「ゾロさんいつもぼく達と一緒に練習しているんですけど、相手している時はもの凄く力をセーブしているなぁっていうのが分かるんですよ。自主トレに入ったら、もう何もかもが違うし。素振りするのに、ゾロさんものすっごく重い自主制作の竹刀があるんですけど、それをぼく達より早く長くいつまでも振ってるんです。ぼく達なら二十回くらいで腕ががおかしくなるようなのを」
思い出を語るように話すコビーに、ひっそりとサンジも相槌を打つ。
「………馬鹿力だもんな……」
随分前に、酒のケースを両肩に担いで酒屋からバラティエまで歩いて戻ったこともあった。
今では重い物を抱える時には、戦力にされていることもあるくらいだ。体力だけは確かに人並み以上あるはずだ。
苦笑したサンジに、コビーは真面目に頷いた。
「本当に躰の作りが基礎から違うんだなって、そう思うくらいです。その上何度も言いますけどかなり練習しますしね。今技系で相手できるのはくいなさんくらいじゃないかな? でもくいなさんとはタイプが違うし。最近はくいなさんも、道場での練習には加わることが少なくなってるしなぁ。余計物足りないんじゃないかな、と思うことがあります」
「くいなちゃん、今道場にいないの?」
「大学が割に遠方ですしね、練習は大学の方でやってるんじゃないですか? 大会なんかでもよく名前見るし…また強いんですよねぇ…。なんであの二人、と思うくらい。ぼく達じゃ手も足も出ない」
あっけらかん、と言う態度に卑屈さはまるでない。
あんまり突き抜けているものを前にすると、人は客観的に自分を見て比べることすらしなくなるからだろう。
そういえば、まだゾロが普通に傍にいた正月明けに見たゾロの試合のDVD。目が離せない迫力は、思い出すだけでふるりと躰が震えそうになる。
あれで本人はつまらない試合だと言い放ったのだから、本来の試合となったらどんな風になるのか。
見てみたい。
そう初めてサンジは心から思った。
「なんか、去年はゾロさんもかなり気迫の篭もった練習だったし、大会のオンパレードだったけど、それもクリアしたから今年はもう少しゆとりが出るのかなと思ってたんですけど。最近ますますゾロさんの練習鬼気迫ってるんですよね」
ほうっ、と吐息をつき、コビーは真剣な表情でサンジを見た。
「はっきり言って、怖いくらいです。また夏休み終わって久々に練習してみたら…」
何かをふっきるように、コビーは頭を振った。
もう信じられないと言った様子は、ほとほと困惑しているようにも見えた。
「なんなんだってくらい、ゾロさんパワーアップしてるんですよ。どんな特訓したら、あんな風になるのか…想像すらしたくないです」
「そこまで言うか?」
「言いますよ! これくらいで済むなら、問題ないくらいです!」
しかも、と泣きそうにも見える顔つきでコビーは笑った。
「鷹の目の所に行くって、本当だったんですね。夏休みは鷹の目の所に行ってたんでしょう?」
「……らしいな」
憮然とサンジが言うのを気にもせず、躰の空気がなくなるんじゃないかというようにため息をつく。
呆れたというより、納得したくないのに納得する時に出る仕草のようだった。
「鷹の目って、あだ名だろ? そんなに有名な人なのか?」
思わず尋ねてみると、速攻で頷きが返った。
「師匠が知り合いというだけでも、狭い剣道界で驚愕を受けるくらいには有名人です。あんまり表には出てこないっていうのもあるんでしょうけど。まあ実際は、そこら辺りの人が知ってるというわけじゃないと思いますよ。分類が違うというかなんというか。でも、剣道とか武道系の人なら…うん、ある程度以上になれば知らない人はいないと思います。この人も本当に人間かよ、と言いたくなるくらい強いですし、ほぼ伝説の域ですね。それくらい有名な武人です。本名はジュラキュール・ミホークって言います。そんな人に見こまれるなんて…納得できるんですけど、そこまでかって思うのも正直な所で…」
