遠くて近い現実
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 でも違うのだ。
 ゾロが自分を裏切っていたなんてことはない。それだけは、ない、と不思議と断言できる自分自身にサンジは驚いた。
 しかし客観的に見れば、確かにゾロが自分に告げたことは理に反したことばかりで、ナミが言うことの方が当たり前だと理解できる。
それは分かるのだが、納得はできない。
 そして、この感覚をどうナミに言えば理解してもらえるのかを、告げる言葉も術もサンジにはなかった。
 面倒見ていた男の大人に、同じ男の子供が恋愛感情をつげた。
 …どこの三文小説かドラマか。
 しかもその設定自体が間違っている。とサンジでなくても、普通なら言いたくなるはずだ。
 確かに昨今、そういう恋愛があると衆知はされてきているが、だからといってそれを身近に感じることはなかったし遠い世界のことだと思っていた。
 なのに、こんなに近くにそれを体現しようとする存在があったとは。
 というか、あのゾロが自分に…。
 そこまで思い出して、思わずサンジは自分の頬を平手打ちした。
 派手な音が響いて、ついでに頭がくらくらする。あまりの突然のことに、ナミはびっくりしたように目を見開いて硬直しているし、ゼフも目を丸くしている。
 それにすら気付かず、サンジはジンジンとする頬の痛みと体中を廻る動悸に頭を抱えた。
 本当に…もう何も分からない。
 違うのだ。ゾロはゾロなのだ。短くはないけれど長くもない同居生活の中で、あの子供は本当に真面目だった。融通が利かないくらいに一直線で、真っ直ぐに前を向いて走っている子供だった。
 その子供が自分を見ていてくれた。
 ずっと。
 ただ、ずっと。
「うぁああああああああ、もう何がなんだかっ!!」
 息がしにくい、動悸が酷くて頭がガンガンしてくる。誰かが何かを言ってるようだが、それすら耳に入らない。
 なんだというのだ、どうしてこんな風にならなくてはならないのだ。
 自分はただ、あの子供の面倒をこれからも見ていこうと…。一緒にいるのだと…。
「わっかんねぇよ!! どうしろって言うんだよ!!」
 ただ、一緒にいないと我慢ならない。そう思ったからここまで来た。なのに、どうしてこんな風になってしまっているのか。
 ゾロが……だと言ったからといって、何故こうも自分が混乱するのか。
 頭を掻きむしり、サンジは小さく唸りながら本当に身体を丸めるように机に突っ伏した。
「違うんだ、違うんだよ。こんなこと望んでない…望んでないんだよ! あいつが…ただ…あああああもうっ…」
 ギリギリとのたうち回るように唸りを上げるサンジを呆気に取られたように見下ろし、ナミはゼフを見た。
 ここまで大混乱を起こしているサンジを見たのは初めてだ。
 それはどうやらゼフも同じらしい。だが、ゼフは呆れつつもちゃんとサンジを冷静に見ている余裕が見えた。年の功とはこんな所にも現れるのかもしれない。
 サンジの様子は酷い。これはもう、余程ゾロの告白が堪えたらしい。ただ、その堪えたの意味がこちらには良く分からない。
 突然の告白にショックは受けているのだろうが、それが良い方にショックなのか嫌悪感から来るショックなのか。判断が付きにくい。
 けれどこれまでのことを見ていても分かる。このままにしていても、きっと答えなんか出せないのではないだろうか。
 それ程、サンジにとってゾロは『特別』だったのだ。
 やはりその意味までは分からないが。
「…ねぇ、サンジくん。サンジくんは、どうしたかったの?」
 ナミはそっと、声が届くようにサンジに囁いた。
 その優しい響きに、ビクリとサンジが動きを止める。そうして恐る恐る顔を上げた。
 青い目が、真っ赤に染まって潤みまくっている。
「最初にそれを聞いておけば良かったわね。ね、サンジくん。サンジくんはゾロとどうしたかったの?」
