遠くて近い現実
[7]




 日々というものは、常に気付くと通り過ぎているものだ。
 振り返ってみて初めて、そこに流れていた"時間"は過去という言葉と共に意識に登る。
 通り過ぎるということは、意識しないということなのかもしれない。
 だとすれば、今という時だけが、常に己を支配しているということなのだろう。
 そしてそれは意識した瞬間、『過去』や『未来』と言葉を変えて姿を現すのだ。



 照りつける陽光は容赦を許さず、ひたすらに地を焦がす。
 都会には少ない街路樹の緑も落ち着きを閉じこめた濃い色合いで、力任せの日差しを一身に浴び、真っ黒な影を短く伸ばして揺らめく陽炎の中にアクセントをつけている。
 吹き抜ける風でさえこみ上げるような熱気を孕み、浴びるだけで全身から水分を抜き取っていくようだ。
 ぐったりと歩くように見える人々の間を、ゾロは堂々とした足取りで歩いていた。
 暑さも続けばただ堪えるだけの代物と化す。だが、そんなことに左右されるような精神も持ち合わせていない少年の足取りは軽快にさえ見える。
 両肩には大きな段ボールを一つづつ抱え、それでも歩く速度は早足だ。一見しただけでは空箱を抱えてるのかと思うだろうが、よくよく見てみれば封すら切られていない代物だということは分かるだろう。
 そして、その箱が飲料水の詰まったものだということも、もれなく分かるはずである。
 軽々と運ぶにはちょっと考えるような代物を、なんでもないもののように担いで歩く少年は、時々奇異な目で見ていく人のことなどお構いなしに、マイペースで進んでいく。
 大通りを真っ直ぐに歩き、大きな信号と共に前方に噴水を配した瀟洒なテナントビルが見えたら、信号を渡らずに左へ曲がる。
 そこからは、街路樹が続く道が延びる。
 たった一本曲がっただけで、どうしてこうも印象が変わる道があるのか、いつもゾロは首を傾げるのだが、実際そうなのだから仕方ない。
 少しだけ道幅の狭くなったその通りは、車線を減らした分街路樹を植えた歩行者優先用を目的とする、商用の通りなのだが勿論そんなことをゾロが知るはずはない。
 ただこの道は歩きやすくていい、と思う程度だ。
 難点といえば、歩きやすいからか人通りが多いことだ。それも、ビジネスマンらしき人達からOL風の女性、学生よりもそんな人達が多い。
 おかげで、ゾロのような少年が歩いていると、時折違和感を与えるらしく振り返る人達がいるのだが、当然そんなことも知ったことではない。
 大概の人々が、その通りはオシャレで洗練された人達が憧れる一角だと認識しているのだが、こういうことも意識しなければ意味のないことだ。
 ただゾロはこの道を歩き、地面が赤い煉瓦のような色の歩道に変化したら、左にまたしても曲がるのを注意しなくてはならない。
 ここを逃すと、後々とても苦労することになるのは経験済みだ。
 煉瓦の小道、と名付けられているそこからの通りは、車は入れない。完全歩行者用の通りで、道幅もぐっと狭くなっている。
 だが、その分隣り合ったビル達は外装を凝り、落ち着いた雰囲気にまとめ上げた瀟洒な一角を作っていた。店が建ち並ぶそこは、この熱気の中でもどこか涼しげに感じるのだから不思議だ。
 その中央近くに、割合こじんまりと見えるビルがある。
 小さいが生け垣のような植え込みが前には作られ、茂った草葉がガラス張りの一階部分を半ば覆い外からの目を隠している。
 一見すると、普通のビルのようだが、側に近づくと小さくあちこちにヨーロッパ風の文様のような物が刻まれ、人を導くように据えられたブランケットが見える。
 なんでもないように思えるのに、一度目につくと気になる。
 そんな感じに作られた飾りに添って視線を流すと、そこにはこんなビルには珍しい木の扉があるのに気付く。
 そしてその扉の横には、やはり素朴な木で作った案内板。
 細く黒い鉄の針金が、どうやって作ったのかと思う程に流麗に文字を綴っている。
