遠くて近い現実
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 夕方から始まった騒ぎは、延々と続いている。
 どうしてこうも続けられるのかと、ちょっと不思議なくらいだった。
 けれどちょうど十二時を過ぎた辺りで、最後のピークのような異様な盛り上がりがはじまった。
 何故かモダンダンスに阿波踊り、ドジョウ掬いなどが酒を抱えたまま、しっちゃかめっちゃかに披露されだし、そのまま酒飲み大会のような状況になだれ込み、不意にまるで電池が切れるように、一人、また一人と倒れ始める。
 ふと、気付くと、ゾロにノンアルコールのビールを無理矢理飲ませようとしていたナミがパタリと倒れて、起きているのはゾロのみとなっていた。
 なるほど、と思わず感心しながら注がれたそれを飲み干し、ゾロは大きく溜息をついた。
 随分と前に似たような光景を見た記憶がある。
 あれはこうやって出来上がったのかと、もの凄く納得してしまった。あの頃は、まさかその騒ぎを一緒に体験して楽しむとは思ってもみなかったが。
 寝息が支配する部屋は、クーラーの音だけが響いて寸前までとのギャップに、妙に静かな印象をゾロに与えた。
 残っている出しっぱなしのお茶のペットボトルを見つけ、それをコップに注いでもう一杯飲み干す。
 随分食べて飲んで、お腹は一杯だったのに不思議と喉が渇いていた。
 楽しかったのは確かなので、きっと自分もはしゃぎ過ぎたのだろう。
 軽く周囲を見回すと、てんでバラバラに全員が床に転げている。やはり前とまったく一緒だ。思わず笑いを漏らし、隣に倒れたナミが小さく唸ったのに口を閉ざした。
 この部屋の時計は全てウソップの力作に隠されて見えない。けれど、もう随分良い時間なのは分かる。
 そっと誰も起こさないように立ち上がり、これも前と同じだなと思いながら、タオルケットを引っ張り出した。違っているのは、今は騒ぐ人数分のタオルケットが常備されているところくらいか。
 クーラーの温度を調整し、全員に静かにタオルケットをかけていけば、やはりゾロができる後始末は終わってしまう。
 食器類や他の片づけもあったが、大抵のものは既に騒ぎながら片づけもしていたサンジの働きで少ない。
 台所に置いてあった時計を確認してみれば、やはり夜中の2時はとうに回って、あと少しで3時になるところだった。もう1時間もすれば、ゾロは配達に走る時間となる。
 面倒だとゾロは起きていることにして、それでも一応と部屋の照明を落とした。
 楽しい騒ぎの余韻とアルコールで、満足に浸された空気がとても心地良い。台所に近い所で、左横になって伸びているサンジの側に近寄り、ゾロはそっと隣に腰を下ろした。
 前の時、やはりサンジを見つけてこうやって見下ろした。あの時のことをゾロは忘れたことはなかった。
 オレンジの光の下、眠るサンジに初めて自分の気持ちの種類を自覚したのはあの時だ。
 いつの間にかそれまで一番傍にいたあの人と、サンジを同じに見ていた。それが違う人間だということに気付いたと同時に、自分がこの男をどう思っているのかがはっきりした。
 あの時から、そろそろ一年近くになるのか。なんとなく早いものだと思って、ゾロは苦笑した。
 見下ろしたサンジはどこか幸せそうに、顔を赤くしたまま気持ち良さそうに寝ている。
 起きていれば、足癖が悪くて、口も悪いしヘビースモーカー。なのに、面倒見がよくて、ご飯が美味くて、そして温かい気遣いのできる男。
 さらに女性が大好きで、ナミが特に好きで。子供にも結局は分け隔て無く、優しい。強くて寂しがりやな、働いて自分を支えることができている大人。
 なんでこの男なんだろうな、と不意に思ったが、目が離せないのだからそれはそれで仕方がないのだろう。
 こんな気持ちになってしまうのは、自分がサンジを求めているからだ。ならばそう思うことに、理由を探してなんになる。
 自分の気持ちははっきりと自覚しているのだから、それはそれでいい。
 それ以外は、自分の手の範疇外だ。何を思い悩んだところで、どうなるものでもない。求めているものが、手に入らないことなど山のようにあるのだ。特に、人に関しては。
