ぽかん、と口を開いてあっけに取られた。
何を今更。
まさに心境としてはそれだ。どかりと椅子にくずおれるように腰を下ろし、サンジは大きく息を吐ききった。
「何を言うかと思えば…。いくらなんでも、おれにだってお前に嫌われてないことくらい分かる…」
脱力したまま、あーと天井を仰ぎ、サンジは苦笑した。
「お前はずっとおれの為にって言ってたろ、あれ聞いてて嫌われてるとは思わねぇよ。…でもまあ…ちゃんと嫌われてないって言われるとそりゃ嬉しいけどよ…。けど、それなら余計お前がそこまでおれの為って出て行くのか納得できねぇなぁ。おれはお前を邪魔になんて思わない。なんでかな、一緒にいてぇと思う。もしおれが…そうだな、結婚とかいうことになったとして。それでもおれはお前を邪魔になんて思わない。それは自信もって言える。短い時間かもしれねぇ、けどその時までは一緒に…」
やれやれとどこか投げやりな気分ながらも言い募りながらゾロを見れば、ゾロは恐ろしく奇妙な顔をしていた。
それこそ、訳が分からないと顔で表現しているような。
思わず言葉が途切れた。
疑問が過ぎる。何か間違ったか? と首を傾げたくなったサンジとは反対に、ゾロの表情は段々と険しくなっていく。
そうして不意に、何かに納得したかのようにその表情を滑り落とした。
一瞬にしてサンジを襲ったのは危機感だった。ゾロがこんな風になったことが今までにも何度かあった。その度に、自分は確実に何かを間違ったことを忘れてはいない。
「……ゾロ?」
焦燥感にかられて居住まいを正すと、ゾロは暫くサンジを見つめ、うん、と一つ納得したように頷いた。
まずい、と本格的にサンジが口を開こうとしたが、ゾロの方が早かった。
「だよな、通じねぇのが当たり前だったんだな」
何を言われたのか、さっぱりサンジには理解できない。
「……あ? なんだそりゃ?」
一人で納得されては適わない。とにかく聞き出さねば危ない。
サンジが急いで問いかければ、ゾロはうんうんと頷きながらまっすぐにサンジを見直してきた。
「おれとお前は違うし、これはおれのことだ。そうだよな、分からなくて当然なんだな…要は、そういうことなんだ」
しみじみと納得したように言うゾロは、それでも口を閉ざそうとは思わなかったらしい。
「ビビが言ってた。言葉は曖昧だって。分かってたつもりだったが、今ようやく分かった。というか納得した。おれとお前は土台が違うんだ。だから通じない。なんだ、そういうことか」
言いながら、ゾロは深く苦笑した。
どこかとても痛そうに笑い、それから珍しく、少し視線を下げた。
何かを噛みしめるように、そのまま俯き、ふっと息を吐いた。
「…ゾロ」
ダメだ。
サンジの中の危険信号が激しく明滅している。また間違える。こんなに明確に分かるのに、何故自分はそれを止められないのか。
ゾロが遠くなる。このままでは、本当に、既に遠くなっているのに手が離れてしまう。
もう間に合わなくなってしまう。
「ゾロっ! 頼むから、おれに分かるように話せ! 一人で納得するなよ! おれを避けるな!」
もうなりふり構ってはいられなかった。
椅子を蹴り飛ばし、ゾロの元へと飛び込み、俯くゾロの襟首を掴み上げる。
強制的に仰向かせ、静かにどこか暗い目の光りを無理矢理自分の方へと向けさせた。
深く落ち着いた目は、まっすぐにサンジを見るのに、その深さが定まらなくてサンジは小さく揺さぶってしまう。ゾロはそんなサンジの手にそっと自分の手をかけ、ぐっと力を込めた。
きつく食い込むその手が、自分の腕を軽く掴める程に大きくなっていることに、ここにきて初めて気付いた。
「好きだ」
ゾロはまっすぐにサンジを見つめたまま、サンジの手を首もとから力ずくで外しながら、そう告げた。
「…お前が好きだ」
胸のどこかが大きく振動する。
それくらいまっすぐな言葉が、自分の根幹を貫いた。サンジはその響きの衝撃に、ほんの一瞬呆けた。
その言葉はなんだ?