 それが店の名前を刻んでいるということは、随分と前にサンジに聞いて知った。今ならなんとなく読める…ような気がするが、気がするだけかも知れない。
 涼しげな店の前の道を通り過ぎ、ゾロは軽く前後を見渡した。
 まだランチの時間より少し早い。人通りも少ない方だ。そのままゾロは店に添うように歩き最初の角を右に曲がる。
 普通ならあまり意識しないだろうが、そこにはビルとビルの隙間にあたり小さな通りが存在している。しかし、通り抜けはできない。後ろのビルが道をふさいでいるからだ。
 室外機が回る音が煩い、そして室外機から吐き出されるもっと生ぬるい風に、ゾロは思わず顔をしかめた。
 気持ちいいものではない。だが、ここを通らなければ目的地にはたどり着かない。
 建物の中の快適さと引き替えに、こんなに気分の悪い場所が作られるのは妙な気がする。もしくはバランスが取れているのか。
 そんな埒もないことをチラリと思いながら、ゾロは歩みを進めていく。
 行き止まりに近い所に、大きな木製の樽がいくつか現れる。そして、その横に殺風景な事務的な扉。
 表とのギャップも凄いが、裏口となればそんなものだろう。
 ゾロは器用に肩の荷物を扉横の壁にもたせかけるようにして、支えていた腕を外し扉に伸ばす。
 本当なら声をかけたり呼び鈴を鳴らしたりすれば、誰かは出てくるだろう。が、今は戦場になっているだろう厨房から人が来るには時間がかかるのは目に見えている。
 しかもどうせ自分が来ると分かっているのだから、手抜きをするのも承知済み。
 ノブを回してほんの少し扉を開け、段ボールをきちんと抱え治しながら足でドアを全開にする。躰を滑り込ませながら、
「とってきたぞ!」
 叫べば、奥から聞き慣れた低いのにテンションの高い声が響く。
「おう! 遅ぇけどありがてぇ! 冷蔵庫の前の方においておいてくれ! 手が離せねぇんだ!」
 ゾロは苦笑して外より物理的に熱い厨房に入り込むと、白いコックコートの群れの中に突き進んだ。
 両肩に荷物を乗せた姿に、目にしたコック達が一様に目を剥いたが、ゾロは平然と指定された場所に存外丁寧に段ボールを積み上げた。
「助かったぜゾロ坊、配達してくれる店の人がぎっくり腰じゃなぁ。しっかし…普通カートか何か借りて運ぶだろうに担いでとは…お前最近ほんと、力強くなったな」
 手は忙しく動かしながらも、しみじみと言う古参のコックにニヤリと笑ったゾロは軽く肩を回してみせた。
「まだまだ。この程度じゃあ、使い物になんねぇよ」
 偉そうでもなく、淡々と言うのはどうやら本気でそう思っているかららしい。
「どんくらい力強くなるつもりだよ」
 笑いながら突っ込んでくる他のコックへ、ゾロが「さあな」と返す言葉と被さって、本当にここは厨房なのかと言いたくなるような怒号が飛ぶ。思わず笑ってしまうのは、それがいつものことだからだ。
「無駄口叩いてる暇あったら、そこのタマネギでも刻みやがれ!」
 そしてゼフの指示が飛ぶ。
 活気があると言えば確かにそうだが、それにしては酷く荒っぽいのも確かだ。またそれがここバラティエらしいといえば言えるのだろう。
 本当ならゾロがいていい場所ではない。さっさと出て行こうとしたゾロに、ゼフが小さく頷く。
「休憩室いってろ。すぐ飲み物持っていってやっから」
 ひょこりと顔を出した金髪のくるりと眉の巻いた青年が器用に躰を反らして笑いかける。
 それに軽く手を上げて答えると、ゾロは活気溢れる厨房を後にした。


 夏休みも終盤になろうというのに、この暑さは尋常じゃない。
 温暖化温暖化と叫ぶ者達の言葉がやおら真実みを帯びてきているのも、当然だろう。
 しかし、室内は外の異常さとは無縁のように、心地よく冷えている。人工的に作った快適な空間に、逆らえないのも、また人間らしいのかもしれない。
 あまり良いことではないのは承知しているが。
 4人くらいが座ればいっぱいいっぱいという狭い休憩室は、それでも設定温度は高めになっているからか、汗だくな躰の火照りは納まろうとしてくれない。
