秋も深まり、ふと見上げると高い青空に浮かぶ細かな鰯雲すら、どこか風に吹かれて遠く感じるようになった頃。
ゾロが一つまた年を重ねた。
今年はルフィがゾロの誕生日を知り、ほぼ強制的に誕生会なるものがサンジ宅で盛大に開催された。
当然の成り行きといえば成り行きだったので、サンジ自身はまったく驚かなかったのだが、ゾロは違った。
自分の誕生日の為に誰かが集まって、どんちゃん騒ぎをするというのに、最初のうちはとまどいにも似た何かがあったらしい。多分誰にも分からない程度にだろうが、うろたえてるような感じでさえあった。
今までは自宅でサンジとゼフ三人だけで。バラティエではスタッフ全員から仕事の合間に端的に祝われていたゾロにしてみれば、これまでとは全く違う誕生会なるものは、ゾロを驚かせることには成功したらしい。
まあ、後々から考えてみるにつけ、誕生日を祝うというよりも、ルフィのかけ声に集まったいつものメンバーとの宴会でしかなかったのだが。
まあ、それもいつもの事。
だが、そのうちに慣れたのか肝を据えたのか。いつもよりハメをはずして楽しげに騒ぎに混ざって、屈託無く笑っていたゾロは年相応の中学生に見えた。
ハメを外しすぎて、大人気ない大人な連中はアルコールも混ざって最後はさらにカオスっぷりに拍車がかかったのだが、結局最後まで残って起きていたのはゾロとサンジという家主だけだったのはご愛敬だろう。
知りたくもなかったが、どうやらゾロはかなりの酒豪らしく、酔っぱらったナミが成人した暁には飲み比べを申し込む! と宣言してしまっていた。
もっとも、それを聞いたゾロがその頃には弱ってるかもしれないだろうから勝負はなしだな、などという言ってはならぬ暴言を吐いたので、その後は阿鼻叫喚の一悶着があったのだが…まあ、それも思い出だ。
思わず口元が弛む。
誰にも分からなかったであろうゾロの変化が、まるで手に取るように分かったのは一緒に暮らしていた時間の成せる技だろう。きちんとフォローができたことにも、また、ちゃんと誕生日を祝えたことにもサンジは恐ろしく感謝していた。
少ない人数で、きちんとお祝いするというのも実は心底捨て難かった。
最初にルフィから聞かされた時には、咄嗟に断ろうとしたくらいだったのだから。
だが、暇があれば集まりだしたサンジの昔なじみ達にきちんと引き合わせ、メンバーに加えるのには本当に丁度よいタイミング。最近ゾロに構える時間が減る一方だったサンジにしてみても、大勢が集まるとなると集中して時間を取るのになんら抵抗もなく、また邪魔も少ない。しかも誕生日ということで堂々と構うことができる。
久々に充実した時間だった。
それはゾロも同じだったと確信している。
出逢った時は、確かまだ11歳の小学五年生で、見下ろせば丸っこい頭のつむじが見えるくらいに小さい子だったというのに。今では、わずかに目線を下げる程度で視線がかち合う。
相変わらず、真っ直ぐに人を見る所は変わっていない子供は14歳になった。
サンジが誕生日を迎えるまでの暫くの間は、年の差は5歳。すぐに6歳差になるとはいえ、何故かその差が縮まることがくすぐったく思える不思議な心境なのは何故なのか。ほんの少し疑問を抱きつつも、別に不快な感情ではない。なのでサンジはそれを大切に甘受して、今日も絶賛レシピ纏めをやっていた。
一番の稼ぎ時といわれるクリスマスと年末まで、ゾロの誕生日をすぎればもうすぐそこで。
11月中にクリスマス料理の案を出し、スタッフと何よりゼフのお眼鏡に適えばクリスマスのコース料理に加えてもらえるという、バラティエ内部のイベントがある。
バラティエ名物のこのイベントとも試練ともつかぬ行事はコックになった年数をいとわない。
だからこそ、見習いから中堅古株まで、料理人達はわくわくと新作料理を考え出し、アイデアを持ち寄り、厨房はいろんな意味で活気づいてくる。