その響きは…なんだ?
「…それだけだ。だから、お前は幸せになれ。前にも言ったろ、お前が本当に好きな奴と、ちゃんと幸せになれ。おれはもう…もらった。お前からもらえる物は全部…もらってたんだ」
通じる通じないは、もうゾロには関係なかった。
それでもこれだけは言わなくてはならないと、たった一つの真実だけを繰り返した。
呆然と自分を見下ろしてくるサンジを見上げながら、ゾロは今を最後に、二度とこの言葉を告げることはないんだなと気付いた。
それだけでは通じない言葉があることも、初めて知った。
「お前と一緒にはいられない。そういうのもあるんだな。…もう分かった」
「だから! 何が?! お前一人で納得するな! 好きって言いながら、お前はおれをただ拒絶してるだけじゃねぇか!」
ゾロの手を振り払い、睨み付けるサンジにゾロは頷いた。
「…そう…なるのか…? 拒否られてるのは、おれじゃねぇか?」
不思議そうに首を傾げるゾロに、サンジは激しく首を振った。
「首傾げてるんじゃねぇ、だから、なんでそうなるのか教えろ! ちゃんとおれに言えよ! 分かるように、言えっ!!」
「………言ったつもりなんだが……」
もうどうすればいいのか分からない、といった風情でゾロはうんざりと空を仰いだ。
「…つまりだ、こんだけ言っても通じないっていうのが、もう答えだろうが」
それは思いの差だ。
「何が答えなんだよ! お前はいったいどこを見てるんだっ!」
だが、根本的に気付かない者には、通じない。
こんな風にしか言えないことに、サンジの方こそ困惑していた。本当にゾロが分からない。同じ位置に立てない。ここまで遠い。こんなにまで、遠く離れていては、何もかもがなくなってしまいそうだ。
なのに、どうしても理解できないゾロの言葉が痛い。躰の奥のどこかが疼いて、酷く焦るしかできない。それがもう、たまらない。
目の前に立つ少年に、自分がどれだけ翻弄されているか。
何がこうも決定的に違うのか。このもどかしさは、異常だ。
「ゾロ!」
再度サンジはゾロへと両腕をつかむように手を伸ばした。その手を、すんなりとゾロの手が掴んだ。
必死に見返した自分へと、まるでなだめるようにゾロはサンジの手を引き寄せ、深く両手で包み込んだ。
「だな。このままじゃ、ビビの言った通りだな。最後にする。ちゃんと聞けよ、コック」
ゆっくりとゾロの目がサンジを捕らえる。
深く覚悟を決めた目が、焦るサンジを押した。
「好きだ。おれはお前が好きだ。 そうだな、ビビがコーザを好きなように。お前がナミを好きなように」
ほんの少し間を空け、だめ押しするかのようにゾロは続けた。
「お袋が親父をきっと好きだったように お前が好きだ。……そういう、ことだ」
言い切って、ゾロはきつくサンジの手を握りしめた。
そして、そっと手を離す。サンジの手がぱたりと落ちた。
呆然と立ちつくすサンジは、なんだか作り物のようにさえ見えた。
「もう分かったよな? 大丈夫だよな? 理解できたよな?」
ほんのわずか、動かないサンジを覗き込むように見つめ、なんの反応もしない彼を置いて席を立った。
「…朝っぱらからする話じゃねぇよなぁ、悪かったな」
言いつつ、大きく背伸びをして息を吐き出す。
実際そんな感情に気付きさえしない人物に、今の言葉を理解しろと説明するのはどうかと思わないでもない。けれど、曖昧では区切り一つつけられらない。それもまた、真実だ。
ノロノロとゾロの方を見るサンジの前で、ゾロは背を向けたまま続けた。
「ビビにもちゃんと言っておくから、今度のことはもう気にするな。…これ、借りていく」