 クーラーの中で浮いていた汗をTシャツの袖でぬぐうと、殺気を感じてゾロは仰け反った。その鼻先を黒い影がなぎ払う。
「あっ、あっぶねぇな!」
「ちっ、避けるんじゃねぇよ、この緑!」
 本気で忌々しそうに吐き捨て、サンジは片足を上げたままの器用な姿で手に持っていたグラスを揺らすことなく、その場に立っている。
 相変わらず、危険極まりない。どうやれば、そんな体術を会得するのかと疑問に思うばかりだが、尋ねてもサンジははぐらかすばかりで教えてくれることはなかった。
 ただ、ゼフを見ていればなんとなくわかる。
 なにせゼフも口よりも先に足が出るタイプなのだ。しかも多分、動きからするとサンジよりも威力があるものと思われる。
 だからこそ、実はゾロはゼフの足の範囲内に入ることを極力避けているのだが、多分ゼフはそれすら察してるようだ。
 サンジは足をこれみよがしに下ろすと、零しもしなかった大振りのコップを差し出した。
「汗はTシャツでぬぐうなって何度言わせる気だ、きさまは!」
「拭くもんがねぇんだ、いいじゃねぇか、どうせ洗うんだ」
「おーまーえーが! 洗うんじゃねーだろうが!!」
 コップを受け取ろうとしていたゾロは即座に一歩後ろに飛び、サンジの次の攻撃に構えたが蹴りは飛ばなかった。
 代わりに、ゾロは背後の壁にしたたかに頭をぶつけてその場に蹲った。
「バーカ。背後注意だ」
 ふふん、と笑うサンジに、ゾロはくっそーと呻いて顔を上げる。
 その目先に今度こそコップが差し出された。
「飲め。喉乾いてるんだろうが」
「…おう」
 後頭部をさすりながら受け取り、ゾロは立ち上がる。
 休憩用に用意されている椅子に座ると、サンジも目の前の椅子の背を引いた。
「んだ? お前は戻らなくていいのか?」
 厨房を目で示せば、胸元からタバコを引っ張り出していたサンジは頷いた。
「俺も休憩だ。朝からずっと立ち尽くめだったからな」
 小さなマッチを取り出し、手慣れた仕草で穂口を擦って火をつけ、口元に加えたタバコの先に炎を移す。一度タバコの先端が赤く色を濃くすると、ゆったりと手を振ってマッチの火を消す。
 そして実に美味そうに、細く紫煙を空へと吹き流した。
「夏休み中、お前ここに通い詰めだったな」
 半ば呆れたように言うゾロは、豪快にグラスを煽る。
 それはただ本当に、事実を問うているだけのようだ。だが、それだけのことが、小さな痛みを穿つのをサンジは自分でも止められない。
 壁に貼られているカレンダーを探して見ると、サンジはそっとタバコを銜えなおした。
「ああ…夏休みは稼ぎ時でもあるからなぁ…休んだのは…店休日だけだったなぁ」
「ホント、お前もここのコック共も良く働くよな。ワーカーホリックの見本みたいだぜ」
 くつくつと笑いつつ言うゾロは、面白がっているようで、屈託がない。そういうゾロも、本来なら寝穢い癖に、春から始めた新聞配達を一日たりとも休んだりはしていない。まあ、その分休みに入ったら、道場の朝練に行かない限り帰ってから爆眠しているのだが。
「…悪かったな」
 ついそう口走ったのは、不安だったからかもしれない。
 ゾロが新聞配達を始めてから、サンジは奇妙な不安感をずっと引きずっていた。多少とはいえ、自分でお金を稼ぐ術を見つけたゾロは、本当に嬉しそうだった。
 そうして、お小遣いすら受け取らなくなった。それどころか、学費等で必要な細々した費用も全て自分で払い、一切サンジにお金がいると言わなくなった。
 元々お金など一切必要としないゾロだ。それでも余った金額は、それまで無理矢理渡していたお小遣い程度のお金を引いて、まるごと自分に預けようとしてきた。
 微々たるものとはいえ、それはゾロが自分で稼いだお金だ。
 それを受け取るのはなんだかもの凄い拒否感に苛まれ、サンジは一時本気で困惑してゾロといる、いらない、で大喧嘩をしてしまった。結局、それについてはゼフが自分で稼いだ金くらいは自分で管理しろと一喝してくれて納まった。だが、サンジにしてみれば、それはとても苦い経験になった。