今はゾロを味見係にして、サンジは今月に入ってもう数種のレシピを提案していた。
どれも今のところは好評ではあるが、ベテラン勢が出す料理はやはり奥が深いものも多く、それを目にする度に刺激を受けて新しい料理を考える、というサンジにしてみれば最高に幸せな循環が続いていた。
もう11月も最終で、最後のレシピになるであろう新作料理を今は一生懸命練っている真っ最中だ。
あと一歩という所の詰めに迷いがあり、先程からツラツラと思考が飛んでいるというのが実情だ。
「何一人でニヤニヤしてやがる」
不意に上から降ってきた声に、サンジが反射的に嫌そうに目を眇める。
「ああ? 誰がニヤついてるって?」
眼光鋭く顔を上げると、そこにはさらに眼光どころか稲妻を発しているのではないかと思える威厳を湛えたゼフが腕組みをしつつ立っていた。
なんの用だと物騒な目線だけで問いかければ、それこそ子供をあしらうような目線が降ってくる。
反射的に文句を言おうと立ち上がりかけたサンジを、しかしゼフはゆっくりと口を開くことで黙らせた。
「小僧はどこだ?」
「ゾロ? ゾロなら、さっき…」
辺りを見回してみれば、ゾロの姿はどこにもない。
今日は土曜日だったので、さっきまでは昼食を自分の傍で食べていたはずだ。どうやらレシピに集中している間に食べ終えて、どこかに行ったらしい。
声をかけたのかどうかは分からないが、最近いつにもまして、気配を消すことが上手くなった気がしてサンジは眉根を苛立たしげに寄せた。
「ちっ、あんの野郎」
舌打ちするサンジに、ゼフは呆れたように溜息を一つ零した。
「お前らは相変わらずか、少しは落ち着いてきているのかと思えば…」
「うっせぇな。落ち着いてるに決まってるだろ。なんも問題はねぇ! ゾロ!」
最後は大声で呼べばどうやら厨房にいたらしく、短いいらえが返ってくる。
厨房からは笑い声も響き、仕込みメンバーと何かやっていたらしいと判った。すぐにゾロの姿が控え室の入口に現れた。
随分と寒くなってきたというのに、平然と半袖姿で最近逞しくなってきた腕を惜しげもなく見せつけている。まだ少し細い印象はぬぐえないが、見る度に躰が出来上がっていっているのが判る。
それをなんとなく眩しく、また誇らしく思っているサンジは、素直に呼んで現れたゾロに満足そうに頷くとゼフを見上げた。
だがゼフはそんなサンジにお構いなく、ゾロへと手にしていた茶封筒を差し出した。
「さっきお前の通う道場の娘が持ってきた」
ゾロは一瞬いぶかしげに目を細め、それからああ、と納得したような顔を見せた。
「くいなちゃんが来てたのかよ! なんで教えねぇ!」
ゾロよりも早く反応したのはサンジで、しかも今にも飛び出しそうに腰を浮かせたのにゼフの足がゆるく動く。それだけで、サンジはピタリと動きを止めた。
今のはやばいタイミングだった、と本能が告げている。
飛び出した瞬間、自分は吹っ飛んでいたこと確実だ。
ゾロはそんな二人のやりとりを平然と見ながら、室内へと足を踏み入れた。
「そっちに直接行ったのか? あいつ」
「ああ」
わざわざ店には寄らず、ゼフの部屋へ行ったということらしい。
「………伝言は?」
「お前には、よく考えろ、だったな」
一瞬にしてゾロは口を引き結んだ。
まったく話が見えないサンジを置いて、二人にはどうやら話しが通じているようだ。
「くいなちゃんが持ってきたのって…」
思わず呟いた途端、二人の目線が飛んできた。たじろぐ程に強い視線に、サンジがとまどったように視線を返せば、ゼフもゾロもそれに気付いて互いに一度目を見交わす。
ゼフが頷き、ゾロも頷き返して茶封筒を受け取った。
ゾロが受け取るとゼフは何も言わずに踵を返す、それを横目で見送りつつ、ゾロはサンジの横へと足を進めた。
「丁度いい、話しとかなきゃと思ってたんだ。12月の、年末前だから…」
ゴソゴソと封筒を開けようとするゾロに、サンジは大きく手を振った。
