遠くて近い現実
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 手元に渡された茶封筒は結構な厚みがあった。
 中学への転入の案内や、その他備品に関して、そのまま高校への入学の案内。
 今までもあれこれと書類を書かされたりしたが、どうやらもっと必要らしい。本人署名だけではなく、保護者の署名捺印も必要なのだろうから仕方ない。
 ゾロは特待生ということになるらしく、色々なものがとにかく免除になっている。
 それに合わせた書類もまた増えるということなのだろう。
「後でビビさんとまた説明するわ、ふふ、ゼフさんは話に聞いてたいた通りの方ね。格好いいわね」
「当然だ」
 しれっと言うと、二人は驚いたようにゾロを見た。
 まさかそんな答えが返ってくるとは予想だにしなかったらしい。
「あの爺さんはすげぇよ。それは確かだ。…なんだよ」
     まさかお前の口からそんな言葉が聞けるとはな、思ってもみなかったぞ」
「そうね、そういう風に人を評価できる子だとは思わなかったわ。ファザコン?」
 真剣に問うてくる二人に、恐ろしく嫌そうにゾロはため息混じりに言い捨てた。
「アホ、すげぇヤツはすげぇと言って何が悪い」
「ああ、そうね」
 ゾロの生い立ちなどは既に把握しているのだろう、ロビンは納得したように頷いた。
「今日は前には出てこなかったけれど、もう一人の…あの金髪の子がサンジさん? あなたのお兄さんの?」
 ぶほっ、とこれは本気でゾロは吹き出した。
「あにぃ!? なんの冗だ…ああ、そうなるのか? …なるのか?」
 本気で首を傾げたゾロに、その自覚はまったくないらしい。
「同じ親の元で育ったんだ、兄弟じゃなくてなんなんだ?」
 いかにも素朴な疑問といった風に尋ねられて、奇妙なうなり声を上げたゾロはげっそりとした様子で首を振った。
 心底疲れたように苦い表情を見せた。
「そうなるのか。……成る程な」
 妙に納得したように呟き、改めて2人を見る。
「後でちゃんと挨拶すると思う。まあ、よろしくしてやってくれ。女には凄く優しい奴だから、きっと好きなもの作ってくれるんじゃないか?」
「なんで疑問系なんだ」
 ペローナの突っ込みは無視して、ゾロは呼ばれた気がしてロビンを見上げた。
 不思議な笑みを浮かべた女性は、どこか面白がるようにゾロを見ていた。
「サンジさんにも改めて挨拶させてもらえると助かるわ。明日には貴方の道場にも行く予定だし、明後日には…本当に出発することになるわよ?」
 大丈夫なの? と声にはならない問いが視線で伝わる。
 ゾロはしっかりと一つ頷いた。
「ああ。もうこっちでやることは全部終わってる。だから、いつでも行ける」
 強い視線で堂々と返すその姿には、一片の迷いも見えない。それどころか、何もかもを削ぎ落としたような鋭さすら伺えた。
「そう」
 何故か目を細めたロビンは、ほんの少しだけその目尻に寂しいような光を残し、ペローナを促してゆっくりと歩き出した。
 ゾロはただ、そんなロビン達を静かに見送っていた。


 裏口のいつもの定位置で、サンジは煙草を吹かしていた。
 樽の上に腰をかけ、ぼんやりとわずかな風に揺らいで登る紫煙を見つめている。休憩中の、いつもの姿ではあったが、その表情はいつも以上に疲れているようにも見えた。
 あんなに美人な女性と可愛いキュートな女の子を見た後だというのに、何故か思い出すのは少しごつくなっていた少年の姿の方で、それを打ち消すこともできずに、ただ茫っと空を見つめるしかできない。
 実際疲れているような気がした。
 躰がというより、これは精神的なものなのだろう。衝撃が強すぎて、思考が停止している。ゾロのことになると、本当にいつもこんな感じだ。
 あんな子供がいなくなることが、なんだというのだ。
 今更そんなことを考えてみたりもするが、その子供がとても大切な子供だったことは自覚している。
「ざまぁねぇ」
 いつまでもこのままでいられるはずがないのは分かっていたはずだ。それなのに、二日後には出て行くと突然知らされてみれば、恐ろしい程に動揺してしまっている。
 本当に今更なのだ。
 あの年齢の子供に重い告白までさせてしまって、受け入れられないと振ったのも自分だ。もう自分からゾロに係わる全てを放棄したも同然。
 けれど、だからといってすぐに「はいそうですか」と気持ちが切り替えられるわけもない。
 我ながら情け無いまでに、もっと他に良い方法があったのではないかと、思考が堂々巡りをしてしまうのを止められない。あの告白からこっち、ずっとそればかりを考えていたのに、現実はまったく待ってはくれない。
 いつの間に自分はこんなに女々しくなってしまっていたのだろうか。
 それも、あんな子供1人に対して。
 決別させたのは自分なのだ。こんなことを考える資格もないはずなのに。考えることを切り捨てることが、どうしてもできない。
