遠くて近い現実
[3 6]






 ゾロは混乱しているサンジを見つめ、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「コウシロウ先生から話しがあった。あの先生、色んな人達と知り合いだったりするんだ。その中に、世界一強い剣士がいる」
 そんな話を聞いたことはない。
 頭が真っ白になりそうなのを、辛うじてゾロの声が引き留めている。
「剣士って日本にしかいないんじゃねぇの?」
 素朴なウソップの疑問に、ナミが嘆息した。
「純粋に剣技だけでみたら、フェンシングだってそうだし、東南アジアにだってあるじゃない。どこにだって、剣を使う武術はあるんだし。日本だけの特権じゃないわよ。まあ、日本ほどそれに特化してるのは珍しいかもしれないけど」
「なんか異種格闘技みたいなものとかも、たまにあったりするらしいけど、剣では負け知らずなんだとよ。またホントに恐ろしく強い。おれの目標だ」
 そんなゾロが目標にする人がいたのだ。
 言葉を発することもできないサンジをどう見ているのか、ゾロはなだめるように目を和らげた。
「けど、本人見たら、がっかりするようなケバジジイなんだけどな。最初に会ったのは、まだ小さい頃だったけど、あれは本気で驚いた」
 ケバジジイ。それはどこかで聞いたことがある気がする。
「とにかくなんか変な服ばっかり着てるんだよ。見る度に呆れるんだが、強いことは間違いない。あだ名で鷹の目って言われてる。そいつから、先生に連絡があったんだと。自分の元におれを寄こしてみないか? ってな」
 なんとなく目に強い光を灯し、ゾロはサンジから目を逸らさずに続けた。
「鷹の目は、今、腕を見こまれてあっちこっちで指導をして回ってるらしい。本人は暇つぶしらしいが、それこそ警察やら道場やら自分が気に入った所で、指導をしてはまたいなくなったりしてる。ただあまりにも厳しい上に、強すぎて話にならないらしい。皆修行してそこそこ強くなったら、鷹の目に勝負を挑んでくるらしいんだが、それでもコテンパンらしくて鷹の目には追いつけない。するとつまらない、といって辞めて出て行くらしい」
「…はた迷惑な話ねぇ」
 ナミの呆れた相槌に、ゾロは深く同意を示した。
「まったくだ。なのにそんなヤツが、何を思ったか、去年から高校で指導を始めたらしい。どんな暇つぶしだよ、と思うんだけど、事実らしいから仕方ない」
「それで、Mrブシドーを誘ってきたんですか?」
 ゾロは頷いた。
「おれが中学生だと思い出していたんだと。中学生なら進学するし、なら、おれを寄こせと言ってきたみたいだな。先生に話を持ってきたのはちゃんと筋を通しておきたかったんだろう。おれはコウシロウ先生のところの門下生だし」
「すげー話じゃねぇか」
 感嘆するウソップに、ゾロはどこか嫌そうに首を振った。
「ちゃんと条件がついた。一年間、自分がこれと指定した試合に全部出て優勝しろだと。一つでも落としたら、この話はなかったことにする、ってな」
 全員が目を剥いた。
 上位に食い込めではなく、優勝と区切られれば、その時の運も体調も何もかもが作用する。
 はっきり言わなくても、その条件はかなり厳しい。
「んじゃあ、ゾロはそれに全部勝ったんだな! すっげーなぁ! さっすがおれのゾロ!」
「なんでお前のなんだよ!」
 速攻でウソップの突っ込みが入ったが、ゾロは何も答えずにサンジを真っ直ぐに見つめ続けた。
 その姿はどこか決死の覚悟があるようにも見えて、ナミとビビが視線を微かに見合わせる。
「…何試合くらい…あったんだよ…」
 どうしても掠れてしまう声で、か細く問えば、その時だけ一瞬ゾロは視線を外してあらぬ方を見た。
「どんくらいあったっけな、大きな大会もあったけど、大概が小さな身内試合みたいなのだったからなぁ。一番最初が大きな試合で…ああ、ナミが戻ってきた時のお帰りパーティとかやった時だったはずだから…。あれから…」
 ブツブツ呟いて指を折っていく。それが片手では足りなくなったのを見て、サンジは俯いた。俯かずにはいられない。
 自分が知らない所で、ゾロはその全試合を一人で戦ってきたのだ。
 誰にも何も言わず。ダメだったら、それで終わりだからと、言うこともせず。
