15.宅急便ホワイトデー




 虎猫宅急便は今日も元気に営業中!

 そんな横断幕すら掲げて走るトラックがここ数日目につく。
 いや、目についているのは、それを意識して探しているからだ。そんなこと自覚したくはなかったが、三月に入ってからというものカフェバラティエの窓にトラックが映る度に一瞬息が止まる自分に辟易していたサンジだ。
 さすがにバレンタインデーの時ほどの狂騒のないホワイトデー。
 ほんの少しの忙しさはあれど、まだ余裕がある状態が悪かった。
「オーナー溜息ばかりですよ」
 さすがに平日の夕方前という、一番中途半端な時間には客足が途切れた瞬間を狙ってバイト生に注意され、眉をへにゃんと下げてしまう。くるりと巻いた眉はこのオーナーのチャームポイントだが、表情豊かに見せているのもこれのせいではないかと、密かに思われているのは知らないだろう。
「ごめん、リカちゃん…注意する!」
 指摘される度に一応シャンと背筋を伸ばして答えるのだが、それが毎日続いていれば苦笑しか出ない。
 それでも何故そんなに溜息つくことがあるのか? と問われないだけサンジはホッと胸をなで下ろしていた。
 自分でも嘘か冗談か、もしくは海の泡にでもなってしまいたいと思うような今の状況を説明できる気がしないからだ。
 ほんの一月前の出来事が脳裏をよぎる。
 そうすると、溜息どころか実際は地の底にめり込んでしまいたくなるような記憶が、意識そのものを遮断しそうになっているというのに。
 クリスマスと正月に続いて、頭が吹き飛ぶように忙しかったバレンタイン。
 毎日毎日毎日チョコを作って、カフェでもバレンタイン特別企画なんぞを立ち上げ、とにかく頑張っていたあの時。
 自分もあのチョコの甘さにやられたに違いない。
 つい…つい、きっと絶対にバレンタインとは無縁なままの同い年の、しかも男に、あろうことかチョコを恵んでやってしまったのだ。
 しかも手作りを。
 酒が好きだという情報を仕入れていたから、きつい清酒を練りこみ、食べるとほんわりと酒の香とトロリとした口どけに合わせて芳醇な酒の風味がまとわりつくように…と実は寝ずに数日かけて開発したチョコを。
 多分頭が沸いていたいたのだ。
 あんまり忙しい日々だったから、そしてバレンタインというイベントのせいでロマンチックな話を、日々聞かされ続けていたから、麻痺してしまっていたのだ。
 寂しい奴にちょっと施しを…しようなんて…つい考えてしまったのは、そんなわけだと思いたい。
 実際は店が終わる時間帯にきちんと配達に来た男に、どういって手渡せばいいか迷いに迷って、結局投げつけてしまったのだけれど。
 あの男は、礼を言って受け取った。
 受け取ったのだ。
 あの男が。
 最初にあったのはまだ寒さがどこか残る春先だったと記憶している。
 ロロノアと書かれたネームプレートと、最初の頃に配達仲間のウソップが「ゾロ」と呼んでいたので名前を知った。
 片目に派手な一本傷を晒し、眼光も鋭い上にいかつさも立派。どこのゴロつきかとお近づきどころか、側に来るようなら問答無用で蹴り飛ばそうとまで考えていたくらいの男だったのに。
 蓋を開けてみれば、こちらの言う通りに面倒だろう配達をきちんとこなし、顔に似合わずちゃんと仕事をしていく生真面目さを知り、こちらも偏見はいかんなと改めて見ていたら目が離せなくなってしまった。
 一応サンジは有名人のうちに入る。
 テレビにもたまに出演しているし、雑誌なんかにもたまに特集が組まれる。一応吟味してきちんとした料理関係のもの以外はお断りしているが、それでも顔はずいぶんと売れている。
 別に有名人を気取るつもりはないし、サンジはただ自分が良いと思うことを一生懸命しているだけなのだが、広く顔を売ればそれだけ敵も増えるのも道理。
 いろいろと人間関係に疲れていた時、まったくぶれず、ただ正直に自分に相対してくれるゾロには好感を持った。虎猫宅急便の奴らは皆気がいいのは知っていたが、ゾロはその中でも一番そりが合わないくせに、なんでも全力でぶつかっていける気安さがあり、それはとにかくサンジには好ましいものだった。
 しかも、こちらの我が侭を受け止めてなお、あの男はふてぶてしくこちらを挑発までしてくる。
 それが楽しくなってしまったのは、仕方ないことだろう。
 たまにしか来ないくせに、強烈にサンジの記憶のど真ん中に居座った男が気になって、ついつい配達エリアのウソップにあれこれとゾロのことを聞き出してしまっていた。
