遠くて近い現実
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 『好きだ』と言われた。
 けれど、受け入れられないと断った。
 つまりこれは『振った』ということになる。
 振ったということは、付き合うことはない、という意思表示だ。
 だから、もう、ゾロの気持ちには終止符をつきつけたということ。
 そんなもの凄く単純かつ当然の流れを確認し、サンジはもう一度、うん、と深く頷いた。


 ゾロの告白から一月程たっていた。
 既にカレンダーは12月という最後の一枚を表にし、年末を控えバラティエは慌ただしさに拍車がかかっている。
 あの告白から数日後がゾロの誕生日だったのだが、結局主役がそれを断固として拒否したという事実と、一番乗り気だったビビとルフィまでもが今年はしない! と断言したことで流れてしまっていた。
 ゾロの誕生日を祝わないというのは、考えてみれば出会ってからは初のことだった。
 よくよく思い返してもたった四回しか祝ってやれなかったことになる。今年を入れたら五回になっていたはずなのに…とそこまで考えて、その片手に足りる程度しか傍にいなかったのか、とそちらの方に愕然となった。
 あれからゾロの姿はまったく見ていない。
 当然だろう、と思う気持ちと、顔ぐらいちゃんと見せろと苛立たしい気分とが行き交って、サンジ自身自分の感情のコントロールがつかなくなってしまっている。
 ゾロが自宅からバラティエに行ってしまってからも、それでもなんだかんだとサンジと顔を合わせることがあった。なのにこの一月は、いるはずなのにまったく顔を合わせていない。
 いるのだという存在は、ゼフの態度や他の住み込みコック達の話などから伝わってきているが、それもまたかなり希薄だ。
 それどころか、あれから一月で、ゾロの転校の話は着々と進み秒読みの段階だ。
 その詳しい話すら、サンジには漏れ聞こえる噂話のようなものでしか知ることはなかった。
 ちゃんと聞けばゼフは教えてくれる。だが、恐ろしく事務的な会話はするだけでサンジを苛つかせたし、逆ギレしてしまう率が高すぎてあっさりとゼフも匙を投げた。
 そんなサンジの代わりのように、今はビビが毎日やってきてはゾロの世話を焼いているらしい。さすがにここのところ、コーザがぼやく程ビビはゾロに構いまくっているらしかった。
 時折ビビはゾロの所に来たついでのように働いているサンジに顔を見せてくれるし、自宅の方にも相変わらず来ているのだが、そこでビビがゾロのことを語ることはなかった。それでもなんとなくビビの中心が、明らかにゾロへと寄っているのは感じられた。
 それが妙に気にかかる。
 サンジは胸のどこかがチリッと苛立つのを認識しながら、日々を何事もなかったように受け流していた。というよりも、受け流すしかできなかったといった方が正しい。
 あれ程自分とゾロの橋渡しをしようとしていた皆の雰囲気が、綺麗さっぱり消えてしまっていたからだ。
 最初は全てに混乱しまくっていたサンジだったが、ビビのゾロへの傾倒のようなものを感じてはっきりと分かった。
゜  こうなったのは、答えを出したからだ。
 ゾロの気持ちを否定して、受け入れられないと言った。だから皆は、そのように扱っているのだ。
 きっと自分にもゾロにも気を使っているのだろう。
 でもそうだしとても、ビビは酷く熱心にゾロに寄り添っているような感じがする。
 それがちょっと気にかかる。気にかかるのは、ビビが心配だからだ…と思ってはみても、ではゾロの傍にいるビビの何を心配しているのかと突っ込めば答えは出ない。
 変な間違いが起こることは百に一つもないと断言できるくらい、ゾロが信用に値するということは分かっているし、ビビの想い人がコーザであることは違えようもない事実だ。
 だから心配することは欠片もないはずなのだ。
 なのにどこか悶々としてしまっている自分が分からない。
 相変わらずゼフは何も言わずに、率先して動くビビの好きなようにさせているらしい。
 ビビは公言している通り、ゾロの転校の手伝いをしているらしい。勉強に関してはもう問題はないということで、ウソップの力も借りてあれこれと転校先との調整をしているのだという。
