遠くて近い現実
[31]





 思い出したくもない。
 正直、そう思いつつ、サンジは朝からずっと料理にかかりっきりになっていた。
 けれど、思い出さずにはいられないし、もう二度と目を逸らすこともしたくない。だから、きちんとあの時のことを考え続けている。
 目の前の大量の人参を鮮やかに細切りに刻み続け、それでもサンジは先日から今朝までのゾロを思い起こす。
 同時にぴたりと手が止まった。
 そのままガガガガっと顔が火照ってしまう。
 なんなんだなんなんだなんなんだなんなんだっ!
 思わず呪文のように唱えてしまうくらい、思い出したら恥ずかしい。
 それくらいゾロが自分を見ていた。今までだって見られているという自覚はあった。だが、そんな自覚など吹っ飛ぶくらいに強く、ゾロはサンジを見ている。
 何故いままで自分はそれに気付かなかったのか。というか気付かない自分はどれだけ鈍かったのかと、今更ながらに喚きたくなるくらいだ。実際思い出して何度か喚いた。
 まっすぐな目で、どこか薄い鳶色の瞳が静かに自分を見つめている。それはほんの些細な時間の時もあれば、サンジが何かしている間だったりと、規則性があるわけではない。けれど、まるで見守るかのように、もしくは何かを求めるかのようにゾロはサンジを見ている。
 時折その視線に耐えられずに、何か用かと尋ねれば、ゾロはちょっと驚いたように「いや」と呟いて目を逸らす。自分がサンジを見ていると、認識していないのではないかと思うことすらある感じだった。
 さすがにそれだけ見ていれば、サンジの様子を測るくらい楽勝だろう。
 どうりで今まで、何かにつけ先回りするように色々と気付いたりしたはずだ。そんなことに、今更気付いてどうしろというのか。
 ゾロが何を考えているかはさっっぱり分からなかったが、ゾロがサンジを大切にしようとしてくれていることだけは、納得した。くどいが、今までもそうだというのは分かってはいたのだ。だが今度こそ身に染みて理解した。
 もういっそ、止めてくれと喚きたくなるくらいの、あれはもうガン見だ。
 それを思えば、普段自分がどんな風に動いていたのか、思い返すのも辛いくらい……恥ずかしい。
「…な、なんでヤローの…しかもまだ義務教育中のおこちゃまに見られて恥ずかしくなるんだ…そっちのがもっと恥ずかしいわっ!!」
 うがぁっ! と頭を掻きむしりたくなるのを、調理中という理性が食い止める。そして余計に感情が渦巻いて悪循環。
「あー…今のナシ。ゾロはおこちゃまじゃ……」
 お子様でなくなったら、ゾロは     
 膝から力が抜けて、サンジは力無くその場に蹲った。
 ゾロがゾロになる。それはゾロが個人という単体になり、自分の庇護下にいるものではなくなってしまう。
 そうなったら、どうなるのだろう。ゾロがゾロになったら…。そうしたらゾロは可愛い子供じゃなくなって、ゾロはゾロになって…。
      大人になって…。
 思考がぷつりと切れた。
 ダメだ、もうこれ以上考えたら何もできなくなる。
 よっこいしょ、とかけ声を上げて立ち上がり、サンジは大きく深呼吸をした。とりあえず、今は今夜の為のパーティの準備をしなければいけない。ナミの誕生日は、盛大かつ美しく。そしてゴージャスに飾り立てて美味しくなくてはならないのだから。
 なのに昨夜から取りかかっているというのに、作業状況は芳しくない。
 もっと別のことから検証しよう。と再度手を動かしだしながら、サンジは今朝のゾロを思い出そうと勤めた。
 いつもの通りだったはずだ。土曜だから学校は休みだが、新聞配達に行くために起きてきて。帰ってきたら朝ご飯を食べて、それから何故か制服に着替えて学校に行く準備をしていた。
 この間サンジに付き合ってくれと言っていたのは、どうやら学校に行く用事だったらしい。
 ならばそう言ってくれればよかったのに、と詮無いことを思わず漏らしたら、
「どっちにしろ、行けないだろうってのは分かってたからな」
 と軽くあしらわれた。
 本当は、サンジに言うこともなく、自分一人で行くつもりだったのだろう。ありありとそれが分かる態度だった。
 なのに、どうしてあの時あの場でサンジに言ったのか。
 それは分からないが、結局はあれが元でゾロはゼフと一緒に行くことになったのだ。
 本当はゾロが一人で行くべきことでは、なかったのではないか。
 今はそうサンジには思えている。
 元々ゾロの学校関係のことはゼフが担当していた。ゼフも言っていたように、ゾロの保護者は正式にはゼフとなっている。
 ゾロを引き取った時には、自分もまだ学生だったのだから当然の処置だろう。
 ただ、生活面のことを自分は任されていたに過ぎない。
 その事実に落ちた込みそうになった時、ゼフがカルネが運転してきた車で現れた。きちんと背広を着て、失礼のない格好のゼフは、サンジが学生の間に時折みていた姿だ。
 その姿を見た瞬間、サンジはやはりと納得した。やはり、今日のゾロの学校は大切な用事だったのだろう。
