遠くて近い現実
[13]





 ゾロの意識がふと目が覚めたのは、なんとなくざわつく空気を感じたからだった。
 というよりも、気配が違う。それも玄関の方だ。
 普段は『寝腐れている』、とサンジに表現されているゾロだが、基本的には眠りが浅いらしい。以前病院に入院している時にそう言われたことがあった。だからいつでも眠いんだ、とも言われていたが、ゾロにしてみれば別に支障はない。
 なのでどうでもいいかと聞き流していたが、この家にきてからは利点もあった。
 サンジが帰ってきた時には、分かるという点だ。
 大概毎日疲れて帰ってくる男は、時々部屋に帰り着かずにそのままリビングのソファに沈み込んでいることがある。どんなに寒い時でも暑い時でも関係なく、だ。時期を選ばないそれは、気付かずにそのままにしていたら、体調を崩すのはもう火を見るよりも明らかだ。
 初めてそれに気付いた時には、大慌てでサンジを運ぼうと思ったのだが、それが叶う体格ではなく。急いで毛布を持ってきて、寒くないようにかけてやるしかできなかった。
 その後も本当は側に居た方がいいのかも、とも思ったのだが、なんだかそれはしてはいけない気がして。自分の部屋に戻ったが、その夜はなかなか眠れずに朝も早くから起き出してしまった記憶がある。
 それからなんとなく気をつけていれば、サンジが眠り込む日がたまにあることに気付いた。
 せめてそういう時に、同じように毛布の一枚でもいい、かけてやることができれば、御の字だ。
 もっと色々できればいいのだろうが、自分にはそれくらいのことしかできない。ならば、その程度のことでも、きちんとできればそれでいい。
 きっと、本人にしてみれば大きな御世話だということになるのだろうが。これはゾロのただの自己満足なのだから、大目に見てもらうことにする。
 むくりと起き上がるとベットが微かに軋んだ。耳を澄ましながら、静かに床に下りる。
 あんまり暑かったから、上は何も着ておらずパジャマ代わりのハーフパンツのみだ。仕方なく手近に放りだしていたランニングのシャツに手を伸ばしたのは、やはりいつもと外の様子が違うことに気付いたからだ。
 玄関の方から複数の人の声が聞こえる。
 時間を気にしているからか、外の声はひそひそ声だが静かなだけに響いている。
 扉から漏れる小さな光越しに、なんとか時計を確認すれば、二時を回ろうとしている時刻だった。
 ゾロは大きく欠伸をしつつ、玄関へと向かった。