「ああ、いいいい。くいなちゃんが持ってきたってことは道場関係のことだろ? とくれば、大会かなにかか?」
「そうだ。12月の…年末ギリギリだな。23日の祭日に試合がある。これに出る」
ゾロがやる剣道に試合があることは知っている。ゾロが、年に何回か出ていることも聞いたことがある。
道場に通い始めて暫くして、なんとはなしに活動の話なんかを聞いている時に試合があることも教えてもらったのだ。
ただ、まだ下っ端の自分では仕事がなかなか休めないことや、さらにゾロ自身が来なくていいと言い張ることもあってまだ一度も行ったことがない。なので、試合がどんな風なのかは伝聞くらいでしか知らない。
けれどこの時期に試合がある、というのはここ数年初めて聞いた気がする。
いぶかしく思いつつも、サンジはカレンダーへと目を飛ばした。
本当にギリギリだ。どうあがいても、その頃自由になる時間はない。断言してあり得ない。なんで今年に限ってその時期に大会なんか…と内心罵倒しつつゾロを見れば、ゾロは書類を覗き込みながらなおも続けた。
「大切な試合なんだが、会場が遠いんだ。だから泊まりがけで行くことになる。えーっと、22日から…26日までだな。丁度学校も冬休みに入るし、終業式はぶっちぎってもどうせ公休だ」
「そうなのか? けど、そんな日にちかかるって、どんだけ遠いんだよ。それとも大会自体が数日かかるのか? そんなに大きな大会なのか?」
呆れて言えば、ゾロは苦笑したようだった。
「試合は1日だけだ。大きい大会というより、選抜の試合だな。だから行くのは選ばれたヤツだけだ。道場からは、おれとくいなとコウシロウ師匠が責任者で、…あと誰だったっけな」
また書類を見ようとするのをサンジは、軽くゾロの手をはたいて止めた。
「いいって。今から言われてもその頃のことは覚えてられるかわからん。帰ったらいつものように冷蔵庫の前に貼っておいてくれ。…さすがにクリスマス前となるとなぁ…」
「確かにな、毎年この時期のここがすげぇことになるのは知ってる」
「はは、お前もレストランの子ってヤツになってきたな」
嬉しそうに目を細めるサンジに、ゾロはどこか安堵した様子で口を閉じた。
「しっかし…やっぱ応援にはいけねぇなぁ…」
テーブルに頬杖ついて顔を見られないように、そっぽ向いてついでのようにそう零せば、ゾロが隣に座ってきた。
「仕事優先だろ、来なくていい」
いつもの言葉だ。それがまたあまりに普段通りなだけに、サンジはますますそっぽ向く。
こんな風にゾロが言うと、最近はなんだか少し苦々しさを感じてしまう。そんな風になるのは自分だけだと思うと、余計落ち込みたくなってしまうのは何故だろう。
落ち込みそうになったサンジに、隣に来たゾロの放射するような熱が肌に馴染む。
ゾロは体温が高い。いや、それだけではなく。ゾロ自身が発する熱量みたいなものが、傍に来るとじんわりとサンジを包むような気がしてくる。
何故かぞわりと肌が浮き立った。決して気色の悪いざわつきではない。それどころか、妙に安心さえ覚える代物だ。
いつの間にか、ゾロの体温に慣れている自分に気付く。
これはもしかしなくても…。
チラリとゾロへと視線を流すと、ゾロが真っ直ぐに自分を見ていることに気付いた。
途端、大きく心臓が跳ねた。
咄嗟に頭を抱えて視線を逸らし、机に突っ伏して逃げる。
「あー、しっかし、こっちが仕事してる時にお前はくいなちゃんと二人で一緒に旅行かよ!」
「二人じゃねぇっ! 人聞き悪いこと言うな! 師匠も他も一緒だ一緒!」
自分の中に湧いたワケの判らない感情を誤魔化す為に喚いた言葉に、ゾロがすかさず突っ込んでくる。それに半ば安心して、さらにサンジは喚いた。
「そんなの知るか! あんっな美人と二人っ、クリスマスに恵まれすぎだ! てめぇはよ!」
「美人? くいなが?」
