに自分を呼ぶ声に、はっと我に返りゾロは近寄ってくるサンジに視線を定めた。
 耳元を過ぎる風が、いやに冷たく感じる。
 ちっ、と舌打ちしたゾロに、サンジがいぶかしげに辺りを見回した。
「…なんかあったのか?」
「いや…ただ…」
 言葉にはしにくい。
 一瞬だけ感じた。あれは何だったのか、しいていうなら、耳鳴りがする寸前の音がかき消える瞬間に似ていた気がする。なのに、その消えた音の奥に何か確実な音があったような気がしたのだ。
 鉄を切れるようになって以降、自分の感覚が変わったのは知っていたが、その時に感じる感覚ともまるっきり違うものだった。
「…なんでもねぇ。気のせいだろ」
 言いながら、ゾロは今度は自分が促すようにして、歩き出した。慌てて追うサンジはどこかとまどった表情だったが、ゾロは構うことなく歩いていく。
「まてこらっ!」
 結局並んで歩く2人の姿を、辺りにいた島人達がどこか怯えたような視線で見送っていた。



「ゾロ」
「おう」
 提供された家は、島の集落からほんの少し離れた位置に建てられ代物だった。
 やや高台に位置するその家は、思ったよりも大きく玄関から町の姿が一望できる。場所的には多分、町の中でも一番良い立地条件なのではないかと思えた。
 渡された鍵でドアの施錠を外すと、錆びた鍵は鈍い音を立ててその使命を解除した。
「2人でいるには、大きすぎるな…このくらいの家だと…一家族で十分使用できるだろうに、もったいねぇな」
 言いながら、煙草を携帯灰皿に落とし込み、サンジは肩を竦めた。
 外観から判断しただけでも、その家は大きい。サンジにはあまりなじみのない住宅だった。
 大きな三角屋根、横開きのドアは玄関の間口がやたらと広く、靴などいくらでも並べられそうだった。
 床が高く作られ、玄関を上がるのにも石の大きな足踏み台が置いてある。
 何よりもサンジが驚いたのは、玄関に入ったらもうそこが部屋っだったことだ。
 障子と呼ばれるらしい仕切のドアを開けると、広々とした畳というらしい絨毯の広がる部屋が広々と続いている。障子を閉めさえしなければ、玄関を入った瞬間、家の者達と顔を合わせることになるだろう。
「うっわ、広いっ」
 家の中なのに開放感がある。
「完全な和室作りだな」
 ゾロも半ば感心したように家を見回した。
 柱があるだけで、区切りがほとんど無い部屋は本当に広々としている。
「…個室がねぇ…」
「アホ、襖を広げればいくらでも個室はできる。それより窓開けて回るぞ、臭ぇ」
 眉根を寄せて言うゾロは、慣れた仕草で靴を脱ぎ捨てると部屋へと上がった。
 とりあえず2人して窓という窓を開け放っていく。
 その度に、新鮮な空気と風が面白いように家の中を通り抜け、一気に匂いが吹き飛ばされていく。
 これはこれでまた凄まじい開放感だった。こもっていた湿気までもが一掃された感じだ。
「…壁が殆ど窓じゃねーか…すっげぇな…おい。夜とか泥棒入り放題じゃねぇのか?」
「あー、外側に頑丈な板がしまってあっだろ、夜はそれを窓の前に立てるんだよ。それが壁になる」
「家の中でこんだけ風を感じられれば、湿気がある時には最高だな、おい。理にかなってるなぁ」
「床もある程度高いから、下まで風が通って湿気を避ける。家の中は自然と温度も下がるし湿気もなくなるってやつだな。…畳も空気を浄化するし、湿度の調整もする。定期的に掃除してるんだな、くさってねぇ…」
「この絨毯か? 変わってるな。でも歩いても気持ちいいぞ」
「そりゃそうだろ、なんでも人間に一番いい固さらしいぜ。そのまま寝ててもちとゴザ目がつくのが難点だが、躰にはいいらしい。藁と草だからな。寝汗もとってくれる」
 言いながら早速その場に横になる剣士に、サンジは呆れたように靴を脱いだ足でつついた。
「おいおい、横になるには早ぇよ。…詳しいな、お前。ここもお前の故郷に似てるのか?」
 片目を開けたゾロは、目を細めて頷いた。
「ああ、ここまでじゃなかったが、似てるな。畳も、板目の天井も。間取りはちと違うみたいだが、様式は似てる…多分奥に土間と台所があるはずだぜ…」
 なに? と急いで奥に向かうサンジから歓声が上がる。
 土間仕様なら、サンジにはあまりなじみのない台所が広がっているだろうが、ある意味レストランなどのキッチンと似たようなものかもしれない。
 本当に調理をする為に作られた空間だからだ。
 こういう家屋は役割に添った空間は徹底している。ちらりと見ただけでも、囲炉裏が続きの間の奥にあった。ということはそのさらに奥が台所だろう。
 団欒と食事は囲炉裏のある部屋で、その奥では調理を。
 確かに懐かしい空間だ。…だが、ゾロはむすりと結んだ口元を忌々しげにゆがめた。
 風を通して少しは匂いは薄らいだが、微かに鼻孔の奥に残るこの匂いにはあまりにも覚えがありすぎる。
 ……血の匂い。
「はえぇとこ、あいつを戻さねぇとな…」
 言いながら、ゾロは意識を手放した。


