遠くて近い現実
[4 3]






 深々とした寒気に躰が震え、意識が浮上した。
 軽く呻いて、身体に巻き付けていた布団を無意識に持ち上げる。
 ふわりと自分を包んだ匂いにさらにふるりと震え、サンジははっと目を見開いた。
 暗い。けれど、外からの街灯のわずかな光が漏れ入るからか、うっすらと部屋の様子はうかがえる。酷く見覚えのある天井。けれど記憶は遠い。
 一瞬混乱したのは、最近見ていたものではなかったからだろう。
 慌てて身体を起こし、ようやく自分が何処にいるのかを知覚した。
 昔、自分の部屋だった場所だ。
 そして今はいないゾロの部屋。
 どうしてこんな所にいるのか、と痛む頭を押さえて思いだそうとして、うっすらと昨夜のことを思い出した。
「………ざまぁねぇな……」
 思い出したくないのに、全部一気に思い出した。
 妙に切羽詰まった感傷まで甦って、苦笑すら浮かばない。
 どこに行ってもあの子供はいないと分かっているのに、どうしても自分はそれを受け入れたくないらしい。拒否されて手元から離れていったのは、あいつの方なのに。
 そんな風に思うことすら、既に逃避だ。
 どれだけ思っても考えても、現実は覆らない。
 ただ、ゾロがいないだけ。
 長いため息を零し、それからもう一度辺りを見回した。自分の部屋にしていた頃と、なんの変わりもない部屋。
 無意識に胸元を探り、入れっぱなしになっている煙草を引き出そうとして手を止める。ここで煙草を吸えば、匂いが篭もる。そう思えば即座にベットから下りた。
 一眠りしたからだろうか、妙に気持ちが落ち着いていた。
 あんまりずっと自分が混乱していたからか、やっとここにきて本来の思考が戻ってきたかのような、そんな気さえしてしまいそうだ。
 多分ただの一過性のものだろうが。
 リビングの方からキッチンへと回れば、キッチンには水洗いし損ねた昨夜のコップが置かれたままになっていた。
 それを見つめながらサンジは今度こそ煙草を引っ張り出し、ゆっくりと口に銜えてライターを取り出すと、暗い部屋に小さな火を灯した。ゆっくりと煙草をふかし、また大きく息を吐く。
 そうしておもむろに出しっぱなしのコップを洗う。冷たい水が一気にサンジを濡らし、それで益々目が覚めた。
 チラリと横目で時計を見ると、五時半近くを差している。
 こんな時間に目が覚めたのは久々だった。ゾロがここにいた時には、時々起きていた時間だ。朝食の用意には早いけれど、ゾロが帰ってくる時刻を計るように目覚めることが何度もあったからだ。
 あっさりと洗い物を終え、サンジは手をぬぐった。
 そうして、フラリとその場を離れると、ソファの方に置きっぱなしにしていた上着を着込み、静かに自宅を後にした。


 自宅からバラティエまでは、そう遠くはない。
 何も考えないまま、サンジは大きなストライドで暗い道を歩いていた。
 すれ違う人すらほぼいない。早朝とはいえ、まだ陽が昇るにも随分と早い時刻だ。人通りなどないのが普通だろう。
 自分の吐き出す吐息が白く見える。煙草の煙と相まって、それは静かに自分の周囲から流れて消えていく。
 誰にもとがめられないままに、途中からは少し走るようにしてとにかく急いでバラティエへと向かう。そうしなくては、もうどうしようもなかった。
 どんなに急いでももどかしい。だからこそ、バラティエについた時には、いっそ全てを成し遂げたような気さえしてしまった。
 バラティエの横のビルとビルの隙間のような所に身を滑らせ、勝手口へと手を伸ばしそこで初めてサンジは動きを止めた。
 鍵がかかっているはずだ。慌てて着ている上着のポケットを探れば、すぐに鍵が手に当たった。引っ張り出そうとして、そこで初めて自分が昨日から着替えていないことに気付いた。
 普段の自分からは考えられない失態だ。けれど、今はそれどころではない。
 鍵を引っ張り出し、小さな鍵穴に慣れた仕草で差し込み回してみる、が、その感触に一瞬眉をひそめる。
