海にいても陸にいても、どこにいようと、生きている限り朝は来る。
それは、この島にも通用する常識だったらしい。
サンジは爽やかといっても差し支えない、澄んだ空気の中で全身に眩しい朝日を受けて大きく伸びをした。
身体いっぱいに冷ややかな空気を吸うと、気怠かった夜の空気と雰囲気が霧散していく。
軽く身体を動かして、空を仰ぐと今まだどこか白く感じる高い青空が緑の木々と絡み合うように広がっていた。
鬼
井戸の前に立ち、汲み上げた水を盥にひたす。
澄み切った水が勢い良く流れ込み、見ているだけで清浄な気分になる。
そっと手をひたすと、じんわりと体温を吸い出す水の冷たさが心地いい。躰の中に溜まっている重苦しい淀みをすべて洗い流してくれそうで、サンジは両手で水を掬うと顔を洗いだした。
「おらよ」
顔を上げたところで、タオルが飛んでくる。
片手で受け止めて顔にあてれば、大欠伸をしているゾロが近づいて交代しろと仕草だけで主張してきた。
文句を言う気にもならず進んで場所をあけると、ゾロは盥の水を豪快に辺りにぶちまけて適当な水打ちにして、新たな水を汲み上げて黙って顔を洗い出す。
その慣れた行動に、遠い昔ゾロがこれに似た生活をしていたという一旦を垣間見た気がして、サンジはぼんやりと剣士を見つめた。
「…さすがに早起きじゃねーか」
見ているうちに、くくっと笑いがこみ上げて、ついそう声をかける。まだ朝と言っても随分早い。いつもの剣士なら、必ず眠り込んでいて起き出すどころの話ではないはずだ。
軽く頭を振って雫を飛ばし、ざっと顔を片手で拭く仕草に反射的に使っていたタオルを差し出せば、ゾロは黙って受け取った。
「寝なかったのか?」
「……お前が起きとけっつったんだろうが」
タオルの間からジロリと睨まれ、サンジは肩を竦めた。
まあ確かにそんなことを腹立ち紛れに言いはしたが、まさか実践するとは欠片も思っていなかったサンジである。
「そりゃすまねぇことを言ったな」
まるっきりすまなく思っていない口調に、ゾロは憮然としたままタオルを首にかけ眩しそうに辺りを見回した。
「俺は寝るぞ」
「朝飯喰ってからにしろよ。今から作るから。…てか、良くこの家でくーすか寝る気になるよな、お前」
ゾロは片目を眇めるとニッと口元を引き上げた。いたずらめいたその笑みに、サンジはむっとしたように睨む。
「びびってんのか?」
「んなわけあるかっ!」
「怖いなら、船に戻れよ」
「誰が怖がるかっての!」
怒りマックスで睨み付けるガラの悪いチンピラ顔をこちらも凶悪極まりない顔で睨み返し、ゾロ鼻先で笑った。
「その割には、昨夜は寝苦しかったようだけどな」
図星を指されてサンジはぐっと押し黙った。
昨夜は足音が歩き去った部屋で一夜を明かした。足音が行った先がどこなのかは分からなかったが、進んだであろう部屋に行って眠るという行為をする気にならなかったのは確かだ。
なので、音が入ってきた庭に面した部屋に布団を敷いたのだが、ゾロは別の部屋に行こうとする。
布団を並べて寝るというのも嫌だったのだが、さすがに昨夜は別々になるのも嫌だった。あの程度で眠れなくなるというような細い神経はしていないが、だからといって気持ちのいいものではない。
なのに平然とどこかに行こうとするゾロにはむかついた。引き留めたいようなそうでないような、少しは一緒にいたいような、微妙な感情が一気にせめぎ合い、つい口に出したのが、
「お前見張りしてろよ、俺は明日も仕事が山のようにあるんだから寝るけどな!」
という実に理不尽な言葉だったのだ。
お約束で喧嘩になったが、何せ止める人がいないとああいうのはエスカレートする一方だ。
とっくみあいにはなったのだが、家を壊すのは言語道断。消化不良のまま喧嘩は立ち消えるしかなく、ふてくされたサンジが先に横になってしまったので、ゾロはそのまま起きていたらしい。
自分が言った言葉をそのまま、律儀に実行して。
「はっ、居眠りこいてて夢でも見たんじゃねーのか? マリモくんは」
誤魔化す意味も含めて、気怠げに躰を起こして背を伸ばすと、胸元から煙草を取り出して火を付ける。
大きく煙りを吸い込み、長く息を吐くと白い煙はゆっくりとゾロへと流れた。それを面倒そうに避け、ゾロは一度タオルを大きく振って息を吐いた。
「…いいけどな。寝るぞ、俺は」
いいながら、歩き出す剣士に、慌ててサンジが後を追う。
「だから、待てっつってんだろうが!」
台所の方に戻るゾロにならって家に入ったサンジの頭には、もう昨夜の落ち着かなさは綺麗に流れ去っていた。
ともすると、眠気に負けて瞼が落ちそうになる。
それをどうにか避けて欠伸をするゾロは、もう意地になっていた。
もう少しだから、絶対寝るんじゃねーぞ!