 道すがら買い求めてきた食材を適当に片付けたサンジは、本当に感心した様子で唸ってた。
「土間って…下土じゃねぇか。水飛ばして平気そうだし、掃除するのも楽そうだなぁ、火が飛んでも火事にもなりにくいし…まあ一応簡易ガスあるみてぇだけど。後は、出来上がりとかを持ち出すのがちと面倒なくらいか?でもそりゃ当然だろうしな…」
 こういう家は初めてだが、本当に良く考えてある。
 多分一番効率良く作られているのだろう。土間は広くこちらは家の壁があるが、ドアが勝手口として作られており、そのまま外へと行けるようになっている。試しに開けて外にでてみれば、どうやら井戸があるらしい。
 ぐるりとそのまま外を回ってみれば、台所の横には井戸を囲むように別棟で風呂が作られており、後は周りを庭で取り囲んでいるようだった。
 山に向かう庭の先には小さな細い道があり、もう獣道以下になっているその道をわざと通ってみれば、その先には、多分以前は畑か田んぼだったらしい広々とした空間があった。
 家に関しては興味をそそられまくりだったが、だからといってサンジもこの島に対して深入りするつもりは毛頭無い。
 自分とゾロに向かい合う、それだけである意味いっぱいいっぱいだったりするのだ。
「嫌われてるなら、それはそれでいいんだけとな…とりあえず」
 人と人の関係というものは、単純にして複雑だ。人が自分のことをどう捕らえているのかなど、気にしたことはない。それが素敵なレディというのなら、問題は全く別だが、野郎に何をどう思われようとも痛くもかゆくもありはしない。
 仲間に関しては問題外で、彼らが自分を受け入れていないということをサンジは考えたこともなかった。
 そして考える必要すらないほど、ルフィを含め全員が自分を一員として見てくれていることに疑問すら感じていない。彼らを信用できなくなったら、自分はもうお終いだ。それはゾロに関しても言えることで。
「…あいつが俺を認めてないわけじゃねぇのは…知ってんだけどよ…」
 ならば何故、ゾロは自分を避けだしたのだろう。
 誰に言ってもきっと信用してくれはしないだろう。それくらい慎重な変化は、ゾロ自身の意思を強く感じる。
 大きく息を吐いた時、視界の隅に鮮やかな色彩を見た気がして、サンジはふと顔を上げた。
 横の大きな茂みに、赤い布のような小さなものがはみ出している。それが、西日になりかけた陽光を弾いて、鮮やかに映ったのだろう。
 汚れたようにも見えないその色はこの寂れた場所には不似合いだったが、そういうものがあるということは、ここは別に立ち入り禁止とかではない証明のように思えた。
「誰か手入れしに来た人の忘れもんか?」
 拾ってみようかと、田んぼに足を踏み入れてみれば、思った以上にぬかるんだそれに深く足が沈み、そのまま倒れそうになって、慌てて畦に上がって断念した。
 もう夕刻だ。
 とりあえず、今晩の飯の支度をしなくてはならない。
 何もかもすべてはこれからだ、気を取り直して煙草を銜えると、汚れた足に情け無く目尻を下げながらサンジは大きくため息をついた。

(2006.8.16)




お…終わらないなんて…。
長くなったので、一気にいきます。




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