「ジュラキュール…」
「ラテン系のおじさんですよ、一見。ただ正面から顔を見合わせたら、とてもとても。普通の人というには…。ぼくなんて口を利くことすらできないと思います。なのにゾロさんなんて、ケバジジイで通してますし。度胸が違うんですよねぇ」
心底感心したように頷きながら、コビーはアイスコーヒーをかき回した。
「ゾロさんは小さい頃に鷹の目に会ってるみたいです。たまたまだったみたいですけど、師匠の家でご飯食べてたら突然来て、小さいゾロさん相手に売り言葉に買い言葉で道場で打ち合ってゾロさんをコテンパンにしたらしいですよ。子供相手に大人げないって、後で師匠に怒られたらしくて、酷くバツが悪そうにしていたって聞いてます。くいなさんもコテンパンだったって言ってたなぁ。その頃はゾロさんまだくいなさんにも勝てなかったって悔しそうにしてたけど…結局、その頃からゾロさんの中には目標ができてたんでしょうね」
一途だ。
そういえばゾロは自分が口にしたことや、約束などを破ることを極端に嫌っていた。というよりも、約束したことを守らなかったことがない。その分曖昧なことは、口にもしない性格だったような気がする。
そんな人物が、幼い頃から目標にしていたという人物がいたのか。
思いこんだら命がけ。
なんとなくそんな言葉がサンジの脳裏に浮かんだ。単純明快なゾロの為にあるような言葉じゃないだろうか。
「そんな頃から知ってたのか、そのミホークっておっさんのこと」
吐息と共にそう呟けば、コビーは少し目を細めるようにしながら頷いた。
「ゾロさんは、貴方には話ししなかったんですか?」
「あー…あいつは自分から話しするタイプじゃないからなぁ」
どこか遠くを見るような目つきで呟けば、コビーも力強く同意した。
「そうですね。ぼくは中学に入ったと同時に再入門してきたゾロさんと会ったけど、本当に自分から話しをするタイプじゃなかったですもんね。最初は、なんか物騒な子が入ってきたな、って全員で困惑したんですよ。けど、いざ竹刀合わせて練習してみたら…とてもじゃないけど適わないし、強いし。かといって、威張るわけじゃないし…なんだ無愛想なだけかって分かるのに、そんなに時間もかかりませんでした。道場の掃除とかもまったくさぼらないし、かえってさぼろうとする人達を威嚇してましたから」
思い出したのか、嬉しそうに笑うコビーは勢い良くコーヒーを飲んだ。
「覚悟を決めて話かけてみたら、普通にかえしてくれるし。意外に結構突っ込んでくれるし、ただ…なんていうか、ほんとどこででも寝ますよねぇ!」
「面目ねぇ」
つい謝ってしまう。ゾロは確かにどこででもよく寝ていた。特に早朝の新聞配達を初めてからは、寝腐れに拍車がかかっていたような気がする。
「たまに道場の入り口の所とかで、ぐっすり寝てたりしてもの凄く困ったこともあったんですよ。病気かと心配する子もいたんですけど、あれただ寝てるだけですよね?」
サンジはしっかりと頷いた。本当にただ、寝ているだけなのだから。
「ですよねぇ…あ! あと凄い方向音痴で! あれで遠征先とかで随分困ったことがあったんですよ!」
「……それに関しては本当に言葉もねぇな。ありゃ治らねぇ、不治の病だ」
厳かにも取れる言葉で言うと、コビーは吹き出した。
今までのどこか緊張したような雰囲気が吹き飛んだ。