 こんなのは自分ではない。この年になって、こんな風に自分を思い知るハメになるとは、想像したことすらなかった。
 ゾロのことになると、ずっと自分は堂々巡りのままだ。
 どんな形であれ、答えを出したはずの今でさえ。
「……なんでだろうな……」
 ぼんやりと立ち上る紫煙を見上げれば、ビルの隙間から見える青空が目に痛いくらいだ。
「あ、こんな所にいたのね。サンジさん!」
 不意に勝手口が開いて、水色の髪がさらりと流れた。
 自分の思考の内に沈んでいたからか、反応が一拍遅れた間に、ひょこりと顔を出したのは凜とした空気を纏わせたビビだった。
「Mr,ブシドー知りませんか?」
 ビビはきょろきょろと辺りを見回し、この近くにはいないと確認して軽く肩を竦めた。
「…って、こっちから来るはずないか。ごめんなさい。私の方が動揺しちゃってる」
 苦笑に近い笑みを浮かべ、ビビはひっそりと吐息をついた。
「ビビちゃん…」
 茫然とした声で名前を呼べば、ビビはすまなそうにサンジを見つめてきた。
「ロビンさん達からMr,ブシドーを迎えにきたってメールもらって、慌てて来たんです。そしたらMr,ブシドーも部屋にいないし、なんか焦っちゃって…そうですよね、そんな来てすぐ連れて行ったりなんてしないですよね」
 自分に言い聞かせるように言って、視線を落とす。
 寂しくてたまらない、と今にも言い出しそうなとても素直な姿に、サンジはしくりと胸が痛むのを感じた。
「ビビちゃんは…寂しいの?」
 考える前に口にした問いに、ビビの方がぽかんとした表情を見せた。
「当然です。…サンジさんは寂しくないんですか?」
「………」
 寂しくないわけはない。
 なのにそんな風にさえ、思ったことがなかった。
 呆然としてしまったサンジを余所に、ビビは申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい。そんなこと聞くことじゃないのに。…分かっているんだけど、駄目ね。やっぱり動揺しちゃってる」
 ふう、と長い吐息をつき、苦笑気味に無理矢理微笑んだ。
「確かに近くMr,ブシドーが行くことは連絡してたのに。覚悟が足らないったら」
「…そんな連絡してたんだ…」
「ええ。一刻も早く、鷹の目の所に行きたいって…Mr,ブシドーの意向と鷹の目の意向が合ってましたから。それでももうちょっと時間稼ぎしてたんですけど…」
 ちょっとだけお茶目に目を細め、ビビはサンジを見た。
 サンジはどこか空ろな表情をしたまま、指に挟んだ煙草の煙を見つめている。
「サンジさん」
 そっと呼びかけると、いつもよりは数段遅くサンジはビビの方を見た。
「ちょっとだけ、愚痴らせてください」
 ビビは静かにサンジを見つめたまま、ドアを押し開けると一歩外に出た。後手でドアを閉め、そのドアにほんの少し背をつけて寄りかかった。
 そんな風に身体をもたれかけさせるビビに、サンジは意外なものを見たような表情を見せた。
 実際珍しい。いつも凜と立つ美少女のビビは、そんな風に砕けた姿を見せることは殆どなかったからだ。
「…私、Mr,ブシドーのこと、いつの間にかこんなに好きになってるなんて思ってもみなかった…」
 一拍の間を置いて、サンジは思い切り目を見張った。
「……はぁっ!?」
「片思いって…結構辛いんですね。びっくりです」
「え? ビビちゃんっ!?」
 あまりの驚きに思わず腰を浮かしたサンジに、ビビはひっそりと微笑んだ。
「甘えすぎてたんですよね、私。Mr,ブシドーがあんまり強いから、このままでも大丈夫なんだって。だから、Mr,ブシドーが本気で九州に行くって分かってから、結構必死で頑張ったんですよ。思いを伝えて、ちゃーんと両思いになれるようにって」
「ビビビビビ…ビビちゃん…コココココ…ココーザ…」
「コーザも知ってます。というか、コーザもかなり必死にMr,ブシドーにラブコールしてましたよ」
「はあぁあああっ!?」
「私やコーザだけじゃないです。ウソップさんもナミさんも。何故かルフィさんだけは、最初から大丈夫なくらいの両思いっぽかったんですけど…あれは真似できないですね。さすがルフィさん」
 しみじみと頷いて納得するビビに、サンジはオロオロと焦って腕を上下させまくっている。
「なんの…なんの話…ええっと…え? え?」
「なんのって、Mr,ブシドーとの話ですよ。だって私達、Mr,ブシドーとは友達でさえなかったんですよ? 信じられます?」
「は?」
 ビビは憤然と顔を上げ、サンジに一歩詰め寄った。
「それについては、サンジさんにも文句言いたかったんです! 最初からそうですけど、もうちょっとちゃんと私達にMr,ブシドーを紹介してくれてれば良かったんです。確かに私達、Mr,ブシドーとは凄く仲良くさせてもらってたけど、ずっとどこかよそよそしかったでしょう? あれって、Mr,ブシドーにとっては私達が『サンジさんの仲の良い友達』だから、だったんですよね。私達がMr,ブシドーと仲がいいってわけじゃなくて! サンジさん通しての知り合いって立場なんです!」