 ドアの奥から、弱り切った声がする。
「ほらぁ、サンジ、鍵はどこだよ…ってコーザ! お前…おれにこいつの体重預けさせるな、もれなく潰れる!」
 途切れ途切れの声は本当に困っているようで、ゾロはため息を押し殺して玄関灯のスイッチを入れた。瞬間、ドアの向こうで小さく息を呑む声が聞こえる。
 そしてそれをいさめるような別の声。笑う女性らしき人の声。
 なんとなくいぶかしく思いつつ、ゾロは鍵を開けるとドアを開放した。
 同時にドンと衝撃が伝わり、ぎゃっと悲鳴があがる。あれ? とゾロが顔を出せば、そこにはサンジを肩に抱えた見たことのない青年と、もう一人、こちらは青い髪を結い上げた見たことのある女性が立っていた。
「…よかった起きてくれたのね。こんばんは、ゾロ…くんよね…?」
 ゾロは一つ頷き、足元から響くうめき声にそちらへと視線を落とした。
 そこには、顔を押さえて蹲る見知らぬ青年がもう一人。ちらりと目の前の二人に目をやれば、苦笑した顔が迎えた。
「あー、わりぃ。当たったか」
 困ったようにそう声をかけたゾロに、蹲った青年が飛び起きた。
「当たったか? じゃねーぞ! 衝突だ、顔面直撃だ! これを破壊と呼ばずしてなんとする!」
 ゾロは思わずポカンと詰め寄ってきた青年を見た。身長は同じくらいだからか、目の前に顔がある。不自然な程に鼻が長い。なのに、妙に違和感がない。
「でかい声だすなよ、ウソップ。いい時間なんだ」
 静かな声がいさめる。目の上に小さな傷のある、こちらはサンジと変わらないくらいの身長の男だ。
 ウソップと呼ばれた青年は口と鼻を押さえると、うーうー呻きつつ涙目で一歩下がりゾロの前からどいた。
 なんとなく、呆然とそれらを眺めていたゾロはふと小さく唸った声に正気に戻った。男の肩に腕を回して半ば担がれているような形で立つサンジが、呻いたのだ。
「ゾロ…くんよね。この間あった時より大きくなってるから、びっくりしちゃった。こんばんは」
 サンジの背を支えるように、手をかけていた女性がニッコリと親しげに笑いかけてくる。その笑顔には覚えがあった。確か、サンジの卒業前の展示会で会った女性だ。
「…こんばんは」
 だいたいの状況は掴めたが、なんとなく全員を見比べてしまったゾロに、ビビは肩を竦めるようにしてサンジとそれを抱える男を見上げ
「サンジさんが、潰れてしまったので送ってきたんだけど…鍵がなくて困ってたの。よかった、起きてきてくれて」
「いや、それは…世話かけたみたいで」
 言いながらもサンジを見れば、小さく唸りつつもぐでぐでの様子で男にもたれかかっている。
 どうやらほぼ意識はないものと見ていいだろう。
 ゾロは大きく息をつくと、改めて3人を見た。
「潰れたのか。悪かったな」
 軽く頭を下げると、意外そうにこちらを見るウソップと目があった。ぱちぱちと瞬き、彼の顔がニッと笑む。ゾロも微かに笑みを口元にはき、ビビともう一人へと顔を向けた。
「そっちにも、迷惑かけたみたいで。ありがとう」
「ううん、いいの。久しぶりに私達も外に出てたら、ウソップさんとサンジさんが飲んでるのに出くわしただけなの。楽しかったんだけど、珍しくサンジさんが潰れてしまってたから送ってきたのよ」
「そうだぜ。どうしても帰るってきかなくて、おれん家に泊まれって言ったんだけど、絶対断るって…まあ、言いたい放題いいやがって」
 困ったもんだ、と腕組みしながら言ってくるウソップにゾロは小さく苦笑を返した。
「…珍しく荒れてたぜ、こいつ」
 ウソップが軽く指さす先にはサンジ。
 わずかに困惑した様子を見せ、ゾロはサンジを見た。
「昼間はそうでもなかったんだけどな」
 言いながら、サンジへと手を伸ばすと、肩を貸していた青年が少し驚いたように目を見開いた。受け取ろうとしているのだと分かって、存外丁寧にサンジの腕を外そうとすると、ずるりとサンジの躰が落ちかける。
 咄嗟に手を出したゾロはサンジを真正面から抱え、ほっと息をついた。
「すまん」
「いや、こいつ本当に意識なくしてるんだな。ぐにゃぐにゃだ」
 サンジは膝をつきかけるような形で、ゾロが両腕から支える形のままぶら下がっている。うにゃうにゃと唇を動かしてはいるが、起きる気配はない。
 ゾロはウソップに扉を開け放してもらって、ずるずると少し引きずるように玄関内に入れた。
「コーザ、靴を」
「ああ」
「悪いな」
 とりあえず、玄関に上げて寝かせるとコーザと呼ばれた青年がサンジの靴を脱がせる。
 それに礼を言って、さて、とゾロは一度大きく腕を回した。
「おい、サンジ運ぶの俺たちがしようか? お前一人じゃ無理だろう?」
 顔を出して言うウソップに、ゾロは簡単に首を振った。
「いや、大丈夫だ。抱えられる…と思う。嵩張るけどな」
 笑ったゾロに、ウソップは目を丸くしつつ吹き出した。
「頼もしいなぁ。サンジにずっと話を聞かされてただけだったけど、どんなお子様かと思ってたんだよ。想像してたよりも逞しいじゃねぇか」
 バンバンと隣にいたコーザの背を叩くウソップの手を嫌そうに肩で振り払ったコーザも、その意見にだけは同意らしく小さく頷いている。
「だから言ったじゃないの。ゾロくんは、小さくなんかないって」
 たしなめるビビは困った様子だが、だいたい言いたいことは分かる。
 多分、サンジが語る自分は引き取った頃のままなのだろう。考えてみれば、たった三年程前のことでしかない。その頃に比べれば、確かに自分は縦も横もそれなりに大きくはなったが、印象が早々変わるとも思えない。