もうどうにもこうにも理不尽な命令にも似た嘆願を寄こしたコックは、土間で忙しく動き回っている。
土間型の台所は、その広さに似合って一つ一つの場所が大きくとってある。
何人もの人が並んで使える仕様のそこに、1人で立ってのびのびと料理するコックはとても楽しそうにゾロには見えた。
近代的な台所ではないので、多少面倒な部分もあるのだろうが、そんなところは微塵も感じられない。
それどころか、物珍しさもあってひたすら楽しんでいるようだ。
台所道具は、最初から揃っていた。さすがに包丁の類はすべて錆びまくって使えなかったが。それでも念のため、町で用意した万能包丁を持ってきていたので、不自由はないらしい。でもその他の道具は埃を被ってはいたが、使えなくはなかった。
昨日サンジがそういう代物を洗いまくって使用していた時には、大変だな、とふざけた感想しかもたなかったが、こうやって見ていると、それがどういうことなのか…と考えずにはいられない。
…考えてもらちのあかないことを考える人間ではゾロはなかった。
だが、考えておかなくてはならないような、そんな状況であることは確かなのだ。
二つの意味で。
一つは思考を、自分の中に向かないようにしておかなくてはならないからだ。これは結構切実だ。ならば、とりあえず自分1人だったならまるきり無視するこの状況のことを考えるのが一番だ。そして、もう一つは…
「おら、できたぞ! 寝るんじゃねぇっ、とりあえず食えっ! っと、その前に場所あけろっ」
いつの間にか落ちていた瞼を無理矢理開けると、差し込む朝の日差しに負けずとも劣らぬ鮮やかな金髪が目に入る。
それ自体が眩しく感じて目を細めたゾロに、訝しげにサンジが覗き込んでくる。
「マリモちゃーん、起きてまちゅかーっ? 朝ですよー」
「バカにしてんのかっ!」
「当然だろ」
大きな盆にところ狭しと並べられた小鉢の数々。そして大盛りの炊きたてのご飯と汁物。目の前に並べられるそれを見ているだけで、腹が鳴る。
その盛大な訴えんばかりの音に破顔して、サンジは箸を差し出した。
「待たせたな、食えよ」
「…おう」
徹夜明けで食欲が落ちる、などという繊細なことがゾロに起こるわけもない。豪快にご飯を詰め込む剣士は、それでも綺麗な食事の仕方をする。ある意味行儀のいいその食べ方は、様式美にあふれている。
得に、この島での食事の仕方は、ゾロの育った島と似ているのだろう。箸の使い方などは、ナイフとフォークで食事する時に比べても滑らかで、見ていて気持ちが良い。
マナーというものが食事にはある。美しい食べ方をしろ、とはサンジはついぞ思わないが、美味そうに綺麗な食べ方をしてもらえれば、嬉しくないわけがない。
「…お前は食べ終わったら何するんだ?」
ずずっと汁物をすすったゾロが椀の奥からこちらをみながら問いかける。
自分の食事を忘れてゾロを見ていたことに気付き、バツが悪そうに箸を持ちながらサンジは小さく唸った。
「うーん、とりあえず、もうちょっとここの台所片付けて、調理しやすくしてから買い出しに行こうとか思ってたんだけどな。新鮮な野菜とかの類の買い付けもしとかねーと出航の時に間に合わなさそうだしよ。ここ肉の類が少ないから、なんなら山にでも狩りに行かなきゃかもなとかも思ってんだけど、まあ…そりゃ後でいいだろう。色々と見て回らねぇとなんねぇから、やっぱ後からは買い出しかね」
ふーんと軽く返すゾロに、サンジはふと思いついたように顔を上げた。
「そうだ。お前まさか昼過ぎてからも寝てるこたぁないよな? 荷物持ちだ荷物持ち、起こすからな、起きろよ」
「…お前どんだけ人を使う気なんだっつの…」
むっとした顔のまま落胆するという器用なことをしてみせ、ゾロはいつの間にか平らげた茶碗の中に箸を投げ入れた。そのまま背後へ仰向けのままばったりと倒れ、盛大な寝息を立て始める。