ひとしきり、それまでの遠征での迷子の話で二人して盛り上がり、笑い合っているとコーヒーのおかわりだと店の人が持ってきてくれた。お礼を言って湯気の立つコーヒーを口にして、サンジはほっとしている自分に気付いた。
とにかく、コビーを見ていたら分かる。道場には、ゾロの居場所が確かにあったのだ。
自分が気付こうがどうしようが、そこにゾロの世界があることに安心した。
だが、同時に、酷く胸が騒ぐ塊のようなものを飲んだ気もする。それが異様に重く感じて、サンジは微かに眉根を寄せた。ゾロが自分の世界を持っていたからといって、こんな風になるのはおかしい。その、はずなのに。
自分自身に疑問を感じながらも、コビーの話は続いていく。
こんなこともあった、あんなこともあった、という賑やかな話は、けれどどうしても最後には「でも」という集約に繋がっていくのだ。
「でも、ゾロさんはぼく達とは違うんだな、と思うことは沢山ありました。度胸ありすぎるんですよね、一応肝試しみたいなこともやったんですけど、平気なんですよねぇ。女の子達に大人気でしたよ、あの時は」
「んだと!? そんな美味しい目にあってたのか? あのマリモめっ」
「いえ…小さな子達ばかりですから…気になさらずに…。なんでか、あんなに怖そうな顔なのに妙に小さい子に懐かれるんですよ、ゾロさんって」
「そうなのか?」
「はい。ああ、サンジさんの周りには小さい子とかいないですよね。最初は必ず怖がられたりするんですけど、気付いたら懐かれているっていうことが何度もありましたよ。実際小さい子への指導も時々ゾロさんやってますし」
意外だ。そんな一面があったのかと、ちょっと目を見張っているとコビーは懐かしそうに目を細めた。
「ゾロさんもなぁ、会った時はあんなに小さかったのに、あっという間に大きくなって…。そういえば年が近いはずなんですよね、小学生とかと。でもそんな感じがしないんだよなぁ、時々ぼく達よりも年上なんじゃないかと思うくらい落ち着いているというか。度胸が据わってるからかな。最近ますます躰も大きくなってるし…サンジさんの料理のおかげもあるのかな? ほんと、中学入ってからのゾロさん、にょきにょき伸びましたよね、というか伸びてますよね!」
コビーの身長は決して低くはないが、高くもない。どうやら思う所があるらしい。
苦笑していると、コビーは複雑そうに目を道場のある方へと流した。
「結構まだゾロさん身長も体格も成長途中って感じじゃないですか。…鷹の目の所に行っても大丈夫なのかなぁ? そういうフォローしてくれるんでしょうか?」
「え?」
「今までは、貴方もいたし、コウシロウ師匠も随分気を遣ってたから平気でしたけど…。随分痛かった時もあったみたいですから。ほら成長痛っていうヤツですよ。当然ですよねぇ、一月二月で十センチとか、伸びてた時期もあったし」
ズキリと激しく胸が痛んだ。
「でも痛いとは言わないんですよ、それで稽古を普段通りしようとするから、何度か師匠に注意されてストップを受けたりしてましたね。ああいう時に躰を酷使しすぎると、骨とかの異常をきたしたりするんで要注意ですもんね。随分と苦心して師匠は見守ってたみたいです。注意してやってくれないかって、ぼくも言われたことがありました」
そんなことにも自分は気付かなかった。自分の時には、ゼフがよく見ていてくれたはずなのに。
確かにゾロの身長が高くなっていったことには気付いていた、それが何故か気恥ずかしくて妙に焦った記憶もある。
ふと、サンジは妙なことに気付いた。
自分は何故、ゾロの成長を見て焦ったのだろう。気恥ずかしさを感じたのだろう。
子供だと思っていたのなら、成長するのは喜びであるはずで、また気付いたら嬉しいものじゃないだろうか?