 実感せざるを得なかった。保護者ぶってはいても、サンジはゾロに保護者らしいことは何もできていなかったのだ。
 そういえば一度も、学校の行事に参加していない。
 運動会も文化祭も、本来なら、行けるような行事でさえ行っていない。何度か行こうとして行けなかったことは確かだ。だが中学に入学してからも今まで、来るなとゾロが言ったからとはいえ、本当なら行くべきだったのではないだろうか。
 本当の家族だったなら、行ったのではないだろうか。
 なのに何故か、ゾロの学校での生活を見ようという気はまったくなかった。我が子の成長を見るとか、本来ならその楽しみを保護者や親なら持つのが普通ではなかったか。
 実際自分の時には、バラティエの古参の料理人も交えて運動会や学校行事には顔を出してくれていた。その当時はそれをうざがったりしていたが、やはり少しは嬉しかったはずなのに。
 ゾロには、本当に何もしていない。
 考えれば考える程、サンジは落ち込まずにはいられない。本当に、自分はゾロに何をしてやっていたのだろう。
 参観日等はゼフの担当だったとはいえ、ゼフもあまりそれらには行っていないはずだ。いや、自分が気付かない間に行ったりしていたのだろうか。
 学生時代は親が出向く用事が多いはずだ。自分の時を思い浮かべても、結構な数の行事があった。それにPTAなどという意味不明の親活動なんかもあると聞く。全部とはいかないまでも、自分の時にはゼフがよく来てくれていた記憶がある。
 ゾロは何も言わなかったが、本当はもっと色々と自分が手を出すべき機会があったのではないか。
 今更だが、酷く苦いものがこみ上げる。
 何故それをしようと考えなかったのだろう。
 ゾロは子供だと、あんなに口にしていたのに。サンジはゾロにそういうものが必要だとは、欠片も思いつかなかった。
 それよりも、一緒にいて二人で生活していくことの方ばかりを見ていた気がする。
 一緒にいることが第一で、それは今でも変わっていないのが正直な心だ。
「…都合いいな…」
 ルフィが言った言葉は真理を突いていた。
 サンジは都合良くゾロを子供扱いしていたが、大切なことをずっと見落としていたのではないだろうか。
 では、それは何故だ?
 自分に問いかけた瞬間、頭が真っ白になる。どうして追求しようとすると、何も考えられなくなっていくのだろう。
 何故だか無性に叫びだしたくなるような、そんなむやみやたらな混乱が一気に襲いかかってくるのだ。逃げているわけではないつもりだが、これでは考えたくなくて逃避しているのに近い。
 今日はいったい、何の用事があってゾロは学校に行っているのだろうか。
 あれから何度かさり気なく聞いてはみたのだ。
 だがゾロは何も教えてはくれなかった。ただ、気にするな、たいしたことじゃない、とこちらを気遣っているのか拒絶しているのか、判別のつかない答えを返すだけ。
 それでも粘れば、ちゃんと後で話をするから、とそれだけを明確に告げて会話は終わる。
 ゾロは嘘や不確定なことは口にはあまりしないタイプの人間だ。口数が少ないわけではないと思うのだが、曖昧なことを口にするのを嫌う。
 つまり口にしたことは、何があっても貫くし、約束もきちんと守る。そこら辺りは融通が利かない頑固者だった。
 そういえばゼフもゾロのことを大概頑固だと言っていた。
「……あっんのやろう」
 地の底を這うような低い声で囁き、サンジは包丁を思わず握りしめた。
 何の気なしに、ゾロがルフィと約束していた。
 目の前に今ゾロがいたら、あれは何の真似だと、問いつめて尋問したい。なんであんなことを軽々しく約束などするのだろう。
 ルフィとなら、将来を棒に振ってでも、無謀な冒険とやらに付き合ってもいいというのだろうか。そんなバカな、と意味もなくゾロを怒鳴りつけたくなってしまう。
 かくゆう自分だってルフィには無理矢理参加決定を言い渡されてもいるのだが、それとこれとは別だ。本当にゾロが何を考えているのか、分からない。
 チッと舌打ちしたと同時に、玄関から可愛らしい声が響いた。
 途端にサンジの頬に血が上る。一瞬にして目がハート形にきらめいた。
「ビッビちゅわぁああああああああん」
 踊るようにくるくる回転しつつ、玄関に向かえば大量の段ボールを抱えたコーザとウソップと一緒にビビも荷物を持って立っていた。
「いらっしゃぁあああい、ビビちゃん。さささ、そんな重い物は鼻にでも持たせて。こっちへどうぞ」
 軽くビビの荷物を取り上げてウソップに放り投げる。
 それなりな重さの荷物が加わったウソップが盛大な文句をわめき立てるのを無視して、サンジは二人には荷物を運び込むように告げてしっかりとビビをエスコートした。
 運び込んだ荷物の大半はバラティエから持ってきた食料と、ナミの誕生日のプレゼントだ。元々ビビは料理作りのサポートをしてくれる約束になっていたし、ウソップとコーザは家の飾り付け等々、やはり手伝い要因だった。