「速攻かよ、アホ緑。寝腐れは寝腐れらしく、我慢なんぞせずに寝てりゃあよかったってのに…」
何故昨夜は寝なかったのだろう。どうも自分とは違って、あの程度のことで落ち着かなかったり、眠れなかったりということはまずない奴だ。寝ようと思えば、あっさり寝てしまっていたはずだ。そしてきっとどでかい地震があっても起きない。
それなのに、昨夜は寝らずに不寝番をしていてくれた。どうやら、寝ていた自分の様子を見ていてくれたようでもあるが、何故そんなことをするのだろう。自分を避けようとしている人物が。
「…俺が寝るなって言ったから…か?」
不思議とゾロは言われたことはきちんとこなす。それは自分や他の者達の頼みでも同じだ。
そして、ここぞという時にはゾロはとても面倒見が良くなる。なんだかんだ言って、頼られたりすると断れなくなるし、また気にもなるらしい。
多分ゾロは、昼からの自分の買い出しにもブツブツ言いながらでも、きちんと付き合うのだろう。彼の中の許容範囲はまるで読めない。それはルフィにとても良く似ている面の一つだ。
狭いようでいて、実はどこまでも広い。
わっかんねーよ、お前のことなんて。
行動や態度の違いはこんなにもはっきり分かるのに、何を考えているのかだけがいつまでも分からない。
そしてそんなゾロのことを、いつまでも考えている自分のことも、どうしても分からない。
でかい鼾をかきはじめている男を眺めながら食事をする趣味はまるでないというのに、いつの間にかサンジはそれを、穏やかに受け入れてしまっている。
「なんでかねぇ…横たわったネギ坊主男にゃ、用はないはずなんだがなぁ…」
首を傾げながら、朝の日差しが眩しく入り込む囲炉裏の部屋で、サンジはゆっくりと炊きたてのご飯を口にして、うん、と大きく満足した頷きを落としたのだった。
身を震わせるような殺気に反応して、ゾロは刀を振り上げた。
重い衝撃が腕に伝わり、痺れるようなふるえが走る。
「…てんめぇえっ」
凶悪という言葉を体現したらこうなる、という見本のような顔を見せたゾロがゆっくり目をあけると、そこには上機嫌な顔をしたスーツ姿の青年が立っていた。
「よーう、寝腐れマリモ。お目覚めかい?」
実際、あれで起きない人間がいたらお目にかかりたい。
普通ではめったに遭遇できない類の、それは殺気だった。それをあっさり霧散させ、目的を達成したコックは笑っている。
チッと舌打ちしたゾロに、反射的に凄むとコックは銜えていた煙草からプシューッと煙吐いた。
「もう昼過ぎたぜ。よーくお眠りだったじゃねーの。もういいだろ、いくぜ買い出し。ついでに町でなんか食おうぜ、材料もうなーんもねーんだ」
「…何が良く寝てただ…」
小さく呟くと、ああん? とサンジが聞き返してくる。それを片手で払いのけ、ゾロはのっそりと躰を起こした。澱のように残っている疲労感を捨てるように、大きく息を吐き3本の刀を手に持つ。
ふと、3本のうちの1本を手にしたときにだけ、ゾロは目を細めた。
赤い刀。
ギュッと一度だけ強くそれを握り、腰に差す。準備といえば、ただそれだけだ。
バリバリと頭をかきながら、大あくびをする男はサンジと買い出しに行くことを、やはり疑ってもいない。
「お前は片付けとか終わったのか?」
「とっくにな。もう材料さえ揃えれば、なんでも作れるぜ?」
煙草を銜えたまま、ふふんとふんぞり返るコックを呆れたようにゾロは見たがそれ以上は何も言わなかった。
サンジはそれにわずかな微笑みを浮かべ、くるりと踵を返した。歩き出せば、黙ってゾロはついてくる。
2人して無言のまま、しかし不自由を感じない距離を実感しながら2人はゆっくりと町へと歩きだした。
ほんの少し薄い雲が覆っているが深い青さが広がる蒼天に、大地の濃い緑が落ちている。
地面から立ち上る陽炎に、横たわる影までもが揺らめいて、それだけで汗が噴き出しそうになる。