自分と肩を並べて歩くゾロの姿をふと脳裏に描き、ガッと自分の頭に血が登った。
何故だろう、恥ずかしい。むちゃくちゃ、恥ずかしい。
赤くなっているであろう顔を見られたくなく、サンジは俯いてコーヒーをすするふりを必死にした。コビーはどうやら気付いていないらしく、ぼんやりとした顔のままやはり遠くを見るように道場の方へと視線を流していた。
「ゾロさんに今はそんなに動いたらいけないって注意したりすると、凄く悔しそうな顔するんですよねぇ。練習ができないと、まるで自分がなくなるような感じで。もしかしたら本当にそんな風に思っていたのかもしれないですけど。ああ、何回か、お医者さんっていう方も見えてましたよ。ゾロさんの様子を見に来ていたみたいです」
「は? 医者が?」
言いながら赤くなっているのに気付かれなかったかと、頬を意味もなく擦りつつ顔を上げ、記憶にひっかかる顔を思い出した。
「あ、もしかして、大きな体なのにやたらとつぶらな瞳をした、もっさり風味の若い人?」
「的確ですねぇ! はい、そんな人です。声がまた、なんとなく可愛くて」
「チョッパー先生か…」
ゾロが事件に巻き込まれた時、研修医としてゾロを見てくれていた医者の一人だ。
サンジは三度くらいしか会ったことはないが、随分と熱心に患者を見てくれる人だと感心した記憶がある。
「名前までは知りませんが、今、呉羽病院にいますよ」
その名前に、さらにサンジは目を見開いた。
「なんだと!? あのバア…いやいやいや、マドモアゼルの所に!? 全然知らなかったぞ!」
ぶはっ、とコビーは吹き出した。
この近辺ではあまりにも有名な医者だ。いったい何歳なのか不明だが、腕だけは万能で有能なのに、恐ろしくガメツイ上に凶暴で通っている。
けれど、あれで意外と面倒見が良いので、好かれていたりするのだから不思議な人なのだ。
「お医者さん、随分気にしてたみたいですね、ゾロさんのこと。詳しいことは教えてはくれなかったけれど、だいたい皆察していたみたいで…多分、あの傷のことなんだろうなって」
「やっぱり皆知ってるよな」
どんな反応をしていたのか、それは気になっていた所だからこそ、サンジはしみじみと呟いた。
「女子も含めて全員知ってるんじゃないかな。合宿とかで着替えたりもあるし、胴着だと見える時もあるし…男連中は一緒に風呂入ったりもしますから。けど、本人があんまり堂々としてるので皆そんなもんかと思ってますよ。聞いて良いものか分からないし…変なこといいますけど、似合うもんで、疑問に思うより先に納得しちゃったりして」
本当に気にしていないらしい。当たり前、といった様子でさらりと言い切るコビーに不自然な所はない。
「まあ派手だからな」
「派手ですよねぇ」
しみじみと言い合い、顔を見合わせる。
「あんな傷を抱えた中学生が、見も知らない所に殴り込みに行く。そんな感じがするんですよね、今のゾロくん見ていると。なんか普通じゃないような気がして、いいんだろうかって思ってしまうんです。鷹の目のいる高校なんて想像もできないですけど…。きっとそれがどうした、ってゾロさんは言うんですけどね。けど…なんか心配しちゃうんですよ、ぼくは」
心配性というより、ついそう思ってしまう危うさがもしかしたらゾロの方にあるのかもしれない。
女性至上主義も極まれりのサンジでさえ、ゾロに振り回されているのが良い見本だ。
「なんにしろ、鷹の目の所に行くのに条件が悪いはずはないとは思うんですけど…最近のゾロさんの様子を見ていると、時々空恐ろしくなるんです。没頭というより、あれはなんなんでしょうか? がむしゃら? 夢中? うーん、もっと深刻に無理矢理のめりこんでいるような…。とにかく、なんかもう全部捨ててそっちいっちゃってるような…。そんな感じがするくらい練習も気迫というより殺気じみてて、なんか凄く…怖いんですよ」
分かりますか? と目で訴えられて、サンジはとまどった。
そんな様子は、少なくとも自分の周囲の者達は感じていない。…感じていないと、自分は思っていた。
もしかしたらコビーが思うような危なさを、他の者達は感じているのだろうか? にしては、ウソップもビビも何も言ってこないのは変だろう。
「鷹の目の所に行くからかなぁ? だとしたら、やっぱりゾロさんでも緊張したりすることあるのかな? 想像できないけども」
確かに想像できない。
「…うちでは、あんまりそんな風なことはない、と思うけどな…」
「そうですか…サンジさんが言うなら、やっぱり練習に気合い入りすぎてるだけかな。気を回しすぎかもしれませんね。…練習の相手だけはしたくないですけど」
最後の言葉だけは本気で震えていて、サンジはただ、申し訳ないと本気で頭を下げてしまった。
2012.2.11
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