 唐突に理解した。
 そのころ、ゼフが弁当を作っていた相手。あれはやはりゾロのものだったのだ。
 サンジがナミとの再会に浮かれ騒いでいる時に、ゾロは自分の進路を決める為の大切な、本当に大切な一歩を踏みだそうとしていた。だから、ゼフは応援に弁当を作ったのだろう。
 じりっと胸に湧いたのは、怒りにも似た焦りだ。何故あの時、自分はもっとゼフやゾロに追求しなかったのだろう。
 ナミと会えたことに天地がひっくり返るくらい喜んでいたのは確かだ。そこにゾロを混ぜてやればいいと、それも本気で思っていた。
 まさか、あの最初のナミとの再会パーティの時から、こんなに大きくすれ違っていたとは。
「…なんで…」
「あ?」
「なんで言わなかった! 大切な試合だって言えば、おれだってなっ!」
 ふつふつとわき上がる怒りを抑えられず、勢い良く顔を上げてゾロを睨み付ける。だが、ゾロは一つも表情を変えることなく、視線も逸らさずにサンジを貫いた。
「言ってどうするんだ?」
 その一言にサンジは硬直した。
 どうするんだ、と。本気で不思議そうに尋ねられたら返す言葉はない。
 これは、今まで二人で進んできたサンジとゾロの姿そのものだ。ゾロはこうやって一人で。ただ一人で自分の道をサンジには言わずに進んできたのだ。
「お前は剣道に興味はないだろ? むさい男だらけの試合なんて見たくもないって良く言ってたしな」
 いや、そう進めてきたのは、サンジ自身。
 ゾロは一度も、サンジを頼ろうとはしなかったのだ。するということすら、思いつかなかったのだ。
 それは一度たりとも、手を伸ばすことをサンジが許さなかったからではないか。
 甘えることすら、させなかったからではないか。
 ゾロの目が和らぐ。
 サンジはそれを初めて怖いと思った。
「無理する必要はねぇ」
 小さく首を振って、そう断言する。
 いつものように、サンジに道を残そうとする。
「どうせ結果が全てだ。勝てば条件に乗って一つ進む、負けたら終わり。それだけなんだぜ? しかも、そんな試合が何度も来るときた。いちいち言ってもいられねぇ。一つくらい勝ったって、何も決まらないんじゃ余計なぁ」
 少し困ったように、けれどそれはゾロの中では納得済みなのだろう、はっきりとした態度でゾロはサンジへ頷いてみせた。
「おれはあのケバジジイが目標だから、あいつが来てみよ! とかワケわからん言葉で言われたら、やってやろうじゃねぇか! って思うけどよ。でもそれはおれだけのことだ。おれのワガママみたいなもんなんだ。だからおれは、自分に恥じないようにやるしかない。…だから真剣にやった」
 誰も口を挟まなかった。
 どんなにゾロが練習に打ち込んでいたかは、ここにいる全員が知っている。休みの日も朝も夜も、暇さえあれば道場に通っていたのを見てきたサンジは尚更だ。
 ゾロはどこか優しげに、サンジへと語り続けた。
「出された条件は全て勝ち取った。そういや、年末に試合あったろ? あれはあのケバジジイの教えている学校で、学内試合に参加してたんだ。それも条件だったんだが、かなり無理矢理参加だったな。学校に特例でもし行くんだとしたら、こんなヤツだって、見せる必要があったんじゃないか? あと、コウシロウ先生の流派は珍しいから、その…なんだったかな、ああ、デモンストレーションみたいな? まあ、そんな感じのことも含まれてた。結構やった試合の中で、あれが一番つまらなかったな、日にちだけはかかったくせにな」
 昨年末、大事な試合だと、きちんとゾロは口にしていた。説明もしようとしていた。
 聞かなかったのは、サンジだ。
 今年に入って、DVDを見ていたゾロと喧嘩したが、あのディスクが、その学校での試合だったのだろう。
「でまあ、その時に大体は決まったらしいんだが、今年に入ってからは二月と五月の新人戦みたいなので全部条件はクリアした形になった。後は、あっちの学校がどんな判断を下すかだけだったんだ。その結果発表が昨日だった…なんかあれだよな、ナミに始まり、ナミに終わった感じか?」
「失礼ね!」
 憤然と呟いたナミにゾロは笑った。
 本当に満足そうな笑いだった。
 何一つ試合については悔いはないのだろう。硬直したまま、ただ呆然とゾロを見ていたサンジはその笑みに、何かが自分の中で壊れる音を聞いた気がした。