 だから、ゾロは自分のこと以外は考えないことにしていた。相手がどう思うか、相手が何をどう判断するのかは、結局は自分にはどうしようもないことだからだ。
 ゾロはサンジをじっと見下ろし、寝息をたてる男を見続けた。
 宴会の間中サンジはナミとビビに構い続けて、そういえば傍にいた記憶がない。何故かルフィとウソップ、そして後からナミには絡まれ捲ったが、そんな時はサンジはビビを相手にしていた。
 思わず長々とした溜息がゾロの口から盛大に漏れた。
「…アホか…」
 ついでに罵倒までもが漏れる。
 サンジが今日の宴会の間中、自分の世話をしなかったことが、今頃になって妙に胸に迫った。
 たった今、相手が何考えているか分からないから、などと思ったのに、すぐこれだ。
 感傷的だな、と思えば笑いたくなってくる。本当にアホでバカだ。ナミの誕生日なのだし当然のことだと分かっていても、どうしてこうも納得できないのだろう。ここまで来ると、本気で自分のだだっ子のような有様に情け無くなってくる。
 オレンジのぼんやりとした光の下で、少し汗で張り付いた金色の髪を見下ろしていると、無意識に手が伸びた。
 これが自分かと思う程慎重に、慎重に金糸に指を絡め、そっとなで上げる。巻いた眉が現れて、閉じた瞼がわずかに震えた。
 ギクリと手を止めたが、目覚める気配はない。そういえば、いつになく飲んでいた姿も思い出して、ゾロは無言でサンジを見た。
 指が意識もせずにサンジの眉をなぞり、それからそっと掌で頬を包んだ。己の手が何もしなくても、サンジの小さな顔を一撫でにできることを、その時初めてゾロは知った。
 薄顎髭をくすぐるように撫で、頬を指でなぞる。首筋から耳までを髪をかき上げるようにしてなで上げ、耳たぶを軽く摘んだ。薄けれど、柔らかい。その感触に、どこかがカッと燃え上がるのを感じて、ゾロはぐっと歯を食いしばった。
 手の動きが止まらない。それどころか気持ちがいい。
 あらわになった顎から首筋の線を包み込むようになぞり、のど仏に指を這わす。薄いといつもブツブツいいつつも整えている顎髭を指で撫でると、鼻に抜けるような幽かな吐息のような声がサンジの唇から漏れた。
 それに併せてのど仏が上下する。
 いつの間にか、ゾロはサンジに覆い被さるように顔を近づけていた。
 耳たぶを摘み、目線は喉から顎へと流れ、薄く開いている唇に釘付けになる。
 いつも煙草を銜える唇が、オレンジの灯りにも少しだけ色づいて他の肌の色とは違う場所であることを見せつけている。
 とても美味そうだ。
 まともに考えられなくなった思考のまま、ゾロはぼんやりと本当に間近のそれを見た。あまりにも近づいたからだろう、サンジからアルコールの匂いと煙草の匂い、そしてそれに混じってサンジの体臭が鼻孔をくすぐった。
 身体のどこかが麻痺したようにゾロは感じた。自分の熱が、一気に上がったことも、遠いどこかで認識したような気がしたが、それを意識することはできなかった。
 手が自分のものではないように、サンジの頭や耳、首筋を撫で、鎖骨の辺りを彷徨った。
 もう片手はサンジをまたぐようにして、ゾロの体重を支えているから使えない。それが妙にもどかしい。何処かでなんだか荒い息が聞こえる、と思ったら、それは自分の呼吸だった。
 もっと、と訴える欲求のまま、ゾロはさらにサンジに近づいた。ほんのすぐ傍に、サンジの唇がある。
 何故そんな所に、と思う間もなく、ゾロは引き寄せられるように手の力を抜こうとした。そうすれば、そこは…。
 はふっ、とサンジの唇が開いた。
 髪を撫でていた手に力が入り、ゾロの指にサンジの髪がひっかかったのが分かった。わずかにこめかみを引っ張ったような形になったのだろう、呻いたサンジに、ゾロははっと目を見開いて飛び跳ねた。
 ガタリと思わず背後の戸にぶつかって、大きな音がたった。
 思わず周囲を見渡したが、誰も起きる気配はない。
 は? と何がなんだか分からずに、思わず己の手を見れば、細くキラリと光る髪の毛が指に絡まっているのが見えた。
 気付けば、涼しいはずの部屋で汗びっしょりになっている自分がいる。
 今…自分は何をしようとした?