 それで分かったことといえば、同い年であることと、あの男が数年怪我で留年した上で苦学生をしているということだった。
 同い年ということにも驚いたが、あんな男が学生をしているというのにはさらに驚いた。
 てっきり一度やくざにでもなって、少し更生している程度かと思っていたからだ。それを正直にウソップに言ったら、さすがに苦笑していたが。
 本格的に意識したのは、あの男が何回目かの配達に駆り出されてカフェに来た時だ。
 ちょうど自分が手が離せず、バイトのリカがお昼時に相対したのだ。
 その頃はお昼過ぎの休憩時間を狙って来てくれるように指示していたのだが、大概バイトが受け渡しをしてくれていた。
 いつもいつもどうもお腹を空かせているようだ、と心配そうに話していたリカが、その日は受け渡しの時に腹がなったゾロへとおにぎりを渡そうとしているのを見てしまった。
 何故か愕然としてそれを見ていると、荷物を受け取ろうとしたリカがそのあまりの重さにバランスを崩して倒れそうになった。慌てて駆け寄ろうとしたサンジより早く、ゾロはリカと荷物をあっさりと抱き留めて死守した。
 ただその時の勢いで貰ったおにぎりを落としてつぶしてしまったのだ。踏んづけたのはリカだったが、ゾロはそれをまったく頓着せず、それよりも荷物もリカも無事だった上におにぎりまでと真摯に礼を言って、泣きそうになっているリカに笑ってみせた。
 おにぎりを取り替えると言ったリカには、ラップにくるまれているから大丈夫といい、さっさと車に戻って行ったが、なんとなくサンジはゾロを追いかけた。
 多分ゾロは気づいていなかっただろう。
 だがあの男は車に戻ると、潰れたおにぎりを取り出し、きちんと一礼してそのぐちゃぐちゃのそれをきちんと食べていた。
 大きな口には二口分にもならなかっただろう。
 ぐちゃぐちゃのおにぎりは、食べ物にも見えなかったくらいだ。
 だがそれをきちんと食べたのを見た時、サンジはなんとも言えない気分を味わった。
 そんな男だったのかと、目から鱗がボットボト盛大に落ちた気分というか、なんか胸の内側を杭で打ち抜かれたような気分になったのだ。  しかも翌日、泣きそうな顔をして相対したリカに、「うまかった、ありがとう」と礼まで言ったのを聞いた時、サンジは泣きそうになっていた。
 いろんな人に料理を食べてもらい、紹介し、テレビにも出て料理を披露した。
 けれど、収録が終わって冷えた料理は衛生面もあって、全部食べることは困難だった。一応ちゃんとみんなで分けて食べたし、美味しいと言ってもらえていたが、捨てられる部分もあった。
 見せるということと、食べるということの乖離。そして、料理に対する気持ちとの揺れに、実は自分は疲れていたのではないかと、ゾロを見て思ったのだ。
 だから少しテレビ等の仕事は減らした。
 それより、もっとたくさんの人たちに温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいままに、美味しく食べてもらいたいと、店に集中することに専念していた。
 リカに礼を言った翌日からゾロは配送ではなくなっていたのを幸いに、次からは自分が受け渡しを取りたいとウソップたちに無理を言って夜の配送に変えてもらった。
 あれは夏の頃のことだったはずだ。
 そうして月日が過ぎる間、数回配送に回されたゾロと会ううちに、サンジは頭を沸かせてしまったのだ。
 ああ、バレンタインなんてものがなぜあるのか。
 いやなくては困る素敵なイベントなのだが、何故自分が踊らされたのか。
 あの男は絶対受け取るだろう、とは思っていた。多分食べ物を粗末にする男ではないからだ。
 けれどバレンタインが終わった後、実はゾロがチョコが好きでないことをウソップに聞かされた時の衝撃をどう表現すればいいのか。
 さらに言えば、あの男が事務の人や大学でもらったチョコを寄付するにはどうすればいいのかと聞いてきてびっくりしたなんて話を聞かされたら、自分が言ったことも含めてどう反応すればいいのか。
 …食べてもらえなかったかもしれないと、ふと思った時のあの気分を…実はいまだに消化できずにいる。
 自分が送ったチョコなんて、ただのお恵みだったはずなのに、だ。
 思わずため息をついてしまっても、仕方ないだろうというものだ。
 さらに、三月に入ったら配送になるだろう、と言っていたゾロは三月に入っても配送にはなっていなかった。