 強い目線でサンジへともう一歩近づき、ビビは胸を張った。
「つまり、Mr,ブシドーにしてみれば、私達はサンジさんが仲良くしている仲間だから世話になってる自分もちゃんと接していくって対象だったんですよ。…まあ、それだけでは終わらせてなんかやりませんけど! でも、それでも、その位置からはずっと抜け出せてなかったんです! 気付かない私もバカでした! でも、だから!」
 座ったままの態勢でほんの少し仰け反って後に押されつつ、サンジはビビを見つめ続ける。
「だからこそ、私達、もうほんっとここの所、一生懸命Mr,ブシドーの友達になろうと頑張ったんですよ! サンジさん抜きの、本当に私達と直接の関係を結びたくて。おかげで随分と仲良くなってきてたのに…もう時間切れだなんて! もうちょっと時間欲しかったのに…サンジさんのバカ!!」
 言葉もないサンジに言い切り、ビビは不意に力を抜いて苦笑を深くした。
「こんなことサンジさんに言うのは間違っているって分かってるんですけど、愚痴ぐらい言わせてくださいね。ホントに…お別れの日が来るのなんて分かっていたはずなのに…いざとなるともう…なんか悔しくて」
 俯いていくビビは、本当に寂しそうだった。
「もう…会えなくなるなんて…ちょっとずるい。私達が会えなくなった進路が別れた時だってここまで辛いなんて思わなかったのに…もおおおっ、悔しいったら!」
「ビビちゃん…」
「これに関しては、だからサンジさんには恨みがあるんですからね! 時間沢山あったはずなのに…勿体ないことしちゃった。もう二度とない時間だったかもしれないのに」
 ふと、サンジはいい知れない響きを感じて動きを止めた。
「忘れられてなんてあげるつもりは全くないですけど! だから連絡先なんかは絶対入手して、ガンガン連絡入れる予定ですけど。一緒にいられないって…やっぱり寂しいですもんね。ワガママ言って、私達Mr,ブシドーと仲良くなってきたけど、本当は…Mr,ブシドーには辛かったんじゃないかなって…そうも思えて」
 そっと己の腕を掴んで、ビビは俯いたまま小さく首を振った。
「Mr,ブシドーには甘えてばかりだわ。私達のワガママで仲良くなって、すぐにお別れなんて。一方的に押し付けてるようなものだもの。…もう一緒になんていられないのに。寂しい思いばかりさせてしまうのに…それでも、Mr,ブシドーってば受け入れてくれるんですよ。ほんと、強いんだから」
 ほとほと困惑したように呟いて、ビビは顔を上げた。
「サンジさんには、だからちゃんと断っておかなきゃなって思ってたんです。私達、個別に連絡取ったりするけど、気にしないでくださいね…サンジさんに無茶ぶりはしませんから。…といっても、そんなことできることもないでしょうけど…」
「何を言って…」
「だってMr,ブシドー行ってしまうんですもの。ロビンさんから聞いた限りでも、そりゃもう…開いた口が塞がらないくらいの過酷さみたいだし、何より…絶対彼の方が練習にのめり込んで行くはずだもの。Mr,ブシドーのことだもの目に見えるよう…。そんなことになったら、ますます戻ってくるかどうかすら分からないでしょう?」
 当然のことのように告げ、ビビは小首を傾げて微笑んだ。
「だから、私悔しいし寂しいんです。こうやって愚痴りたくなるくらい…って、Mr,ブシドー探さないと! ロビンさん達の詳しい話とかも聞かなきゃいけなかったんだった! んもう、どこに行ったのかしら」
 憤然と言い、ビビはサンジを再度申し訳なさそうに見た。
「ごめんなさい。そんなわけで愚痴らせてもらっちゃいました。もう、あと少しですから、サンジさんも覚悟してくださいね。今日は夜食事するってゼフおじさまも言ってたから、サンジさんも今晩は付き合ってください。…最後なんですから…ね」
 どうしてビビがそんな顔をするのだろう。
 最後だからとか、そんなこと言われるまでもない。
 ビビ達は何か誤解している。自分とゾロは、それは確かにゾロの告白を拒否したりはしたが、だからといって、今までの保護者的な立場がなくなるわけではないはずだ。
 そのはずなのに……まるで浮き雲の上に立っているようなあやふやさはなんなのだろう。
 まだ自分は何かから目を逸らしているのか。
 何故か、そんなことを考えながら、サンジはただ反射的に頷いて肩を落としたのだった。







2013.6.30

言いたいことは沢山ありますが、言うのもなんなのであえてお口にチャックヽ(T_T)ノ



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