 どこか呆然と、サンジはナミを見続けた。
 どうしたかったのだろうか。それだけは分かっている。
「おれは…おれはね、ナミさん。あいつと一緒にいたかったんだよ。あいつの飯を作って、あの家で、あいつが学校行って剣道やって、ここに来て…。そうやってただ、一緒に暮らしていきたかった。そうやって…面倒見てやりたかったんだ」
 これまでと同じように。そしてこれからもそれはずっと続いていくのだと、サンジは信じて疑わなかったのだ。
「そう。サンジくんはそれが凄く大切だったのね。ゾロのこと、大切にしていたのね」
「……大切に……」
 していたのだろうか。
 ゾロからその生活を拒否されてしまった今、自分がやっていたことの正当性などまったく見当もつかない。ただ、自分が楽しかっただけではないか。自分がやりたかったことだけをして、相手が何を考えていたのかとか、全く見ていなかった気がする。
 そう告げれば、ナミは苦笑して肩を竦めてみせた。
「それは仕方ないわよ。そんなこと言っても、相手があのゾロでしょう。要求もほぼないヤツ相手に、あれこれ察して完璧になんて出来るはずもないわ。けど、ゾロは凄く満足してたって、そう言ってたじゃない。だからサンジくんは間違ってなかった」
 断言されて、ほんの少し吐息が漏れた。
 そう言って貰えると、慰めと分かっていてもホッとできる。
「あのね、サンジくん。こう言ってはなんだけど、今までサンジくんがやってきたことと、今回のゾロの気持ちは…別物だと思った方がいいと思う。サンジくんが悪かったわけではないし、ゾロだって悪いわけではないわ。それは分かるわよね」
「…ああ…うん」
「ゾロはずっと感謝してたって、私達にも言ったわよ。一緒に暮らしてて、凄く楽だったって。もう有り難くてたまらなかったって。でも、ゾロはあの性格でしょ? ずっと自分の為に誰かが何かをしてくれるってことが、それも自分がいたから不自由してる人がいるってことが、きっとたまらなく嫌だったんじゃないかしら」
「それはっ!」
 反射的に言い返し、けれどサンジはそのまま項垂れた。
 それはもう充分理解できていた。改めて言われるまでもない。あの子供は、自分のせいで誰かが犠牲になることを極端に嫌っている。というよりも、それは弱さだと思っている節がある。子供なら当然の面倒を見るということも、その線の内側に入れ込んでいるくらいだ。
「…そう…そうなんだよなぁ…」
「サンジくんなんだかんだ言っても凄く世話好きだもんねぇ。ゾロだけじゃなくて、皆に対してもそうよね。だから…気付いちゃったんでしょうね」
「え?」
「自分にだけ、の優しさじゃないんだってことに」
 はっと目を見開いたサンジに、ナミはにっこりと笑ってみせた。
「サンジくんは自分だけのものじゃなくて、皆のものだって。なのに、自分だけが特別のように集中的に面倒見させてるって、そう思ったんでしょうね。…私が帰ってきて、ゾロにだけの時間はホント少なくなってたでしょ? なにせ皆戻ってきたもの。ルフィだってウソップだってビビだって。悪いことしちゃったわ、やっぱり最初の予定通り、せめてもう少し…そうね、あと一年くらいは戻ってくるべきじゃなかったのかも」
「そんなこと!」
「結果論でしかないけどね。一年遅らせても、やっぱり同じ結果になったような気もするし。何せ鷹の目とか言ったっけ? あの剣道の人のこと、随分と目標にしてるみたいだしねぇ」
 ナミは腕を組むと、呆れたように首を振って目を閉じた。
「どっちにしろ、ゾロはサンジくんが自分が独占していい人でないってことに気付いて、必死でセーブしようとしていたんでしょうね。早くサンジくんをちゃんと元の通りに戻さないと、壊れるとでも思ったんじゃない? バラティエのことずっと見てた私達は別段そんな心配しなかったけど…意外とゾロって心配性よね」
