遠くて近い現実
[22]




 無音のまま、画面が切り替わった。
 真っ暗な画面から、不意に現れたのはどうやら体育館らしき建物の中だった。しかし体育館と言いきるには、どことなく狭い印象がある。
 何故かと様子をうかがえば、建物が真四角っぽいからだと気付いた。
 屋根の配置などから、細長い体育館とは違う印象がある。壁には竹刀が掛けられた棚があったりするので、武道館とかそんな類の建物なのかもしれないとアタリをつけた。
 何せそんな建物には行ったことも、入ったこともないのだから想像でしかない。
 そこがどこなのかは分からなくても、サンジにも分かるものがその画面には映っていた。
 丁度真正面。横並びに立つ二人の姿だ。
 剣道の防具を全て身につけ、左手に竹刀。するような足運びで画面に並んだ二人は、背格好は右側の方が頭半分程小さい。
 左の方は背も横幅も、一回り大きいといった印象だった。
 その二人が並んだまま、真ん中の画面真正面に立つ人へと同時に頭を下げた。そうして、お互いに向かい合い一度頭を下げる。
 サンジの目は右側の小さい方へと吸い寄せられる。真っ直ぐに伸びた背、綺麗にお辞儀をする姿。同じものにしか思えない胴着や防具。躰をすっぽりと覆われていて、一見しただけでは誰か分からないようなものなのに。
 一目で分かった。右側がゾロだ。
 画面の中の二人はそんなサンジにはお構いなしに動いている。すっとお互いの躰を離すと床に描かれた×印を中心にして、同じ距離で床に描かれた印のような線の元へと行く。そのまますらりと右手で竹刀を取ると、大きく円を描くように目前に構えて左手を添え、そのまま両足を折ってしゃがみ込む。
 こういう座り方をどこかで見たと思えば、相撲だと一人納得したサンジだが、多分それをゾロに言ったら嫌な顔をするだろうと、ふと思う。背後を振り返りたい気もしたが、どうしても画面から目を離せない。
 画面の中の二人の一連の所作は決まっているものなのだろう。けれど、どちらもとても綺麗な所作に思えた。
 静かに、しかし立ち上がった二人がわずかに腰を落とし両手で構える。途端、真ん中の白と赤の手旗を持った人の口が動いた。
 多分、号令をかけたのだろう。
 次の瞬間。目の前の二人が動いた。左の方の人物が鋭く竹刀を突き出すように飛び込んでくる。
 迎えたゾロの左がわずかに動いたように見えた時、相手の竹刀の中腹をゾロの竹刀が打っていた。しかし、それと理解がおいつく前に、飛び込んできた躰に、ゾロの躰がまともに受けてたつ。
 普通なら弾き飛ばされそうな勢いだったが、ゾロは下がらない。
 ぐらついてわずかに後に下がったのは、相手の方だった。
 それに、ゾロはさらに踏み込んでいく。間近に迫った相手に鋭い打ち込みが相手の脳天に向かい、慌てて竹刀を上に構えてそれを防いだ相手に、突っ込む。ぶつかった途端またしても吹っ飛んだのは相手の方だった。
 さらによろけた相手に向かい、ゾロはそのまま突進していく。
 がすぐに真正面にいた審判らしき人が両手に持った赤白の旗を頭上に振り上げ、二人の動きが止まる。
 なんでだ!? と思えば、どうやら規定の範囲を飛び出していっていたらしい。柔道などと同じように、どうやら動く範囲が決まっているのだと、それで初めてサンジは気付いた。
 ゾロは素早く持ち場に戻ったが、相手は数度頭を振り、それからゆっくりと自分の場所に戻る。最初に立っていた場所へと落ち着くと、また正面の審判が合図を告げたようだ。
 今度はゆっくりと二人は相手を牽制するように、剣先をわずかに揺らしつつゆっくりと動いて回転していく。
 微妙に相手の竹刀をつついては、わずかに持ち上げてみたり、また少し踏み込むようにみせかけては相手の反応を見ていたり。
 じれったいようだが、無音の画面の奥の緊張感は伝わってくる。
 それにしても、ゾロの方は相手よりも動きが少ない気がするが、落ち着いているのは多分ゾロの方なのだろう。どっしりと構えているようにも見えるそれは、しかし爆発的な力を溜めていたからかもしれない。