「あいて…」
 慌ててもう一度鍵を回し、ドアを開ける。やっぱり開いていたのだ。
 急いで中に入ろうとすれば、まるでそれを見計らっていたように奥の通路から声がかかった。
「誰だ?」
 その声に硬直した。
 いつの間にか聞き慣れた、声変わりも知っているその声。
 何も考えられなかった。ただ、その声の主の元まで、勝手に身体が動いた。そうとしか思えないくらい、思考はストップしていた。
 厨房に続く通路を抜け、ドアを開け放つ。
 派手な音がしたがそれすら気にならなかった。
 少し驚いたような顔をした青年が振り返っていた。いつの間にか広くなっている肩越しにこちらを見る三白眼。濃いきつく伸びた一本眉。
 そして、緑の髪。
「……お前……」
 そう呟いたきり、ゾロは口をつぐんだ。
 何を言えばいいのか分からない、そんな感じだ。
 けれど、徐々にその目にきつい光が混じってくるのを、サンジはじっと見つめ続けた。
 ゾロだ。ゾロがいる。
 目の前にゾロがいて…本当に、そこにゾロがいるのだ。
 それを一瞬たりとも見逃したくなくて、ただ必死にゾロを見つめていると、ゾロはゆっくりとこちらへと身体ごと向き直した。
 寒くなっているのにも係わらず、半袖Tシャツに学校ジャージのズボン。相変わらずまったく身なりには無関心らしい。しかもそのシャツは濡れている。配達ついでに走るのは、変わらないらしい。真冬でも湯気が立つんじゃないかというくらい、ゾロはいつも汗だくなっていた。
 それをいつも邪険にしつつ、シャワーに入れと躾けてきたのは自分だ。
 けれど、今はそんなことはどうでもよかった。何も考えたくもなかった。
 本当にそこにゾロがいるのだ。
 今までだって会ってはいた。けれど、こんな風に二人で向き合ったことなどなかった。
 そのゾロが目の前にいる。まだ一緒に暮らしていたあの頃と同じように、自分に向き合っている。
「どうした? 何があった?」
 目つきが段々座ってくるように、ゾロがこちらを見つめてくる。その真っ直ぐすぎる視線が、嬉しい。ただ、嬉しい。
 なのに身体が動かない。ほんの少しでも動いたら、ゾロがいなくなってしまうのではないか。そんな妙な気分にかられて、身動き一つできない。
 そんなサンジに気付いているのか、ゾロの方が近づいてきた。
「大丈夫なのか? コック?」
 すぐ目の前にゾロが来る。
 その目線がほとんど変わらない。わずかに少し下になる程度だ。それも意識してしか気付かないだろう。
 ゾロの手が自然に持ち上がった。 
 その手が頬に伸びてくるのを、ぼんやりと自覚しながらもサンジはゾロを見続けた。
 頬に手が届くか、と思われた時、不意にゾロがはっとしたように目を見開いた。そうして、わずかに視線をずらして己の手とサンジとを見比べたようだった。
 ほんのわずかな時間を置いて、不意にゾロの腕が落ちた。
 ゾロは少し苦しげに眉根を寄せ、それから小さく苦笑した。
「わりぃ」
 じっとゾロを見つめるだけで硬直しているサンジをどう見たのか、ゾロはそう囁くように告げると、今度こそ大きく息をついた。
 まるで空気が動くかのように一歩後に引き、ゾロはサンジから離れる。思わずサンジが一歩踏み出して距離を無くす。
 それに少し目を見張り、ゾロは困惑したようにガリガリと頭を掻いた。
「どうしたんだよ、こんな朝早く。早番っていっても、早すぎだろ?」
 言いながら目線を外し、ゾロはほんの少し覚悟を決めるように目を閉じた。
 ゆっくりと目を開けたゾロは、今度はしっかりとサンジを真正面から見つめる。もう逸らさないと決めたように。
「…ビビからなんか聞いたのか?」
 ゾロの口から出たビビの名に、ほんの一瞬サンジの目が揺れた。
 聡明で可愛い今はゾロの家庭教師をしているビビが、どうかしたのだろうか。その疑問が顔に出たのだろう、ゾロはやれやれといった風に肩を落とした。
