遠くて近い現実
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 バラティエの夜の営業は、急遽貸し切りという形になった。
 ビビの根回しもあり、ゾロに関係した者達全員を招いてのお別れ会なるものが執り行われることになったのだ。
 あまりにも急だったが、だからといってそれに対応できないような店ではない。
 全員がそれなりに時間が持てるように、という配慮も加わってバイキング形式の立食という形になり、休憩時間も返上してスタッフはそれぞれ自分で料理を作り始めた。
 バイキングなら、品数が多い方がいいし、自分の料理をゾロに食べさせたいとコック一同が張り切ってしまったのだ。
 足りない材料を大急ぎで買い出したり、配達してもらったりと、決まってからの厨房はそれこそ蜂の巣をつついたような怒号が飛び交う戦場になっていた。
 もちろんサンジも当たり前に作業に入っていた。驚いたことに、ゼフも一人黙々と料理を作っていて、近くを通る料理人がどこか必死に手元を覗こうしている姿が随分と見受けられた。
「時間がねぇぞ!カトラリーも用意しておけ!」
「だいたいの人数は?」
「あのルフィも来るんだぞ、何十人分用意してても足りねぇよ!」
 それもそうだと、どっと笑いが起きる。
 活気溢れる厨房は、どこか殺気立ってさえいるように見えたが、皆必死なのだ。
 そしてゾロとの別れが目で見えたからこそ、今しかないと切羽詰まっているのだろう。
 作られている料理も、もはや多国籍だ。既にバラティエの料理という範囲を逸脱している。それでも、全員が必死になって狭い厨房を行き来し、予定の時間前には全ての準備を整えた。
 それはゾロという人間が、このバラティエに積み重ねていった時間の結果のようなものだった。

 スタート時間は7時と伝えてあったにも係わらず、その30分も前にはちらほらと人は集まり始めていた。
 既にゼフはコックコート姿ではあるが、訪れる人々を迎える方に回っている。
 けれど、まだゾロの姿はない。ロビンも、ペローナもビビもまだだった。サンジは最後の一品を仕上げ、皿に綺麗に盛りつけたものを料理用に作られた台へと運ぶ為にフロアへとそっと入った。
 何故か最初から、この場が自分には場違いな気がしてならないから、余計にそっと気配を消すように動いてしまっていた。
 しかし、
「うまほーっ!」
 速攻ルフィが飛んできたのには、簡単に蹴り足で押しとどめる。もはや反射だ。
「まだ始まってもいねぇのに、手ぇ出したら蹴り出すぞルフィ。二度と店の敷居はくぐらせねぇからな!」
 威勢良く啖呵を切れば、小さな拍手が湧いた。
 慌てて拍手の先を見れば、苦虫を噛みつぶしたような顔のゼフと丸い眼鏡をかけた穏やかそうな和装の男が立っていた。
 初老に少し手が届きそうなその人には、見覚えがあった。もう随分と顔すら合わせてはいなかったが、ゾロの師匠だという人物だ。
「久しぶりだね、サンジくん」
 穏やかな性格がそのまま声音になった、そんな優しい響きに名前を呼ばれ、サンジはぴっと背筋を伸ばした。
 柔らかいのに、何故かそうせずにはいられない芯の強さのようなものがあったのだ。
「ご無沙汰してます。コウシロウさんもお元気そうで」
 培った接客業の全てを出し切る勢いでそう挨拶すれば、にこにこ顔をますます深めたコウシロウは細い目をさらに細めた。
「立派な青年になりましたね。ゼフさんの賜物ですな」
「…そういってもらえると、恐縮せざるを得ませんな…あれ共々バカで困っております」
 正直に呻くように答えるゼフに、コウシロウは小さく吹き出した。
「ゼフさん、そうあまりおっしゃらずに。まあ、確かにあの子も大概剣道バカですが」
 誰と誰のことを言っているのか、それで分かった。けれど、バカを否定する気はないらしい。
 コウシロウも見かけとは随分違うらしい。少し苦笑したサンジに、コウシロウは微かに頷いた。
「今まで、あの子をありがとう。あの子があそこまでになったのは、ゼフさんもだけど君のおかげだろうね。頑固で融通は効かないおまけに、一度決めたことは絶対突き通すようなあの子が、道を外さなかったのは貴方達がいてくれたからでしょう。感謝します」
 大の大人に真摯に頭を下げられ、ゼフもサンジも慌てて手を振って否定した。
「いやいやいや、頭を上げてください。私らは何もしてません」
「そ、そそそそうです!頭を上げてください。何も…何もできなかったんですから」
 その仕草があまりにも同じで、何故か周囲から小さく笑い声が響く。
 くすくすとあまりにも近くで聞こえて、サンジが探すように周囲を見れば、まっ黒な短髪のすらりとした女性がいつの間にかコウシロウの横に立っていた。
「お父さん、それはまた後で。お久しぶりです、ゼフのおじさん」
 細いが引き締まった体躯の凜とした女性の姿に、ゼフが小さく目を見張った。
「くいなさんか!大きくなって!」
