遠くて近い現実
[2]




 出会いは今考えてもとんでもなかった…とサンジは思う。
 いきなり目の前で斬られた少年は、案の定きちんとした法的な裁量の元、もっとこじれるはずだった手続きをスムーズにさせまくってゼフの庇護下にくることになった。
 さすがにあんな状態だったから、暫くは入院ということになった。それにやはり子供の躰だ。深くはないとはいえ、切り裂かれた傷は縫合もされて、ダメージを残した。しかも色々な検査をしてみれば、それまでの栄養状態もかなり悪かったらしく、怪我よりもそちらの症状の方が重体と判断されてしまうことなり。
 結果、そちらの治療の方が時間がかかる結果になった。
 その上、痛々しいありさまは、丁度騒がれる時事的な問題もあって新聞沙汰にまでなってしまったのだ。
 結局最後は逮捕劇にまで発展してしまった事後処理に、それでなくても忙しかったゼフは、さらに多忙になってしまった。
 見かねて率先してゾロの世話をするハメになったサンジは、まずはゾロに余計なことをしたとコンコンと説教したのだが、ベットの上で退屈だとひたすら寝る小僧は
「あれが一番手っ取り早いと思ったんだよなー、なんか知らねぇけどよ。当たっててよかったぜ!」
 という一言だけで、人の説教をすべて流してしまったようだった。
 あいつらの奇襲くらい、自分は楽々切り抜けられたのだ。というか、飛び出してさえこなければ、一暴れしてひれ伏させることも楽勝だったのだ。
 例えそうだとしても、現実小学生に庇われる形で終わってしまった事実はサンジを大いに傷つけた。
 当の小学生がそれをまったく苦にしていなかったから、余計だ。
 実はひっそりと、その鬱憤ばらしにまだ捕まっていなかった男達に奇襲をかけて、蹴り沈めた…という一幕があったのだが、それはどこにも表に出ることもなく。
 それでなくても、一目見た瞬間から気になってしかたなかった小学生は、そうしてサンジに存在をより強く刻みつけて…季節が一つ変わった頃に、ゼフとサンジの元に正式にやってきたのだった。


 丁度4月に入った頃だったおかげで、ゾロの転校転入もすべてスムーズに行えた。
 ついでに、サンジはゾロが家に来る前に卒業も済ませ、そのまま調理師の専門学校へと進学も決めた。
 ゼフはこの近隣でも知らぬ者はいないと言われるレストランのオーナーだ。自らも厨房に立ち、腕を磨くことに余念がない。
 美味い食事を分け隔て無く、訪れた人々にふるまうことだけを極上の幸せだと豪語する。
 それはサンジには本当に目標とする姿で、その背中を追うことは彼には当然の選択だったからだ。
 だが、だからこそ…だ。ここで誤算が起こった。
 サンジは専門学校に入学すると同時に、バラティエの見習いにもなる予定だった。
 それもあって、バラティエの上に用意されている料理人達用のマンションの一室に入居するつもりでいたのだ。だが、忙しいゼフの元に小学生が来るとなると話は変わってくる。
 元々仕事が終わって帰ってくるのも大変だったのだろう、それでなくても料理長用に用意されていた一室によく泊まり込んでいたゼフは、そのまま店に住み込む方が余程楽だと、あっさり自分が移動する方を選んだのだ。
 結局、サンジはそのまま自宅に残り、ゼフの方がバラティエへと暮らしの場を移す形になってしまった。
 荷物のほとんどない小学生は、出会った時より幾分血色の良い顔でサンジと二人暮らしをする事になったのだった。