さすがに暑いからか、サンジは上着を脱ぎ片手で肩にかけるように持ちひらひらさせながら歩いている。ひょこひょこと軽い足取りで歩く姿からは、暑さに参ってるような感じはみられない。
そういえば、ビビの国アラバスタでも、サンジは暑いとはいいながら結構平気で動いていた。
自分やルフィと同類で、彼もまたかなり丈夫な人種なのだろう。
「町までぼちぼち歩いて10分弱ってところか。坂になってるから、家から出て歩くには快適。…立地条件としては、申し分ない、と」
歌うようにそう呟いて、サンジは後ろを歩くゾロへ肩越しに振り返った。
「あそこは、かなり良い家だよな」
「…そうだな。少なくとも、町の中でもかなりいい家だろうな」
昨日通った道沿いの民家の中でも、確かにゾロ達にあてがわれた家は大きくてしかも良い住宅だと言える。
「手入れはされてる。まあ台所の中身までではなかったけどな。台所用品とかはとりあえず揃っていたけど、それも大きなものばかりで、個人を特定するものはほとんど無かったな。あれはこの島でなんかあった時とかに持ち出して使ったりしてんじゃねぇか? 皿とかもあったけどそんな感じの大皿か小さい小皿が殆どだったし」
皿の大きい小さいがどういうことなのか、はっきり言えばゾロにはちんぷんかんぷんだったのだが、なんとなく言わんとしていることは分かる。
「でも人が住んでいたらしい荷物は何もない」
足を止め、サンジはそのまま歩くゾロを待つ形で彼をまっすぐに見た。
「あそこには、人が住んでいたよな」
確信だ。あそこは集会所でも、宿泊所でもなかったはずだ。あそこには、紛れもなく誰か家族が住んでいたはずなのだ。
迷うこともなく、そう言い切るサンジに、ゾロは静かに目を伏せた。
「ああ」
そのままサンジの横を通り過ぎると、サンジもまた今度はゾロを追うように歩き出す。
「やっぱりお前もそう思うか。だよな…って、あ、ちょっと待て、あそこの雑貨屋に用があったんだ!」
言うなりゾロの腕をとって方向を示し、サンジは有無を言わせずに走る。引きずられて舌打ちし、ゾロは仕方なさそうにサンジの後を追った。横に並びながら、不寝番をしている間に思ったことを聞いてみる。
「でんでん虫は売ってねぇのか?」
「…お前の口からでんでん虫とか聞くと、なんか物騒に聞こえるな…。またなんで?」
不思議そうに尋ね返すサンジを、ゾロは胡散臭そうに見返した。
「お前が一番欲しがりそうだと思ったんだが? ルフィ達に連絡するのにいっだろ。こっから船なら…小でんでんでもいいんだっけか?」
「うーわー、お前から建設的な言葉が出ると、この世の終末を見る気分だぜ」
いいながらサンジは小さな雑貨屋の敷居をまたいだ。
「まあ、この島からなら小でんでんでも大丈夫かもしれないが、問題はそこじゃねーよ。でんでん虫買う余裕が、ね・え!」
建物自体は小さく見えたが、内は結構な広さがある。
沢山並べられた陳列棚には、ありとあらゆる日常雑貨が細々と整理されているのかと疑問に思う程積み上げられ、天井からもザルや鍋やロープなどが吊り下げられている。
「ねえって、買い出し用に金預かってきたんだろ?」
「アホ、こりゃあくまで食料調達用の軍資金なんだよ。麗しのナミさんがそんな無駄な金の采配をするかよ!」
「-----要するに、俺らの生活費すらでてねぇってことか?」
ふふん、と笑いながらもどこか痛々しくサンジは煙草を揺らした。
「ナミさんがおっしゃるには、だ。…宿泊代だけでも浮いて助かるわ、後はサンジくんの腕でよろしくねv だと。俺って信頼されてるなぁvv」
目と煙をハートにしてメロリンメロリンと躰をくねらせる男に、哀れみの眼差しを惜しむことなく注ぎ、ゾロは天井を仰いだ。
ふと、その目が天井に移ろうとして、鋭さを帯びる。
視界の隅、天井の端。…何かある。
背筋を這い登る違和感にも似た、奇妙な寒気が走る。まとわりつくようなものではない。だが、明らかに異質なものとして、ゾロは感知した。