「お前何言ってるんだ!? なんって失礼な! すげぇ凛とした美人じゃねぇかよ! 女剣士としても申し分ないあの真っ直ぐな気性、あの立ち居振る舞い…! お前とは雲泥の差の美しさっっ!」
「…………アホか…」
ゾロが呆気に取られたようにようよう小さく呟けば、サンジが顔を上げてきつく睨み付けてくる。
話が脱線どころか、別の方に突っ走りかけていることに気付いたのか、ゾロは大きく息を吐いて首を振った。
なんとなく、それでこの話は終了だという雰囲気が生まれてしまい、サンジは躰を起こしてバツが悪そうに髪をかき上げた。
それを横目に、ゾロは書類を茶封筒にしまい、座っているサンジへと改めて向き合う。
真っ直ぐな、力さえ感じる視線がサンジを貫く。今度は真っ向からそれを受け止める。心臓は跳ねない。いつもの通りだと、安心してサンジは笑った。
ほんの少し、ゾロが目を見張った。そうして、ゆっくりと満足そうに口の端を上げる。
それで随分と二人の雰囲気が和らいだ。
「試合の場所と連絡先は冷蔵庫に貼っておく。あ、費用は道場持ちだから心配ねぇ」
「アホ。それくらい心配するか」
「…そうか? 試合については……」
珍しく言い淀み、ゾロは茶封筒へと視線を落とした。
「…まあ、こりゃ帰ってきてからでいいか…」
茶封筒を指で弾き、ゾロは小さく吐息をついた。
なんだか少しとまどっているような感じではあったが、サンジは追求はしなかった。勝つか負けるかの勝負の話ならば、確かに結果が出てからでないと話もできないだろう。
元からあまり道場関連のことや剣道のことにサンジは言及はしないでいた。
門外漢だというのを自覚しているからもあるが、余計なことは言わずにただ協力だけは惜しまない、そんなスタンスでいたかったからだ。
それがゾロにはとても有り難い。
特に今のような時期には。
「…あー、ってことは、お前クリスマスにはいないんだなぁ」
立ち上がってその場を去ろうとしたゾロの背後に、ぽつりと寂しそうな声がぶつかる。
多分自覚はしていないのだろうが、その声には拗ねたような響きがあった。
思わずゾロの口元が緩む。自分がいなくて、サンジが寂しいと思ってくれているのだと判る。それが素直に嬉しかったからだ。
けれど、ゾロは素っ気なくいつもの表情を作って肩越しに振り返った。
「また、ルフィ達が集まってくるだろ?」
おれがいなくても。
そう声にはならない言葉が続くのが聞こえるようだ。
「まあ…当然な」
「だろ? ああ、それとも、おれがいないと知ったらチャンスだとばかりに、いなくなる前に集まって、いなくなった当日に集まって、また帰ってきたぞで、後で集まったりとかすんじゃねぇのか? だとしたら、お前に暇ねぇぞ」
からかうように言えば、サンジが首を振って断言した。
「試合前に家にはこさせねぇよ」
「後は否定なしかよ。…別に構わないぜ? どうしてもって時は、おれはこっちに泊まるし」
どこか優しい響きに聞こえた声に、サンジが顔を上げるのとゾロが前を向くのは同時だった。
サンジが文句を言う前に、ゾロは茶封筒を振りながら歩き出した。
「おれは先に家戻ってる。その後道場行くから、帰りはそのままこっち来る」
真っ直ぐに歩き出すその後ろ姿に、サンジはどう声をかければいいか判らず頷くしかない。
振り返らせることが、こういう姿を見ればとても困難なように思える。
目の前の道にしか興味を抱かないような、そんな姿勢を体現するような後ろ姿。それはいつもサンジに声をかける隙を与えない。
「お前がいなきゃ、皆にとっても意味ねぇっての…わかってねぇよな…」
出て行ったゾロを追うように、サンジの悔しそうな声がこぼれたが、その声が届くことはなかった。
久々の更新で申し訳ないです。進んでます、水面下では二人とも。2010.5.8
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