「ビビがなんか言うワケもないか…。あ、誕生会の件か? まさかお前、それで文句でも言いにきたのか? あれはおれに文句言っても無駄だぞ。ビビの無茶ぶりをおれに言っても、どうしようもないことくらい分かるだろ?」
 ゾロは控え室の方の壁時計を見るようにそっぽ向き、時計がまだ六時前を指しているのを確認するように、一歩退いた。
 何故だか今度はサンジに踏み込ませない動きで、サンジはさらに動けずに目でゾロを追う。
「いくらなんでもホントにまだ早いじゃねぇか…。お前昨夜だって遅かったんだろ? ちゃんと寝てるのかよ」
 思わずといったように言いながら、ふとゾロは口をつぐんだ。
「余計な世話か」
 小さく呟くように告げ、ゾロはサンジを見ると微かに笑った。
「無理してやる必要はねぇし、宴会の口実がいるなら仕方ねぇけどよ。おれに気を使う必要はねぇからな。ビビ達が何言おうが、あんまり気にするなよ」
 言い切って暫く二人して見つめ合う。
 何も言わないサンジに、ほんの少し片眉を上げ、ゾロは困惑したようだった。
「お前ホントに大丈夫か?」
 いつもなら、ほとんど話をするのはサンジの方だ。なのにまったく口を開こうとしないサンジに、ゾロは戸惑っているのだろう。
 分かっていてもサンジには言葉が出ない。これでは、ゾロに誤解される。そう思っても、どうしようもない。
 こんなことは初めてで、それ程自分の頭が真っ白になっていることをどこか遠くから眺めている気分だった。
 ゾロは暫くそんなサンジを見続けていたが、サンジが何も言う気がないと気付いたのか、首筋をガリガリと手でかくとそのままそっと踵を返した。
 そうして、従業員用の休憩室へと歩きだす。そこにいたって、やっとサンジは自分が動くことを思い出した。
 急いでゾロの後を追うように休憩室に入れば、ゾロは掃除用具入れを開けている所だった。
 こんな時間にそんな所に何の用があるのか分からず、困惑したような表情を見せたのだろう、ゾロがチラリとこちらを見たのが分かった。
「ちょっと借りるだけだ」
 ゾロは掃除用にいくつか置かれているバケツの一つを取り出しながら、さっきより少し落ち着いた声で告げた。
 小さめのものを手に、ゾロは入口に立つサンジの方へと戻ってくる。
 ゾロがこちらに向かってくるのを、サンジはただ見つめている。
 そこにゾロがいるということだけが全てで、それ以上を何も考えられない。
 自分がここまで追い詰められていたことに、打ちのめされた。まさにその状態だ。
「……ゾロ……」
 間近に来たゾロがサンジの横を通ろうとした時、放射するようなゾロの熱を敏感に肌が感じて、ぽろりと声が出た。
 自分で聞いても掠れた、細い声だった。
 聞き取りにくい声だったろうに、ピタリとゾロの動きが止まった。
 狭い入口の前で、まるで通せんぼしているようにサンジの身体がゾロの行く手を防ぐ。
 そんなサンジを、ゾロはゆっくりと見返してきた。どこか深い色合いを見せた目が、わずかに揺れるのをどこか不思議な気分で見つめた。
「ゾロ」
 今度はまともな声が出た。
「おう」
 普通に返事が返ってくることが、嬉しい。ゼフの元にゾロが行ってしまってからも、普通に会えていたし会話だってしていた。けれど、それは今までと同じではなかった。サンジ自身もゾロとの距離が掴めなくなっていたし、それはもしかしたら、ゾロもそうだったのかもしれない。
 家を出てしまってから、ゾロだって混乱していたのかもしれない。
「……なんでだ?」
「はあ?」
 今ここには二人以外誰もいない。
 だからこそ、サンジは素直に頭に浮かんだ言葉を口にした。
「わからねぇんだ。なんでお前はおれと一緒に暮らすのを止めたんだ? なんでお前は一人で全部決めていったんだ? おれが悪かったのか? …いや、悪かったんだよな…。お前が足を怪我したあの時、なんか色々お前言ってたろ、おれがお前の為に自分を犠牲にしたとかなんとか…」
「ああ」