大きな梁が母屋の方と重なる辺りだ。油断なく視線をそちらに走らせる。しっかりしているはずなのに、奇妙な不安定さを感じさせる 何か。
「おい、聞いてるのか!? クソ剣士」
やや暗い中にあって、目に鮮やかな朱の…
「ゾロ!」
大声にはっと気をそがれて視界がぶれた。急いで何かを感じた場所に目をやったが、そこには何もなかった。目の錯覚か? ともう一度見直してみたが、やはり先程認めたような、鮮やかな色彩のものはない。
「…何かあったのか?」
見上げたまま何かを確認するような視線を送るゾロに、サンジも落ち着かなげに同じ場所を見上げたが、勿論そこには何もない。ゾロはどこか困惑した様子のサンジにちょっと苦笑し、首筋に手を当てて首を倒した。
「あー、見間違い…か?」
「俺に聞いてわかるかよ、見間違い? 何を」
「さぁ」
ゾロは片手を腰の刀に預けたまま、まだ梁の辺りへと視線を彷徨わせている。やれやれ、と肩を竦めたサンジは気分を入れ替えて棚を見ようとして、
「うをっ!?」
と小さく悲鳴をあげた。
「いらっしゃいませ」
目の前には、いつの間にかまだ若い青年が立っていた。
ひょろりと縦に長いその青年は、それでもまだサンジやゾロよりも背は低い。店の奥から出てきたばかりなのだろう、つっかけに重そうな前掛けをした姿は、どこか暗く溌剌としたところがない。あまりにも影が薄い感じに、気配を感じるどころではなかったのだろう。
「…あなた達が、昨日きた客人ですか」
それでもそれなりに好奇心はあるらしい。ジロジロと2人を品定めに近い視線で見回し、頭を下げた。
「すいません、つい珍しくて。客人を見るの…俺、小さい頃以来で…」
ぽつぽつと喋る話方も、どうにも覇気がない。
2人は顔を見合わせた。そうして視線だけで頷きあう。
「ふーん、お前幾つよ?」
軽い調子でサンジが聞くと、青年はほんの少し目を見開いてサンジを見た。
「…今年で、16になります」
確かルフィも同じ年だったはずだ。そう思いながら、同じ年でのあまりにも大きな差に2人は目を見張る。自分たちが同じ19歳と会えば、やはりその差は大きいはずなのだが、困ったことに同じ年の2人は同じような人種であった為に、いまだその自覚が薄い。
「へぇ、小さい子はいねぇと思ってたけど、そのくらいの年の子はいるんだな」
「俺が、最年少です。俺以降、生まれた子は何人かいましたが、全員亡くなりました」
「亡くなった?」
思わず聞き返したゾロに、今度は怯えを含ませた視線で見返し、青年は頷いた。
「女の子だったので」
「え? レディ? なんで? 女の子だろう?」
かなり暗い色を目に漂わせ、青年の口元に微笑のような歪みのような表情が滲む。
「女の子だからですよ。知らないのも無理ありませんけど、この島では女は育ちません。皆死ぬんですよ。………この島には、『鬼』が出るんです」
「鬼?」
見事にハモって問い返した2人に、俯いたまま視線だけで見上げてきた青年は恨みがましい目つきで2人を見た。
「そう、『鬼』。男には見えないし、なんの害もないから、最初は皆何があったのか分からなかったらしいっすよ。でも、何人も何人もの女の人が発狂して、わけの分からない殺され方したりしたら、わかるでしょう? なんかあるって」
「それが『鬼』だと?」
「それ以外に何があるっていうんです? 病気じゃない。女にしか発祥しない病気などだったら、殺されたりはしなかった。男の目の前で、いきなり死んだりとかはしないでしょう? 外に逃げようとした人もいたみたいだけど、この島は閉ざされてる。グランドラインを渡るような船はここにはない。渡れる技術を持つ人もいない。…訪れる人も、またいない。その現実に耐えられなかった女の人もいたみたいですよ。どこまでが自殺なのか、殺されたのかの判断もつかない」
ふぅっと煙草の煙を吐き出しながら、サンジは恨めしげにこちらを見ながら話す青年を見据えた。