 ゾロが遠い。本当は、ずっとこんな風に遠かったのだ。
「爺さんには世話かけたが、とにかく、入学の許可は下りた。特待生ってヤツになるらしいから、諸々の学費は免除だそうだ。寮費も半額くらいにしてくれるらしいんで、それだけでも助かる。まけてくれる代わりに、鷹の目の元で学校に貢献することが条件だな。まあ、なんもかんもタダになるんだから、それくらいは当然だろ。…強くなる為に行くんだ」
 ぴくりと肩が跳ねた。
 なんだろう、今聞き捨てならない言葉を聞いた。
「行く…?」
 微かに呟けば、ゾロが、うん、と頷く。
 聞きたくない。聞きたくないが、聞かなくてはならないことがある。
 カラカラに乾いた喉を無理矢理吐息を呑み込むように上下させ、サンジはどこか必死の面持ちでゾロを見据えた。それしか、今は何もできない。
「ゾロ」
「おう」
「……どこの…高校に行くつもりなんだ…お前は」
 ゾロはサンジの視線をしっかりと受け止め、それから何かを遮断するように、ゆっくりと一度だけ瞬きをした。
 その口元が、引き上がる。
 笑ったというには、引きつってもいるようで。まるで諦めたような、そんな苦笑すら思い浮かぶそれに、サンジの鼓動が早くなる。
 聞いてはいけない。異様な拒否感が音を拒絶しそうになっているのに、ゾロの声だけはしっかりと耳に届く。
「九州だ」
 言って、ゾロはほっと息をついた。
 やっと肩の荷を下ろしたように、今度は苦笑だとはっきり分かる笑みで息を詰めてこちらを見ている全員を見回した。
「なんか山の中の方の高校なんだと。けど、高校では全国大会常連校だそうだ。上位にいつも食い込んではいるらしいが、優勝は今一歩で逃しまくってるらしい。だからこその鷹の目と特待生ってヤツだなんだろうな」
「…ゾロはそこに行きたいんだな」
 確認するような強い声に、ゾロがそちらを見る。ルフィが恐ろしく真剣にこちらを見ていた。
 それにゾロは力強く頷いた。
「ああ」
 迷い一つない。
 そんな段階は既に通り過ぎているのだろう。
「おれは強くなりてぇ。誰よりも、あの鷹の目よりもだ。おれはまだ弱い。まだまだ、足りねぇ」
 ゾロは青ざめてさえ見えるサンジを見つめた。
 本当の強さを手に入れなければ、きっと、何も自分の元には残りはしない。それどころか、支えてくれる人達をも犠牲にする。せめて。目の前の人くらいは、助けられるくらいの強さが欲しい。幸せになることを喜んであげられるくらいの強さを身につけなければ、情け無くてしかたない。
「剣道だけみても、強い奴らは他にも沢山いる。そいつらとも試合してぇ。おれは頂点を目差す。世界一強くなるのが目標なんだ。なら、あいつの所に行くのは、強くなる為のチャンスだ。だからこそ、おれは行く」
 断言するゾロに、ニッとルフィは破顔した。そのまま笑いつつ、ちぇーっと声を上げてその場にひっくり返る。
「つっまんねーの。せっかく一緒にあちこち行けると思ったのになぁ。三年は会えないのかぁ」
 三年。その言葉にサンジは首を傾げる。
 あれ? と思った瞬間、全部が頭に入ってきた。
 ぐわりと頭が揺らいで、思わず床に手をついた。倒れ込みそうになったのに、慌てたようにナミとビビが支えてくる。それに応えたくても、サンジは力が入らずに軽く頭を振っただけだった。
「コック!」
 ゾロがこちらに身を乗りだそうとするのに我慢がならず、思わず足が出る。
 どうやらまともにゾロにヒットしたらしく、ひっくり返る音と悲鳴が響いた。
「なんで…」
 頭が真っ白だ。
 何度も何度も、これではいけないと考えていた。考えていたけれど、まさかこんなことが起こるとは思ってもみなかった。
 ゾロが自分の傍からいなくなることがあるなんて。
「なんで言わねぇ…。お前一人で、ずっとそんなの抱えて…そういうことこそ、相談するべきだろうっ! なんの為におれがいるんだよ! なんで、なんで一人で! おれはお前のなんだったんだ! おれはな、おれはっ!!」
 床を拳で叩き、サンジは頭を上げられないまま、ただ勢いに任せて口を開いた。
 何もわからない。とにかく、酷く痛いものが躰の奥からわき上がってくる。これが何なのかすら分からないが、それは酷く苦くもあって、自分がぐちゃぐちゃにされているような気がした。