 でもその前に、と汗だくになっている三人に冷えた作り置きのフレーバーティを振る舞えば、全員がホッとしたような顔で一息ついた。
 考えてみれば、梅雨明けも既にすませ、外は夏らしい暑さに満ちてきている。
 室内はクーラーのおかげで外の気温を意識することがなかったが、汗だくの姿を見れば外がどういう状況なのかは見て取れる。
「生き返ったー。まだ午前中だってのに、外はもう凄い暑いぜ。クーラー様々」
 拝むようにクーラーを見上げたウソップは、おかわりのお茶まで一気に飲み干すと、ソファの背もたれに沈み込んだ。
「確かに暑かったが、まあこんなもんじゃないか?」
 軽く汗をぬぐったコーザが笑えば、ビビも楽しそうに笑った。
「そんなに外暑かった?」
 サンジが尋ねると、これには三人とも頷いた。梅雨あが開けたら夏本番だと思っていたが、どうやら思った以上に早い到来が来ているらしい。
 ゾロ専用の飲み物が冷えていることを脳内で確認し、うん、と一つ頷く。何時くらいに帰ってくるのか未定だったが、そう遅くなるようなことはないだろうという確信はある。学校行事で保護者がついていくような物なら、せいぜい2時間弱だろう。
 もし遅くなるようなものなら、ナミの誕生会があると分かっている今日なら、ゾロはその旨を絶対申告していくはずだ。なにせそれで、前回異様に皆に絡まれたのだから。
「…それで、サンジさん、Mrブシドーは?」
「学校だってさ。九時くらいにジジイと一緒に学校行ったよ。なんと今日はカルネの運転手つき」
 学校? と三人が少し驚いたように目を見開いた。普通にゾロの話をしていると、時々こんな風に驚いてしまう時があるのは、きっとゾロが学生ということを忘れてしまうからかもしれない。しかも中学生。
 中学生にはとてもとても思えないあの、妙な迫力と落ち着き。あれはもう反則ものだと思える代物だ。
 ただ、話をしてみると、落ち着いているように見えて、やはり頭は子供だなと思う時もある。見かけと中身のギャップというのだろうか、それが大きいのが一番質が悪いのかもしれない。
「今日の用事って、なら、学校関係のものだったのかしら?」
「そうみたいだよ、いつもありがとう、ビビちゃん」
 電話で不意に相談してからこっち、頻繁にビビとは電話で話をしている。
 ビビも随分と気に掛けてくれているのだろう、彼女の方からもその後の話や思い出したことなどを教えてくれたりしていた。
「でもよ、学校って今頃なんかあったっけ? 面談とかなら、プリントとか配ってるはずだし、そんなのはなかったのか?」
 ウソップもある程度の話は聞いているのだろう、どこか腑に落ちない顔つきのまま首を傾げた。
「ああ、プリントとかはなかったな。一応冷蔵庫のプリントは真っ先に確認した。まあ、ゾロがわざと出してなかったら分からないんだが…」
「Mrブシドーはそんなことしませんよ」
「だと思うんだけどなぁ」
 なんとなく全部に自信がなくなっているのが分かる。だからこそ、曖昧な返事をしたのだが、それには全員が苦笑で返した。
「お前が揺れるなよ、ゾロが不審に思うぞ」
 コーザに言われても、サンジは困惑気味に頷くしかできない。
「なんにしろ、学校関係なら…ゾロどこかで悪い奴と喧嘩したりとか、そんなのはしてないよな?」
 思わずサンジの足が問答無用でウソップの鼻先を蹴り上げた。
「奴のどこにそんな暇があるのか教えて欲しいくらいだし、そんなことがあったら、まずゾロはおれ達に言う」
「ですよねぇ、サンジさん達に迷惑かかるようなこと、Mrブシドーがするはずないし」
 考えこむように顎に手をやって俯くビビに、コーザが軽く肩を竦めた。
「以外と絡まれてる奴とかをみかけたら、すんなり助けて喧嘩したりとかはするんじゃないか? 確かナミの時はそうやって、ナンパ男達を撃退したって言ってなかったか?」
 当のナミが意気揚々とその時のことを話していたのは、さすがに全員記憶している。
「どっちにしろ、もしそんなことがあったら、もっと話はきちんと伝わってくると思うけど…どうなのかな。あり得そうでやだわ」
 あり得そうだけど、今回は違う気がする。
 それは全員が分かっていたことだが、口にせずにはいられなかったのだろう。
 材料が何もないのだから、どうしようもない。
 思わず考え込んでしまったが、不意にビビは息を吐いた。
「分からないことを詮索したって、不安になるばかりだわ。まずは、私達はできることからやりましょう! 早くしないと、夕方にはナミさん達きちゃいます! 間に合わないと大変」
 パンと手を打ち鳴らずビビに、全員が間に合わなかったら…という恐ろしい想像をしかけ、慌てて立ち上がった。
 あとははかどっていなかった作業を、とにかく間に合わせることだけに集中することになった。






2011.6.21




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