「誰か殺して回ってる殺人者ってのがいたわけじゃねぇのか?」
「殺人者? いるわけないでしょ。いたとしたら、一体何人いなきゃならないのかと当時の大人達は頭を抱えてましたよ。小さくてもそのくらいの雰囲気は分かる。まるで雲を掴むような話でしたよ。ああ、そうだ。まるっきり別々の場所で同じ時間に数人が死んだとかいう話もあったみたいですよ」
「お前は幾つだったんだ?」
静かな声音に、青年はゾロを見た。
「俺? 確か、六歳だったかな」
「何故、女なんだ?」
青年はどこかバカにしたように鼻をならすと、また歪んだような笑みを口元に浮かべた。
「知りませんよ。それこそ『鬼』に聞いてみて下さい。無理でしょうけど。…でも、島の大人達はなんとなく理由を知ってたような気がしたなぁ。それに親父も含めて大人達は皆口を揃えて言ってました。『鬼』は女を憎んでいる。だから女性はこの島では生きられないって。その証拠に、この島の女性は『鬼』に取り殺されて、1人も残らなかった。あなた達は男だから、とりあえずは平気でしょうけど。…早くこの島から出た方がいいですよ。女の人がいるんでしょ? 俺、女の人見たのも、小さい頃だけなんです」
そうして、青年は酷く下卑た目をみせて、笑った。
「女の子って、どんななんですか? 」
瞬間、ヒュッと鋭い音がして、青年の頬にうっすらと赤い線が入った。呆然と立ちつくす青年の真横に、細くてしなやかな足が伸びている。
「口に気をつけやがれ、このイカレ野郎。お前にレディを語る口は必要ねぇ。たった今、その口たたきつぶしてやろうか?」
片足を青年に向けながら微動だにせず、その体勢のまま、サンジの瞳が冷たい光を放つ。
ゆっくりと足が頬の横から肩にと落ちる。初めて感じる威圧感に硬直した青年は、目を見開いたまま肩にかかる足の感触に怯えた。
「レディはそんな目で見る「モノ」じゃねぇ。世界で一番尊い女神だ! この世の至宝だ! 不埒な真似なんぞ、誰がさせるかっ!」
「…アホか」
「んああ!?」
がっと振り返ったサンジに、うんざりしたようにゾロがため息まじりに続けた。
「あの生き物が、そんな尊いものかよ。同じ生き者だろうが。特に女は気が抜けねぇ。おら、足おろせ。ガキの戯言にマジになってんじゃねぇ」
むっとしたように顔を上げた青年は、ゾロを見て口を閉じた。
静かな表情には変化はないが、まとう雰囲気に容赦がなくなっている。怒りなのかなんなのか、その重いとしかいいようのない空気は、島人以外を見たことない青年にはただただ異様なものとしてしか映らない。
サンジはちっと舌打ちして、足をおろした。
青年の切れた頬からは、幾筋かの血が流れている。それをぬぐうこともできずに、ただ硬直している青年は、そうやって見ると年相応の子供に見えた。
「…お前の母親はどうした?」
ゾロの問いに、サンジは目を見開いた。慌ててゾロを見るが、彼は普段と変わりない様子で、ただ青年を見下ろしている。
何かの呪縛にかかったかのように、大きく二度口を開いては閉じを繰り返し、青年は喘ぐように掠れた声で答えた。
「…し…死んだ…」
「どうやって?」
「……俺と歩いてたら、いきなり…大きな声で叫んで…島の…港の端から…海に…」
では、この青年はまだ幼い時に、母親がいきなり狂ったようになって海に飛び込んだのを見ていたのだ。
息を呑んだサンジとは違い、ゾロはどこまでも静かに問い続ける。
「そうやって、他の女も死んでいったのか?」
「そ…そう…」
「その間、島の男達は何をした」
「なに? …何を? …何って…何も…何もできなくて…」
「なら、その前に、この島ではなにがあった」
「前?…前って…」
大きく喘ぐ青年は、悲痛な表情で叫んだ。
「知らねぇよっ!? 何があったって言うんだよっ! 俺はっ!」
「ゾロッ!」
鋭い回し蹴りが届く寸前に、持ち上げた刀の柄で受け止めたゾロはサンジへと顔を向けた。
