遠くて近い現実
[3]




 日々はあっという間に流れていく。季節が移ろうのも、本当に早い。
 二人で生活するのに慣れてからは、時間が加速したかのようだった。
 そろそろ長袖のシャツ一枚でも寒く感じられるようになってきている。今度の休みにはゾロにも衣替えをさせねば、一年中でも半袖で過ごしそうな勢いだ。時々こいつは暑さ寒さを感じているのかと思う時もあって、それで真夏に喧嘩をしたことも思い出した。
 真夏に腹巻きで寝て、腹に汗疹を作ってゾロを笑い飛ばしたら大喧嘩になったのだ。
 そういう思い出が少しづつ増えて行っている。それが純粋に嬉しい。
 サンジは数人の友人と昼の学食の創作メニューに舌鼓を打った後、一服しがてら1人で外に出て、カフェスペースで携帯をいじっていた。
 小さな音と共に、ゾロが今学校にいることを携帯の画面は教えてくれる。
 一応鍵っ子という形に…なるのだろう、ゾロには迷子防止の意味も含めて子供用の携帯を持たせていた。GPS機能付き携帯は、本当にもう、開発者が喜ぶであろうくらいに役に立っている。
 なにせゾロの方向音痴は洒落にならないくらい、素晴らしいものだったからだ。
 最初の頃の大笑いの一件を思い出して、思わず口元が綻ぶ。
 あまりこういう物に興味を持たない子供だったが、ゾロもなんとかメールくらいは打てるように成長し、サンジが時折メールを送ると時間はかかっても返事をするようになっていた。
「おう、いたいた! サンジー。今晩合コンいかねぇ? メンバー足りねぇんだよ」
 入学してから半年以上。秋も深まる時期となれば、同じ学科の者達とも随分親しくなるものだ。
「合コン!! 幸い今日は仕事はねぇんだよ!! 可愛い子はいるんだろうな!! いきてぇっ!!」
 素晴らしい反応を見せて顔を上げた途端、すぐにしかめっ面を見せた。
 握りしめた携帯から受信を知らせるメロディが流れ、メールが送られてきたことを示したからだ。
 反射的に開いてみれば、案の定ゾロからだ。
『味付けた魚をあげてなんかタレがかかってるヤツが喰いたい』
 夕飯は何がいい…と午前中にメールしたのに、返事を書いてきたのだろう。読めば一発で以前作った代物だと分かる。
 前に鰹が手に入った時に作った、多分竜田揚げにオリジナルの餡をかけてやったヤツのことだ。
「んじゃ、お前参加でいい? 7時からなんだけどよ…って…お前楽しそうだなぁ…」
 ああ? と顔を上げたサンジは携帯から不思議そうに顔を上げた。
 なんで楽しそうと言われるのか、意味が分からなかったからだ。
「…場所は講義終わる前にメールする。    彼女にバレないようになぁ」
 意味ありげに笑って手を振っていくクラスメイトに本格的に首を傾げつつ、サンジは深く追求せずに見送った。彼女はいないのを、ヤツも知っているはずなのに、と思ったが、どうでもいいから無視することにする。それよりも、と、もう一度携帯を読み直す。
 ゾロの夕飯を用意してから合コンに行っても、十分間に合う時間だ。
 ゾロには悪いが、今日は1人で食事してもらうことにする。たまには自分にだって、1人で自由にできる時間が必要だ。なんだったら、ゾロは今日はゼフの元に行かせてもいい。
 ウキウキしつつ、ゾロに了解とだけ記したメールを送り返し、サンジは久々の予定に小さく拳を握って気合いを込めた。