 バレンタインよりもゆるいホワイトデーは、そこまで忙しくなかったらしい。
 本来は内勤で荷物の仕分けをするのが本職の男だ。実はずいぶんな機械化でそこまで仕分けは必要ないはずなのだが、絶対いらないわけではないのだそうだ。
 しかも今年の三月は少し特殊な事情で、ゾロは本部の引っ越しの方から泣きの引き抜きにあってトレードされているのだという。
 あの馬鹿力はそこで大いに発揮されているに違いない。
 そういう情報はすべてウソップから聞いている。なんでゾロが来ないとぼやいた時に、あいつと仲良くなったのかと嬉しそうに言ったウソップは、それを信じていろいろと教えてくれているのだ。
 一応口ではそんなことないと否定しているが、気にしているのは多分バレバレなのだろう。
 対して接点のないサンジからもらったチョコなど、きっとあの男は気にもしていないはずだ。
 昨今は友チョコとかお世話になりましたチョコとか、いろいろな意味のチョコの受け渡しもある。
 多分そんな風に思っているはずだ。
 というか、そんな風に思っていてくれなかったら…きっと自分はこれからあの男に会うことが困難になる気がする。するったらする。
 また溜息をつきそうになり、慌ててサンジは厨房から逃げ出した。


 店を閉める時間になっても、今日は人が数人残っていた。
 のんびりとした時間だけれど、楽しそうに話こんでいるカップルたちは幸せそうだ。
 ホワイトデーを嬉しそうに過ごす彼らに、サンジも自然と笑みがこぼれる。幸せなのはとても見ていて気持ちいい。
 自分が相手でないことはなんだが、女の子達が幸せそうなのはそれだけで素晴らしいのだ。
 それでも彼らが名残惜しそうに店を出て、最終のチェックを済ませてスタッフの皆を帰した後、サンジはぼんやりと店のカウンターに突っ伏した。
 外からは見えないし、もうこの店には誰もいない。
 あと二時間もしたら、今日も終わる。
 …疲れた。
 なんだかしみじみとそう感じて、サンジは笑った。
 なぜか可笑しさがこみ上げてくる。自分はいったいあの男に何を期待していたのだろう。
 なんの見返りを欲していたわけではないはずなのに、何か期待していたのかもしれない。
 そんなもの、あるはずがなかったはずなのに、だ。
 自分で自分を笑って、もう動きたくない、と顔を腕にうずめた時、店のドアが不自然にがたがたと音を立てた。
 風かと一瞬考えたが、それにしては乱暴にならされる。
 重い体を引きづるように動かし、もしいたずらなら返り討ちだ、と妙な怒りにそっと扉の様子を窺えば、誰かが立っているのが分かった。  乱暴だと思ったのは、力任せにドアをたたいているからだろう。
 なんとなく予感めいたものを感じて、サンジは内側からドアを軽く蹴りつけた。
 それで向うからの音がピタリとやんだ。勿論こちらからの蹴りで扉を痛めるようなものではない。
「どちらさんで」
 わざとそう声をかければ、扉の奥から不承不承といった感じで声が届いた。
「虎猫便だ」
「ああん? 今日の配達は終わってるはずだぜ?」
 笑みがこぼれるのを止められず、そう言えば、奥から唸るような声がさらに続いた。
「終わってねぇよ、このグル眉!ここ開けろ」
「後ろに回ってくださーい」
「今日はここからなんだよ!」
 本来の配達なら後ろの出入り口からと決まっている。何故真正面の店から?と確かに疑問に感じて、サンジはふむ、とドアの鍵を外した。
 少しだけ後ろに下がり、扉を開ける。
 そこには、予想した通りの男が立っていた。
 ただ、いつも見慣れた虎猫宅急便の制服のつなぎではない。まだ寒い三月に似合う、セーターにジャケット姿の緑髪の男だ。
 なぜかいつも片耳に三連のピアスをしていて、それが街灯を弾いてきらりと光った。
 言葉もなく、サンジはゾロを見た。
 ゾロは一瞬眩しいようにその片目を細め、サンジを見ると小さく笑った。
「…まずは配送だ」
 そうして、一歩中に入ると、サンジへと小さな箱を差し出した。
 ラッピングされた、それは多分その辺りで売っているホワイトデー用のお菓子の箱。
「……律儀だな」
 ああ、そうだよな、とサンジはその箱を見つめてうなづいた。
 これが普通の反応なのだ。
 なんの変哲もない、普通のお菓子。多分お菓子の意味すら知らずに買っていると分かる品。
「おれは菓子は作れないからな」
「期待なんてしてねぇよ。というか、お前からお返しがくるとは思ってなかった」