「もういいだろ、こいつは何も知らねぇよ」
「なら、その後ろで立ち聞きしている奴なら知ってるのか?」
「ああ!?」
顎をしゃくって家の奥を示すゾロに、サンジは振り返る。言われてみれば、確かに人の気配がする。多分、この店の他の者なのだろう、いや、もしかしたら青年の親なのかもしれない。
だがゾロに指摘されても、そこから微動だにする気配はない。
「ああ、いるな。だが無駄だろ。話す気もなさそうだ。無理に聞いても、多分本当のことを話すとも思えねぇ」
「まぁな」
言いながらゾロは大きく息を吐き、肩を落とした。
一瞬で重苦しい雰囲気は霧散して、どこか茫洋としたいつものゾロだけがそこには立っている。
へなへなと腰を落とした青年が、がっくりと項垂れて荒い息をつくのを、2人は静かに見下ろした。
「色々聞いて悪かったな。…木釘とロープが欲しいんだが、用意しておいてくれるか? ログが溜まる頃に取りに来る」
がくがくと頷く青年に、サンジはしゃがみ込んで目線の位置を下げた。
「あの家まで配達してくれてもいいんだが…」
これには盛大な勢いで首を振る。きつく目を閉じて頭を振る仕草には、どこか狂気めいたものが伺える。
「そうか、なら取りに来るか。じゃ、頼んだぜ」
行こう、とゾロを見上げると憮然とした表情のままの彼も頷いた。立ち上がり、やれやれとゾロを促して外に出る。その後を追うように外に出ようとして、ゾロは振り返った。
こちらを見る「2対」の目に、ゾロは凶暴などという言葉などが生ぬるく感じるくらいの殺気を込めた視線を向ける。
見なくても分かるその気配に、完全に腰を抜かした青年が恐怖に必死で背後に逃げようともがくが、力が入らずに無様に蠢くしかない。
ゾロの腕がゆっくりと刀に置かれ、彼は鍔をもてあそぶようになぞっていく。
「余計なことはするな、と島の奴らには言っておけ。分かったな。特に、あの金髪には手を出すなよ。もし、お前達が少しでも俺たちに害になるような手を出したら…容赦はしねぇ。鬼なんぞ目に入らねぇくれぇ、お前達を叩っ斬る」
背後にいるもう1人にも、しっかりと伝わるようにそう告げるゾロは、青年を冷たく見下ろす。
蠢くしかできない青年は、もう半分以上呆けたように、ただゾロを虚ろな目で見上げている。
「お前も、嫌ならちゃんとはね除けるくらいの気概くらいは持て」
青年の首筋と鎖骨の傍にある赤い跡を目線で示し、ゾロは背後にいる男へと視線を流した。
「お前等の事情なんぞどうでもいいが、こっちにとばっちりを寄こすな。忠告した。2度目の忠告はねぇ。次の時は…」
金属を擦り合わせるような音と共に、ゾロの腰に白く輝く刀身の端が覗く。
鯉口を切ったその姿に本気を感じたのか、奥でごとりと何か大きなものが倒れるような音がした。
「おい、お前。次にそんな白けた面を俺たちに見せたら、その時も俺はお前を斬るぜ? いいな」
囁くように告げる言葉は静かで、聞きようによっては優しくもある。だが、その言葉のはしばしに潜む恐ろしい程の冷酷さは、例えようもない程で。
青年は涙目でただ蠢くしかできない。
「邪魔したな」
言い捨てて外に出たゾロは、入り口で唇を尖らせて自分を待つ青年に、悪いという意味を含めて手を上げた。
今の様子にはまるで気付いた様子もなく、肩を竦めて踵を返したサンジに、ゾロが従う。
歩き出した2人の背後で大きな音が響き、入り口から白い粉が辺りに撒き散らされる。振り返ろうとしたサンジをゾロがそっと留める。
それにサンジが不審そうに目を細めた時、背後から唸るような声が響いた。
「鬼!」
ゾロの口元に、獰猛な笑みが刻まれた。
(2006.8.24)
途中で一旦書き直しして、更新。大丈夫、怖い話じゃ今回ないない(笑)
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