 相手がわずかにゾロの竹刀をすり寄せるようにわずかに突き込もうとした瞬間、ゾロの竹刀の先がくるくると相手の竹刀を巻き込んで大きく外へと弾き飛ばした。
 弾みで、仰け反るように両腕を上げてしまった相手に、ゾロが突っ込む。
 音はないが、見事にゾロの躰が相手の横っ腹を薙ぎ、そのまま奥へと走り去る。
 なんだかお手本のようにさえ感じられる動きだった。
 さっと審判達の片手があがる。どうやら背中につけている白と赤の鉢巻きが色分けらしい。
 ゾロが一つ勝ちを取ったらしい。また元の位置に戻って、二人は再度向かい合う。
 そうして、再度審判の合図がかかったらしい。
 次の瞬間から、相手の猛攻がゾロを襲った。
 ハラハラとそれを見つつ、サンジはきつく拳を握り締めた。
 打ち合ってるうちに、二人はがっつりと向かい合い、竹刀同士を立ててせめぎ合うように躰をぶつけあっていく。
 サンジはじっと画面を見つづけた。
 やはり目が離せない。息を詰めて、音もないそれをただただ真剣に見続けた。
 画面の中の二人は、暫くそうやっていたが、そのうちに真ん中にいた審判らしき人物に分けられる。
 再度真ん中に戻って、やり直しだ。どうやらこれが基本の動きらしい。
 また動き出した二人は、少しずつ相手の様子を見るようにゆっくりと回りはじめる。
 防具のせいで顔も見えないのに、どうしてこうもゾロが分かるのか。
 いや当然かもしれない。それだけ自分はいつもゾロを見ていたと、自然に納得してしまえるだけのものがある。
 凛とした立ち姿は、画面越しにも目に勇ましく綺麗に映る。姿勢の美とでもいうのだろうか。見ていてとても自然に見えるのだ。それは日常、サンジが目にしているゾロそのもののなのだろう。
 画面の中では、二人が多分足音も荒く相手にしかけては、止められ止められかけてはまた打ち込み、と激しい応酬が続いている。
 けれど、やはりゾロの方が落ち着いて見える。決して贔屓目ではないはずだ。それどころか、動きをセーブしているようにも見えて、サンジは目を細めた。
 そんな中、激しく打ち込む相手の竹刀を防いでいたゾロが受けた竹刀をそのまま流すように回転させた。不意の動きにわずかに相手の体勢が崩れた瞬間、ゾロが小さくしかし鋭く相手の懐に飛び込む。
 サンジには何がどうしたのかは見分けられなかった。
 けれど、旗が瞬時に上がる。上がったのは、ゾロの色の旗だ。
 あんまり一瞬で何がどうなっていたのかは分からなかったが、これで二勝目。どうやらゾロが完全勝利をしたらしい。
 思わず両拳でよっしゃ! と声を出して腕を引き、振り返れば、いつの間にかゾロが目を開けていた。
 静かな眼差しが、まっすぐに画面へと向かっている。
 恐ろしく激しく、鼓動が胸を打った。自分でも制御できない程のそれに、動揺して思わず画面を見る。
 なんでだ!? と混乱しつつ見た画面には、ゾロがいる。また胸を打つ鼓動が高まり、サンジは俯いた。
 まるで、画面の中のゾロの竹刀がそのまま胸に突き立てられたかのようだ。
 いや、ならその後から続く動悸は、どういうことなのか。
 一人硬直したまま激しく動揺するサンジは恐る恐るゾロを見た。しかしゾロの目は画面から離れていない。
 震えるような呼気のまま、ゾロと唇が形取ろうとしたができずにサンジはゾロを見続けた。ゾロの手が静かに動き、その動きにはっと我に返って画面を見れば、また新しい画面になって別の人物と向かい合うゾロが映し出されていた。
 多分、これはゾロがやった試合全てが録画されているのだろう。
 画面の中では、ゾロの新たな相手が、踏み込むと同時にゾロの喉元めがけて竹刀を突き出していた。
 ゾロの姿が不思議なくらいするりとわずかに横にずれ、そう思った時にはゾロが相手の懐めがけて飛び込んでいた。その竹刀の先が相手の手首へと入っているのが見えた途端、ぷつりと画面が真っ暗になった。
 あ?