「よし、喰え」
「おう! いただきます!!」
 パンっと手を鳴らして合わせ、急いで箸を手に取るゾロは真っ先に味噌汁に飛びついた。
 意外にも和食好きの子供は、朝のご飯と味噌汁にいたく毎朝感動している。
 一番最初にサンジが和食の朝ご飯を用意した時、ゾロは本当に目を輝かせて
「湯気がたってる!」
 とそこに感動していたのだ。
 もちろんいいから喰えと勧めたサンジの料理を一口食べてからは、
「…母ちゃんより美味え…」
 と味でも感動させて、猛烈な食べっぷりを引き出せた。なのでそれについては、満足しまくったサンジだった。しかしそれは、これまでのゾロの生活をおおいにしのばせるものでもあり、サンジはもっとあいつらを蹴っておくんだったと心底後悔したくらいだ。
 ゾロの躰は病院での身体測定その他もろもろからも、やはり成長が遅れているという結果がでていた。
 それはあの男達に引き取られていた半年だけのものではなかったらしい。病気を抱えた母親と子供の二人暮らしは、母親が必死でフォローしてもしきれなかった部分があったのかもしれない。
 それと同時に、ゾロ自身が大きくならないようにと考えていた節がある、と担当医から聞かされた。
 大きくなれば、母親に負担がかかる。そう無意識に考えて、自らの成長を止めていたのかもしれないのだ。もっとも、剣道をずっとやっていたということで、基礎体力は目を見張るものがあり、それがあったからこそあの男達の元の半年という期間を軽い栄養失調程度で済ませられたらしい。
 …人ごとではない。
 サンジはガツガツと食欲を見せる小学生に目を細めた。
 初めてこの家にゾロがきた時に、ゼフと二人してコンコンとこの少年に教えたのは、喰うことの大切さだった。
 人から言わせればゼフもサンジも少し異常な程、食に関しては煩い。遠慮なんかしたら本気で蹴り出す、と凄まじい迫力で二人から詰め寄られ、ゾロも気圧されたように食べることについて遠慮はしない、と頷いて約束した。
「で、お前、学校はどうよ? 慣れたか?」
 ゾロの真向かいで自分もご飯を食べつつ、サンジは話しかける。
 口に物を詰め込んでいたゾロは、急いで嚥下すると大きく頷いた。しかし、その顔が妙な風に歪んでいる。
「なんだ? どうしたよ? なんか問題でもあるのか?」
「…いや、そうじゃねぇ。…でもな、不思議なんだ」
「なにが?」
「学校って移動するのか?」
 酷く真面目な表情で訴えてくるゾロに、サンジは目をしばたかせた。意図する所がまったく見えない。
「…どういうことだ?」
「毎日、違う所に学校が出てくるんだ」
 本人はいたって大真面目だ。
「は?」
「昨日はとうとう遅刻した、だから今日はもっと早く家をでねぇとならねぇ。ホント不思議だぜ」
 困ったもんだ、というようにため息をつく小学生。
 サンジは暫くゾロを見続け、ぽつりと呟いた。
「学校が移動する……わけねぇじゃねぇか…。そりゃ…そりゃ…お前が迷ってるってことじゃねぇか!! お前っ、お前方向音痴か!! しかも、お前、学校が移動するって…っっ!」
 ぎゃはははははははっ! と腹を抱えて笑い転げるサンジに、なにをっ! と怒りに燃える小学生から抗議が飛び、それがさらに爆笑を誘って歯止めをなくす。
 転校してから、既に一月近く、ゾロは毎日違う場所に現れる小学校に疑問を持っていたらしい。
 バカだアホだと喧嘩に発展しつつ、いつの間にか自分達の間にも一緒に住みだしたばかりの頃の相手を計るような距離感がなくなってきていることを知る。
 当初ゼフが一緒にいるのだろうと思っていたゾロは、サンジとの二人での暮らしに非常に面食らったらしいのだ。
 懇切丁寧に事情を説明し、お前はおれと暮らすのだ、と納得させてもそれでも暫くはぎこちない部分があった。それがサンジには妙に面白くなく、何故か焦りすら感じてしまって、とにかく必死に自分の環境の変化などそっちのけでゾロとうち解けようとやっきになっていたりしたのだ。
 ゾロもどうやら同じだったのだろう。
 学校から帰る時には、そのままバラティエに直行し、サンジの仕事が終わるまで待って帰るというパターンを自分で作り出していた。
 おかげで、バラティエではサンジのお迎えが来たと毎日笑われたりしているのだが。それに毎度蹴りをかまして報復するというパターンを産み、まあ、それが良い厨房仲間とのスキンシップになっていることは間違いない。
 事情は全員知っているからこその、軽いじゃれ合いだ。
 毎日顔をみせるゾロに、ゼフの方もまんざらではないらしい。
 今頃になってできた新たな養い子に、ジジイ気分を味わっているのかもしれない。
 最初はからかわれてしまうことに、良くないことなのかと困惑していたゾロだったが、厨房メンバーの楽しげな様子にそれは続行することに決めたらしい。
 と、思っていたのだが…。
「お前…もしかして、帰る時もバラティエにしか…辿りつかないとか言わないよな!?」
 大笑いするサンジがそう言えば、ゾロは頬を大きく膨らまして、盛大にそっぽ向いた。
 ますます爆笑が止まらないサンジは、涙を流して机に突っ伏した。
 もう息が途絶えそうだ。どうにかしてくれと痙攣する腹の筋肉を止めるには、術がない。
 …例えそうでなかったとしても、けれどゾロはサンジを迎えにあのバラティエに帰ることは止めないのだろう。
 それが分かるから、安心してサンジは笑い転げる。
 ゾロはサンジが家にいる間は、なるべくあてがわれている部屋には篭もらないようにして、なのに邪魔にならないようにしている所がある。
 側に人がいることの大切さ…みたいなことを、この小学生は知っているのかもしれない。母親と二人肩寄せ合って暮らしていたのだから、それも当然かもしれない。
 でもだからこそ、二人は話かけては話して、どうにかこうにかお互いの存在に慣れようとしていた。
 それがどうやら功を奏してきたらしい。
 一緒に暮らすようになって、一月。
 二人の生活がやっと流れ出した瞬間だった。






2008.5.6
ちょっと短いですが、キリがいい所で一つ。 



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