懐いている。
それも特上クラスに。
目の当たりにしたルフィとゾロの親密さに、サンジは呆然としてしまう。
単純に二人の様子だけを見ていると、大人と子供の立場は逆だ。
どう見ても、ルフィの方が年下のようにみえる。そんな風にルフィがふるまっているからか。それともゾロが落ち着いているように見えるからか。
子供のように思うがままに動くことがルフィらしいとは分かっていても、どうにもサンジの気分はささくれた。逆に考えれば、ゾロが子供らしくないと目の前に突きつけられている気がしたからだ。
ゾロはゾロであり、子供らしいとかそうじゃないとか、実際は関係ないのも分かっている。だが、今日一日散々言われ続けた身としては、それが妙に不安を煽った。
自分が中学生の時。
通り過ぎたはずの時間が、やたらに遠いのは何故なのか。
思春期も何もかも自分のものであって、それ以外のものではなく。だからこそ、意識もしないで一部になりきっているからかもしれないし、現実という世界が目に見えすぎて、あの時期が子供だったと納得しているからなのかもしれない。
その納得してしまった時間に、ゾロはいるのだ。
現実が妙に遠い時間。それは守られている時間でもある。
けれどそれがゾロに当て嵌まるのか。いや、当て嵌まるからこそ、ゼフ達が心配しているのだろう。
それに気づけなかった自分の方が、何かが歪んでいるのか…。
ふとビビの言葉が脳裏を過ぎった。
理解しようとしないフリをしているんじゃないですか?
目を逸らさずにゾロを見れば、ルフィと背中合わせに時折言葉少なに話している姿が見える。ルフィも珍しくゆっくりうどんを食べているが、どちらかと言えばあれは眠りかけているのかもしれない。
このままルフィが落ち着くかどうか甚だ疑問だったが、他のものを作るにはタイミングが計れない。仕方なく、片付けをしようとして、サンジは体温計に目をとめた。
ゾロが体温が高いという話をしたことがあった。
あれはバラティエで、確かフロアに臨時でゾロが出された時だ。
あの時ゾロはサンジが具合が悪いのではないかと疑って、なんの気もなく額をくっつけて熱を計ってきた。その時の話の流れで体温の話をした。そういえば、あれが初めてだったのではないだろうか。ゾロが自分の小さな頃のことを話したのは。
思い出せば何故か強烈な焦燥感が甦る。これが嫌で、思い出さないようにしていた気までして、サンジは頭を抱えたくなった。
何故こうも、見ないようにしようとしてきたのか。己を蹴り飛ばしたくなってくる。
ゾロは体温を計るなら体温計でなんだ、と初めて気付いたようなことをあの時に言っていた。今日の昼間には自分の額に手を当ててきたが、今回は体温計を持ってきた。
別にそれが普通のはずだ。そういう風に、ゾロは教えられて実行したに過ぎない。
…ゾロはそうやって、学習していったのだろうか。ビビが言ったように、マナーを覚えようとした時のように。
おれの為に?
本気で頭を抱えて蹲りたくなって、サンジは思わず大きく吐息をついた。
体温計を蹴り飛ばして、粉々に完膚無きまでに粉砕したい。
そうすれば、ゾロは前のように、自分と額を合わせて体温を計るはずなのに。体温計を差し出すから、もうゾロが自分に触れて熱を計ることもない…。
そこまで流れるように考え、サンジは自分でその思考回路に一瞬目を見開いた。
何を考えているのか。それではまるで、触れて熱を計って欲しいみたいではないか。
思わず小さく首を振った。違う。今は、そんなことを考えている場合ではないはずだ。
「……なにやってんだ、サンジ」
ふと気付けば、珍しいものを見るようにルフィが、肩越しに振り返るようにしてゾロもこちらを見ている。
「なんでもねぇよ!」
慌てて踵を返してシンクに向かうと、ルフィがゾロにだって変だよな、などと告げている声が追いかけてくる。それを背中で跳ね返して、サンジはスポンジを泡だらけにして握りしめた。
サンジが相手にしてくれないと分かったからか、また二人はとりとめのない話を続けていた。
もしかして、サンジがいない時に会っている二人は、いつもこんな感じだったのだろうか。ふと思い立ったが全力で否定した。だったら今の部屋の散らかりようはないはずだ。
「お前はおれと一緒に冒険に行くんだから。ちゃんと強くなれよ」
「だーかーら、なんっでお前はそうおれの言うこときかねぇんだよ。おれはお前に言われなくても強くなるんだって。しかも冒険ってどこ行くつもりなんだよ」
