遠くて近い現実
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 いつの間にか店の客は全員帰ってしまっていた。
 パティから肘でこづかれ、はっと我に返ったサンジはいつの間にか淹れられたココアとコーヒー三つにほんの少し目を見張った。
 持って行けということだろう。けれど、これを自分が持っていっていいものだろうか。あの席に本来なら自分もついていいはずだが、それも躊躇してしまう。
 そんなサンジの逡巡を余所にゼフからの指示が飛び、ウエイターが慌ててやってきた。サンジの元にあった飲み物は即座にウエイターが規則正しい動きで運んでいった。
 あ〜あ、という背後の声は意地で無視して、サンジはその場から四人を見つめた。
 ペローナはココアを受け取ると、口にして嬉しそうに笑った。笑うととても愛嬌のある可愛らしさが勝った。
「突然に来てしまってごめんなさい。あんまりあの人が煩いものだから、一足先に来てしまったのよ」
 こちらもコーヒーを一口飲んで、人心地付いたのかロビンが笑った。
 声は聞き耳を立てているからか、とても良く聞こえてくる。
「迎えは必要ないって言っておいたはずだ」
 不満気に告げるゾロの声に、ホロホロホロと少女の高笑いが重なった。
「真っ直ぐ歩くのも苦労するようなお前が、まともに一人で九州まで行けるか。叔父貴でなくても分かるから、わざわざ来てやったんじゃないか」
 ロビンが困ったように窘めるのに、ゼフはニヤリと笑って首を振ってみせた。
「いや、そこまで分かってくださっていると有り難い」
 フフと思わずといったように笑ったロビンは、けれど小さく詫びた。
「ごめんなさい。迎えに来たのは確かだけど、理由は他にもあるのよ」
 これはゾロに向かってわざわざ言い、ゼフに向き直った。
「やはりきちんとご挨拶に伺いたかったのが、一番の理由ですわ。ゾロ君を預かるのに、ご挨拶もなしでは到底務まりませんから。改めまして。ゾロ君を預けて下さること、本当にありがとうございます」
 丁寧に礼をするロビンにつられたようにペローナも頭を下げた。存外素直な所もある子らしい。
「ご丁寧にありがとうございます。そちらに行くのは本人の希望です、私があれこれ言うことでもない。ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
 対するゼフも神妙に頭を下げる。
 ゾロはそれを平然と見ていたが、ゼフに頭を押さえつけられてしぶしぶ頭を下げた。
「この通りふてぶてしいが形をなしたような子供です、ビシビシ鍛えてやってください。それがこの子には一番のことでしょう」
「それについては心配には及びませんわ。文句なく厳しいものになると思います。ついて行けるかどうか、それが一番の問題なんですが……ゾロ君なら大丈夫でしょう。少なくとも、今学校にいる子供達より見こみはあると思ってます。何より、ミホーク自身がゾロ君を誘ったんですから」
 けっ、といったようにゾロが目線を飛ばした。
 ロビンの言葉が示唆するものに、サンジの顔色が変わった。
 前に会ったコビーという青年が言っていた事が、現実味を帯びてきているのではないか。ミホークに誘われたということは、その道を目指す人達には実際とんでもないことなのだ、と言っていた。事実だとすれば、それに付随する余所からの期待も嫉妬も想像外のものがあるのだろう。
 ロビンは微笑みすら浮かべてさらりと話しをしているが、そこにはなんの感情も感じられなかった。それ故に、どうとでも解釈ができる話し方でもあった。
 悪意に取ろうと思えば限りなく悪意を、善意に取ろうと思えば限りなく善意に。
 そんな不安定な公平さを導く話方と本人の微笑は、相乗効果で見ている者をかき回しそうだ。さすがは一筋縄ではいかない男の秘書、と言えばいいのか。
 油断ならないような、そうでもないような。少なくとも、普通の保護者とは言いがたい。
 この人がこれからゾロの面倒を見るのかと考え、無意識にきつく拳を握りしめた。
 そんな女性を相手に、ゾロはゾロで思う所があるらしい。溜息を今にもつきそうな表情のまま、だが何も口にしようとはしない。そんな所が、またゾロらしかった。
「…正直、ここまでミホークがゾロ君に興味を持つとは思ってもみなかったのが本音です。まさかあの人について行く子供がいるなんて。こういっては何ですけど、いまだにちょっと疑いたくなってる所なんですが。事実は事実。大切に預からせていただきます」
 まるでゾロの資質を疑っているかのようなその言葉には、サンジの視線が知らずキツクなる。
 ゾロのことを何も知らないくせに、と歯ぎしりしたくなるが、じゃあ実際にゾロの腕前となるとサンジだって良く分からないのが本音だ。
 悔しい。
 ギリっと奥歯を噛みしめ、けれどそれを表に出すことはできない。そんな資格すらないことを、ここに立つ今は自覚している。
「子供は未知数とはいうものの、これは一つの可能性です。大成するかどうかは、本人次第。それは十分こいつも理解していると思います。遠慮はいりません、よろしくお願いします」
「そう言っていただけると有り難いですわ。今までミホークについてきた者はおりません。条件を叶えたものも、実はパーフェクトはゾロ君が初です。それだけに期待もしていますが、案じてもいるのが本音です」
「いらん世話だ。ダメならおれはその程度のヤツだってだけだろう」
 淡々と言うそれに、ふっとサンジはゾロを見た。
 ああ、そういうヤツだったな、と何故かストンと胸に落ちた。バカなヤツだと思う。前にそう言った時、あの子供はもっと子供だったけれど、それがどうした、と答えたのだ。
『それがどうした! おれはバカだけどな! でも、そんなおれをバカだって言っていいのは、おれだけなんだ!』
 小さな子供は声変わりもしていない声で、なのにふてぶてしくそう言って、ふんっと胸を張ってきた。だからさらにバカにしてやった。
 あれは…確か、病院のベットの上でだった。胸を張ったせいで傷が痛んで蹲り、それ見たことか、とさらに笑った記憶がある。
 遠い遠い記憶だ。けれど、今思えばあれはなんてゾロらしい言葉だったのだろうか。懐かしいというより、胸に迫ってサンジは震えそうになる躰を押さえるのに必死になった。 
「そうなのかもしれないわね。フフ、世界は広いわね。そう言える子がいるなんて」
 面白そうに言うロビンは、これだけは真実そう思っているような笑みを浮かべた。本当に楽しそうな笑みには含みもなにも見えない。素直さがかいま見える笑い方、こちらの方がロビンの本当の姿なのかもしれなかった。
「実際どうこう言っても、本音は本当にミホークが煩いからこちらに来たのよ」
「そうだぞ、もうほんっとおおおに煩いんだ。退屈だから、早くお前を連れてこいって…もぉおっあの叔父貴はっ!!」
 頭を掻きむしりそうに呻くように言うペローナは、うんざりしているのを隠そうともしない。
 どうやらミホークという人物もかなり困った人物のようだ。
「退屈しのぎに指導をしてみたら、面白そうな逸材に当たったんですもの。そりゃもう矢のような催促で、煩くて。こちらの事情もあるし何より中学が終わってからと言っても聞きもしません。せかすようで申し訳なかったんですが、あんまり煩いので急なご挨拶をする形にさせてもらったという次第もありまして。こちらこそ失礼いたしました」
 再度頭を下げる二人に、ゼフも苦笑しか出ないようだった。
 対してサンジは息を飲んだ。
 ということは、本当に近日中にゾロは九州へと行く予定だったのだ。まったく知らされていなかったこともだが、まさかここまで話が進んでいたとは。
「どうせすぐに行くことになるっていうのに、あっのケバジジイ」
 ぼそっと忌々しげに呟いたゾロは、ゼフに蹴られて無言になった。
「そのケバジジイから、『早く来い若造』って伝言よ」
 ますますムッとするゾロに、三人が笑った。
「あの叔父に気に入られるなんて、気の毒だなロロノア。でもな、私はとばっちりでもっともぉおっと大変なんだぞ」
 睨み付けるように言う少女は、頬を膨らませた。
「中学校での面倒は暫くみてやる。中学には寮はないから、ミホークの家に下宿するんだろう? 家での面倒はロビン達がみるそうだ。あ、たしぎも来るそうだから生活はできるだろう。けど学校の中は仕方ないからな、私が手ほどきしてやる。ありがたく思えよ」
「いらん」
「なんだその態度は! 私だってなー好きでやるんじゃないんだぞー、あの叔父から無理矢理…」
「はいはい、もういいわ」
 そっと口を押さえられたように見えて、その実結構な力なのか、きゃんきゃんと喚いていた少女はそのまま押さえ込まれて意味不明の声を漏らしながらも大人しくなった。
「あと、記入してもらわなくてはならない書類なんかも一緒に持ってきたから、後で署名して。いつもはビビさんとばかり話をしているから、ビビさんにも会いたいし詰めてしまわないといけない予定もあるの。ビビさんは?」
「今日は夕方には来るって言ってたな、五時くらいか」
「そう、ではその頃に改めて来た方がいいかしら。三日ほど滞在する予定だから、引っ越し等の手伝いもしようかと思っていたんだけれど」
「必要ない。もう荷物はまとめてある。いつでも行ける」
「用意がいいわね」
「身一つで来いって言ったのは、そっちだろうが」
 それで本当に身一つで来る奴がいるとは、本来は思わない。
 苦笑したロビンとげんなりしたペローナに、ゼフはとことん苦笑し、では…と今日の夕飯のお誘いをしてお開きになった。