 そう苦笑して言えば、ほんの少し奇妙な顔でゾロは首を振った。
「嘘だな」
 あまりにもあっさりと断じられて、思わず動きを止めた。
「あれにお返しを期待しない奴がいたら、逆に目にしてぇくらいだ」
 恐る恐る、サンジはゾロを見上げた。
 自分がこんなに動きが鈍くなることがあると、初めて知った気分だ。
 怖い、のかもしれない。
 嬉しい…ような気もする。それはほんの少しだけだが。
「あれって…」
「美味かった」
「嘘だろう」
「嘘なんかつくか」
「だってお前、チョコは嫌いなんだろ?!」
 半ば叫ぶように告げたサンジに、ゾロはあっさり頷いた。
「ああ、嫌いだな。甘すぎる」
 ぐっと詰まったサンジに、けれどゾロは本気で分からないと首を傾げた。
「…でもお前からもらったあれ、チョコなのか?」
「は?」
「チョコというよりも、なんかとろっと固まった上質の酒みたいな感じだったぞ。あんなのおれは初めて喰った」
 動きを止めたサンジが呆けたように自分を見てくるのを真っ正面から受け止め、ゾロは一歩また踏み出して中へと入った。
「だから、ここから来た。ちゃんと返さねぇと、あれは駄目なもんだと思ったからだ」
 店の正面から。正々堂々と。
「美味かった。ありがとう」
 はっ、とサンジの目が見開いた。
 その言葉には記憶がある。あのおにぎりを食べた後にリカに答えていた言葉。
「それとな、ごちそう様でした」
 硬直しているサンジに、ゾロはさらに一歩間を詰めた。そうすると、間近にサンジと向かい合う形になる。
 ほぼ同じ身長だ、なので向かい合うと何もしなくても目が合う。真逆の目だけを晒す二人なのに向かい合えば、同じ目なのだ。絡み合う視線も深くなる。
「…もらっても…いいのか?」
 何も考えられなかったけれど、言葉がするりと口から零れた。
 ぎゅっと握り締められた拳の中で、小さな箱が悲鳴をあげたのが分かったけれど、力を抜くことができない。
「これを…もらっても…」
「やる」
「お前沢山チョコもらったって聞いた」
「お前ほどじゃねぇよ」
 そういえばサンジも山のようにチョコをもらっていたことを、思い出した。が、そういう問題ではない気がする。
 それに気付いたのか、ゾロが小さく口元を緩めた。
「受けたのは、お前のだけだ」
 そっとゾロの掌が硬直したサンジの頬へと伸びた。冷たい手が、そっといつの間にか紅潮していた頬を包む。
「返すのも、な」
 潔い。そんな言葉に、サンジはやっと息を飲んだ。
「てめっ…」
 ビリっと小さな紙を裂くような音がして、頬にべったりと何かが張り付いた。
 慌ててゾロの手を振り払ってみれば、頬から何かが垂れ下がっている。剥がそうとすれば、腕を取られた。
 そうして何枚かの紙らしきものの上を、ゾロは引き破りサンジに見えるように掲げてみせた。
「というわけで、着払いで引き受ける。勿論おれが送料は払う。受領書はこれな、と」
 ひらりと店にそれを落とし、今度こそゾロは有無を言わせずサンジを担ぎ上げた。
「何しやがるっ!人攫いーっ!」
 ゾロの肩の上でジタバタと暴れながら、サンジは床に落ちた紙を見て思い切り顔を覆った。
 そこには見慣れた虎猫宅急便の送り状が落ちている。行き先は、見たくも無い。
「もう店仕舞いは済んでるな、よしよし」
 まったく人の言うことを聞いていない男は、サンジを肩に担いでも揺らぎもせずに扉の鍵をかけ、ずかずかと奥の勝手口を目指す。
 正面から入って、後から外に出て。
 自分の家に大切な荷物を配送するために。
「むちゃくちゃじゃねぇか!」
 頬に送り状をつけたままなのに何故か笑えてきて、そう喚けば、こちらも楽しそうに返事がかえる。
「手順通りだろうが!」
 チョコを送って返事をもらって。
 思いをあげて、思いを返して。
 そうしたら後は、それを深めていくだけだ。
「くっそぅ、大切に扱えよ!」
「傷一つつけるか」
 とりあえず一歩前進させる為、二人して小さなカフェから外へと飛び出してみたのだった。




終了(2014.3.14)




バレンタインの時の申し出を受けて、必至でやっぱり一発書きで書き殴った代物です。まったく反応もらえなかった割に、拍手が今までで一番地味に入りまくっておののいた一作になりました。気に入ってもらえたなら嬉しいです。
少しだけ加筆しております。



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