足下に置きっぱなしになっているバケツを取り上げ、やれやれとゾロは控え室のドアへと向かう。
ゾロが向けた背が少し遠ざかる、反射的にサンジは呟いた。
「…ゾロ?」
「おう」
立ち止まったゾロは、振り返らない。そうしなければ、いけないかのような、そんな決意すら滲ませた背中に見えた。
「……今のは……あ? いや、待て…それって…? おれ…男だぞ? お前も男だよ、な。うん。…ん? なんか勘違い…を…」
「してねぇよ」
苦笑を含んだ声が、静かに断言する。
「そのまんま、だ。…ああ、こう言えばいいのか。おれはお前に惚れてる。…愛してる? とにかく、そっちだ」
「ん…んなわけあるか!! お前はゾロだぞ!? ゾロなのに…おれにって…そんなの…まちが…」
「違わねぇんだ」
最後まで言わせず、ゾロは言葉を封じるよう重ねた。
「お前が納得できないのは当たり前だろうが、おれは違った。…いや、普通っていうのからは間違ってるのかもしれねぇが、おれにとってはそれは間違いじゃねぇ。だから言っていたろ、おれだけのことでしかねぇんだよ」
振り返らないまま、言葉も静かなのに、恐ろしいまでの気配がサンジを押しとどめている。
「お前はおれとは違う。だから、持つ感情も違う。…一緒には、いられねぇだろ、これだと」
「……ゾロ…」
「今までの恩は忘れねぇ。本当に、世話になった。どんだけ助けられたかしれねぇ。 ありがとな」
開けはなったままのドアへとゾロは歩き出す。けれど出て行く間際、ゾロは微かに立ち止まった。
「ここまで通じねぇとわかったからあえて言うけど。お前のせいじゃねぇぞ。…間違えるなよ、おれがそう思うのはお前だけだ。だから妙な心配するな。…まあ、要はおれが変なんだろ」
ゾロは微かに吐息をついたようだった。肩が小さく上下する。
「これで全部だ。もう…言うことはねぇ」
じゃあな、と言わんばかりに軽く手を振り、ゾロはそのまま部屋を出て行った。
後ろ姿が消えてもなお、サンジは動けなかった。
今まで一番の衝撃とでもいうのだろうか。本気で吹き飛ばされたような気分だ。
ゾロの言葉の意味が分からない。いや、分かる。分かるのだが、それを理解していいものかどうかが分からない。
硬直したまま、けれど動悸だけが激しく全身を突き上げて、もう何がなんだか分からない。
ぞろがおれをすきだといった。
一際大きく胸が鳴った。
そうして、ぐわっと突き上げてきたのは、激しい熱だった。
あえぐように呼吸を繰り返し、いつしかへなへなとその場に座り込んでいた。
それでも動悸が治まらない。ただ、ゾロの言葉が何度も繰り返され、やっと、意味が浸透する。
意味不明のうなり声を上げて、サンジは床に突っ伏した。
ダメだ、何か分からないが、ダメだ。やばい、非常にやばい。そんなわけがない、と思うと同時に、酷く納得している自分もいる。
「うをおおおおっ!!」
頭をかきむしって、躰を起こし、サンジはまた突っ伏した。
ピタリと動きを止め、またしても硬直に入る。
好き、だと言った。それも、そういう意味で、ゾロが自分を好きだと…。
「ぐおぉおおおおおっ!! なんでだよ! 何がだよ! マジかよ!」
「うるせぇ、チビナス!」
鋭い蹴りが脇腹をえぐり、サンジは思い切り転がった。
一瞬息を呑み、ついで激しく咳き込んで痛みというより、熱さを感じる脇腹を押さえる。
反射的に顔を上げると、そこには腕を組んだゼフの姿があった。
2012.9.17
…一筋縄では通じないという…orz
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