「背ばかり伸びました。ご無沙汰しております」
 可愛い感じだった幼い頃の記憶が強いが、大きな目だけは変わっていない。可愛いさは薄れ、芯の強い女性らしさが全面に出ている。着てきている服がかっちりとしたタイトスカート系のスーツなのも要因かもしれない。
「くいな…ちゃん?…うわぁ!美人になって!!」
 すかさず目を輝かせたサンジに、くいなは小さく笑った。
「変わってないわね、サンジさん。でもそれ、ほんと皆にしてるんでしょ? 程ほどにね」
「そんなことないよー! おれは心から思ったことしか口にしないからね」
「わっかりやすいわよね、サンジさんって」
 あっけらかんと笑って、でもくいなは笑っていない目でサンジを見た。
「なのに、分かりにくいのよね、サンジさんって」
 ほんの少し硬直したサンジを余所に、くいなはゼフに挨拶を返した。
「無理矢理大学から戻ってきたんです。急な日程だったので慌ててしまって。もうちょっと後だと思ってたんです、あんまりゾロ急いでいる風でもなかった気がしてたんですけど…」
「慌てさせてすまなかったな。急に話が進んでな」
「いえ、なんだかこんな中途半端な時期に行くことになるとは思っていなかったので。最後にもう一勝負して行くんだろうって思ってたんです」
 こればかりは厳しい顔で告げたくいなに、コウシロウの方が苦笑した。
「くいな。あの子は…ずっと焦っていたよ。早く行かなくちゃってね」
 ぴくりとサンジが反応した。
「はやく…?」
 呟いたのを聞き逃さなかったのか、コウシロウは頷いてどこか寂しそうに微笑んだ。
「ええ、早く自分で自分を生かすようにならなきゃと、必死でした。…本当に、小さい頃からずっと」
 そういえばコウシロウはゾロが母親と一緒に暮らしている頃からゾロの面倒を見ていた一人だったと、やっとそこで思い当たった。
「あの小僧はそんな頃から?」
 口が麻痺したように声を発することができなくなったサンジに変わるように、ゼフが少し驚いたように言えば、コウシロウはゼフを見てまた小さく頷いてみせた。
「ええ、私の道場に来たのは…あの子が母親とこっちに引っ越してきた頃だったんですが。たまたま近くを通りかかった時に、どうも道場の稽古を見ていたようで。小さな子が一生懸命覗いているのを見つけて、声をかけたら強くなりたいってはっきり言ったんです。びっくりしましたね、まだ小学校に上がる前の子が強くなりたい、ここに来たら強くなれるのかって声を張り上げて」
 その頃を思い出したのか、自分の腰の下を示すように手を置き、このくらいの子だったんですよ、と何かを懐かしむように動かした。
「威勢は良かったけど、弱かったのよねぇ」
 しみじみとくいなが言えば、こら、と窘める。そのやりとりがまた温かい。
「そんな頃から強くなりたかったのか、あの小僧」
 面白そうにゼフが言えば、コウシロウも笑った。
「ええ、なんでも通うようになった保育園で、父親が亡くなったことを色んな人にバカにされたんだそうですよ。それで母親が泣いていたのを許せなかったそうで」
 同年代の子供同士では喧嘩をしても負け知らずだったらしいが、さすがに大人相手ではそうはいかない。
 そういう意味でも強くなりたかったらしい。
 コウシロウは呆れたように溜息をついた。
「そんな無茶な、と小さな子に言うハメになるとはそれまで考えたこともなかったんですがね。あの子はきっと生まれつきの暴れん坊だったんでしょう。剣をしたからといって強くはならないかもしれないけれど、別の意味で強くはなれるよ、と言ったら「わからん!」と叫んで帰って。その後母親が飛んできましてね。…ちょっと線の細い、けれど綺麗な人でしたよ。でもゾロくんを叱り飛ばしたりして、結構強い人でしたね」
「優しかったわよ、私にも色々とオヤツ作って分けてくれたりしたもの。いつも面倒かけてごめんなさいね、って言いながら」
 懐かしむように言うくいなは、笑って目線を落とした。
「…それだけは覚えているわ。顔色、いつも悪かったのも…」
 初めて聞く、ゾロの母親の話だった。
「なのに、いつも本当に元気そうにゾロとどつくみたいに言い合いしながら。仲良かったのよね、今だったらマザコンって言ってやりたいくらいだけど…そんなものよね、あの頃って。お母さん大好きで、大切にしてた。なんでもお父さんと最後に約束したんだって、お母さんを護るって」
 くいなは小さく笑って、そしてサンジをしっかりと見つめた。
「あの頃のゾロってばね、くっそ生意気で口ばっかりで、私につっかかってくる癖に弱くて。なのに諦めるってこと知らないバカで。そのくせ、人のこと良く見てるの。私がなんかで愚痴ったりなんかしたら、そりゃもう烈火のごとく怒って叱り飛ばしたりして。しかもそれが、自分のことのように怒るの。すっごくバカらしくて、私凄く嬉しかった。今思えば可愛かったのよね。そんな風に人は叱るくせに、私が叱ってもしれっとしてて。甘えるってこと、しない子だった。だから、急に消息が分からなくなった時、凄く探したのよ。私も父も母も」