 と思わず目をしばたいた。
 反応できずに、もう一度瞬き、そうしてなんとなく自分の横を見れば、リモコンを持ったゾロの腕が伸びてきている。
 一瞬で夢から覚めたような気持ちになった。
    んで消すんだよ! 見てたのによ!」
 ようやくゾロが消したのだと理解してかみつけば、ソファから起きあがったゾロは大きく伸びをして欠伸を零した。
「おかえり」
「おう、たでーま。で、なんで消すんだよ、みせろ」
 意地のようにゾロからリモコンを奪い、再生ボタンを押そうとすれば、今度はゾロにリモコンを奪われる。
「つまんねぇからだよ。この相手、面白くなかったんだ」
「んなの知るか、見たことねえんだから見せろ」
 リモコンを奪い返そうと手を伸ばすサンジに、しかしゾロは不思議そうな顔をしてそれでもリモコンを後ろでに隠した。
「あ? 見たいもんでもねぇんだろ? なのに見る必要ねぇじゃねぇか」
「そんなのてめぇが決めるな!」
「何言ってやがる、お前が言ったんじゃねぇか。汗くさいもんなんか見る価値もねぇって」
 ゾロはのしかかってくるサンジを片腕でセーブするように押さえ、リモコンを遠くに放る。あ、何しやがる! と怒鳴るサンジがリモコンを取りに走ったのを見計らい、デッキに向かうとDVDを取り出した。
「おとなしく見せやがれ!」
 一息にソファを飛び越し、DVDを片手に走り逃げようとするゾロを追いかけるが、伸ばした腕をすり抜けゾロも応戦の構え。
 大きく旋回させた足蹴りを、ゾロはなんとか片手で防ぎ距離を取る為と飛び退いた。
「待てっつってんだろうが!」
「なんでそんな見てぇんだよ!」
 言いながら、蹴りを交わすゾロは防戦一方だ。
 ドタバタと家の中を駆け回り、繰り出すサンジの蹴りをかわしつつ、時には突っ込んでいっては相手に引かせて退路を造る。
 待て、待たねぇ、と叫びつつ、不思議と家具へはまったく当てないくせに人には本気で当ててくるサンジの蹴りを避けまくり、何周したことか。
 なんとなく、二人の口元が笑いに歪んでくる。
「だから、待てって!」
「待たねぇ」
 ダイニングのテーブルの周りをどこの幼児の追いかけっこかと言う状態で駆け回っていた間に、とうとうサンジが吹き出した。吹き出しながら、テーブルへと手をつき、ひらりと肢体を持ち上げ横なぎに蹴りを繰り出す。
 仰け反って交わしたゾロもついに吹き出した。その弾みにサンジの足先がゾロの持っていたDVDをはじき飛ばす。
 DVDは見事に勢い良く飛び、壁へと叩きつけられ      
 呆気に取られた二人の前で、見事に粉々になったDVDが落ちていく。
 思わず顔を見合わせ、次いで二人は盛大に吹き出した。
 怪獣でも吠えてるのかと思えるくらいに声を出して笑いまくり、テーブルを叩きまくっては床を転げ、二人して腹を抱えて笑い続け、もう酸欠になると肺が悲鳴をあげても笑っているうちに、いつしか笑いはクスクスとひそやかなものへと変化していく。
 しかし残骸を見てはこみ上げる笑いに、また少しだけ笑い。
 ようやく二人して笑いが治まる頃には、床に伸びている始末だった。
 まだどこか笑いの余韻を残したまま、サンジが微かに「壊れたな」と囁くと、「粉々だな」とこちらも笑い含みにかえってくる。
「お前が見せないからだぞ」
「そういう問題かよ、蹴り飛ばしたくせに」
 柔らかに言い合い、二人して同時に躰を起こした。
 サンジは胸ポケットから煙草を取り出し、手慣れた仕草で火を付けた。大きく吸い込み、ぽかりと空に白い煙を吐き出す。
「で? 結果は?」
 なんのことだ、とゾロは聞き返さなかった。ただ、当然のように頷いた。
「勝った」
「それは最後まで、ってことだよな」
 当然そうだよな、と念を押すように言えばこれにもしっかりとした頷きがかえった。
「…なのに面白くなかったのか?」
「今回のはな。試合というより、見せ物っぼかったんだよ。相手もそんなに強くはなかったしなぁ」
「見せ物?」
「デモンストレーションってやつか。おれもくいなも、あれじゃ見せ物だ」
 何があったのかは、聞いても教えてくれなさそうだった。思い出したくもないのか、嫌なものを見るように壊れたDVDを睨み付けている。
 そういえば選抜の試合だと言っていたのを思い出す。自分には分からないが、コウシロウの道場は珍しい流派だというのをゼフから聞いたことはあった。きっとそういう関係なんだろうと思えば、せっかく張り切って遠くまで試合にいったのに、結果が年末を潰しただけとなれば、気の毒だ。
「壊れっちまったけど、あれ必要なものとかじゃねぇのか?」
 話題を変えるように言えば、ゾロは首を振った。
「あれは、コピーだ。持ってろって押しつけられただけだから、いくらでも同じもんは作れる。…いらねぇから、黙っておいてくれ」
 それは多分、コウシロウ達道場に関係する者達にということだろう。
「りょーかい」
 軽くいえば、ゾロは笑った。
 そうやって笑うと、小さい頃のゾロのままだ。
 いつもならその笑顔に安心するところなのに、今日に限ってどこか寂しく感じているのを、サンジはどこか人ごとのように認識していた。






進んでますでしょう(笑)
2010.7.26




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