「おかわりっ!」
「どんだけ喰うつもりだっ、いい加減にしとけっ!」
怒鳴りながらも差し出された皿を奪い、フライパンに残っていたショウガ焼きを乗せてやる。ついさっき、追加焼きした分だ。
「もう本当にそれだけしかねぇからな! もう終了だ、お・し・ま・いっ!」
ちぇーっと口を尖らせるルフィに歯を剥いて怒りを表し、サンジはついでに山盛りのご飯これもラストをおひつから注ぎ足した。
いつしか季節は夏を通り過ぎ、初秋の様相をみせようとしていた。
あれだけ暑かった夏も、実はサンジにはあまり記憶にはない。毎日毎日バラティエに行って、帰っては寝むりこけ、そしてまたバラティエに行く。ただそれだけのローテーションのまま日々が過ぎてしまい、暑かったかどうかの記憶すらないのだ。
随分とウソップやルフィ達が自分を誘い出しては色々な所に連れて行ってくれたのだが、それすらも何故かうっすらと記憶が遠い。
プールにも行ったし、海にも行った。その時にはナンパも随分した。玉砕も多かったが、楽しかった。本当に楽しかったはずなのに、ナンパした女の子にもらった携帯には電話することすらなく。逆ナンされればそっと断り、結局は何事もないままの夏だった。
ふと気付くと、何かが足りない。
ずっと何かを探しているような気がするのに、それが見つからない。
そんな夢をずっと毎日のように見続けているし、始終その気分を引きずっているからか、起きていても何かを探してしまっている。
それが何なのか。
分かっていて、サンジは納得できずにまた考え込んでいる。
ゾロがいなくなって、二月近く。
サンジはガツガツと自分の料理を食うルフィを見つめ、大きくため息をついた。
ゾロがいなくなってからは毎日のように、ルフィやらナミ達が家に来るようになっていた。
それは学生時代の頃とまったく変わらぬ日常で、サンジには馴染みが深い日々だ。特にルフィは、ほぼ皆勤賞。来てはご飯をたかり、たらふく食べては満足そうに帰っていく。食費もきちんと落としていくだけ、まだいい方なのかもしれない。
「ただいまー! って我が家じゃないんだけど」
「でもただいまって言いたくなりますよね、ただいまです、サンジさん」
玄関の方から一際明るい声が響き、サンジの躰が反射的にくねった。これだけが、今のサンジの救い。
「ナッミさ〜ん、ビッビちゅわぁああああん、おっかえりなさぁああい」
ハートマークを飛ばしまくってエプロンをはためかせ、踊り出るように玄関に向かうと笑顔も眩しく二人の女性が並んで入ってくる。
ナミは仕事帰りにまずこの家に寄っている節がある。ルフィもいるし、丁度いいのだろう。ビビがこの家に来る時はバラティエからの帰りが主だ。
この時間にこの家にやってくるのは実に久しぶりで、ということは、今日ビビはゾロの所に行ってきたのだろう。
そう考えただけで呼吸がしにくい感じがして、胃のあたりが引き絞られるような気がする。
ビビはゾロに会ってきたのだ。…まだ自分はまったく会えていないのに。
「ナミさんはご飯用意できてるよー! ビビちゃんにはお茶かな? 準備してあるし、ゆっくりしていってねぇ」
踊るように言いながら、サンジは台所へと戻っていく。
そんな男を見送り、女性二人は顔を見合わせて、小さく首を振った。
サンジはここ一月以上、ゾロとはまったく会えていなかった。最後に会ったのは、足が完治したとバラティエの厨房にご飯を食べに下りてきた時が最後だった。
変な話、ゾロが足を怪我している間は別にゾロがいなくなったことに対して、何も思わなかった。
思えなかったのだろう、と今になればなんとなく分かる。
現実を受け入れられなかった、とも言うのだろうか。
怪我を理由にゾロは厨房へも来ず、ご飯はゼフやら他のスタッフが運んでいたし、時には家庭教師を始めたビビやウソップが取りに来ていた。
その最初のまったくゾロと顔を合わせなかった十日間、ずっとサンジは混乱したままだった。
ナミ達だけでなく、厨房のメンバーからも恐ろしく気を遣われていたのに、それにすら反応できないくらいサンジは呆然としていたらしい。
らしいというのは、実はあまり記憶がないからだ。
言葉が通じないゾロへ、どう接すればいいのか。また会っても何を伝えてどうしたいのか。考えようとしても、思考が停止するいつもの状態が続き、そのうちに何がなんだか分からなくなってしまっていたのだ。
それに、ゾロが家にいない、ということがその十日間では理解できなかったのかもしれない。
それくらい今までサンジは家でのゾロとの接点がなかったのだろう。
そんな風に鬱々として過ごした十日間、まだ混乱の最中にやっと怪我が完治したゾロが自から厨房へと下りてきた時、サンジは硬直してしまった。
久々に見たゾロに、なんでこいつがここにいる? とぼけた思考で首を捻り、やっと現実が見えてさらに硬直するという失態を犯した。
