遠くて近い現実
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「…じじい…」
 ゼフはじっとサンジを見下ろし、全身を使って大きくため息をついた。
「いい年した小僧が、何泣きそうな顔してやがる。馬鹿かお前らは」
「馬鹿じゃねぇ」
「馬鹿だろ。どいつもこいつも…」
 呆れたと頭を振り、ゼフは手近な椅子を引っ張り出し腰を下ろした。
「あっちの小僧は泣くというより、むっつり押し黙りやがって。お前はお前でそれか。どっちもガキ過ぎて話にならねぇ」
 サンジはハッとゼフを見上げ、慌てたようにゼフの元に詰め寄った。
「ゾロ…ゾロはっ!」
「今飯くってるだろ、味なんざ分かりもしねぇと思うがな」
「普通に…」
「するしかねぇんだろ」
 呆れ果てた様子を隠さず、ゼフはじろりとサンジを見下ろした。
「戻ってくるのが遅い上に、どう見ても様子がおかしいから聞いてみればお前が来てたから全部話してきた、と言いやがった」
 その言葉にサンジはゼフが全部知っていることを、否応無く悟った。
「……あっのヤロウっ!」
 思わず握りしめた拳に青筋が浮く。でもそういえば、さっきゼフには話をしているようなことを言ってなかったか。
 だとすればゾロはゼフにはきちんと話をしているのだ。
「……あのヤロウ…」
 弱々しく呟き俯くサンジをゼフは静かに見下ろした。
「だからお前はガキだって言うんだ。あの子供は律儀だからな、おれに筋を通すつもりで全部話しやがったんだぞ。おれにはちゃんと話しないと申し訳がたたないんだとよ。育ててもらってるのに、すまないと言ってきやがった」
 それはきっとゼフにしてみれば、やるせなかったのではないか。何分にもデリケートな話題であるのは確かだが、そういうものにいちいち動じるようなゼフはない。
 …ないはずだ。多分。
 だからといってゾロはゾロで、一本気過ぎて突出している所がある。
 そこまでするということは、ゾロは本気なのだ。
 ……本気…。
 ガッと脳天に血が駆け上った。
 何が本気だ、何が。思わず頭を抱えて前のめりに俯いてしまう。
 発作のようなそれを、やはりゼフは冷ややかに見つめた。
「その様子だと、本当にあの馬鹿はお前に全部話ししやがったんだな。…で、どうする。あいつは、答えを出しているようだぞ」
「どうするって…どうする…え? どうにかなんのか? いやいやいや! どうもこうもねぇだろ! 答えって…答え?」
 赤くなったり青くなったり、とにかくめまぐるしく顔色をかえ、最後にはたと目を見開いた。
「答えって…なんのだ?」
 またしても全身の力を吐ききるような、長い長い吐息が漏れ続いた。
 椅子に座り込んだまま、ゼフは呆れたように小さく頭を振った。
「どこまでお前は目を逸らすつもりだ。はっきり言ったんだろうが、あの小僧は」
 何をとは言わずとも、言いたいことは分かる。
 不承不承頷けば、ゼフは腕を組んでふんぞり返った。
「もっとはっきり言えばな、何を子供がほざいてやがると言いたいところだ。しかもお前はそんなだし、あのガキは中学生だ。マセるにしたって早いぐらいだろうが。しかも何をトチ狂ってるのか、相手はお前だときた。バカも休み休み言えと蹴り飛ばしたいとこだが…、あれが真剣だっていうのだけは分かる。あの年頃特有のもんかもしれねぇとも思ったが…あれもバカだからなぁ。ルフィと同類のようだし、だとしたら何言っても無駄だろうよ。それでなくても、こんなこたぁ、おれが何か言うことじゃねえ。あの小僧は自分のケツは自分で拭くくらいのことはできるだろうからな。わからねぇのはお前だ」
 きっとゼフを睨めば、馬鹿にしたような顔がこちらを見下ろしていた。
「まだ答えはでねぇのか? あれからどれだけの時間が過ぎた。こうやっておれとこの話をするのも何度目だ? いい加減に答えを用意しても良い頃だろうが。でねぇと、あれはきちんと筋を通してしまいきるぞ。あれにゃ、覚悟だけは人一倍あるからな」
「…覚悟…」
「元々肝だけは据わったガキだったが、それなりに育ちやがった。覚悟がなけりゃ、行動なんぞ起こすこともねぇだろうよ。バカだからな。…そういうところまで、ルフィと似てやがる」
 小さく含み笑い、楽しそうにゼフは天井の方を見た。
「小僧同士、将来は旅のスタッフになる約束したんだって? ルフィが言ってたぞ」
 思い出せばむかっ腹が立つが、確かにそういう風に約束をしていた。