「今でもそれはねぇと断言できる。けどよ、それがもしお前の言う通りだったとしても、それはおれの意思でおれがやりたいからやってたことなんだ。…なのに、それも駄目なのか? お前に悪いことなんてないって言うけど、それとお前がおれと一緒に暮らせないって…なんでだ? お前…おれが悪いとはあの時もまったく言わなかったろ? でもおれが悪いんだよな…。だからお前は出て行ったんだから」
「…どこをどう取ったらそうなるんだ? 違う」
 ゾロはほとほと困ったように首を振ると、脱力するかと思える程に深く全身で溜息をついた。
「まったく通じてねぇじゃねぇか…マジかよ…」
 言いながら、少し辺りを見回して手近な椅子を引っ張り出した。そうして目線でサンジにも座るように告げてくる。
 どっかと腰を落としたゾロは、休憩室のテーブルに半ば突っ伏すように頭を抱えると、サンジが向かいの席に座ったのを確認して顔を上げた。
「アホ」
「ああ!?」
 思わず睨み付けたサンジに、ゾロは苦虫を噛みつぶしたような顔で続けた。
「いい加減分かれ。お前は悪くねぇ。反対に、お前が悪いっていうなら、どこのことだっておれが聞きてぇくらいだ」
「よーく言ったな! おれが悪いからお前は出て行ったんだろうが!」
「だから、そこから違うって言ってるんだろうが! お前は悪くねぇよ。どっちかといえば、おれがお前の元にいることが一番の原因だろうが!」
「それのどこが原因だっつぅんだ!!」
「全部だよ」
 静かに言われて、サンジは硬直した。
「…なんで…そうなる…」
「あのなぁ…」
 ゾロは頭を掻きむしり、腹を据えたのか改めて身体を起こすとサンジに向き合った。
 反射的にサンジも居住まいを正し、ゾロと向かい合う。
 早朝のバラティエの休憩室は、奇妙な緊張感に包まれて早朝の光の中に包まれていた。


「お前、おれにあの時言ったよな。おれがお前を庇って怪我して、その後おれがお前を助けたから今度はおれを助けて、大きくしてやって…寂しい思いさせないようにしようと思ったって」
 ゾロの言葉に、サンジは頷いた。
 あの時のことは、うろ覚えだが、確かにそう言ったのは覚えている。
「お前は楽しかったって…あの時言ってたな」
「ああ。おれはお前が傍にいてくれて、すげぇ楽しかったからな。寂しいなんて思ったこともなかった。だから、お前が言ったことはもう叶えてもらってたんだ。それは分かるか?」
「……納得いかねぇが…今まではそうだってことだろ? でも、ならなんでお前はおれと一緒にいれねぇってなるんだよ。満足してたんたなら、今こんなことにはなってねぇだろうが」
 そう言うと、ゾロはなんとも言えない顔をした。
「お前な、おれが満足してても、お前が満足しなけりゃ話しにならねぇってことは分かってるか?」
「は?」
 本気で分かってないらしく、虚を突かれた顔をして首を傾げるサンジに、ゾロはがっくりと顔を落とした。
「わかっちゃいたが…お前はホントに…なんてぇんだ? 優しいのか? …優しいんだろうなぁ…ボロクソに蹴るくせによ」
 言いながらも何かを思いだしたのか、少し笑って肩を竦めた。
「あのなぁ、おれはおれのやりたいようにしか今までやってねぇ。分かるか? 鷹の目の所に行くことも、強くなりてぇってのも、ホントに全部おれがおれとしてやりてぇことだ。はっきりいっておれのワガママだ」
「そうだな」
「だろうが。正直に言うとな、おれはお前と一緒に暮らしだしてからすげぇ楽だったんだ。お前がもの凄く居心地良くしててくれたからな。それが当然だとも思ってた。お前が一生懸命そうしてくれようとしていたことすら、気付かなかったんだぜ。言ったろ? すげぇ感謝してるって。お前がいてくれて、凄く贅沢だったって。…お前の努力の上に成り立ってたってことだったんだって」
「だからそれは!」
 思わず机を叩き、サンジは真っ向からゾロを見据えた。