「おれは! お前の家政婦じゃねぇんだぞっ! こんなに一緒にいてっ、なんでっ! 全部っ! 一人でっ!」
 ただ熱いものに焼かれてしまう。
 叩きつけようとした拳は、急に腕を取られて止められた。力任せに引き寄せられて、バランスを崩した。
 小さいうめき声と共に、サンジはゾロに抱きかかえられてソファの方へと二人して倒れ込んだ。サンジがゾロの上に乗り上げたような形だったが、足に負担がきたのだろうゾロの顔が一瞬歪んだ。
「ちょっ、ゾロ!?」
 ナミ達の慌てた声に、ゾロは軽くそちらを見て大丈夫だと伝え、大きく大きく息を吐いた。
「床叩くんじゃねぇよ、手が痛くなるぞ」
 ゾロはサンジの下敷きになったまま、サンジの腕を引っ張るようにして引き上げた。そうして、とにかく怪我をしていないか確認する。赤くはなっているが、内出血はしていないようだ。
 自分の拳の方が赤黒くなっているのに少し目を眇め、それから諦めたように目を閉じた。
 荒い息をつくサンジは、いつもよりも随分といきり立っている。自分の衝動をどうにか納めようとしているのだろう。怒ったのなら、いくらでもゾロを蹴るなり怒鳴るなりすればいい。けれど、手を傷つけるのはダメだ。
 サンジがずっと手を大切にしていたことは知っている。その大事なものを、自分のことのために使うのは、ダメだろう。
 本当に、自分はバカだなと、なんとなくゾロは思って力を抜いた。
 そんな風に思わせていた自分という存在が、本当に子供なんだなと実感できる。
「お前のことを家政婦だと思ったことはねぇよ。ただ、最初の頃は、あの人と同じなんだなと思ってたことはあった。…お前はお前なのにな、悪ぃ」
 これでは通じないか、と思っても、ゾロにはそれしか言えない。
 全員が無言で折り重なるようにしている二人を見つめている、その前で、ゾロはサンジの背をそっと叩いた。
 酷くぎこちないが、優しい仕草だった。
「おれのことは、おれのことだ。だから、お前がどうこう悩むことはない。自分のことは自分でしろって、お前言ったろ? だから、お前もお前のことをすればいいんだ。おれの為にどんだけお前が自分の時間を犠牲にしてくれていたのか、ちゃんと覚えてる。…ありがたいと、ずっと思ってた」
「違うだろっ! 全部間違ってるだろ! おれはそういう意味でそんなことを言ったことはねぇぞ! それに、おれはおれの時間を犠牲になんてしてねぇ!」
「あー、そう言うだろうと思ってた。ありがとう」
 その言い方がなだめるように聞こえて、サンジはゾロの腕をもぎ放し、勢い良く胸板に両手をついて起きあがった。
「ふざけんなっ! 何がありがとうだっ! わかってねぇくせにいっちょ前に礼言ってんじゃねぇっ」
 ギリっとゾロの胸元のTシャツを握りしめ、きつく引き寄せる。伸びたTシャツの首元がさらに伸びて、ちらりとゾロの胸板の傷跡が覗く。
 それに更に激昂した。
「お前は本当に何もわかってねぇ! おれはな、自分のやりたいこと以外に手を焼いたりはしねぇよ、お前はおれを助けた、だから今度はおれがお前を助けようと思ったんだ! こんなちっこいお前を助けて、大きくしてやって、一緒にバカやってっ! 寂しい思いをしなくてすむように…そう願ってたんだっ。なのに、てめぇはっ」
「楽しかったぜ」
 まるで囁くように、ゾロは応えた。
「こんなに一人じゃなかったのは、もしかしたら初めてだったのかもな。あんまり意識してなかったけど、そうだな、寂しいなんて思ったこともなかった。お前等むちゃくちゃだしな」
 チラリとゾロはこちらを息を詰めて見ているメンバーを見た。
 サンジと違い、ゾロは全体を見ている。それに気付いて、ビビがそっと近寄ろうとしたのを、コーザとウソップがそっと留めた。今、出て行ってはいけない、そう教える態度に、ビビもはっとしたようにそっと元の位置に戻る。
「けど、ずっとおれのそばにいたから、お前は何もできなかった。お前が遊びにいきたいのも、おれは知らずにお前を独占してた。ルフィ達とも、お前はわざわざ手を切ってたんだろ? 学校に行ってる時だってクラスメイトと縁切ったり合コン我慢したりしてたじゃねぇか。色々あったりもしたが、本当はおれがいなければ、お前はもっと好きなことをできたんだ。そうだろう?」