「あいつらなら、きっとなんかやらかすだろうな」
 珍しくゼフが酷く眩しいものを見るような、そんな期待に満ちた顔を見せる。
 それは年齢を重ねたものが遠く眩しい何かを懐かしむような、そんな風にも見えた。
「…あの小僧はな、お前の傍にいるとお前の負担にしかならないと知っている。というより、お前と一緒にいる間に、それを知ったんだろうさ」
 いきなり鉄槌を打ち込まれた気がした。
 顔を上げたサンジに、ゼフの静かな眼差しが見下ろしてくる。
「お前は知らねぇだろうが、あの小僧の裁判だのなんだの、病院でのカウンセリングだのなんだのと、色々あの小僧の状況を記したものがある。おれはなそれを全部頭に入れて接してきた。だがな、お前には教えなかった。お前が聞いてこなかったというのもあるが、知らないヤツがあの小僧の傍にいることも大切だと思ったからだ」
 呆然とサンジはゼフを見返し続けた。
 そんなものがあるとは、想像すらしたことがなかった。だが、考えればそういうものがあるのは当然のことで、それに思い至らなかった自分の方がおかしい。いや、それもだが、何故自分はゾロのことを知ろうとした時に、真っ先にゼフに聞こうとしなかったのだろうか。
 ゼフに借りを作りたくなかったから。
 と言えば確かにそれが一番だろう。だが、それだけではない気がする。
 ゾロのことを、ゼフは知っている。
 目の前が赤黒く変化したような気がした。
 ぐらりと視界が回った気がして、思わず額を抑えて俯く。
 これは何だ? ゼフがゾロのことを知っているのは当たり前だろう。なのに、何故こうもショックなのだ。
 本当に、何故自分はゾロのことを知ろうとしなかったのだろう。
 一緒にいることが、一番大切だと思っていた。それだけで、とにかく自分は満足していた。
 ゾロが何を考え、どう自分に接していたか。
 ゾロがいったいどんな風に自分と出会うまで、育てられ、どう傷つけられてきていたのかも知ろうとはしなかった。
 いや、正直今でもそんなことを知りたいとは思わない。ゾロは強い。傷つけられていたなどということを、あの幼子はものともしなかっただろう。
 だが、それだけでいいはずはなかったのに。
「ありゃバカだがな、だからといって頭がない訳じゃない。妙な状況判断はできやがるし、野生の勘なのかなんなのか、変なところ鋭いし着眼点は人並み以上だ。…けどやっぱりバカだ」
 ふう、とため息をつき、ゼフはやれやれとサンジを再度見下ろした。
「そしてお前もバカだ。で、どうする? もう時間はねぇぞ。あの小僧は全部終わらせる気でいやがる。自分が進学することで、すべてを真っ白にして、自分を貫くつもりなんだろう。数少ない自由を教えたら、あっさり選んで進んできたみてぇにな。単純なだけに質が悪いが、面白ぇから余計に面倒だ」
 今までのゼフはそれでもサンジを見守る体勢だった。
 だが今のゼフは容赦なく答えを要求している。それがはっきり分かって、サンジはきつく唇を引き結んだ。
 自分の持ち時間が既になくなっていることを、はっきりと理解した。
 その引き金が、ゾロのあの告白だ。
 一瞬でもそのことを考えると、どこからかガッと一気に血の気が巡る。
「………なんで……」
 思わず胸を押さえてきつく目を閉じる。
 この衝動はいったいなんなのだ。そんなにショックだったのだろうか。
 そりゃいくら養い子とはいえ、男からの告白なんぞ受けることがあるとは想像すらしたことがなかった。だからこそ、そんな対象に自分がなっているということが、驚きだったりするのだろう。
 だが本当にそうなのか。
「ああああああああ〜もうっ! なんなんだよっ!!」
 頭を掻きむしりたくなる。
 ゾロが自分を好きだと言った。
 それだけが、ひどく自分を貫いて、その貫いた後が痛い。とにかく疼く。
「どうしろってーんだ!?」
 思わず叫べば、呆れたような声が迎えた。
「簡単だろう。お前があいつをそう見られないなら、そう言えばいい。見られるなら、そう言えばいい。二つに一つ。それしかねぇだろうよ。ま、せいぜい頑張るんだな」
 どこか面白がるような響きに、射殺す勢いで顔を上げたサンジにゼフはあっさりと言い切った。
「それでいいのか、このクソジジイっ! おれもあいつも男だぞ!」
「……だからなんだ。もういい加減おれは飽きた」
 これだけは仏頂面で言い、ゼフはやれやれとため息をつきつつ立ち上がる。
 気怠い動きではあったが、どこか晴れ晴れとしてるように見えるのは何故なのか。