 あれから、ゾロはサンジに給料を預けようとはしなくなった。
 でもゾロの生活は今までとなんら変わっていない。買い食いをしてる気配もなければ、寄り道している気配もない。それどころか、前よりも道場通いに熱を上げて通い詰めているようだ。
「何言ってんだ? なんも悪いことはねぇだろう」
 中身を飲み干したゾロは満足そうに吐息を吐き、にっかりと笑った。
「うめぇ。おかわりあるか?」
「…ああ、お前用に作っておいたんだ。冷蔵庫にあるからちょっと待て」
 どうやらゾロの好みに合ったらしい。
 タバコを引き寄せた灰皿に押しつけて消すと、サンジは立ち上がって外に出た。どこかいそいそとした動きになったかもしれないが、仕方ないだろう。
 本当に美味いものを口にした時、ゾロが年相応に笑うのを見ると本気で嬉しいのだ。ほっとすると言ってもいい。
 急いでおかわりを取って戻ると、ゾロはテーブルに頬杖を突いて入口の方を見ていたようだ。サンジが戻ると、嬉しそうにコップを差し出す。
 …なんだか、懐いているワンコが尻尾を振っているように…見えなくもない。
 思わず吹き出すと、ゾロは怪訝そうに眉根を寄せた。
「なんでもねぇ、ほれ」
 注いでやると、満足そうに再びそれを煽る。
「気に入ったか?」
「おう」
「なら、これにするか。家にも作っておいておくから、好きな時に飲めよ。牛乳ばかりってのも、そろそろ卒業しろ。こういうビタミン類が入ったものも飲め。要はバランスなんだけどな。牛乳も必要だが、お前はやっぱり飲みすぎだからなぁ」
「ああ? 飲み過ぎか?」
「夏に入ってからのお前の牛乳消費量は、世間の乳牛飼育業界が表彰するようなもんだろうが! 腹壊さないのが不思議だぜ、おれは」
 うんざりと言うサンジに、ゾロは憮然としたように目線を反らした。
「そんな柔な作りはしてねぇよ」
「それでも! 喉乾いたら、こういうのも飲めよ。美味かったろう? 一応お前好みになるように、調整はしたんだけどよ」
「…おう、美味ぇ」
「ったりめぇだ。おれが作ったんだぜ!」
 胸を張るサンジに、ゾロは一瞬目を見開き、吹き出した。
 楽しそうに笑うゾロを小突き、空になったコップに再度ビタミンたっぷりのレモネードを注げば、ゾロは掲げるように一度持ち上げ、美味そうに喉を鳴らして飲み干した。
「…夏休み…どこにも行かなかったな、お前も」
 上機嫌そうなゾロに、サンジは今だとばかりにぽつりと告げた。
 夏休みに入ってから、ずっとそれが気になっていたのだ。自分はいい。元々できる限りは店に入って、仕事をするというのが自分の願いだったから。休むくらいなら、料理の研究でもしてようかと思うくらいだったのだ。なので、今の状況はおおむね希望通りといってもいい。
 だが、それは自分の希望だ。本当はこういう時には、ゾロを旅行にでも連れて行ったり…海や山や、一日だけでもいい、テーマパークなどに遊びに連れて行くべきだったのではないだろうか。なにせ夏休みだ。学生にしてみれば、一大イベントのはずなのだ。
 去年はまだゾロは病院通いもあったし、あまり外に出るということは考えなかったが、今年は…と今頃になって言い出す自分もどうかと思うが、ずっと気になっていたのだ。
「バイトあったしなぁ…どっか行きたい所でもあったのか?」
 は? と顔を上げたサンジに、思いがけない真剣な瞳が貫いた。
 それはまさしく、今、自分が言おうとした言葉だったはずだ。それが何故、ゾロの口から出るのか。
「悪かったな、行きたい所とかなかったから、まったくそっちに頭まわんなかった」
 腕を組み、うんうんと頷く様子は本気だ。
「…お前…なに? そんなことじゃ…」
 呆気にとられたまま、そう零せば、わかってるとばかりにゾロは手を振った。
「ああ、わかってるって。お前も働きづくだし、本当は学校の友達とかと遊びにいったりとかしたかったんじゃねぇのか? 付き合いとかあるんだろう?」
