庭に面した縁側にどっかりと腰を下ろし、細い躰つきの青年がぷかりと煙草の煙をふかす。
 どうしたわけか、その姿に見慣れだした自分に気付いて、ゾロは微かに目を細める。
 畳の上に寝そべり肘をついた手に頭を乗せて外を眺めると、どうしてもそうやって外を眺めながら休憩をしているサンジの姿が目に入る。
 遠い緑の群れを眺めるサンジは、ゆったりとした山の緑を借景にした庭と見事になじんで、それだけで一服の絵画のようにゾロには見える。
 ここにはこの男の影をなくそうと思って来たはずなのに、いつの間にか彼の姿が深く、自分に刻み込まれていく気がする。
 細くたなびく白い煙。
 一度刻まれたものを閉じこめるには、どれだけ努力すればいいのだろうか?

 ゾロは目を閉じる。
 このまま眠れれば、それはそれで一時の逃避になるものを……。











 玄関先に届いた小さな荷物を、荷物部屋に決めた庭側の部屋に置いたサンジは大きく伸びをした。
 自分の図太さには少々自信があったのだが、その自信がこの島に来てからというものどうにも薄らいでいる気がしてならない。
 なんとなく、家の中にいたいとも最近は思わなくなってきた。
 ここにしかこの島ではいる場所がないと分かっているが、この家が居心地がいいとはお世辞にも言えない。
 その思いは、2日前に隠し部屋らしき場所を見つけてからは特に強くなった。
 おかげで夜の眠りが浅くなっているのも自覚している。だが、それでも眠れているのは、一緒にいるもう1人の存在があるからだろう。
 ゾロは毎夜、自分の傍で見張りをしている。
 頼んだわけではない。
 この家でバラバラに寝るのを初日から避けたサンジを覚えているのか、ゾロは必ず自分の傍で横になって寝る。布団で寝ろと蹴り起こすと、文句を言いながらも布団を二つ同じ部屋に敷き、何事もなかったかのように横になって爆睡する。
 そのあまりにも太平楽な姿に、つい自分も一緒になって寝てしまう…というのがこの島での夜だったのだが、ここ数日で気付いた。
 サンジが寝付いた頃ゾロは起き出す。
 そうしてただ、布団の上でじっと、刀を抱くようにして座り込んでいる。
 元々サンジの睡眠時間は少ない。だがその分、眠りにつくと深く熟睡するタイプだ。
 あの影を見たその夜、寝返りばかりで深く眠っていなかったサンジは、夜中近くに確かな人の気配と温もりを感じて、ふと目をさました。
 人1人分空けた場所で、ゾロがこちらを見ている。
 じっと。静かに。まるで深い夜の息吹がそっと息づいているかのような瞳で。
 その瞳をぼんやりと視界に治めた途端、サンジは強ばっていた躰から力が抜けていくのを感じた。
 安心、したのかもしれない。
 こいつがいるなら大丈夫だ、と。
 見慣れぬものへの不安を解き、そのまま眠ってしまったサンジは、朝目を覚ました時に横になろうとしているゾロに気付いた。
 多分、そろそろ自分が起きる時間だとアタリをつけて、横になったのだろう。
 ものの数秒とたたずに深い寝息をつきだしたゾロを確認して、起き出したサンジは眠るゾロを眺めた。
 そこには、いつものゾロの姿しかない。
 夜に見たあの瞳をもう一度見たい、そうぼんやりと思い、そんなことを考える自分に笑ってその日は過ごしたのだ。
 船でもゾロは夜によく訓練をしていた。確かに、島に来てからもゾロは訓練を欠かしはしない。だが、なるべく自分を1人にしないようにしているようだった。
 音が聞こえると言っていたゾロが、最初は1人になりたくなくてそうしているのかとも思ったが、どうやら違う。
 ゾロはただ自分を1人にしたくないらしい。
 サンジが1人で何かに集中したい時などは、どうやって察しているのかいつの間にか視界からいなくなっている。だが、必ず声が届くところにいる。
 それに気付いた時は、自分を甘くみてバカにしているのかと一瞬怒りも湧いたのだが、ゾロの態度はどうもそれとも違う。
 よくよく観察しているうちに分かった。
 ゾロは警戒しているのだ。
 何を、かは分からない。だが、多分それはこの家に関する何か、だ。
 ゾロだけが聞いている声のこともある。自分達が聞いた姿のない足音も、あの部屋でみた正体不明の影のこともある。
 もしかしたら、他にもゾロは何かに感づいているのかもしれない。
「おっと、もうこんな時間かよ」
 窓の外に広がる青空には、いつの間にか黄色味を帯びた日差しが走っている。もう暫くすれば、夕焼けが空を彩る時間がやってくる。そうすれば、もう夜はすぐだ。
 じっとりとした空気も、いつの間にかほんの少し涼やかさを増し、風も肌の上を滑るようになっていく。
 このくらいの時間になれば、ゾロは風呂に入っている。
 どうしても薪がいる風呂と台所の為に、ゾロは夕刻前になると鍛錬の一貫だとブツブツ言いながらも薪割りをするのが日課になっていた。
 薪を割れば汗をかく、汗を流したいから先に風呂を沸かす、風呂を沸かせばもっと汗をかくから、沸いた風呂には一番に入る。
 もうまるでそれしかないような流れで、ここの所毎日ゾロは一定の時間に風呂に入っている。
「これが船でも続けば、ナミさん達も喜ぶんだろうに…」
 言いながらも、この一連の流れの中に自分の食事の支度も組み込まれ、そのまま風呂から上がったゾロと入れ違いに風呂に入っては、夜の更けるままに2人は酒をかわしている。
 これも、船にいる時には考えられなかった時間だ。
 そんな時間を共有していることに、深く満足してる自分をもうサンジは誤魔化そうとは思わなくなった。
 2人でいても、穏やかな時間がもてることが、ただ嬉しい。
 ゾロもそう思ってくれていればいい。近頃は、そんな風に考えている始末だ。