「あの時もそれ言ってたな。努力っていうけどな、一緒に暮らせば誰かが家事はするんだよ。お前に出来ないからおれがやってた。それだけのことじゃねぇか。お前だって色々とやってくれてただろ。気遣ってくれてたじゃねぇか! お前はまだ小学生だったんだぞ! できなくて当然じゃねぇか! その辺りは出来るヤツがやればいいんだよ。だからおれがやってただけじゃねぇか。それのどこがおれの負担になるんだよ!」
「なってたじゃねぇか」
「ああ!?」
「そのせいで、ルフィ達とも暫く会わない宣言して、学校の友達との遊びも随分断ってたんだろ? 卒業式の時とかにクラスメイトって奴らに聞いたぞ。合コンだってほとんど断ってたらしいじゃねぇか。おれがいるから行けないって、そう言って断ってたんだろ。少しくらい解放してやってくれって、あの時言われたぞ」
 サンジは呆然とゾロを見つめ、内心であの頃にそんなことを言いそうな奴らの顔を思い浮かべて青筋を立てた。
 今あいつらが目の前にいたら、蹴り飛ばす。
 きつく拳を握り締め、いや今からでも蹴り飛ばすと決心する。
「それにな、今まではそれでいいとして。…というか、もうどうしようもねぇ。けどこれからどうする」
「これから?」
「おう。これからだ。おれがお前の所にいるとする、おれはまだ未成年で誰か保護者がいる。そうだな、あとどんなに軽く見積もっても三年はそういう人がいるんだぜ。成人するまでってなると、五年はかかる。五年もお前子供の世話するつもりなのか?」
「五年…」
「まあ、そんなことにはならないから、仮の話だ。って、そんなことないんだから、もういいのか?」
 自分でも混乱してきたのか、あれ? とすっとぼけるゾロに、サンジの方が切れた。
「いや、良くねぇ! この際だ、お前はおれに分かるようにキチンと全部説明しやがれ!」
 またしてもダンダンと机を叩き、サンジは胸ポケットから煙草を取り出し、一本抜き取ると口に咥え、火を付けると盛大に煙りをふかしはじめる。
「おれはな、お前がいなくなってから、お前のことを随分と聞き回ったし考えた。それで出た結論がな。おれはまったくお前のことを理解していなかったってことなんだ。いいからサクサクお前はおれに話をしろ!」
 威張って言うことではない。
 分かってはいるのだが、サンジは自分でも気付かない程に切れていた。
 ゾロもそれに気付いたのだろう、覚悟を決めたようにまた話始めた。
「お前はおれを優先する。蒸し返す話になるがな、お前はそう決めてる。おれがいたら、お前はおれのことを考えて行動する。今までそうだったしな。それが子供を預かる者としての義務だし、お前はそうしてくれていた。正直すげぇと思う。おれにはできねぇ。…そういや、爺さんにもそう言ったら笑われたな」
 ゾロは苦笑してわずかに上を見上げた。
「義務だけで、そんなことができるか。おれは本当にそうしたかったからやってたんだよ…それは分かれ。おれがやりたいことだったんだよ」
「おう、そうだろうな。お前ホントに優しいよな。おれの面倒を見るって決めて、手をぬかねぇでやりきるんだから、すげぇ」
「だから、それがおれのやりたいことだったんだよ! なんで分からねぇかなこのクソガキが!」
「…本当か?」
 不意にゾロの目が真剣みを帯びた。
 こちらに切り込むような、そんな鋭さすら兼ね備えて真っ向からむかってくる。
 だからサンジも、真剣に向き合った。
「本当だ。おれはそうしたかった。お前の面倒を見たかったし、欲を言えばもっとみたかったくらいだ」
「充分だろ」
「そうか? お前を家に一人にして、最初の頃はともかく後からは飯だってバラティエだったよな。二人で食事なんてそれこそおれが働き出してからは朝飯だけになったし、それだって義務的だったじゃねぇか。家事もお前無理して覚えてよ…それでお前は一人で…試合までこなしてたじゃねぇか。相談すらできない、そんな状況にしてたのはおれだろう? これでどこがきちんとお前の世話をしてたって言えるんだよ。手抜きだらけじゃねぇか」