それをどう受け取ったのか、ゾロは苦笑して
「悪かったな」
と何に謝ったのか分からない謝罪を残し、それからというものあまり厨房の方へは足を運ばなくなった。
なので更に、サンジがゾロに会う時間は減りまくった。
それに気付いてどうにかしてゾロに会おうと思った時、サンジには悪夢としか思えない夏休みという学校制度が始まり。
ゾロはバラティエからも消えてしまった。
夏休みの間、ゾロは入学予定になっている学校の方に、講師だという鷹の目の誘いで合宿に出てしまったのだ。
そうしてサンジがゾロに会う機会もないまま、ゾロはふっつりとサンジの前から姿を消してしまっていた。
本格的にゾロがいなくなって、やっとサンジはゾロがいなくなったことを実感することになった。
朝、酷く早い時間に目が覚めてしまうのだ。
一人なら朝ご飯を作るのにもそんなに時間はかからないし、時間配分はもっと切羽詰まっていても構わない。家事だって、別段暇ができた時にまとめてやってもいいはずだ。
なのに目が覚めて、すぐに朝食の準備と家事をしなくては、と思って起き出してしまうのだ。
それがゾロと生活している間に身についた習慣だった。
そのどうしても起きてしまう早朝の目覚めの時間だけが、ゾロがこの家にいたことを覚えている証とは。朝だけは、ずっとサンジがご飯を食べさせて学校に向かわせていたのだ。
それだけがこの家にゾロがいたという実感だというのだから、痛い。気付いた時には、暫くベットの上で突っ伏して動けなくなったくらいだ。
どれだけ自分がゾロの存在を浅く受け止めていたのかと、本気で落ち込んだのも当然だろう。
欠けたはずのものが実感できない。そしてその事実を実感するという二重の衝撃は小さくはない。
いったい自分はこれまでの四年間、何をしていたのだと己を責めても当然だ。
そうやって一月以上を過ごし、サンジはいつの間にか帰ってきたはずのゾロに会うこともできずに、まだここにいるのだ。
「サンジさん、Mr,ブシドー元気にしてましたよ」
香りの高いハーブティをゆっくりと口にして、喉を潤わせたビビが優しい笑みで最初に告げる。
「……そっか」
その心遣いに、サンジは笑った。自分でも意識して笑っていると自覚している。それに気付かないビビではないだろうが、彼女は何も言わなかった。
「また少し逞しくなってて、男の子って本当に少し会わないだけでもの凄く体つきも変わっていくんですね。まだまだ身長も伸びるんだろうけど、久しぶりに見たらなんだかドキドキしちゃいました」
「そ…そう…って、あんなマリモにもったいねぇ…」
目が泳ぐ。そんなサンジに、あっさりとした魚貝のパスタと柔らかい風味のカボチャのポタージュを饗されたナミが、呆れたように溜息をつく。
「結局まだ会ってないのね、サンジくん」
うっ、と詰まったサンジはしおしおと椅子に座り込んだ。
「いや…なんつーか、あいつ厨房には顔を出さないんだよ。いつの間にか帰ってきてて、学校始まってからは、夜は道場かジジイの所で勉強とかさ、なんか…ホントに接点なくて」
あらぬ方を向いて言うサンジに、ナミは呆れたようにフォークを置いた。
「当然でしょ、ゾロはわざわざサンジくんの傍に寄らないようにしているんだから」
面と向かって断言されて、サンジはぐっと口元を引き結んだ。
言われなくても分かっていることを言われると、いっそう堪える。
「だったらサンジが会いに行けばいいだけじゃねぇか。どうせ店の上にいるんだからさ」
あっさりと言うルフィを思わず蹴り上げかけて、サンジは自制の二文字を念頭に躍らせる。
そんなことは百も承知だが、それが出来るならこんなに悩んだりはしない。
「…ジジイんとこに、おれは今行けねぇんだよ」
立ち入り禁止が、妙な所でサンジを足止めする形になっている。破ろうと思えば、そんなことは簡単にできるはずだ。だが、その約束を破ることもサンジにはできない。
結局、自分自身の混乱が全てにおいてサンジを縛っているのだ。
「会いたいなら会えばいいだけなのになー」
ルフィの迷いのない言葉は正しい。
なのに、けれど、と思ってしまう自分が今は身体を支配してしまっている。
ふと顔を上げたサンジは、思いがけずルフィが真面目な顔で自分を見ていることに気付いて目を見張った。
「会ってみなきゃ、お前自分が何をしたいのか、わかんないままなんじゃねぇか? 考えたくないことをぐだぐだ考えてたって、答えなんてでやしねぇ。…サンジはどうしてそんなにゾロがいないことが、嫌なんだ?」
「…は?」
「そうだろ? ゾロがいないのが、嫌なんだろ? おれは凄く嫌だ。できればゾロには傍にいて欲しい! あいつは強いからな、一緒にいると絶対楽しいし、おれが凄く楽に動けるから、本当は傍にいてほしい。けど、あいつもっと強くなるって言うから、今は我慢してるんだ」