 台所の土間まで行き、夜になる前にとランプの調子などを調べる。これも日課だ。
 風呂の方からしている水音に、知らず温かな笑みを口元に刻みながらサンジは煙草を口にくわえた。
 鈍い音がしてこちらからは見えないが風呂の窓が開く音がする。どうやら湿気があまりにも篭もるのが嫌らしく、ある一定の時間になるとゾロは風呂の窓を開けている。船ではそもそも窓がないから開けようがないが、ここではもうそれが慣習のようになっている。
「おーい、ゾロ。なんか食いたいもんでもあるか?」
「あー、刺身。と…あれだ、一昨日食ったあのねばっとした奴のすっぺー感じのやつ」
 浴室のせいでどこかくぐもって響くゾロの声が届く。
 窓が開いたら声をかける。これも日課だ。
 返事があったことにどこかほっとして、サンジは頷いた。
「…ありゃあこの島特有の山菜だっつの、あれの酢漬けか、酒の肴にはよかったよな確かに。刺身は…生魚は全部手を入れちまったぞ、おい。唐揚げでいいか?」
「任す」
「よっしゃ、んじゃメニューはそれでいくか」
 ランプの油などを確認し、手早く定位置に備えるとサンジはさっそく夕飯の準備にかかる。
 風呂上がりには必ず酒に手を伸ばすゾロの為にまずは、軽く口に入る塩気のあるつまみを仕込みの時に余った材料をまとめて炒める。
 こうしていると、ずっと2人で暮らしているかのような錯覚を覚えてしまう。
 ここ数日でゾロの好みを随分と知った。普段あまり船では出さないが和食を好んで食べることや、塩気のあるものだと満足そうに食べること。
 じっくりと向き合うことができなかった相手だ。あの船の上では仕方なかったとはいえ、今ではこれまでの時間も惜しく感じられて仕方がない。
 …しかし、ゾロは。
 サンジは手を休めずに頭の隅に残る疑問を浮かびあげる。
 この家の何を知っているのだろう?
 そう…思うのだ。勘と言ってしまうとなんだが、考えてみればこの間の奇妙な影を見た時でさえ、ゾロは色々なことを誤魔化した。
 はっきりとしないことを喋りたくない、ということらしいと理解はしたが、それとは別にゾロは何かを自分に隠している気がしてならない。
 ゾロは自分が作業をするのをとにかく優先させて、仕事を早く終わらせてしまわせようとしている。
 航海用の仕込みなど、やろうと思えばどれだけやっても足りるということはない。それを知らないのだろう、お前の仕事はいつ終わるのか、と聞いてきたこともあるくらいだ。
 まだログが溜まるには日にちがかかる。10日はもうないのだが、まだ一週間以上はあるのだ。
 ゾロは自分を船に戻そうとしている。
 それだけははっきりと分かる。
 そうしなけば困ることが、ゾロにもこの家にもあるのだ。
「バカにするなよ」
 思わずそう呟いて、煙草をかみしめる。誰がゾロの思惑通りに運ばせてやるか、と無駄な気合いが入る。
 そんな秘密など、はっきりきっぱり蹴り飛ばして自分を奴の隣に並ばせてやるのだ。
 秘密なんぞ、ゾロに持たせてなるものか。しかもそれが自分に関することならばなおさら。
 そう、誤魔化す気をなくして、自分自身と向かい合えばこんなにも今、ゾロのことしか自分の中にはない。
 どういう感情もこういう感情もない。これはもう事実だ。
 船に残してきた仲間もそれはそれは好きだ。大好きだ。特に女性陣2人はもう…考えただけで涙が出てきそうなくらい大好きだ。