「なんで?」
「前、お前が言ってたじゃねぇか。『おれくらいになると、人付き合いってのも沢山あるんだ』ってよ」
 言った…記憶はないが、言いそうだなという確信はある。
 ボカンとしたままゾロを見続ければ、ゾロは気の毒そうに自分を見る目を和ませた。
「おれの事は、そういう時には考えなくていいんだぜ? 勝手にやるからよ。ここも、あるんだし」
 トントンと机上を指で弾き、ゾロはニッと笑う。
「たまには、休みもらって日頃の鬱憤ってヤツを発散してこいよ。聞いたぜ? お前、おれ預かる前は随分遊んでたんだろ? 仕事終わってから飛び出してって、よくジイさんの蹴りもらってたんだろ? らしいよな!!」
 吹き出して笑いだしたゾロに、サンジのこめかみに怒りが走る。
 自然俯いたサンジからは、地を這うような声が流れ出す。
「どこのどいつだ、そんな事を言いふらすヤツは」
「カルネ」
 即答した瞬間、弾丸のようにサンジが飛び出した。
 厨房から怒号と大きな音が鳴り響き、ついでゼフの凄まじい一喝とさらに大きな音が響き渡る。どうやら、蹴り飛ばされたらしい。
 くわばらくわばら、と小さく呟き、ゾロは席を立った。
 見下ろせば、自分専用と言われたピッチャーが汗をかいてそこにある。
 本当に自分のことを考えて、色々と面倒を見てくれているのだと実感することばかりだ。気付かないうちに、ゾロはサンジの恩恵を一身に受けている。
 わかっていた。
 サンジが自分に告げたのは、まったく遊びに連れて行かなかったことに対する謝罪だ。
 だが、そんなものは聞きたくもなかった。普通の一般家庭なら、そういうのもあるのかもしれない。まあ、中学生になれば大概は友人達と動く方が多いのだろうから、無用な心配りといえば言えるのだが。
 でもそのような心配は、必要ないことなのだ。実際自分は遊びに行こうとは欠片も考えてはいなかったのだから。
 夏休みの間は道場が開放される。
 とにかく今のうちに体力の増強とトレーニングをして、強くなることに邁進することが目標だった。そしてその目標通りにしていたのだから、サンジがすまなく思う必要はないのだ。
「…自分のこと、考えろってーんだ」
 ほんのり黄味を帯びたピッチャーの中身を確かめるように、汗をかいたガラスをそっとなぞれば、雫は大きくなってしたたり落ちる。
 溜まった雫は大きくなればなるほど、落ちる時も激しい。
 本来なら、ガキの面倒を引き受けて見るような人物ではないはずなのに、必死に自分の面倒を見ようとしている。皆忘れているのかもしれないが、サンジは学生なのだ。本来なら、夏休みといえばサンジこそが、仲間達と楽しくやる時期なんじゃないだろうか?
 それなのに子供を抱えて、無理をしていないなど、どうやったら思えるというのか。
 どんなバカでも、それくらいは分かるというものだ。
 サンジはもっと自分自身のことを考えるべきなのだ。
「ああいうのを、優しいっていうのかねぇ」
 どうやっても、引き受けたからには、ほおっておけないのだろう。
 今まで自分の身の回りにはいなかった大人だ。1人だけ、それをやってのけた人はいたが、その人はもういない。
 奥で続く轟音が止んだのを確かめて、ゾロは静かに部屋を出た。
 基本、ゾロはどんなことにも頓着していない。それを、サンジはわかっていない。
 どうすれば、それが分かってもらえるのか…ゾロには分からない。
 家までは、また灼熱の道が続いている。
「じゃーな、おれぁ帰るぜ!」
「まちゃーがれ! このマリモ小僧!」
 怒鳴る複数の声に笑いながら、さっさと外に出る。
 容赦ない熱気が何故か心地よく感じながら、ゾロは追ってくる怒号を避けるように強い日差しに白く浮いて見えるコンクリートの上を駈けだしたのだった。






2008.6.14
ちょっと間が空きました。すみませーん! 



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