 荒い息のまま、ゾロは呆然と己の手を見下ろして絶句した。
 サンジを撫でまくって、そして何をしようとした。
 手が温かな肌の感触を再現する。少し汗で湿った肌は、吸い付くような感じがした。顎のラインは鋭角で、髭は薄くて柔らかかった。のど仏が上下して、耳許で柔らかく響いたサンジの呼吸と、小さな吐息。
 ガッとゾロは自分の熱がさらに上がったのを感じた。
 思わず、ナミを見た。ナミはソファの近くで、気持ち良さそうに眠っている。
 そうしてサンジを再度見つめ、ゾロは思わず拳で床を叩いた。
 大きな破砕音と同時に拳に酷い衝撃が来たが、それがなんだというのだろう。痛みというより、熱く感じるそれに己の正気を取り戻そうとして、きつく拳を握り締める。
 鬱血した拳の関節の色が、じわりと広がっていく。それでもまだ、足りない。ぐっと唇を噛みしめ、ブルブルと震える程に全身に力を込め、ゾロは目を閉じてずり下がるようにしてサンジの隣から遠のいた。
 何も考えられない。けれど、サンジの側を離れるのを嫌がる自分がいる。それを無理矢理押さえ込み、ゾロはじりじりと距離を取る。
 サンジは。
     ゾロのものではない。
 きつく己に言い聞かせれば、思わず目を見開いた。
 思った程、自分はサンジの側からは離れていなかったらしい。少しだけ距離ができたサンジが横になって、眠っている。
 けれど、サンジの姿が滲んで見える。どうしたというのだろう、何故こんなに視界がぼやける。
 はっ、と息を吐き、ゾロは己の頭を抱えた。
 見てはいけない。サンジは自分のものではない。サンジは誰にでも優しくて、そして、皆に愛されて、大切にされて。
 ここにいる、皆のもので…ナミのものだ。
 大きく息を吐く、運動しているわけでもないのに、苦しい。駄目だ、このまま近くにいたら、またあのわけのわからない衝動に、自分は負けてしまう。
 弱い。
 こんなに弱くては、サンジの、誰の傍にもいられない。
 それどころか、こんな状態では、誰かの負担になる一方だ。
 何かが、頬を伝ったような気がしたが、構ってはいられなかった。このままでは駄目だ。ここにいては駄目だ。
 目をきつくつぶれば、また何かが頬を伝った。けれど、目はあけられない。幸せそうな、この家の部屋の様子を見る資格すら、今の自分にはないはずだ。
「…きだ…」
 言い訳のように、言葉が口から漏れた。情け無いくらい掠れた声だった。
 けれど、思わず次々に出てこようとする同じ言葉を、ゾロは無理矢理封じた。
 封じれば封じる程、胸のどこかが強烈に痛んだが、それでもゾロは必死に口を閉ざした。
 サンジから遠ざかるのを嫌がる正直な身体を無理矢理動かし、ゾロは大きく深呼吸を繰り返した。
 無様だ。
 けれど、無様過ぎるからといって、これ以上もっと無様になるのはごめんだ。そんなことをしたら、今日、息子だと言ってくれたゼフやコウシロウ師匠、何よりも今まで面倒を見てくれたサンジに顔向けができなくなる。
 それだけは、絶対にしてはいけない。
 フラリと立ち上がり、ゾロはいつの間にかきつく掴んでいた己のシャツが、うっすらと赤く滲んでいるのに気付いた。どうやら拳から血が出ていて、それがついたらしい。
 赤い色を見て、己の拳を見つめ、ゾロは嗤った。己自身を嘲笑うかのようだった。
「…おれはまだこの程度か…」
 また頬を滑ったそれが、酷く邪魔だ。シャツで顔をぬぐい、ゾロはリビングを視界に入れないよう、ゆっくりとまるで力のない足取りで、ふらふらと己の部屋へと向かった。
 この家の空気の中で、今日誰も入っていない部屋はそこしかない。そこが、今の自分の場所だ。
 ドアを開けると蒸し暑い空気が流れ込んできた。それを押しのけるように、ゾロは部屋に入る。そうして、ゆっくりと真っ暗な部屋の中にくずおれた。
 ジンジンと拳がうずいたが、それがなんだろう。
 こんなものでは足りない気がして、思わず壁を殴りそうになって、必死に拳を己の腹に握り込んで我慢した。そんな八つ当たりをしてはいけない。もし壁を壊しでもしたら、どうしようもない。あの床は大丈夫だったろうか。
 ベットに顔を埋め、くぐもった呻きを漏らした。道場にでもいって、思い切り声を張り上げたい。
 いや、竹刀でも刀でもいい、振りまくって身体を動かしたい。動かさなくては駄目だ。
 本当に、自分は駄目になる。
 ガバリと起き上がり、ゾロは窓から外に飛び出した。裸足だとか、自分の姿がどうだとか、そんなことは丸で考えられなかった。
 ただそのまま、ゾロは家を飛び出し、全速力で真っ暗闇の住宅街を走り出した。
 




2011.7.30

ターニングポイントじゃないかと思われます。色々書きながらびっくりしていた回でした…(笑)



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