 なのに…ゾロのことを考えると駄目だ。
 たまらないくらい、駄目になる。こんな感情に言葉をつけるのは無理だ。蹴り飛ばして、奴の息の根を止めてギャーギャー喚いてもまだ足りない。
 そんな爆発じみたものが潜んでしまうくらい、ゾロは自分の中に息づいてしまっている。
 いったいいつの間にそんなことになったのか。
 だからこそ、自分を遠ざけようとするゾロを許す気にはなれない。
 例えこの家が気持ち悪かろうと、どんな秘密があるのであろとも…、
「絶対に暴いてやるっ!」
 誓いも新たにダンッと包丁をまな板に打ち付ければ、刻んでいた野菜が大きく跳ねた。
 おっと、と小さく呟き、感情を沈めようと深呼吸を繰り返す。食材にあたっては美味い飯は作れない。
 とりあえず今できることの一つには、ゾロの胃袋を掌握してほだす、という選択肢もあるのだ。気合いは入れどころを間違えてはならない。
「…何やってんだ? お前は…」
 食材の前で大きく深呼吸するコックというものを目の当たりにし、呆れたように立ちつくした剣士が呟いた。
「やかましぃっ」
 言いながらサンジはゾロを見た。
 やっぱりだ、と舌打ちしたくなる。
 ゾロは刀を握っている。それも3本ともだ。要するに、ゾロは刀を持ち込んで風呂に入っていたということだ。確かにいつ何時、何があるかは分からない場所だ。
 だが、そういう場所でも、ゾロにはある程度の余裕のようなもが今まではあった。
 それがどうだ。本当にゾロは警戒しまくっている。
 それはもしかしたら、刀にも関係するのかもしれない。
 …あの時、あの部屋で影を見たあの時だ。ゾロはまるで何かを押しとどめるように、刀を握っていた。  何故か震えている刀を。
 あの赤い刀は、妖刀だと聞いた覚えがある。
 人の生き血をすすり、非業の死を手にした者に与える刀だという。
 持つ者を    人を狂わせて己の望みに巻き込む『刀』。刀が持つのは、斬る、というただ一点の望みだ。
 ゾロはそれを知っていてあの刀を腰に下げている。
 バカだ、と思うと同時にゾロらしいとしか言いようがない。そんな刀に負けるどころか従わせてしまう男なのだ。だが、刀というものが、あんな風に震えるとは思わなかった。
 何もしなくても自ら刀が震えるとは、いったいあれは…
「…コックっ!」
 はっと目を見開いたと同時だった。
 目の前を白い閃きが凪いだ。
 銀色の線にも似たものが視界に走り、ぞくりと背筋を冷たいものが伝う。
「ぼけっとしてんじゃねぇ!」
 目の前に、緑色の頭がある。
 いや、ゾロだ。え? と慌てて目をやれば、自分を水場に押しつけるようにしながら、ゾロが自分の前に立っている。
 その手には白刃の刀が一本。
 まるで炎が踊るかのような波紋を描く刀は、赤い柄を持っている。
 妖刀、三代鬼徹と名の付いたものだったはずだ。思わず、その刀に手を伸ばそうとしたが、それはあっさりとゾロが刀を構えたことで拒否された。
「コック! おい、お前わかってんのか?」
 なんとなくむっとしていたところに、なんだか焦ったような声で呼ばれて、やっとサンジは自分がなにやらゾロの背に庇われているらしいということに気付いた。
「あ?」
「ボケてんな!」
「んだと、こら、おい、何俺の前に立ってんだよ!」
「んなこと言ってる場合かよ、現状を把握しやがれ」