 本来ならそういうのはゼフやサンジがすることなのだろうが、ビビが是非自分にさせてくれと頼み込んだのだ。実際仕事を持っているゼフと蚊帳の外に置かれたサンジでは、そう申し出てくれてどれだけ助かったか分からない。ゾロは自分ですると言っていたようだが、大人が必要だと早々に気付いてビビの協力を受け入れたらしい。
 そんな風に忙しくゾロとべったり過ごしているビビとは対照的に、サンジはただ淡々と目の前の料理に向かって没頭しているしかできなかった。
 告白を受け入れることなどできない、ときちんと振った身としては、それがゾロにしてやれる一番のことだとナミにも諭されたからだ。
 言われなくても、振られた相手にいつもと同じように構われ続けたらキツイということくらいは理解できる。だからこそ、サンジは黙って己のやるべきことである料理に没頭していた。
 それでも危うい程にのめり込みが酷くなっているサンジの様子は傍目にも異様で、厨房スタッフも何があったと聞くこともできずに遠巻きに見ているのが現状だった。
「ランチタイムそろそろ終わりだな。表にクローズ出していいかオーナーに聞いてきてくれ」
 料理を仕上げた皿を出しながらサンジが言えば、もう行ってます、とフロアの方から声が帰ってきた。
 ピークは随分過ぎて、残った客も少なくなってきている。
 フロアを見回し、サンジは頷いて残り少ない作業に戻ろうとした。
「バケツ戻ってきてるぜ」
 休憩室から小さ目のバケツを片手に戻ってきたカルネは、そのままフロアの店員にクローズ表示を出せと指示を伝えた。ウェイターが頷いたのを横目に確認しながらカルネは足下にバケツを置いた。
 その場にいた全員が、その中に消毒が必要な布類を放り込み出した。
 それをぼうっと耳にしながら、サンジはふと手を止めた。
「……バケツ?」
 急いで見てみれば、カルネは厨房内の掃除用にしている小さなバケツを確かに持っている。
「今回は早く戻したなぁ。持って行くっていったの昨日じゃなかったか?」
 パティがデザート皿のデコレーションの手をとめて顔を上げると、カルネは首を振ってみせた。
「急いでたんだろ。あんまりゆっくりしてる時間ないんじゃねぇか、そろそろだろ?」
 主語がなくても誰のことを話しているのかは分かった。
 主語などいらないほどに、バラティエでは当然の存在になっていた子供は、近くいなくなることが知られていた。 
「寂しくなるなぁ。あいつ無愛想なくせに、存在感だけはあったからなあ」
 何人かが苦笑したような気配が湧いた。
 厨房の者達はゾロの告白のことは知らない。当然だが、だからこそ、ただ自分の夢を叶える為に学校も変えて挑もうとしているゾロのことだけが話題に上っている。サンジの不機嫌は自分のもとからいなくなるゾロのことを心配しているとでも思っているのだろう。
「バケツって?」
 隣に来たカルネに軽く声をかければ、少し驚いたように丸いサングラスがこちらを向いた。
「おいおい、気付いてなかったとか? 前から時々ゾロ坊が持ち出してたじゃねぇか。特に店に来てからだけどよ」
 ふ、と手を止めてサンジがマジマジと見れば、焦ったようにカルネは身を乗りだしてきた。
「ああ? マジで気付いてなかったとか? 嘘だろ、おい。ゾロ坊の墓参りだよ!」
「は?」
 誰の? と口をつきそうになって、次の瞬間サンジはあ、と目を見開いた。
 ゾロが墓参りをする相手など、一人しかいないではないか。
「え!?あいつ一人で行ってたのか!?」
「てーか、今気付いたのかよ!! それはねぇんじゃねぇのか? サンジよぉ」
 ゾロが病院から家にきて、少し落ち着いた頃にゼフも含めて三人で永大供養をしてくれるという寺にお参りをした記憶はある。骨壺もそこに預けていたはずだから、きっと行っていたのはそこだろう。
 だが一緒に暮らしだして、そこへ行った記憶は殆どない。大きな節目の一周忌や三年忌の時には行ったのだが、普段はまったく意識すらしていなかった。
「ゾロはどうもコウシロウさんに言われたらしくて、お盆の時とかちゃんと参ってたみたいだぜ。仏花が届いたらここのバケツ持ってあがって置いてたみたいだな。店に飾る花と一緒に、時々持ってきてくれてただろうが」
「……そうだったかな」
 あんまり記憶はない。飾り花は確かに定期的に仕入れていたが、それに気付いたことはなかった。きっと早朝ゾロが引き取っていたからだろう。
「そっか…あいつ墓参りとか行ってたんだな…」
「ゾロ坊本人は死んだら終わりだから意味がない、とか嘯いてたけどな」
「それコウシロウさんに言って怒られたらしいぞー」