「ん? あちこちだ。テレビや映画で見る所って一部だろ? 北極にも南極にもいきてぇし。一番高い山とか、一番深い海の底とか。本当はどうなってんのか、見てみたい場所はたーくさんあるぞ! 砂漠の中のオアシスって、本当にそこだけ水湧いてるのかなー、とかよ。色々あるけど、本当は宇宙にも行ってみてぇけど、フルメンバーで行くには空気がないのが厳しいよなぁ」
「そこかよ!」
なーなー、と背中を揺らしてこすりつけるようにしつつ、ルフィがゾロに寄りかかる。
「お前もいくんだからな」
「決定じゃねーか」
「当然だろう、おれの職業なめんなよ!」
「……お前仕事してたのか?」
「失敬だな! してるに決まってるだろう! おれは冒険家だ!」
「…………………無職との区別がつかねぇ……」
思わず吹き出した。
そんなサンジに、ルフィがゾロは失礼だ! と訴えてくるのにますます笑いがこみ上げる。
実は本当に駆けだしの冒険家として、その世界で名前を売り出し始めているルフィだが、普通は知らないだろう。
無職といわれれば、確かにそうなだ。が、ルフィには結構なスポンサーもついていたりするのだから始末が悪い。何故かその筆頭が、ビビの親だったりもするので余計だ。
喉で笑いを殺しつつ、シンクを綺麗に拭き上げサンジは振り返った。
見れば言い合いから、何故か軽いじゃれ合いのように二人は背中を力任せにこすりつけあい、ギャーギャーと言い合いを開始している。
「お前それ、単に脅しじゃねぇか! なんでおれがお前の旅行に付き合わねぇといけねぇんだ」
「旅行じゃねぇ! 冒険だ! 強い奴がいるかもしれねぇだろう! お前強くなるんだったら丁度いいじゃねぇか! いくぞ!」
「だから、簡単に行けるかって」
「どうせ本格的に行くには、まだまだ後何年かかかるから、それまでにはおれは準備しつつ近場をまずは制覇する。だから、全部の準備が整って本格的に行く時に、お前もいくんだ。楽しみだなぁ」
人の話はまったく聞いていない。
力任せにゾロの背中になしかかり乗り上げ、敷き潰したルフィはニシシと楽しげに笑う。
くぐもった声が、困惑したような諦めたような唸りを上げた。
「……あー…なんにしろ、遠い話だな」
「そんなことねぇって、きっとあっという間だ!」
ニッと笑いながら、ルフィはサンジを見た。その瞳は強い意思に満ち、微塵も未来に揺らぎを感じさせない。
こんな目のまま、ルフィはきっと全部を自分の思い通りにしていくのだろうと、とっぴょうしもない夢を信じさせていく。実際実行していくのだから、ある意味質が悪い。
「…まあ、その時が本当に来たらな」
くぐもった声が、どこか遠く響いた。
は? と思わずサンジが目を見開いたと同時に、バネ仕掛けの人形かなにかのように飛び上がったルフィが歓声を上げた。
「よし、絶対だからな!」
確約を取り付けて、一人ご満悦なルフィにやっとのことで躰を起こしたゾロが苦笑している。
本気にしているのかいないのか、その表情からは分からないが、それは確かにゾロがしたルフィとの約束だった。
「…おい、てめぇら、そろそろそこを片付けるか、休むかどうかしやがらねぇか?」
腹が立った。
それはもう、周りの何もかもが見えなくなるくらい、とにかく腹が立って腹が立って仕方がなかった。
「特におこちゃまは寝る時間はとっくに過ぎてるぜ。そこを片付ける気がないなら、とっとと寝やがれ。ルフィ、お前もだ、片付けないなら、そろそろ帰れ! 皿寄こせ!」
突如激昂したサンジに、二人の動きがピタリと止まる。
その二人が同じ動きでサンジを見た。強い意志を込めた二組の視線、それがまるで射抜くようにサンジを貫く。
それを怒りまかせに受け止め、しかし二人の視線に瞬間的に頭に登っていた血が、わずかに下がった。しまったと思うより早く、ゾロが苦笑した。
確かに今はもう夜中といっても過言ない時間で。しかもいつもなら、爆睡して明日に備えているはずだ。早朝の配達のことを考えると、かなりきつい時間だった。もういっそ寝ないで片付けた方がいいか、と一瞬思えるくらいなのだからゾロが苦笑するのも頷ける。
「だな、んじゃ、片付けるか…」
言いかけたゾロを制して、突然ルフィがぴょこんと頭を下げた。
「悪かった! おれは帰る。けど、ゾロは片付けなくていいぞ、明日おれがきて片付けるから」
驚いたゾロを余所に、上目使いにルフィはサンジを見上げた。
「けど、今の言葉は取り消せ、サンジ」
呆気に取られていたのはサンジもだ。怒りも忘れて見下ろしたルフィに、真剣な目で見られてサンジははっと我に返った。
自分は今、何を口走った? 散々今まで悩んできたのに、何をした?