 ゾロはどこが一生懸命な響きの残る声で、珍しく説明を続ける。こんなに沢山話をしているゾロを見るのは初めてだった。
 だからこそ、どこか必死なように見えて仕方ない。
「…これからだって、おれがいれば、お前はおれを優先する。お前がそう決めてるからな。…本当はもっと大切なことがあっても、だ」
「そんなものは、ねぇ」
「嘘つけ」
 トンとサンジの胸を拳で軽く叩き、ゾロは目を閉じる。不器用に微かに頭を垂れると、そっとサンジの肩口に額を乗せた。
「ナミ達がいい例じゃねぇか。お前は無理ばかりしてやがる。悪いと思ってた。   おれはガキだから、保護者がいる。どんな形でさえ、保護者がいなきゃ何もできねぇ。だから、お前はそれを買って出てくれた。もの凄く助かった。帰ったら美味い飯がある、綺麗にしてくれている部屋がある。小遣いはくれるし、何か買えって言ってくれる。…どんどんおれは贅沢になった」
「それこそ嘘だ! お前は何も贅沢なんてしてなかったじゃねぇかよっ!」
「おれは嘘はつかねぇ。…お前がいただろうが、それのどこが贅沢じゃねぇんだよ」
 ゾロは目を開くとサンジを覗き込むように顔を上げた。
 見えている片目を、しっかりと見つめ、まるで何かを欲するように力を込めてくる。
「お前がいてくれた。だからおれは、すぐに忘れてしまってた。…おれに構う分、お前が自分の時間を削ってるってことを。皆好き勝手やってる時に、お前だけがおれの為に家に戻ってくれてるのも、当然だと思ってた。…そんなわけはねぇ。ナミが帰ってきて、お前にだってきちんと自分の時間が必要になってきたってのに、おれはそれすら分からなかった。人一人を独占するなんざ、贅沢の極みだろう」
 ゾロはほんの一瞬、苦しそうに目を細めた。それこそ、こんなに間近で見ていなければわからないくらいの変化で。
「…おまえはおれのもんじゃねぇのにな…」
 やたらと平坦な声だった。痛い程にそれを自分に確認している声だった。
「ありがとう、すげぇ、ありがたかった。おれはお前が好きだ。…だから、もう…いい」
 ゾロは笑った。
 何もかも、全てを受け入れて満ち足りているように。あのいつもの笑みだ。なのに、何故こうも寂しいのか。何故胸を掻きむしられそうになるのか。
 反射的に手を伸ばそうとしたサンジは、けれど動けなかった。動くことを、ゾロが許さなかったといっていい。
 静かにゾロはサンジを抱き寄せると、そっと一度だけ力を込めた。
 本当にいつの間にこんなに大きくなっていたのだろう。まだ細さが残る腕は、それでもサンジをきちんと覆い尽くし、胸に人一人納める不動の広さを持っていた。
「お前はもっと自分のことに集中しやがれ。好きなことをして、本当に大好きな奴といろよ。恋人とデートだってするんだろ? 結婚だってするんだろ? おれのことにかまけてる暇はねぇだろ。…なくなっていくだろう?」
 楽しそうに言い、まるで何かから引き離すように、ゾロは唐突にサンジを抱いている腕を解いた。
「おれの進路は決まった。もう、迷惑はかけねぇ…かけねぇで済む」
「迷惑とか、そんなのは…」
「本当は、もうちょっとだけ、ここにいさせてもらおうと思ってたんけどな」
 ゾロは生真面目な顔で、玄関の方を見た。
 いつの間にか、廊下の方にはゼフが立っている。驚きの声が何人かから上がったのは、いつ来たのか誰も気付かなかったからだろう。だが、入り口に寄りかかって立つその姿から、少し前からゼフがそこにいたのだと察せられた。
「…じじぃ…?」
 小さく、サンジが囁いた。何故ここに、ゼフがいるのか、本気で分かっていない声だった。
「おれは、これから高校に行くまでの間は、じいさんの所にいく」
 ゾロはしっかり、はっきりとそう言い、サンジから視線を落とした。
「世話になった。お前がいてくれたから、おれはここまで来れた。感謝しかできねぇが…ありがとう」
 呆けたサンジの前で、ゾロが真剣に頭を下げていた。







2011.9.14

ゾロ一人語り…ここまでで初。…かも…?…



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