口の回りに醤油のソースをつけたまま、けれど胸を張って言うルフィは堂々としていて、妙に逞しい。
「おれは我慢できるぞ。…それがゾロの望みだからな! その間におれも強くなってれば、もっと楽しくなるだろう? けど、サンジは我慢してるのも嫌なんだよな。なんでだ?」
不思議そうに告げるルフィに、ビビが小さく拍手を送り、ナミが呆れたように大きく息を吐いた。
「まった、一番ど真ん中に疑問投げたわね。…けど、そうね。そこから考える方がサンジくんにはいいのかも」
「どうしたいのかって考えても答えが出ないのなら、確かにその方がいいかもしれませんね」
硬直しているサンジに三人の視線が集まる。
サンジは突然の問いが上手く頭に入らず、首を傾げた。
「え?」
確かに、自分はゾロが傍にいないことが嫌で、こうやって混乱している。
ゾロが自分の傍にいることが当然で、ゾロは自分が面倒を見て、これからも一緒にいるものだとずっとそう思ってきた。
だから今、ゾロが自分の傍にいないことが辛い。我慢するのにも理不尽さを感じてしまっている。
これからもゾロと一緒にいる為にはどうすればいいか、とつい今の今まで混乱しつつも考えていた。
それはそうなのだが…。
「そういう問題?」
思わず呟くと、全員が大きく頷いた。
「…そういう問題なんだ…」
自分はどうしてゾロが傍にいないことに腹を立てているのだろうか。辛いと思っているのだろうか。これからもずっと傍にいると思っていたのに、いないのは許せない。
正直言って、それが一番腹が立つし、我慢ならないのだ。
それはただ一つはっきり分かっていること。
ゾロが自分の傍にいないのが嫌なのだ。ゾロが自分の傍にいなくては、サンジ自身が嫌なのだ。
「でもよ、あのクソマリモがおれに会うのを嫌がってるんじゃねぇのか?」
「……サンジさん……」
思わずといったようにビビが肩を落とした。
「もしかして、サンジさんもMr,ブシドーと凄く似た考え方の人ですか? そこにどうして落ちるんです? 違うでしょう!」
「………ホント、バカばっかり…呆れて声もでなかったわ…」
うんざりと額を抑えたナミは、箸を置くと、改めてサンジに向き合った。
「色々と言いたいことはあるんだけどね。まずはサンジくんは、自分とちゃんと向き合うこと! それから、直にゾロに会うのは…ちょっと今は無理だと思うのよね。なにせゾロはサンジくんを避けてるし」
現実の剣に刺し貫かれて、ぐはっ、とサンジは胸を押さえて机に突っ伏した。
「それに、聞きたかったんだけど。ゾロは結構サンジくんのこと、ほんとよく見てた。あいつ、よくサンジくんのこと話してたけど、そういう時よく見てるなーって感心したくらいだもの。で、サンジくんは?」
突っ伏したまま思わず動きを止めたサンジは、のろのろと顔を上げてこちらを見る三対の目に小さく目を揺らした。
それに答える術をサンジは持っていない。
ゾロのことを見ていると思ってたのに、実はまったく見てもいなかった上に、何も知らなかったからこんなことになったのだ。
「…おれは…」
ゴツッとまたしても机に額を押し付けたサンジは、自分がゾロのことを何一つ知ろうともしなかったことを思い出して、また自己嫌悪に拳を握り締める。何かを思いきりたたき壊したい気分が湧き上がってくる。
「ねぇ、サンジさん。考えていても、このままだときっと何も分からないままです。とにかく動いてみましょうよ」
その言葉に、思わず顔を上げたサンジにビビはニッコリと笑った。
見とれるくらい鮮やかな笑みだった。
一瞬にして目がハートになりかけたサンジだったが、身体が動く前にビビはさらりと続けた。
「Mr,ブシドーの素行調査とか、してみません?」
「………そこうちょうさ?」
そういえばこのお嬢様は、見かけに反してとにかく行動力だけは凄い人物だった。気になることなど、噂一つでも自分で確かめてその目で見なければ納得しない、そんな素敵な女性だった。
ゾロの家庭教師をいきなりの突撃でもぎ取るくらいのことなど、朝飯前なはずだ。
「ビビちゃん…」
「Mr,ブシドーはずっとサンジさんを見てたわけでしょう? でも今サンジさんがMr,ブシドーのことを見ようと思っても、会うことすら困難なら、回りから攻めてみるのも一つの手じゃないですか?」
人差し指を頬に添わせて立て、小首を傾げるビビは本当に愛らしい。
けれど言っていることは相変わらず、過激だ。
「ほんと突然思い切ったこと言うわよねぇ、ビビって。でも…それもありか」
「すっげー面白そうじゃねぇか?」
ニシシシシと笑うルフィは完全に面白がっている。どうもナミも面白がっている風で、サンジはただ呆然とそんな三人を見回していた。
2011.11.15
短いですが、とにかくサンジガンバレターンです。
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