 今日の昼間、バイトだと着せられた服を着た時の、バラティエの面々の人々の驚いたような顔が忘れられない。
 それだけ、皆の中では自分の印象は小さい頃のままなのだろう。
 驚かなかったのは、ゼフくらいのものだ。相変わらず、あのオーナーだけは、底が知れない。というよりも、やはり親なのだろう。サンジを育てたという経験の元、子供の成長というものを客観的に見ることができるのかもしれない。
「おれたちのサンジを独り占めしてるって、ぎゃーぎゃー皆で喚いてたけど、こりゃそろそろ解禁かもな」
 楽しそうに玄関に伸びるサンジを見つめ、ウソップはくくくっと忍び笑う。
「ナミも帰ってくるって言ってたし、ビビ、お前も予定明けといてくれよ。煩くなるぜぇ」
「え? ナミさん帰ってくるの? いつ?」
 勢い込んで聞いてくるビビに、ウソップは人差し指を立てて、胸を反らせた。
「一ヶ月後だ! 盛大に祝おうぜ! たった二年で大学卒業してきた秀才をよ!」
 嬉しそうに飛び上がって喜ぶビビに、コーザが小さく指を立てて静かにとジェスチャーを見せる。慌てて口を押さえたビビだったが、それでも嬉しそうに笑みを零す。
 どうやら、サンジを囲んでこのメンバーは随分と仲の良い仲間らしい。
「最初はなんか荒れてたんだけどよ、サンジもナミが帰ってくるって言ったら、そりゃもう喜んで…それで飲みすぎたんだよなぁ」
 ウソップはどこか嬉しそうにサンジを見下ろして、ビビ達を見た。
「ナミの都合ついたらすぐ連絡いれるから、その時は絶対来いよ」
「勿論よ。場所はここ…じゃないわよね」
 つい口を滑らせた、とばかりにはっとしたようにゾロを見たビビの様子で理解できた。
 どうやらその仲間達の間では、宴会となったらこの家が定番だったらしい。
 それもゾロがここに来てからは一度も無かったのだろう。ゾロにはこの家が自分とサンジとゼフ以外がいた記憶はない。
「ああ、場所はこれから探すから、サンジが料理できる場所を    
    ここでいいんじゃねぇか? 妙な気を使う必要はないだろう。おれならジイさんの所に行ってても問題ないんだ。居場所はあんだし」
 そんな所でも自分はサンジに気を使わせていたのか。
 そう思うと、申し訳ない気分にもなって、ゾロはサンジを見下ろした。
「自分ん家に気を使う必要ねぇだろうに…」
 あっちに泊まってくれと言えば、それで済む話なのに。
 ため息をつくゾロをどう見たのか、ビビが小さく首を振る。
「違うわ、ゾロくん。サンジさんは、ゾロくんがここで安心できるようにって、そう思って! だから本当に大騒ぎになるようなことは控えたんだと思う。きっとサンジさんは…」
「ビビ」
 コーザが諌めるように名前を呼ぶ。
 ゾロは頷いて苦笑した。
「ああ、わかってる。気を使ってるのは、おれになんだよな」
 しょうもねぇ。
 そう言葉にならない顔で、サンジを見るゾロの目は真っ直ぐだ。
 あまりにも真っ直ぐなその視線は、かえって真意を掴みにくく、そして見ている者に子供らしからぬ印象を強く与えた。
「…明日こいつ仕事にならねぇかもしれねぇけど、頼むな」
 ゾロを見つめるウソップの心配そうな顔に、ゾロは顔を上げて頷いてみせた。
「ああ、責任持って明日は起こす」
 言って、サンジの元に膝をついて片手を首もとに差し込み、もう片手を腰の上から下に回し込む。
 抱っこするような体勢に持っていくのはいいが、まるでサンジに覆い被さるように見えて、体格差を感じてしまう。
 いくらなんでもそりゃ無茶じゃないか? と全員が見守る中で、酷く造作もない仕草でサンジを腕に納め、小さく鋭い息を吐いたと同時に軽々と大人の男一人を持ち上げた。
 目を丸くする3人の前で、しかしゾロは少し首を傾げ、片膝を立てるように座り直してサンジを落ちないように支え、回していたもう片腕を、上からではなく下から、手元から差し込むように入れ替えて、再びひょいと…立ち上がる。
 ひえぇっと、ウソップが感嘆の声を上げた。
 座りがよかったのだろう、うん、と頷いたゾロの腕には、いわゆるお姫様抱っこ状態のサンジがいる。
 小さく呻いたサンジはゾロの胸元で豪快に一度大口をあけると、むにゃむにゃと何か言うような仕草だけを見せて、ゾロの肩口に顔を埋めて自分の体勢が苦しくないように居座った。
 どうやらそれで、安心したらしい。
 やはり起きる気配はない。
 それだけを見ればどことなく微笑ましくもあるのだが、抱えているのがまだどこか線の細さを抜かしきれない少年だと思えばアンバランスなことこの上ない。
 大人の男一人を持ち上げて平然としている中学生は、けれど何故かどこか呆然とした様子でサンジを見下ろした。
「んだ? どうした?」
 なにか気になる所でもあるのかといぶかしげに聞くウソップに、小さく首を振り、ゾロはどこか遠くを見るような目で呟いた。
「…いや、固ぇな、と思って」
 その言いぐさに、ブッと3人が吹き出す。
「そりゃ男だからな! 抱き心地はよくねぇだろうよ!」
 笑う3人に苦笑じみた笑みを返し、「だよな」と同意しながらゾロはとりあえずと断って、サンジを彼の自室へと運ぶ為に踵を返した。







2008.8.24

夏休みとりまして(笑)申し訳ありません。



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