 言われて、改めて顔を上げ、サンジは目を丸くした。
 まだ呆けているのだろうか? ゾロが刀を構えたその前の空間に、鎌が浮かんでいる。
「…鎌? おい、ゾロ。あれ鎌だよな? 草を刈ったりする…」
「確かに、鎌だな」
 一見すれば、それは確かにただの鎌だ。
 農作業などで良く使用される半月を思わせる形状のそれは、なんの変哲もない道具だ。
 それが何故、今、そこにあるのか。しかも、何故空中に浮いているのか。
 現状がさっぱり理解できずに呆然としていると、ゾロが小さく舌打ちした。
「なんで浮いてるのかさっぱり分からねぇが…なんだありゃ? お前…動けるか?」
 ゾロの問いに、サンジは小さく唸った。
「動くのはいいが、どうするんだよ? さっきのは、もしかしてあれが襲ってきたのか?」
「ああ、見えてなかったのか?」
「さっぱり分からなかったな。いつ現れたんだよ」
 ゾロの肩が小さく上下した。
「いきなり、空中に現れた」
 そして自分を襲ったのだ。舌打ちしたいのは自分だ、そう思いながら、サンジは試しにとゆっくりゾロの背から一歩抜けてみる。
 だが、空中に浮かぶ鎌にはなんの変化もない。
「どうする?」
 まさか鎌に言葉が通じるわけもないだろう。そう思って問いかけると、ゾロはゆっくりと構えた刀の刃先に鎌に定めた。
「とりあえず、危害加えるなら、叩っ斬る」
 斬れるのかどうかは分からなかったが、サンジは頷いた。
 改めて空中に浮かぶという鎌を見れば、それはまるでどす黒い何かを纏っているかのようだった。
 無闇にギラつく刃が、嫌に目にとまる。
 禍々しい。
 まるで、ゾロが今持つ鬼徹のようだ。
 つっとゾロが横にずれる。すると、鎌の刃先がわずかに横に流れ、ゾロへと向いた。
「ゾロッ!」
「行けっ!」
 とりあえずここは、とサンジは横の扉まで一気に駆け出す。同時にゾロが飛び出し、刃を鎌に向ける。
 凄まじいスピードで鎌はゾロに向かって降り落ちてきた。
 すっと横に避けたゾロの動きをなぞるかのように、鎌が刃先を向けて真横に流れる。逆手で刀を立てて防御したゾロに鎌ははじき飛ばされる。
 踏み込むというにはまるで引き寄せられたようにゾロが飛んでいく鎌を追う。
 サンジははっとゾロを振り返った。
 鎌が狙っているのは、やはりゾロだ。
 戻ろうかと思ったのを見越したように、ゾロがその身に殺気を纏う。
 気配だけで来るなと牽制したゾロに、あからさまにサンジは舌打ちした。
 ゾロは刀を両手で握ると、くるくると回転していた鎌が止まった瞬間を狙い、上段から切り伏せ

 2人とも目を見開いた。

 鎌はギラリとその刃をどこか赤く光らせたかと思うと、するりとその身を刀へとすり寄せ、振り下ろされる刃に吸い込まれるように消えたのだ。

「「あ?」」
 思わず同時に唸った2人は、その声に顔を見合わせ、
「「はああ?」」
 盛大な疑問符を飛ばした。

 慌てて刀を掲げたゾロの目の前で、刀は一瞬何かに揺らされたように震えたかと思うと、静かに元の輝きを取り戻し、後はもう…何事もなかったかのように大人しくなった。

(2006.9.17)




遅くなって申し訳ございません…ああ、夏が終わってしまうぅ…(T_T)



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