 それはゾロの母親のことがあるからだろう。
 けれどそれを口にしていいとは思えず、サンジは黙り込んだ。
「ゾロはサンジくんにちゃんと思いを伝えたんでしょう?」
 優しく聞いてきた声に、今度は小さく頷いてサンジは答えた。
「それはきっとそれだけのことよ。これまでのこととは関係ない。ゾロはサンジくんが…欲しかったのね。きっと…ただそれだけだったと思う。でも、それはサンジくんには受け入れられないのよね?」
 随分と間があった。
 けれど、静かに。     とても静かに、サンジは小さく一つ、確かに頷いた。
「それはおかしい…あいつはゾロで…おれは男だ。おかしいんだよ」
「……そうね。普通に考えたら、そうでしかないわよね」
「おかしいのにっ! なんであいつはっ!」
    分かった」
 重々しい一声が、その場を鎮めた。
 二人が同時にはっと声の方を見れば、ずっと静かに聞いていたゼフが仁王立ちで腕を組んでこちらを見ていた。
「チビナス、お前の気持ちは分かった。それがお前の答えなんだな」
 ただ呆けたようにゼフを見るサンジを見つつ、ナミもしかし頷いた。
「…そう…ね。そうなのよね。…うん。私も納得した。それがサンジくんの答えなのよね。それなのに、無理矢理他の答えを出そうとするから、サンジくん混乱してたのよね。そうしないとゾロと一緒にいられないから。最初からサンジくん答え出してたのよね。サンジくんはゾロと一緒にいたい。けど、ゾロの思いは間違ってる。受け入れられない。でしょ」
 その通りだ。
 けれど、何故かサンジは呆然としたまま二人を見上げ続けていた。
「…こんなこと、言いたくないけど…無理よ。サンジくん。ゾロの思いは受け入れられない、けど一緒にはいたい。それってもの凄く矛盾してる。何よりも、ゾロがそれは出来ないって言ってる。だからサンジくんの傍から離れていったのよ」
 恐ろしく、はっきりとサンジの中でその事実が道筋をつけて理解できた。
「ゾロの気持ちには答えられないなら、…サンジくんゾロをちゃんと解放してあげよう?」
「それよりも、あいつはもう戻っても来ないだろうがな」
 ノロノロとゼフを見たサンジは、ゼフが大きく吐息をついたことに肩を揺らした。
「お前の答えなんぞ、あの小僧はハナから理解してる。だからあれは出て行った。今更お前が自覚した所で、もう止まらねぇ。おれも腹をくくった。お前の答えがちゃんと分かった以上、おれは受け入れる」
「…戻らない…って…」
 反射的に尋ねたサンジにゼフは小さく笑った。
「小僧はあっちの学校に転校させる。あっちから矢のような催促が来てるんでな。あの小僧が行く高校には付属の中学があるそうでな、早く寄こせと…まあ勝手いいやがる。せめてこっちで卒業まで…とか言ってはいたんだが、お前に振られたなら丁度いいだろう、このままここにいても、良いことはない。あの小僧にも踏ん切りがつくいい機会だ。ませたガキにもいい理由になるだろうし、振られた勢いでいい修行にでもなるだろうさ」
 硬直したサンジに、ナミがどこか痛ましいような視線を寄こしたが気づきもしない。
「お前達は傍に居すぎた。もっとちゃんと離れて、お前達自身を見つめ直せ。そうすればそんな世迷い言なんぞ、口にするのも恥ずかしいことくらい気付くだろうよ」
 ガキ共はこれだから…、とぼやき、ゼフは腕を解くとナミに視線を寄こし、頷いた。
 ナミもはっとしたように頷き返し、それからサンジを見た。
 呆然と魂が抜けたかのように俯いているサンジは、本当にただ空虚な人形のように見えて、ナミはそっと深い溜息をついた。







遅くなってしまいました。続けて更新できるように励みます…orzしかも最悪の答えでちゃった、ははは…はは。 
(2013.2.26)




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