「都合のいい時だけ、ゾロを子供扱いしたらダメだ、それはずるい」
とまどうサンジに気付いたのだろうか、ゾロがサンジを見つめ、それから静かな声でルフィを制した。
「おれは子供だ。当然の配慮だろう? こいつにしてみたら」
違う。そう言いたいのに、声が出ない。
確かにゾロは子供だ、年齢は中学生で、でも…そういうことではない。今の言葉だって、怒りにまかせてはしまったが、そういう意味ではなかった。
どう言えばいいのか分からず、サンジはルフィを見て、ゾロを見た。
ゾロはルフィを見ている。
「おう、年はな。けど、おれ達とお前と何が違うっていうんだよ、そうじゃない。お前は子供な年齢かもしれねぇけど、それだけじゃなくて…ゾロじゃねぇか」
それはサンジがさっきも考えていた言葉であり、何度となく口にした言葉でもあるはずだった。けれど、180度意味の違う言葉である響きがした。
ゾロは一瞬ポカンとした表情を浮かべ、すぐに真顔になった。そのまま小さく黙礼する。
「…ありがとう」
その声だけがやけにしっかりと、サンジのどこかに突き刺さった。
「何礼を言ってるんだよ、とにかくそんなわけで、はい、これ」
サンジに皿を渡し、ルフィはゾロの背を叩いてニッカリといつものように笑う。
「サンジはすっげー、ゾロのことが好きなんだなぁ」
突然、朗らかに、しかし恐ろしく納得したように告げた声に、サンジが思わず声を上げた。
「はあっ!?」
何がどうすれば、そういう結論に辿り着くのか。
本気で困惑したサンジは、何故かゾロを見ることができずに、笑ってそうかそうかと頷いているルフィを反射的に蹴り飛ばした。
「なんでそうなる!?」
「だってそうじゃねぇか」
あっけらかんと断じたルフィは、蹴られたのもなんのその、そのままひらひらと手を振って玄関に向かおうとする。皿を持ったままだというのも忘れて、その後ろについていったサンジはいつもの笑みで靴を履くルフィに訳も分からず突っ込みまくった。
「だから、どこをどうすれば…」
「んじゃ、嫌いなのかよ」
「そうじゃなくて!」
「だろ? サンジはゾロが大好きなんだよなー」
「だから……す、すきって…子供だぜ!?」
「ちーがーうって、子供じゃなくて、ゾロだ!」
「そういう意味じゃ…ああああ、もう、何がなんだか!!!」
本気で頭を抱えたサンジの肩を、ポンと思わぬ大きさの手が軽く叩く。
振り返れば、当然のようにゾロがいて。思い切りサンジは泣きたくなった。
もう自分の口がこの世から、今すぐなくなればいい! と呪いたくなる。思い切り間違っているのが、さすがに今回はわかっているのに、止められない。
全部違うのだ。と叫びたいのに叫べない。
なのに、ゾロは苦笑するように笑ってなだめようとしてくる。落ち着け、といわんばかりに自分を見て、分かっているからと言うように頷いて。
さすがに今回は分かる、ゾロは分かっていない。きっとずっと、こんな風に、すれ違っていたのだ。
ゾロはルフィを見て、ありがとよ、と再度礼を言う。それはまっすぐにルフィに届くというのに。
「おう、よかったな、両思いだ!」
「…おう」
答える声は苦笑に満ちている。なだめている声だ。
「じゃーな、サンジ、ゾロ、明日くるなー!」
威勢良くドアを開けて外に飛び出すルフィに、サンジは声をかけることもなく、へなへなとその場に座り込んだ。
2011.6.9
連続爆弾だけ落として、次回ですー。
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