どっかりと向かい合う形に座り込んだ2人は、まんじりともせず、一本の刀を見おろしていた。
 もうどのくらいそうしているのか。
 それも分からない程に、2人は真剣にその刀を見ていた。
 あぐらをかいた右膝に頬杖をつき、その上に顎を乗せたサンジが小さく唸ると、目の前で腕組みしたままじっと刀を見つめるゾロがため息を落とす。

 2人の間の刀には、なんの変化もない。
 暗くなった部屋で、2人はただ座りつづけていた。





吊り下がる
[前編]






「なーにが、ダメだ、だ。俺はガキか、ガキの使いか? 買い出しくらい1人でいけるわ、ボケ! いい加減にしろってーのっ!」
 寝不足もここに極まれり。ひたすら険悪な目をした柄の悪い痩身の青年が歩くと。辺りを歩いていた島人達までもが、恐れたように道を空ける。
 それもそうだろう、振りまく雰囲気が尋常じゃない。しかもずっと何事かをぶつぶつと呟きながら、往来を歩いているのだ。普通なら避けるのが当然だろう。
 鮮やかな金色の髪を眩しい陽光に惜しみなく晒し、スーツ姿もしなやかなその姿だけを言えば、人目を引く青年だ。島人達も好感を持って見送るのだろうが、これはもうそういう段階ではない。
 触れたら叩きのめされると、思わず身構える状態だ。
「しかも、なーにがおれは平気だ、だ。バカじゃねーのか? いや、前からバカだバカだと思っていたが、ここまでバカだと呆れ返るしか・ねぇ!」
 足下にあった小石を腹立ち紛れに蹴りつければ、それは近くの樹木に鋭く走り、そのまま鈍い音をたてて幹に埋まった。大樹が大きく震えて、影がざわめく。
 見ていた者達が一瞬にして青ざめ、そっと青年と距離をとっていく。
 そんな雰囲気などまるで気付かずに、サンジは夜中から今朝方までのことを思い返しては剣呑な表情をさらに険しくさせていた。

 昨夜は夕飯前の理解不能な出来事にまんじりともせず、2人して座り込んでしまっていた。というより、本当に何をどうしていいのか分からなかったというのが正しい。
 いきなり空中に現れた『鎌』。
 もしそういうものが、これからあの家にいる限り不意に現れるとしたら、どうすればいいというのか。手の打ちようもないまま、夜も満足に眠ることすらできなくなりそうだ。
 いや、まだ寝不足程度のことならどうにかできるかもしれない。だが仮に、もう暫く住むことになっているあの家で、油断した途端出現する刃物や武器に斬りつけられるとしたら、そこにいることすら危険だ。
 一刻たりとも、あの家にいることはできないと考えた方がいい。
 それだけでも頭が痛いというのに、ゾロの持つ妖刀は、昨日その鎌を吸い込んだ。
 正確には吸い込んだのか、それとも妖刀に取り憑いたのか、その辺りの判断は2人にはつかない。だが、どういう形にしろゾロの刀にあの鎌は吸い込まれるように消えたことは確かだ。
 それがどう影響してくるのかも未知数。
 なのに、だ。
 混乱したまま、向かい合っていた真夜中。このままじゃ埒があかん、と今後のことを話合おうとしたサンジにゾロはあっさりと刀を自分の腰に納め、こうのたまったのだ。
『すんじまったことはしゃーねぇ。寝るぞ』