「くいな」
「言わせてよ、お父さん。…一年くらいかしら? ゼフおじさんから連絡があって、やっと私達ゾロの消息が分かった。しかもあんなに仲良かったお母さんは亡くなって、本人は大怪我で入院しているって聞いて凄くびっくりした。けど、お見舞いすら厳禁だって言われて悔しかった。私らなんてなんの関係もないって言われたらそういうものなんだって、あの時は地団駄踏んだわ。それでもまた道場に戻って来てくれて、会ってみれば前とまったく変わってなくて、凄くほっとした。なんか更に肝が据わっちゃってたのには笑ったけど。相変わらずだったから…相変わらず強くなるってもう頑なで…変わらなかったから凄く悔しかった」
 言葉もないサンジに、くいなは視線を逸らさずさらに強さを滲ませるように見つめ続けた。
「母親がいなくなっても。ううん、だから余計かしら。強くなるって。強くなってどうするのよ、もう護りたい人いないのに。元々ゾロは強いのよ、だってバカなんだもん。自分が強いこと知らないの。大馬鹿。まあ別の意味で剣道にのめり込んでしまっちゃってたから、それはそれであながち間違いじゃないんだろうけど。…ねぇ、サンジさん。あの子をまた強くさせようとしたのは、あなた?」
 どういう意味か分からず、ただ口ごもるサンジを見据えくいなはニッと笑って見せた。
「まあ、そんなこともうどうでもいい。例えそうであっても、あなた一度もゾロの練習見に来なかったし。むさ苦しい男ばかりの汗臭い場所はゴメンだなんて言われたら、私だって来るなって言いたくもなるし」
 ゼフの足がチラリと動いたのに気付いて、サンジは一瞬身構えた。が、やんわりとコウシロウがゼフの肩を叩いて止めた。苦笑しながら、小さく頭を下げるのは多分くいなの暴言を止め損ねているからだろう。
「もういい加減にしなさい、そんなことサンジくんに言ってもどうしようもないだろう?」
「あら、私はお礼が言いたいのよ。誤解しないで。ゾロを返してくれてありがとう、サンジさん」
 え?と目を見開いたサンジは慌ててくいなを見つめなおした。
 強い光を瞳に宿したまま、どこまでも毅然と女性剣士は堂々とサンジを見据えて笑っている。
「これであの子はこっち側だわ。これで私もいつでもあの子と手合わせできる。色々ハンデはできてしまったし、悔しいけど、鷹の目の元に行くなんて生意気なヤツだけど。ゾロだけに勝ちを譲るなんて私も嫌なの。あいつが鷹の目の所にいるなら、今度は私が勝負を挑みにいく。鷹の目とだって負けないわ。この場にあいつを早々に引き戻してくれて、凄く嬉しいのよ」
 くいなは鋭い目線で、微かに後を見た。
 いつの間に来たのか、そこにはゾロが立っていた。勿論一人ではない、すぐ横にはビビ。反対にはペローナ。そして後にはロビンがまるでゾロを囲むように立っている。
 女性ばかりに囲まれて、と一瞬サンジの思考がそっちに飛んだ瞬間、くいなの厳しい声が届いた。
「ゾロを駄目にすることだけは、私許さないって思っていたから、早々に離脱してくれて感謝します。いい加減な人だって思ってたけど、やっぱりサンジさん大人だったのね」
 大人、という言葉に力を込め、くいなは笑わない目のままにっこりと微笑んだ。
「負けないからね、ゾロ」
「…おう」
 どこまでも憮然とそう答えたゾロに、くいなは今度こそ晴れやかに微笑んだ。
「お帰り。冬休みは間に合わないけど、春には一度そっち行くから。たしぎもいることだし、行きやすくて助かるわ」
「お前な…」
 ゾロは大きく吐息をつくと、珍しく噛んで含めるようにくいなへと告げた。
「何誤解してんだ。こいつには全部関係ないことだ。おれが一方的に世話になっただけなんだって何度言やいいんだ」
「あんたは本当にバカね」
「んだと?」
「分からないからバカって言ってるのよ。でももういいの。終わったんだもの。…あなたがロビンさんですね。くいなと言います。いつもたしぎがお世話になってます」
 茫然とするその場の男達を差し置いて、一礼するくいなに、微笑を浮かべたロビンが軽く頭を下げた。
「こちらこそ。たしぎには私の方もお世話になってます。…双子とは聞いていたけど、本当にそっくりね」
「一卵性ですから。これから私もお世話になるかもです。よろしくお願いします」
「あらあら。ゾロはもてるわね。それとも鷹の目の元のゾロが、かしら」
「当然です」
 にこやかに笑い声が上がるのに、ペローナが深く溜息をつき、おろおろとビビが二人を見比べている。
「怖ぇぇ」
 実はずっとサンジの足元に蹲って聞いていたルフィが、小さくぼやいたのに、ゼフとコウシロウが深く頷いたのに、誰も気付かなかった。







約一年ぶりになりまして申し訳ありません。再開します。ラストまでひた走ります。
2014.6.1




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