 ゾロはここ半年以上をかけて、なんとか自宅とバラティエに帰る道筋だけは把握していた。
 それでもサンジのシフトがなくても、ゾロは一旦バラティエに寄りゼフに顔をみせてから、戻ってくるらしい。
 講義が終わったと同時に学校を飛び出し、買い出しを済ませて自宅に戻ると、ゾロは先に戻ってきていた。
「ただいまっと!」
 足で扉を閉めると、奥の方から「おかえりー」という声が小さく聞こえる。
 荷物を持ったままキッチンに直行すると、部屋からゾロが顔を出した。
「…大荷物だな…」
 必要な日常品も一緒に買ってきた為に、両手が塞がる形になっていたサンジに目を丸くして、ゾロは呟いた。
「こういう時しか思い切った買い物はできねぇからな」
 苦笑してそう言うと、なんだか困ったような顔を見せて、ゾロは頷いた。
「今度はおれも行く…声かけてくれ」
 どうやら荷物持ちするから、と言ってることに気付いて、サンジは破顔した。こういう所が律儀というか、生真面目というか。子供らしくない部分ではあるが、ゾロらしい所だ。
 ゾロの頭をくしゃくしゃに撫で、頼むと告げると、どこか不満そうに唸りつつゾロは身を引いた。
 こういう子供をあしらうような仕草をされると、非常に嫌らしい。それがわかっていても、ついついやってしまいたくなる位置にゾロの頭があるのだから仕方ない。
 唸るゾロにやっぱり笑いつつ、サンジは急いで買ってきた代物をなおし出した。
 素直にゾロも手伝っていく。家のどこになにがあるのかも、ゾロはきちんと把握できるようになっている。
「あ、そうだ。お前今日は1人でご飯食べてくれるか?」
 夕飯用に買ってきた材料を手早く揃えながらそう言うと、風呂用の品を持っていこうとしていたゾロの足が止まった。
 怪訝そうに振り返った少年は、ウキウキしている様子のサンジを不思議そうに見上げている。
「今日はおれ、学校の仲間と合コンなんだよ、合コン! わかるか? 合コン! かっわいい女の子達との出会い?みたいな感じでさ…くぅううっひっさしぶりだなぁ!!」
 今にも浮き上がりそうな足取りと手つきで、それでも素早く夕飯の用意をしようとしているサンジに、ゾロは益々不思議そうな顔をした。
「あー…つまり、お前は今日は一緒に夕飯食べないってことか?」
「おう、だからそう言ってるじゃねぇか。今日はおれは外に食べに行くからな」
 合コン〜、と今にも踊り出しそうなサンジをゾロはとまどったように暫く見つめ、ふと、あっ! と声を上げた。
 そのなんだかもの凄く納得したような響きの声に、浮かれていたサンジの方が驚いてゾロを見た。
 視線が真っ直ぐに絡まった。
 あまりにも見事に目線が合ったからか、サンジの心臓が一つ大きく脈打つ。
 だがゾロはそんなことにすら気付かない様子で、じっとサンジを見る。子供特有の真っ直ぐでてらいのない視線。いや、子供というよりも、これはゾロらしい視線なのかもしれない。
 初めて出会った時から、ゾロは真っ直ぐに人を見た。あの視線は…忘れられない。
「…そうか…そうだよな…」
 ゾロはそう呟くと、一つ頷いて…何かをそぎ落とした。
 あれ? とサンジが思うくらい、それは見事な変化だった。
「夕飯はおれはジイさんの所で喰うから、いらねぇ」
 へ? と今度はサンジの方が首を傾げた。それは願ってもいないことだ。ゼフの所に行かせようとは自分も一応考えていたことだ。だが…それは夕飯を食べさせて、自分が出る時に一緒に行かせればいいかと考えていたのだ。
 ゾロは至極当然のようにうんうんと納得したように頷くと、もう一度サンジをまっすぐに見上げた。
「悪かったな…うん。おれはこれ片づけたら、すぐにジイさんの所にいくから。お前も用意すればいい。鍵も携帯も持って出るから、心配すんな。楽しんでこいよ」
 どう考えても小学生の言うセリフではない。
 だか、それが妙に似合うというのもどういうことだろう。
「…はあ…いいのか…?」
 だってせっかく食べたいと言ってきた材料を買い揃えてきたのだ。作ってやれば、きっと嬉しそうに食べるはずだった。ゾロのご飯が終わってから合コンに行っても、少し遅刻する程度で間に合うと思ったから、急いで買い物を済ませてきたのだ。
 魚の鮮度的にも、明日でも別に支障はない。ないが…今日食べたいと言ってきたから…買ってきたのに。
 1人納得して風呂場へと荷物を持っていくゾロを見送り、サンジは呆然と中途半端に広げた材料を見下ろした。
 どうしてだろう、今までの浮かれきっていた気分が、パンと弾けたようにしぼんでしまった。
 合コンにも遅刻せずに行けるし、その準備だってゾロが余所で食べてくれれば十分にできる。後片付けとかもしなくていいし、久しぶりにゆっくりとできる時間も生まれる。
 それはもの凄く嬉しいこと…のはずなのだ。なにせゾロが自分達の元にきてから数ヶ月、そんな時間は自分には欠片もなかったのだから。
「…あれ?…」
 なのに胸のどこかが痛いような気がするのは、どうしてなのだろう?
 ゾロはサンジが買ってきた日常品を手早く片づけると、本当にさっさと準備をして携帯と鍵をポケットに玄関に向かった。
 なんだか慌てて後を追っていったサンジに、ゾロは不思議とさっぱりとした顔を見せた。
 なんとなく、よそよそしくすら感じる顔つき。それは、初めて見るゾロの表情でもあった。
 まだ状況について行けずにとまどうサンジにお構いなしに、ゾロは行ってきますと挨拶すると、扉を開けて走り出す。まるで何かにせかされるかのように。
 いってらっしゃい、と言う暇すらなく飛び出した後ろ姿に、サンジは困惑したまま立ちつくしたのだった。





2008.5.11




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