「どーこーの世界に、あれが済んだことだと言い捨てられる馬鹿がいるっつーんだ!! あー、いたな、いたいた、あんのクソマリモ!!」
 ぺっと吐き捨てた煙草を何かの敵のように思いっきり踏みにじり、大きな穴を作ってサンジは怒りに据わった目をやみくもに前方へと走らせた。
 いつの間にか視界には、人の姿はなくなっている。
 だがそれにすら気付かないまま、サンジはドカドカとがに股の大股で歩き出す。
 昨夜はそのゾロの一言で大喧嘩に発展した。当然だ、いくらなんでもあの対応はないだろう。
 ゾロの刀が、あの鎌の影響を受ける可能性だって大きい。ゾロの刀は、ゾロの一部と言っても過言ではないはずだ。しかもあの刀は妖刀というそれでなくても妖しい代物なのだ。
 あの刀は持ち主を非業の死へと導くという代物だと聞いている。
 それでもゾロは、普段あの刀をきちんと制御してはいるらしい。主人になっている、という話をいつだったか聞いた覚えがある。だが、だ。この上さらに妙なものを吸い込んだあの刀では、それを扱うゾロになんらかの影響が出る可能性だってないとは言い切れない。
 しかも、あの『鎌』はゾロを狙っていた。
 刀を狙っていたとも考えられる。が、だとしたら刀にあの鎌が吸い込まれたことで、余計にその主人であるゾロに影響があっても不思議ではないだろう。
 それなのに、だ。
『大丈夫だろ、なんかあったら、あった時だ』
 脳天気にそう言って、あの大馬鹿者は、あっさりと眠りだしたのだ。思わず蹴りつけても自分に非はないと、サンジは確信している。
 結局朝方まで暴れまくって、2人して朝日が昇るのを確認するようにその場に倒れ臥した。
 そうして、結局自分は昼前までいつしか寝てしまっていたのだが。
 やはりゾロは自分の見張りのようなことをしていたらしい。考えてみればあの寝腐れ剣士は、この島に来てからというものまともに寝腐れてはいないということになる。
 それはとてもゾロらしくない。なのに何故だろうか。ゾロらしい。
 ゾロは明らかにこの島に来てから変調をきたしている。
 その前には音が聞こえると言っていた。そして刀には鎌が吸い込まれた。こんなことが重なっていては、いくら頑丈極まりないといっても、良くないことは分かり切っている。
 サンジは小さくため息をつき、胸元から新しい煙草を取り出した。
 穏やかな風に乗って、濃い緑の香りが漂ってくる。地面から立ち上る土の匂いとまとわりつくようなじめっとした熱気との対比が寝不足の躰には思った以上に負担だ。
 こんな風に色々と重なって、眠られないという事態が続くのなら、喰わなくてはいけない。
 本当は両方必要なのだ。だが、どちらか片方を削るというのなら、もう片方をきちんと摂取しなくてはとても躰は保たない。
 それを知っているから、この島での予算をちょっとだけ自分の采配で増やし、そっとゾロが気付かない間に買い出しに行こうと思ったのに。
『買い出しに行く時は呼べよ、ついていくから』
 それを見計らったかのように、今回だけは眠ることなく起き続けていたゾロはそう言った。
 もの凄くカチンときた。
 何言ってやがるんだ! と怒髪天をついて蹴り沈めて外に飛び出し今に至る。
 ああはいったものの、ゾロが追ってくる様子はない。なんだかそれも腹立たしいのはこれはもう自分のワガママだろう。
 なんとなくその辺りのことを考えると、身の置き所がないような焦燥感を覚えてしまう。だからそこからはあえて目を逸らして、サンジはひたすらに昨夜から今朝のことに対して怒り続けていた。
 新しい煙草に火をつけ、吸い込んだ煙に苛つく心を沈み込ませる。
 大きく吐き出すと、不思議に肩からも力が抜けるような気がしてくる。
 いつの間にか止めていた歩みを再開させ、サンジはつらつらと今度は煙草を味わうようにくゆらせ始めた。
 しかし頭を空っぽにして、別のことでも考えようと思ってはみても、どうしても考えてしまうのはゾロのことばかりだ。
 この地には自分達しかいないからだ、と思ってみてもそれが自分に対してのいい訳だと、自分の心が呟く。
 本当に、いったいいつの間にこんな風に、ゾロのことを想うようになっていたのか。
 本気で困惑して、サンジは紫煙を深々と空に向けて吐き出した。
 まあ、しかし、だ。今の状況が異常なことには変わりない。だからこの気持ちがこの状況によって、乱されているということもあり得る。
「……だぁっ! この件は後だ後! 考えてもしょうがねぇっ!!」
 がっと髪を掻きむしるように頭を抱えて座り込む。
 端から見ればどんな危険人物になっているかということにも構わず、そのまままたしても大きく息を吐く。

 ………………。

 ふと、風が耳許を通りすぎたようなそんな気がして、サンジは顔をあげた。
 なんだろう、何か。音、だろうか? いや、ただの風の唸りか。
 ぼんやりと顔を上げ、サンジは晒している片目をつっと細めた。耳鳴りのような気もする。けれど、何か。
 立ち上がり辺りを見回し、サンジはニッと口角を引き上げた。
 音が聞こえる。そう言ったのはゾロだ。もしかしたら、ゾロに聞こえるという音は、こんな感じだったのではないのだろうか? 
 ほっそりとした肢体を伸ばしやや猫背気味に佇みながら、サンジはまるで風の行方を掴むかのように近くに聳える山並みの緑を見据えた。
 風は弱い。なのになんだろう、耳許に確かに何かが聞こえるような、そんな気がする。
「ゾロにばっかり、任せてられるかっていうんだ」
 耳の奥から響いてくるような、それも微かな幽かな唸りにも似た。
 音というよりも、これは感覚に近いのではないのだろうか。
 サンジはゆっくりと目を閉じた。
 感覚というのなら、分かることもあるかもしれない。
 ふと、視界を閉ざしてみて、先日ゾロが同じようにしていたことを思い出し、サンジは小さく口元をほころばせた。
 あいつと同じ感覚を味わえるというのなら、早くそれを自分に寄こせ。
 そうすれば、ゾロのことをもう少し理解できるのかもしれない。
 立ち上る大地の慣れぬ気配に我が身をさらすように、サンジはじっと音へと意識を集中させていった。

(2007.5.25)




お待たせして申し訳ありません…。夏が始まろうとしてますので、再開です。
そして後編に続くんですよ、後編はすぐに! はい。




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