「飽きた…って、それが子供らに言うことかよ!」
「おれぁ、いつまでもうじうじ考え込むお前とは違うんでな。ついでに言えばおれのことでもない。好きにするがいいさ。お前等はお前等でしかねぇんだ」
 一瞬言葉が途切れた。
 どういう意味だ? と考えたが答えが出る前に、従業員用のドアが大きく鳴り響きはっとサンジは振り返った。
「ちょっと! サンジくん!?」
「大丈夫ですか?! サンジさん!?」
 切羽詰まった声が響き渡り、軽い足音が乱雑に重なり合う。
 きょとんと呆けたように振り返ったサンジの前に、ナミとビビが酷く慌てたように駆け込んできた。


 ナミはすぐにゼフに気付いたように立ち止まったが、ビビはサンジに突進した。
 座り込んでいるサンジをまるで確認するように、あちこちとパンパン叩き回し、その頬を両手で包み込むと有無を言わさずに引き上げて己の方へと向けさせる。
 え? え? と混乱するサンジが目前に迫ったビビの麗しい顔に目をハートにするのを余所に、ビビはゆっくりとサンジを見つめ、一気に力を抜いた。
「…よかった、無茶はされてないみたい」
 本気で疑問符が浮いたサンジを余所に、ゼフが吹き出した。
 ついでにナミも呆れたように肩を竦めて苦笑する。
「だから、そんなことするはずないって言ったじゃない。先走りすぎよ、ビビ」
「そうなんですけど! でも、万が一ってことがあるかもしれないじゃないですか! あんな声で言われたら心配だってしますよ!」
 恥ずかしそうに、けれど力を込めて言い募りつつビビはナミを肩越しに振り返った。その頬が赤い、自分でもはしたないことをしたと思っていると、その態度が言っている。
「…お、お前等は…本当に…」
 ゼフは止まらなくなったのか、楽しそうに笑い続けている。
「おはようございます…すみません、朝から突然に押しかけて…」
 慌てて居住まいを正そうとしたビビに、軽く手を振って押しとどめ、ゼフはもうひとしきり笑うと大きく息を吐いた。
 それをサンジはぼんやりと見つめ、それからハッとしたようにビビとナミを見つめた。そういえばずっと床に座り込んでいたせいで、ビビまでも座り込む形になっている。
 慌ててビビの手をとって立ち上がろうとしたが、ビビはやんわりとそれを引き留めた。
「小僧か?」
 ゼフの問いに、ナミとビビが同時に頷いた。
「ええ、さっきいきなり電話が入って、サンジくんの所に早く行ってくれって言うから何があったのかと思って。そしたらその後すぐにビビからも連絡が来て」
「だって、Mr,ブシドーったらいきなり誕生会はなしだって言ってきて! もう心配することはないからって。全部片をつけたから、安心しろって…。だからびっくりして」
「え?」
 一人まったく現状が掴めずに、首を傾げているサンジを三人は揃って見つめた。
 そうして、揃って同じ仕草で大きくため息をつく。
「…もしかして…」
 ちらりとナミがゼフを見れば、ゼフは苦笑しながら頷いた。
 それでビビにも分かったらしい。
 さらに困惑したサンジを置いて、はっとしたようにビビは天井を見上げた。
「おじさま、Mr,ブシドーは!?」
「上にいる」
 言われた瞬間、ビビは立ち上がると軽く一礼して、慌てたようにその場を出て行く。それを見送り、ナミは改めてサンジを見つめた。
 床に座り込んだまま呆然とビビを見送っているサンジは、いつも自分達に見せている姿からはかけ離れている。昔から女の子を前にした時のサンジは、無意識にだろうどんなにクネクネと踊っていても、一本芯の通った姿をしていた。もしかしたら、ルフィ達には見せていたのかもしれないが、それでもここまで無防備なのも珍しい。
 多分ゼフもそれに気付いているのだろう、だからこそこの場から去ろうとしないのだ。
 ナミはわざとサンジの目の前に膝をついて腰を下ろした。そうすれば目線が同じ高さになる。
 薄い青をどこか潤ませ、サンジはそっとナミに目線を移した。
「…ナミさん…」
 一言で言えば頼りない。そんな揺らぎが見える。本当にそんなサンジは珍しい。
「ねぇ、サンジくん。何があったのか、ちゃんと教えてくれる?」
 ゆっくりと諭すようにナミが言えば、サンジは躊躇うように視線を彷徨わせ、小さく頷いた。







2012.10.20




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