「ああ、散々だったってぼやいてたっけな。それに懲りて墓参り行ってたのかよ、あいつ」
 どっと笑い声が弾けた。
「まあ、でも、それであいつなりに、色々思う所があったんだろ、きちんと墓参りする所が律儀だよな」
「そうだな。あっち行ったら墓参りなんてできなくなるだろうしな。挨拶に行ったんだろうよ」
「いつ帰ってくるか分からないみたいだしなぁ」
「遠征三昧になるとか言ってたぞ、この間。なんでもゾロの師匠になる人ってのは、むちゃくちゃらしいから」
 知らないことだらけの会話を、サンジはどこか遠い所の会話のように聞いていた。
 ゾロの居場所がここにある。
 自分が家に帰っている間に、バラティエに住み込みで働いている者達の間で、ゾロはきちんと馴染んでいたということか。
 苦い大きな塊を呑み込んだような、そんな気持ち悪さがジワリと胸に落ちた。
 むやみやたらと腹が立つ。
 親しげに語るメンバーを片っ端から蹴り飛ばしたい衝動を抑えるのに、必死になった。理不尽なことは百も承知だが、腹が立つのを止められない。
「ま、なんにしろ寂しくなるよなぁ。あっちでは飯とかどうなってるんだろうな」
「寮らしいからなぁ、ちゃんと三食出るんじゃないのか? 昼は学食か? 高校だろうから…弁当でも配達があるのかね」
 そういえばそんな心配ごとを言っていたヤツがいたな、と気を紛らわすついでに思い出した時、低いカウベル音が店内に響いた。
 店のドアが開閉する時に鳴る鈴音だ。
 反射的に顔を上げてみれば、クローズの札がかけられたはずのドアの前に大小二つの細い人影が見えた。
 思わずサンジは目を見張った。
 美女がいる。
 真っ黒な黒髪がストレートに胸元に流れているのが見事だ。こちらを見るやや彫りの深い顔立ちは、見ているだけで知性に溢れていることを感じさせた。背が高い。なのに立ち姿が凜としているせいか、スタイルの良さが際だっているからか、大きいという感覚をあまり感じさせない。
 コートを片手に躰の線がはっきりと分かるタイトなスーツ姿がまた似合っていた。しかも優雅ともいえる仕草で店内を見回す姿はどうにいっていて、フロアのウェイターが動きを止めてしまっている。
 その彼女の横にいたのは、これまた対照的な女性だった。女性というより女の子。明らかに十代ド真ん中な雰囲気だった。しかも印象がピンクだ。
 大きなツインテールに結った髪は長く、ミニのスカートはレースがふんだんに使われている。大きな厚底のブーツにニーハイ。ファンキーなTシャツの上には温かそうな大判のピンクのショール。可愛らしいもの好きなのかファッションなのか、手にはよく分からないクマっぽいぬいぐるみを持っている。だが、なかなかキュートな愛らしさ満載の、可愛い顔立ちの女の子だ。
 日傘らしきものを小脇に、その子は多少苛ついた様子で隣の女性を見上げていたが、硬直していたウェイターが歩み寄るのに気付くとすぐにそちらへと向き直った。
「申し訳ありません、本日の営業は…」
「ここはバラティエだな」
 高い響きの声だった。小鳥が鳴いているようだ、とサンジは思ったが隣にいたパティがあちゃぁ、と顔をしかめたのが分かったのでとりあえず蹴っておく。
 店内の客はもう一組二組残っているだけだったが、彼らも帰り支度をしている最中だった。
「そうですが、あの、お客様?」
「ダメよ、ペローナ。ああ、ごめんなさい。私達はお昼を食べにきたわけではないの。ここに、ロロノア・ゾロという男の子がいるかしら?」
 落ち着いた女性の滑らかな声から出た言葉に、反射的にサンジが声を上げた。
「え? ゾロ?」
 思った以上に大きく響いた声に、パティから仕返しのように蹴りが入る。気にせずサンジは厨房から大きく顔を出した。
 オリエンタルな美女が不可思議な笑みでこちらへ視線を流し、まともに目があった。
 恐ろしく魅力的なエキゾチックな瞳だった。
「ほうら、やっぱりこの店じゃないか。やっと着いたな」
 ホロホロホロと少女は笑い、カウンターに向けて歩き出す。それを止めもせず、女性はほんの少し微笑み呆気に取られているウェイターに責任者の方は? と問いかけた。
「あ、はい。オーナー呼んできましょうか?」
「お願いするわ。あと、肝心のロロノアくんを。ご在宅かしら?」
「…見てきます」
 慌てて方向転換して厨房へと動くウェイターを追うように歩き出した美女は、ペローナと呼ばれた少女がカウンターから面白そうな中を覗いている隣へと立った。