 自嘲してしまうサンジに、ゾロは小さく首を振った。
「そうさせたのはおれだ」
 はっと顔を上げたサンジに、ゾロはそのまま続けた。
「お前がおれの為に何もかもを犠牲にする必要はねぇ。だからおれは、お前がおれの為にと自分の時間を削ることがないようにしてた。だからそうなるのは当然だ。お前のせいじゃねぇ。そうなっても、お前がおれの為にと動こうとしてくれて、どんなに感謝してたか分かるか? ナミが戻ってきて、ルフィ達とバカ騒ぎするようになって、本当はお前はこんな風だったんだなって初めて知った。ずっと、本当はそうしているのが当たり前だったんだ。まあ、おれが来たからどうというのはこの際仕方ねぇ。おれにだってどうしようもねぇことだったからな。おれには、本当に有り難いことだったし」
「だから、なら、なんで…」
 ゾロは微かに手を上げてサンジの口を止めた。
「忘れんな。今までは仕方ねぇ。けど、これからはまた別だろうが」
 ゾロは表情を緩めると、小さく笑った。
「お前の元にいると、おれはまたお前に甘える。お前の時間を当然のように奪うし、おれの世話をすることになる。おれは…それを止められねぇ。何故だかわかるか? お前の傍は居心地がいいからだ。おれはお前がおれのものだと錯覚してしまう」
「へ?」
「あのなぁ、お前はこれからもっと大切な人が出来るだろう? ナミはどうするんだよ。おれの世話をしながら、恋人も作って…ゆくゆくは結婚とかもするんだろ? そうしたらお前には大切な家族が出来るんだぞ? そんな時におれがいてどうするんだ?」
「は?」
「おれはワガママだからな。おれはおれの思った通りにしかできねぇ。お前はおれのもんでもねぇのに、そうなったらお前のことを縛るぞ。おれのもんなのに、どうして余所にいくのかと思ってしまう。違うって分かっててもな。そうしたら、おれは奪うぞ。お前から何もかもを」
 平然と言うゾロに、サンジは意味が分からずに目を丸くする。
「…お前…なんの話を…」
「お前の時間をもらって、今まで来た。その間おれは自分がやりたいことを存分にやってきた。それが当然だとすら思ってた。お前がおれの為に色んなことを我慢して、自分の楽しみを後回しにしておれの面倒を見ていてくれたのは、お前がやりたかったって、そう言うならそうなんだろう。けど、これからお前はもっと自分の時間が必要になるだろう? いくらなんでも、おれみたいな面倒だけを見る未成年の子供なんぞ足手まといでしかなくなるだろうが。おれがいなければ、好きな奴とデートだってし放題だし、好きな奴と一緒に暮らすことだってできるんだぞ? 好きな奴を待たせることもないし、もっと堂々と付き合えるし…腹立つな…まあ、そんなことだってできるわけだ」
 威張ったように腕を組み、ゾロはムッとしたように口を引き結んだ。
 いや、ゾロが言いたいことはおおよそは分かる。確かにそれをゾロはずっと言っていた。けれど、何故今それがここで出てくるのかが今いちよく分からない。
「…つまり…お前はおれが好きなことできるように、出て行くってことか?」
「ようやくそこか…」
 ゾロはうんざりとそう呟くと、駄目押しのように続けた。
「そうだ。おれがお前の傍にいるのは、はっきり言って良くねぇ」
「おれがそれを望んでもかよ!!」
 ゾロはほんの少し驚いたように眉尻を跳ね上げ、それからおもむろに頷いた。
「お前がなんでそれを望むのかが分からねぇ。おれが大事な者に入ってるってのは、よく分かった。すげぇ嬉しい。けど…お前は分かってねぇ」
「何をだ!」
 サンジは両手で机を叩きつけると、腰を浮かしてゾロに詰め寄った。
 自分でも気付いた。
 ここが正念場だ。
 ぐっと睨み付けるサンジに、ゾロはようやく重い口を開いた。
「おれが、お前を好きだってことをだ」







体調不良で随分と間を明けてしまいました。すみません。再開します。
2012.09.02




のべる部屋TOPへ