 一旦ホテルに行きます、と近くのホテルを予約している旨を伝えたロビン達は、こちらを見ていた厨房組にも挨拶をして帰った。
 その中でも何故かサンジを前に、二人は暫くしげしげと見ていた気がする。
 ビビから何か話を聞いているのか、いやまさか、と冷や汗を流したサンジに、二人はけれど何も言わず、丁寧に挨拶だけを告げて店から出ていった。
 ゾロは二人を見送るよう言われ、ロビン達と一緒に外に出た。
 その時気付いた。ゾロの隣に立つペローナはゾロより少し背が低く、並んで立つと違和感がない。ロビンと並べはロビンの方がまだ背が高いのだが、それでも見劣りはしない。
 以前ナミと並んでいた時にも、ゾロは見劣りしないと思ったことがあるが、その時より遙かにしっくりと女性を隣にした時の雰囲気が違っている。
 ナミの時には、まだ少年らしい何かがあった気がするが、今はそれが随分となりを潜めている。
 一気に大人になったような、そんな気さえしてしまう。
 ほんの一月前。あの時でさえ、そんな風には見えなかったはずなのに…。
「呆けてんじゃねぇぞテメェ等! さっさと片付けねぇか!」
 ゼフに間近で雷を落とされて、飛び上がった厨房スタッフ達と一緒に動きながら、サンジは自分でも訳の分からないもやもやとしたものの重苦しさに、ただきつく唇を噛んで耐えるしかなかった。







2013.4.29




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