 自然目の前に立つサンジの前に来る形になった。
「あの…マドモアゼル?」
「ロビンよ。この子はペローナ。…座っても?」
 隙の無い微笑みはミステリアス。
 サンジは脳内が弾けて崩壊するのを感じながらも背筋を正した。女性の美しさは、どんなものにも何ものにも代えがたく、この世の至宝だと強く感じて感動してしまう。
 例えどんな時であっても、それは揺るぎない。やっぱりそういうものだ、と強く感じながら己に刻みつけるように納得した。
「失礼しました。席にご案内いたします」
 飛ぶような足取りで厨房から出てきたサンジは、窓際から少し離れた四人がけの席へと二人を案内した。
 二人は案内された席へ着くと横並びに座った。明らかにこれから目の前に人が来ること前提の座り方だ。いや、勿論ゼフとゾロを呼んだのだから当然なのだろうが、なんとなくその不思議な取り合わせと並びに目がとまってしまう。
「人のことをジロジロ見るのはいいが、飲み物くらい出してもいいんじゃないか? 私は甘いものが飲みたい」
「ペローナ」
 たしなめる声に被せて、サンジは大仰に反応してみせた。
「あああ、勿論ですよ! レディ! そちらのマドモアゼルは紅茶でよろしいですか?」
「……では、できればコーヒーを」
「かしこまりました」
 超特急でサンジは厨房にとって返すと、手早く飲み物を用意する。
 外は寒かったはずなので、ペローナにはココアを。ロビンの名乗った女性にはブレンドを用意していると、奥のドアが慌ただしく開閉するのが分かった。
 パティがカップをもう二つ用意したのを横目で見ていると、ゼフが横をすり抜けた。
 そして、もう一つ。
 思わず大きく手が震えた。寸での所でココアの粉をぶちまけるのは我慢できたが、震えは止められなかった。
 硬直したサンジの横を、すらりとしながらも引き締まった肢体が通り過ぎる。
 硬直サンジに気付いたのか気付かないのか、ゾロはまるで動きを止めることなく店へと一直線に歩いていった。
 背が少し伸びたような気がする。緑の短い髪は相変わらずだが、肩幅は少し大きくなった。まだ少年特有の線の細さは端々に見えるが、それでも随分と様変わりしたような感じがする。
 ゾロだ。
 ゾロがいる。
 久しぶりだ。いたのは知っていたが、この一月、顔を合わせもしなかった。
 過呼吸に陥りそうになりながらも、サンジは硬直していた躰から力を抜こうとした。今は仕事中だ、と気を込めればなんとか指が動いてくれた。
「ロビン」
 ゾロの声が響いた。低すぎず、けれど高くもなく。不思議と落ち着いた響きの声。これも久しぶりだ。けれど、その声が告げたのが女性の名前だったことに慌ててサンジは顔を上げた。
 見かねたパティがサンジからココアの粉を取り上げたのにすら気付かない。
「久しぶりね、ゾロ」
「あんまり会いたくなかったんだが、来てやったぞ」
 低音と高音と。二人の女性の声がかえり、それで三人が知り合いなのだと分かった。
 椅子が鳴る音がして、二人が立ち上がったのが分かった。サンジはお茶を用意するのを放棄して、厨房の窓から席を見た。案内した席は厨房からでもはっきりと見える席だった。
 いつの間にか厨房のメンバーも集まって、四人の様子を伺う形になってしまっている。
 立ち上がった二人は、まずはゼフに向かって一礼した。
 ロビンは胸元から取り出した名刺入れから優雅ともいえる仕草でカードを一枚抜き出し、そっと差し出す。
「初めまして。私はニコ・ロビン。ジュラキュール・ミホークの今は秘書をやっております。こちらは、ミホークの姪でペローナ。今度ロロノアくんと同じ学校に通うことになっております」
「あの叔父貴の命令には逆らえないからな」
 ペローナは少し憮然としている様子だったが、年齢的にゾロと同学年となれば納得できた。
 ゼフは名刺を受け取り、それからこちらも用意していたのだろう名刺を返し、丁寧に二人に頭を下げた。合わせるようにゾロも一様に礼を返す。
「こちらこそ、遠い所をご足労申し訳ありません。ご挨拶が遅れまして、ゼフと申します」
 挨拶を済ませると、勧められるままに女性二人は腰を下ろしゼフ達も向かいに腰を落ち着けた。







2013.4.18




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